24、二人の関係
「シモン、言っておくが俺は今日に限っては、よけいなことなど一つも言ってはいない。
今もとても大事な話をしていたんだ、なぁ? アリスさん」
同意を求めながらシモンごしにキールが顔を覗き込んできた気配がしたが、見返す勇気のないアリスは足下を見ていた。
キールの発言を無視してシモンが謝罪する。
「アリスさん、今日はあなたを困らせてしまうような話になって、居心地の悪い思いをさせて申しわけなかった。
だけど僕は決して自分の気持ちを押しつけるつもりはないし、あなたの重荷にもなりたくないと思っている。
だからひとまず今日言ったことはいったん忘れて、まずはあなたの友人にならせて貰えないだろうか?」
一応顔だけはシモンに向けて聞いていたものの、やはり胸より上を見ることはできなかった。
つい昨日まで女友達のような感覚だったのに、今は隣に並ばれたぐらいで動揺し、顔さえまともに見られない有様……。
いったい今日の自分はどうしてしまったのだろうと、情けなくもアリスは真剣に悩む。
ソードに関しては昨日の今日なので仕方がないとはいえ、シモンについては一昨日の言動であきらかな好意は感じていた。
まさか求婚までされるとは思わなかったが、告白されることはそこまで驚くべきことではなかった。
それなのにここまで意識してまうのは、シモンの性格が思っていたよりも男らしかったのと、想像と実際に言われるのでは違うということだろう――
(考えてみると私30年間人間やってきて、生まれて初めて男性から告白されたんだわ……!)
ソードによる人工呼吸でのファースト・キスに始まり、昨日から人生初めて続きのアリスだった。
とにかく、致命的に男性に免疫がないので、シモンに『友人』になりたいと言われても困るだけだった。
自分に気のある異性との友達づきあいなんて、いきなりハードルが高すぎる。
そもそも同性の友達だってろくにいないアリスなのだ。
シモンのことを好ましく思っていても、やはり自分には荷が重過ぎると結論づける。
ここはきちんと断ろう。
アリスは意を決すると、なるべくシモンを傷つけないように言葉を選んで言った。
「……ごめんなさい、シモンさん。
あなたがどうこうではなく、私は昔から人付き合い自体が苦手なの。
異性と友人になるだなんてどう考えても無理だわ」
アリスなりに気を使った断り文句に、隣からテレーズがいらない解説を加える。
「シモンさん安心して、アリスが今のように長台詞を言ってくる時点で、間違いなくあなたに好意を持っているわ。
何しろこの娘は人見知りで、特に男性にたいしては素っ気ない言葉しか返さないのよ。
この言い回しから察するに、充分脈はあるからどんどんいくべきよ」
「……!?」
アリスは耳を疑い、驚愕に目を見張ってテレーズを見る。
(なぜシモンを後押しするようなことを……?)
先刻サシャの肩を持っていたことと、見た目に惹かれた男性は駄目だという発言から、てっきり一目惚れしたシモンのことも反対すると思っていたのに――
「ちょっとテレーズ、どういうつもり?」
焦ったアリスが顔を寄せて小声で問い詰めると、テレーズが自信満々に答える。
「私の見立てでは彼は相手を幸せにするタイプの男性よ」
また例の『男性には二種類いる』理論か……。
「ついでにいうと、ノアイユ侯爵もそうだと思うわ」
「……!?」
しかもなぜここで、サシャの名前が出るのかと、アリスが言葉を失っていると、
「アリス!」
遅巻きながら他の男性にアリスが囲まれているのを察知したサシャが、振り向きざまに鋭く名前を呼んで手を差し出してくる。
一瞬、躊躇したあと、揉めるのが面倒くさかったアリスは、素直に彼に追いつき、手を取られて並んで歩きだした
玄関先に立って帰りの馬車に乗り込む前。
ご夫人方に挨拶を終えたサシャが、見送りに立つテレーズに言葉をかけた。
「テレーズさんあなたは大切なアリスの親友だ。これからはぜひいつでも気軽に屋敷に遊びにきてほしい」
テレーズは少し言葉に詰まってから、感動したように瞳を潤ませて笑顔で返す。
「ありがとうございます、ノアイユ侯爵閣下。
喜んでそうさせて頂きますね」
彼女が娼館育ちだと知ってもなお、サシャが態度を変えないことをアリスは意外に思った。
――と、何気なく玄関ポーチに立つ一同を見回したアリスは、今さらながら気がつく。
キールと並んで立っているシモンの手に、銀色のステッキがないことを――
気を取られている間に、アリスは手を引っ張られて馬車に乗車させられ、当然のようにサシャの隣に座らされた。
そしてまた、行きと同じように近過ぎる距離感で彼と並んだ状態で、馬車が走りだす。
出発後、サシャは物憂げに深く何か考え込む様子で、ノアイユ夫人もはしゃぎ過ぎて疲れたのか、車内にはしばらく沈黙が満ちた。
アリスも色々考えごとをしたかったのに、馬車が揺れるたびにぶつかるサシャの肩と膝が気になって、どうにも気が散って集中できず。
限界まで耐えてから、控えめにお願いする。
「サシャ、狭いから、もう少しそちらにずれてくれない?」
「……分かった……アリス」
意外とあっさりサシャが頷いてくれて、ほっとしかけたところ、なぜか腰を抱かれて、アリスの身体も一緒にずらされる。
「……!?」
(こ、これは何ごと?)
再び身をぴったりくっつけてくるサシャに、恐る恐る問う。
「ね、ねぇ、サシャ?」
「なんだ?」
返事をするサシャの顔がぐっと近づき、お互いの鼻先が触れあう感触に、アリスは派手に身をのけぞらせて、馬車の壁にガツンと頭を打った。
「――っ!?」
「大丈夫か? アリス」
今度は両腕でがばっと身体を捕まえられ、頭のぶつけた箇所を確認される。
頭と精神、両方にダメージをくらい、本日二度目の抱擁をサシャから受けたアリスは思った。
(駄目だ。屋敷に着くまで、これじゃあとてももたない)
もうここまできては、つっこまざるを得ない――
「大丈夫だから離してサシャ! ――それと今日は距離が近過ぎて物凄く気になるわ。
私、人に触られたりくっつかれるのは苦手だから、出きれば止めて欲しいの」
あくまでも妹路線から外れないように、アリスが強めにお願いすると、身体を抱きしめてくる腕をゆるめながら、サシャが微笑みまじりに言った。
「アリス、それは君が悪いんだ」
「……え?」
アリスは意味が分からなくて目をしばたかせる。
(いったい私が何をしたっていうの?)
疑問に思いつつ身を離して見上げると、サファイア色の瞳を細め、口元をほころばせたサシャの、麗しい顔面が至近距離にあった。
息がかかる近さに耐えながら、アリスは再度問いかける。
「どういうこと?」
返事の前にサシャが手をさっと伸ばしてきて、アリスはびくっとする。
「あ……」
――と、指の長い大きな手が彼女の頭を、それはそれは優しい手つきで撫で始めた。
「一人っ子で兄弟がいない私は小さい君を一目見た時から、こうして頭を撫でたり、抱っこして膝に乗せたり、とにかく妹のように可愛がりたくてたまらなかったんだ。
だけど幼い頃の君ときたら、臆病な猫みたいにいつも逃げて、近寄らせてくれなかっただろう?
だから今そのぶん、こうして近くへ寄ったり、触りたくなってしまうんだ」
「……!?」
何を言っているか分からないというか、16歳になった今だって、アリスはできればサシャの近くになんて寄りたくない。
単に走って逃げまわったり、物陰に隠れていられるような年齢ではなくなってしまっただけである。
想像の斜め上をいくサシャの発言に、アリスが思わず言葉を失っていると、向かいの席で二人の会話を聞いていたノアイユ夫人が、突然ハンカチを取り出して目頭を押さえだす。
「ごめんなさいねアリス。私がサシャに兄弟を作ってあげられなかったから……」
(え? ここ、泣くところ?)
なんだかとたんに湿っぽい空気になり、勢いをそがれたアリスの口調はトーンダウンする。
「そんなことを今さら言われても……。
私はもう子供ではないし、過度に触られることには抵抗があるわ……」
サシャはゆっくりと髪を撫で下ろしながら、甘くささやくように言う。
「兄妹同然なんだから、恥ずかしがる必要はないだろうアリス?
幼い君は私が近づくと母親のスカートの裾に隠れ、父親の腕の中によく逃げていたね。
つまり君にとって家族は、苦手な他人から逃げ込む安全地帯なのだ。
本当に君が私を兄同然、家族だと思ってくれているなら、触れられることに抵抗など絶対に感じないはずだ。
そうだろう? アリス」
この種のつっこみが嫌で行きの馬車ではつっこむのを控えたのだ。
サシャに口で勝つのは難しく、うまく言い負かせる自信がアリスにはなかった。
「……でも、年頃の兄妹はこんな風にベタベタしないでしょう?」
「さあ、兄弟のいない私には分からないな。しかし他所がどうであれ、私はこうして君に触れたい」
どこかうっとりした様子で言いながら、サシャがぐっと指をアリスの髪の間に深く差し込み、梳くようにする。
男性嫌いのアリスにはとても耐えられず、思わず彼の手を払いのけ、身を強張らせた。
「やっ、止めて……! 私は、触れられたくないわ。だってもう、家族に甘えるような年ではないもの!」
震えるアリスの台詞をあえて聞き流し、サシャは覗き込むように顔を寄せて少し意地悪く問い詰める。
「アリス、どうして先ほどから君はそんなにビクビクしているんだ? それに顔が赤くなっている」
どうしたも何もこうベタベタと触られ、息苦しいほど顔を寄せられ、動くたびに鼻どころか唇が偶然触れかねない距離では、意識するなというほうが無理である。
実際は、9歳で修道院に入ったアリスは戻って来てからの半年間も含め、サシャと3年弱ばかり同居しているがただの一度たりとも、彼を兄のように思ったことなどない。
「あなたとくっつき過ぎているのと、密室で少し熱いから……」
「そうか? 夕方だし、私はどちらかというと涼しく感じるが?」
誘導しようとするかのようなサシャの言葉に、アリスは追い詰められたような心境になる。
やはりもともと妹路線には無理があったのだと後悔しかけたのと、ガタンと大きく車輪が鳴って馬車が停止したのはほぼ同時だった――
「……!」
侯爵家に到着したとたん、逃げ場のない狭い空間から解放される喜びで、アリスは泣きたくなった。
(今日はいつもに増して疲れる一日だった……)
ようやく夜の活動時間を迎えたアリスは、クィーンに変化し異空間を呼び出しつつ、つくづく思った。
今夜の夕食の席は皆言葉少なで、たびたび意味深な視線をアリスに向けてくるサシャと、昼間息子に強く出すぎたせいか怯えたよう態度のノアイユ夫人と囲む、異様に気詰まりなものだった。
おかげで無人のNo.9の間に到着すると、なんだかとてもほっとした気持ちになってしまう。
今日は昨日の報告書を出しに第三支部に行く予定だったが、その前に疲れを癒すためにソファで一休みすることにした。
クィーンがぼーっと座って休んでいると、廊下側の扉が開く気配がして、生成り色の豊かな髪を揺らしてニードルが部屋に入ってきた。
昼間とは姿が変わっていることに加え、その後お茶会の上をいく衝撃を馬車内で受けたせいか、クィーンは彼の顔を見てもさほど動揺せずに済んだ。
「こんばんは、ニードル」
「……あっ、クィーン! いらしてたんですね」
逆にニードルのほうがクィーンを見た瞬間はっと息を飲んで、挨拶を返しながら恥ずかしそうに顔をそむけた。
「……?」
近づいてきてクィーンの向かいの席に腰を下ろしても、ニードルは落ちつかない態度で目を泳がせつつ、両手の指を組んだり解いたりを繰り返した。
「どうしたの? 何か言いたいことでもあるのニードル?」
思い切ってクィーンが尋ねると、ニードルは俯いていた顔をがばっと上げ、決然と美しい菫色の瞳を向けてきた。
「クィーン、僕は大人同士の割り切った関係に対し、どうこう言うつもりは毛頭ありません……」
いきなりな切り出しである。
(割り切った関係?)
「ただ、あなたがまさか、ソードとそのような関係になるとは想像していなかったので、正直とても混乱しています!」
言われた瞬間は意味が理解できなかったクィーンだが、ソードの名前が出てきたことから、すぐにゆうべのことだと気がつく。
「すみません! 昨夜遅くに機密室からこの部屋に戻ってきた時、ソードの鼾が聞こえてきたものだから……。
一人で寝ているのだと思って寝台のカーテンを開いたところ、二人で抱き合って横になっている姿を見てしまって……」
ニードルの説明により事態を把握したクィーンは、恥ずかしさで全身が汗ばんでくる。
どうやら昨夜ソードと一緒にベッドにいるのを見られたうえに、思いきり誤解を受けているらしい――




