25、恋の始まり
「割り切った関係ならいいのですが、どちらかが本気なら別です。
――と言うのは、実は今まで言っていませんでしたが、僕とソードとは結構古くからのつき合いで、お互いのことを何でも話せるような親しい間柄なんです……」
真剣な調子のニードルの声を聞きながら、クィーンは虚ろに思った。
わざわざ親友であることを明かしたところを見ると、この話は長くなりそうだと。
「ところが、いつもなら訊かなくても勝手に語りだすのに、ゆうべのことだけは違った。
こちらから尋ねてみても笑うだけで、何も具体的なことを語らず、初めて僕に対して誤魔化したんです……。
その態度を見て僕は親友の直感で思いました。
これまでのような遊びの関係だったら、簡単に口に出せるはずだし、あなたに真剣に惹かれ始めているのではないかと!
そこで一つ大事なことを確認したいのと、その上で言っておきたいんです。
失礼を承知でお伺いしますが、あなたの美貌と年齢から察するに既婚者ではないですか?
もしもそうであるなら、なるべくあいつが深みにはまらないうちに、あなたのほうから身を引いて頂けませんか?」
ゆうべのことをソードが誤魔化したのは、自分が倒れたことを口止めしたせいだろう。
それにつけても昼間のお茶会の時といい、まったく感動的な友情であるとクィーンは思った。
思えばアリスはこの無愛想で無口な性格のせいで、修道院でも散々誤解されて敵を作ってきた。
しかし極度の面倒くさがりで他人に無関心なので、基本放置して好きに言わせておいた。
おかげでいつだか偶然陰口を耳にしたテレーズが『この娘はお高く止まっているわけじゃないわ! 性格が暗いだけなのよ!』と、その場で訂正してくれた時には、逆に心がえぐられたものだ。
とにかく、これまで彼女は誰にどう思われても、気にしないようにして生きてきたのだ。
でも今回の誤解については、この先付き合いが長くなるかもしれない配下二人との信頼関係に響いてくる。
面倒くさがらずに初期の段階で誤解を解いておくべきだろう。
独身とか既婚者だとか言う前に、ニードルが考えているような過ち自体がなかったことを――
クィーンは溜息まじりに口を開く。
「ニードル、よく聞いてソードと私は……」
「クィーン。何も言わなくていい!」
――その時――言いかけた言葉を鋭い声に遮られた。
反射的に視線を向けると、いつの間にか虹色に輝いている外界への扉の前に、黒いコート姿のソードが立っていた。
すっかりニードルとの会話に集中していたのと、鎖音がしなかったので、来たのに気がつかなかったらしい。
「ソード……!?」
焦った表情のニードルを見据え、ソードが宣言するように言う。
「悪いが、ニードル、俺とクィーンの恋はいわば始まったばかり。親友だからこそ、今は何も言わずに静かに見守っていてくれないか?」
(こ、恋っ……!?)
勝手に始まっていないものを始まったことにされても困るというか……!
静かに見守っていろとか、今日の昼間、親友のかわりに勝手に求婚の名乗りをあげたどの口が言うのかと、クィーンは開いた口が塞がらなかった。
「ついでに言うと俺は別に遊ばれても構わない。惚れた女のためならたとえそれが煮え湯だろうと、喜んで一気に飲み干そう」
いきなり『恋が始まった』だの『惚れた』だの言いだすこのノリは、硬い性格のクィーンには本気ではなくふざけているようにしか見えなかった。
とにかく、これ以上ソードが話を複雑にしないうちに、一刻も早く訂正しておかねばならないと、中断された残りの台詞を一気に吐く。
「ソードとは恋など始まっていないし、同じベッドで寝ていただけで、大人の関係にもなっていないわ!」
「……!?」
信じられないというような表情で、ニードルがクィーンの顔を見返す。
鉛色の長髪を靡かせ歩いてきたソードも、ドカリとカウチに座って長い脚を組み、ニタり笑いでクィーンを見た。
「待てよ。俺の中ではすでに始まっているから、恋については否定しないで欲しいな。
最初から好みだと感じていたうえ、昨夜のいつになく可愛いあんたの様子に、完全に心が持ってかれてしまったんだ。
クィーンだってベッドの上で俺に必死で抱きつき、一生温めて欲しいとか言って、気持ちに応えてくれたじゃないか?」
(……って!? あれって、夢の中で言っていただけじゃなく、実際に口に出していたの?)
新事実を知ったクィーンは、羞恥心で全身が発火するようだった。
(おっ、落ち着くのよ。言ったとしても所詮それは寝言だし、ソードが私に惚れているだなんてことも、いつもの戯言に決まっている!)
自分に言い聞かせて断じると、容赦なくきっぱりと否定する。
「悪いけどソード、私はあなたと恋など始めるつもりはいっさいないわ!」
それから次にニードルにされた質問に答えるべく考える。
今までの彼女であれば迷わずダメ押しと防御線に、既婚者だと嘘情報を言い張るところだが――
サシャに追い詰めらた今日の手痛い経験から、さすがに学んでいた。
女性経験豊富なソードの前で男性経験がない自分が既婚者ぶるのは、兄だと一度も思ったことがない相手に妹路線を貫くこと以上の難易度だと!
(絶対この先、私の手には負えなくなる!)
かといって濁しておいて、この先何度も訊かれるのも面倒な気がする。
ここはいっそ真実を語っておこう。
「あと、ニードル。さっきの質問だけど私は独身よ。
だけど組織の活動にしか興味がないので、今後も誰とも深い関係になるつもりはないから安心して」
「……!? ……独身でしたかクィーン。それは本当に失礼な質問をして、申し訳ありませんでした……!?」
異様に恐縮したニードルの瞳が、気のせいか急に『30歳独身女性』を見るような憐れみを帯びたものになった。
比べてソードの瞳はぱーっと明るく輝くようになる。
「つまり俺達の間には何も障害がないんだな、クィーン! 俺は――」
何やら言いかけたソードの言葉を邪魔するように、そこに、ドンドンという無遠慮なノック音と、能天気なローズの声が響いた。
「クィーン! いるーー?」
「……!」
呼ばれたクィーンが反応するより先に、素早くニードルが立ち上がり、廊下側の扉のほうへ歩いて行った。
「僕が出ますのでクィーンは座っててください」
ほどなくニードルの手で扉が開かれたとたん、ローズが感嘆の言葉を吐く。
「わっ、凄い美人!」
「……!?」
「あら、と思ったら、背が高すぎるし、ひょっとして男性?」
「ひょっとしなくても男ですが?」
言い返すニードルの口調はキレ気味だった。
忘れていたがニードルには『女顔を指摘されるとキレる』地雷設定があったことをクィーンは思いだす。
「なーんだ。一瞬、第三支部には私たちより美人の女魔族がいるかと思っちゃったわ!」
テレーズことローズは、ニードルが気を悪くしていることなど少しも意に介さず、脇をすり抜けるように室内に入ってきた。
「ロ、ローズ!? どうしたの? 一体何の用?」
色んな意味での気まずさから、焦って立ちがるクィーンの問いをスルーして、ローズはのんびりと自分の言いたい台詞を続けながら歩み寄る。
「自分で言うのもなんだけど、これでも私とクィーンは、第二支部ではともに1、2を争う美貌を誇っていたのよ」
本当に自分で言うことではないと思いつつ、ニードルが本格的に怒りだす前に、クィーンはとっとと話題を転換する。
「二人とも初めて会うわよね? 彼女は先日私と同じ第二支部から移動してきてNo.3の側近となった、No.15のブラック・ローズよ」
「よろしくね。私のことはブラック・ローズ、もしくは縮めてローズと呼んでちょうだい」
「それからローズ。この二人は私の側近の、No.16のソードとNo.22のニードルよ」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
紹介と挨拶を終えたあと、斜め側の席からソードが身を乗り出して耳元で囁いてくる。
「――俺にはニードルやNo.15より、クィーンの方が断然美人に見えるから安心しろ」
言われて逆に安心できないクィーンだった。
「ところでクィーン! 何の用かだなんてあんたちょっと冷たいんじゃない?
用事がなければ来ちゃ駄目なわけ?
昨日は色々忙しくて顔を出せなかったぶん、こうしてわざわざ出勤前に、挨拶に寄ってあげたっていうのに!」
不満まじりに遅れてローズが訪問の理由を答える。
昨日忙しかったのは引越しのせいだろう。
「……」
別にローズとしては昨日会えなくても、テレーズとして今日お茶会で会ったから充分だとクィーンには思える。
ローズはソファーに歩み寄り、クィーンの隣に腰を降ろすと、今度は勝手に愚痴り始めた。
「今日はこれから人間界側の第三支部に行かないといけないのよ。
グレイ様より管理業務を仰せつかっちゃって……。
私あんたと違って内部の仕事は初めてなんだけど、その分も外で任務をこなしたほうが、順位を上げるには効率良さそうじゃない?」
席に戻ったニードルがクィーンのかわりに答える。
「第二支部ではどうか分かりませんが、少なくとも第三支部ではそんなことはありませんよ。
現にほとんど内部仕事しかしていないヘイゼルさんはNo.12ですし……。
最近まで側近仲間だったNo.19とか、ほぼ連絡役だけで上位に上り詰めたと本人が言ってました。
No.19にはアリスも帰国してからずっと任務を伝達してもらっていたので、大幹部になる前は定期的に会っていた。
ただしニードルの側近仲間だったというのは初耳である。
「そういえば連絡役はクィーンも長い間やっていたわね」
魂を飛ばせるうえ羽のあるクィーンは連絡役にうってつけだった。
役目的に組織員の正体を嫌でも知ってしまうことから、秘密が守れる口の堅そうな人間が選ばれ、性格的にも寡黙なクィーンにはぴったりだった。
ただし、修道院にいるメンバーに関しては修道院経由で任務が降りるので、伝達の必要はなく、正体を知る機会はなかったものの。
「今日の幹部会議には、No.10は毎回出ないので、No.3とNo.12、それにNo.19が出ると思われます」
ニードルの言葉にローズが思いだしたように呟く。
「そうそう、今夜は幹部会議だったわね。
私第二支部の時は運営の仕事に無縁だったから、参加すること自体初めてだわ」
幹部会議は基本は週一、多いときは週二で不定期に開かれる。
「奇遇ですね。僕も初幹部会議です」
ニードルの台詞を受けて、ソードがはっと気がついたように訊く。
「……なぁ、ひょっとして、今夜の幹部会議に出ないのって、この中で俺だけか?」
会議は『一日の終わり』の開始で終了は真夜中過ぎになる。
今日はサシャのおかげでかなりHPを削られたのでクィーンは疲れていた。
「第二支部と違って自由参加みたいだし、私も出ないで帰るわ」
だるそうな顔で言うクィーンをキッとした目で睨み、ローズが怒り口調で言う。
「何言ってるの? 出なさいよ! そんな態度だからいまだにNo.9なのよ!」
ソードが呆れ顔でつっこみを入れる。
「おいおい、まだって、その言い方はおかしくないか? クィーンは一応この中では一番順位が高いし、大幹部だろう?」
ソードこそ『一応』とかつけて、失礼だろうとクィーンは思った。
「あなたたしかソードだったわね? あのねクィーンは組織一と謳われる飛行能力と素早さに、ほぼ万能な双剣を持っているのよ。
私がクィーンほどの能力を持っていたら、今頃とっくに四天王になっていたわ!
――事実今の組織に、四天王以外でクィーンを倒せる人間はいないはずよ」
「素早さ! そういえば俺この前の任務の時、まったくクィーンの動きに目が追いつかなかった。
飛行に関してはなんだかフラフラしていたけど……。
クィーンの動きを見ながら、もしも俺が戦った場合、懐に入られたら一貫の終わりだなと思った」
(ソードのやつ。任務中になんで私と戦った場合のことなんか考えているわけ……?)
どれだけ戦闘狂なのだろう。
「あのねソード。目が追いつかない時点で懐に入られないわけがないでしょう?
つまりあなたはクィーンには勝てないのよ!
かくいう私もまったくクィーンの動きには目がついていけないわ。
飛行に関しては空中で自在に動ける、いわゆる曲芸飛行ができるのは組織ではクィーンだけだって、No.2が言ってたわ」
「へー、クィーン、あんたって凄いんだな。ますます俺、惚れちゃったかも」
「さもなきゃNo.13からNo.9に上がらないでしょう」
「ということはクィーンは、No.13からNo.9に上がったんですか?」
「えぇそうよ。クィーンが大幹部に上がった話をNo.2に聞いた時に一緒に教えて貰ったけど、なんでも第一支部のNo.6が聖鎌使いに瞬殺されちゃって、空席ができたおかげでの昇格らしいわ。
大幹部会議では、No.11とNo.12、No.13がそれぞれの支部から候補に上げられたけど票が割れて……。
最終的に魔王様に選択を委ねた結果、めでたくこのクィーンが選ばれたってわけ」
「そうか! やはりNo.3は俺じゃなくNo.12を大幹部候補に上げていたのか! 俺の方が絶対強いのに!」
ソードが一番気になった部分はそこだったらしい。
「しかし瞬殺だなんて第一支部にも聖剣使いみたいな、手練れがいるんですね」
ニードルの可憐な顔に憂いの表情が浮ぶ。
「ええ、ここ数年で出た大幹部の犠牲はすべて第一支部で聖鎌使いによるものだと、カーマイン様が言ってたからそれはもの凄く強いはずよ」
カーマインはそんな具体的な話までローズにしていたのか……。
クィーンが大幹部になった時に交わした会話では、一つもそのような詳しい事情は教えてくれなかったのに……。
(以前から思っていたけど、カーマイン様はローズと私への対応が違い過ぎる)
いじけた気分で皆の顔を眺めているうちに、クィーンはふとお茶会の構図を思いだし、これ以上の長話に危機感を覚える。
(いけない。今日の今日だし、ローズの話し方や雰囲気がテレーズに似ていると、勘づかれる危険性がある!)
焦った気持ちでクィーンは立ち上がる。
「さてと、ローズ。私は任務の報告に第三支部へ行くから、あなたも一緒に行きましょう!」
「そうね、もう行かなくちゃ。寄るだけのつもりがすっかりのんびりしちゃったわ……」
「あ、僕もそろそろ第三支部に戻らないと」
クィーンに続いてローズとニードルも腰を上げる。
「俺はじゃあ、部屋で寝ているとするか……」
一人寂しそうに呟くソードを残し、三人はNo.9の間を後にしてともに第三支部へと向かった――




