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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
31/113

23、薔薇の名は……

「オーレリーは、娼婦に私を生ませたと言ったけど、話は逆なのよ。

 私を妊娠したから、母は、娼婦にまで身を落とさなければならなかったの……」


 ――薔薇が咲き誇るマラン伯爵邸の中庭にて、テレーズは淡々と語り始めた。

 それは男爵子息と、薔薇のように美しい使用人の少女との、身分違いの恋物語。


「父は優しいだけの人だった――砂糖菓子のように甘い言葉で母を散々その気にさせたくせに、けっきょく親には逆らえずに、別の女性と結婚したの。

 結婚後も母は父を想い続け、正妻が一男一女を産んでも、呼び出されれば、拒みきれず、逢瀬を重ねた……。

 だけどある日、母の妊娠がきっかけで、二人の仲が正妻にばれ……。

 母は身一つで屋敷から叩き出されることになったわ……」


 頼るべき身内もおらず、次の働き先への紹介状もなく、身重で路頭に迷ったテレーズの母親に、他の選択肢はなかったという。


「実際、母は、薔薇のように華やかな美人だったから、貴族専門の高級娼婦になることが出来たの」


 テレーズが優しい男性が嫌いというのは、父親のことが理由なのだとアリスは察する。

 

「母は愛情深い人だったし、館の女主人も娼婦仲間もみんな優しかったから、娼館で生まれ育っても私は幸せだった……。

 ――ねぇ、アリス、初めて会った時、あんたのこと、おさななじみに似てるって、私が言ったのを覚えている?」


 言われたような気もするが、数年前なのと他人の発言に興味がないアリスは、はっきりとは憶えていなかった。


「私が7歳の頃、二つ年下であなたと同い年の、クロエって子も娼館で一緒に暮らすようになって……。

 クロエは赤ん坊の頃から、親に殴られ、食事もろくに与えられず、虐待されて育ち……身体がガリガリで、目ばかりギョロギョロ大きくて、野良猫みたいに警戒心が強かった……。

 出会った時も5歳なのにろくに言葉も話せなくて……つい放っておけなくて、話しかけたりして世話を焼いているうちに、段々、実の妹みたいに思うようになって……」


 なぜかクロエのことを話すときのテレーズの表情はとても痛みに満ちていた。


「――初めてあんたに会った時、あの娘の暗い瞳と、あんたの瞳が重なって……そのせいで放っておけなくて……つい構ってしまったの……。

 それで……実は私、今までずっと勘違いしてた。あんたもてっきり、あの子のようにきつい生い立ちで、酷い扱いを受けて育ってきたのだと……。

 他の修道院仲間と同じように、行き場がないか、私のように辛い生活から逃れたくて、修道院へ入ったのだと、そう思ってた。

 馬鹿よね、それどころか、あんたは侯爵家に連なる貴族のお嬢様で、あんなにあんたを思って愛してくれているノアイユ侯爵のような家族までいたのに……」


 テレーズの言う通り、アリスは優しい両親の元に生まれ育ち、親切な侯爵家に引き取られ、今まで何不自由ない恵まれた生活をしてきた。

 彼女や自分に似ていたというクロエという少女に比べたら、どれほど恵まれてきたことだろうと、改めて自覚する。


「私ね……今思うと、娼館で、母やクロエと一緒にいた頃が、一番幸せだった……。

 だから私が10歳の時、クロエの母親が商人に身受けされることになり、娼館を出て行くことになった時、喜ぶべきことなのに、とても寂しくて……。

 別れの挨拶の際、あの娘が初めて私に笑いかけてくれて……今でもその笑顔が忘れられない……」


 ――そこで急に、テレーズの全身が、よほど辛いことを思い出したのか、激情にかガタガタと震えだした。


「――母が重い病で床に伏せったのは、クロエがいなくなってからすぐのことだったわ。

 悪夢みたいだった――私にはたった一人の家族を失うことなんて耐えられなかった――そんな時に思い出したのが、以前母の娼婦仲間から聞いた、巷で噂になっている悪魔を信奉する組織のこと。

 私はね、悪魔に魂を売り渡してでも、母を救いたかった! だけど子供だった私は、組織に入るための窓口へ辿りつくのに何ヶ月もかかってしまって……。

 ――やっと組織入りが叶った時には、すでに母は危篤状態。

 最期に組織のつてで、今際のきわに母の枕元に父親を呼んでもらい、会わせることしか出来なかった」


 涙に濡れた長い睫毛を震わせ、遠い目をしたテレーズが続ける。


「相変わらず優しいだけの父は、何度も何度も母に謝っていたわ。

 恨みごとを言うどころか、母は父に会うとまるで少女のように無邪気で嬉しそうな顔をして……私のことを託すと、安心して、穏やかな顔で亡くなった。

 馬鹿よね、最期まで自分を不幸にした男を愛していたのよ……」


 アリスの脳裏に、自分の母親の死に際の顔が浮かぶ。

 母が最期に呼んだのは、娘達の名前ではなく、愛する父の名前だった。


「その後は、修道院であなたに話したとおり、最悪な家族に囲まれて暮らすことになった。

 意地悪で嫌味な義母と、その分身のような姉に、義母の言いなりの父、先ほどあんたも会った暴言が酷い変態の兄――

 その頃の私は辛く当たられても愛人の子供だから仕方がない――義母はともかく、兄や姉とは血の繋がった兄弟だから、いつか分かり合えると、甘い夢を見て、なにをされても我慢していたの。 

 オーレリーに身体を撫で回され、義母や姉にも家族というより使用人みたいに扱われて……そんな辛い毎日でも耐えられたのは、組織のおかげよ……。

 魔王様を信奉し、組織に貢献すればどんな望みも叶えて貰える――その希望が当時の私にとって大きな心の支えになっていたわ……」


 アリスと同じように、テレーズにとっても、組織の存在が生きる心の支えだったのだ。


「でもね、私が12歳の時に父が亡くなると、家の中でオーレリーは暴君のようになり、やりたい放題をするようになった。

 ――寝込みを襲われたのは、私の15歳の誕生日の夜だったわ。

 本気で自分を犯そうとするオーレリーを見て、血の繋がった妹だと思われていないことを確信することができた。

 その時はさすがに私も大騒ぎして、駆けつけてきた義母や姉は、私から誘ってきたというオーレリーの言い訳を信じて、淫乱だと罵倒された私は――やっと目が覚めたの――自分が決して得られる訳もない家族の愛を求めていたのだと――!」


 テレーズは蒼ざめ、身震いして、吐き捨てるように言った。

 アリスにとっても、赤の他人より血の繋がった男性に襲われる方が、よりおぞましく思える。

 よほど暗い表情をしていのだろう、テレーズがアリスの顔を見て、少し笑った。


「――そんな顔しないで、そのことが屋敷を出て修道院へ入るきっかけになったから、ある意味良かったのよ。

 吹っ切れたおかげか、第二支部に移動してからは、トントン拍子に昇格して、三ヶ月足らずで異名持ちになり、その一年後に幹部にもなれたんだから。

 実は先日、No.3に会った時も、けっこう感慨深かったのよ。

 かつて王国にいた時の私は、No.3に会うどころか、組織の体制さえろくに知らない下っ端だったんだもの。

 我ながら順調に昇進して、上り詰めた感があったわ」


 テレーズはつとめて明るい表情と声を作るようにして言った。


「それに、元の家族には恵まれなかったけど、私には姉妹同然のあんたとシンシアがいるし、さっきも言った通り、これから愛し合える相手を見つけて、自分で家族を作る予定だから、全然平気よ!

 王国に戻ってきたのだって、あんたのことだけじゃなく、もう18歳だし、結婚するなら急がなきゃと思ったからなんだから」


 つまり、テレーズは結婚するために、王国に戻ってきたらしい。

 アリスとはまさに真逆の行動原理である。 


「あんたもね、適齢期なんだから、将来を真剣に見据えて、幸せになれる相手と一緒になりなさい。

 ――この前も言ったけど、出来たらグレイ様は止めておきなさいね。

 私、あんたにあの時、グレイ様のことを女を不幸にするタイプだなんて、失礼かつ漠然とした言い方をしたけど……。

 本当はね、彼の瞳を見た瞬間、あんたとそっくり同じ――暗い方向を見ている瞳だと強く感じたの。

 アリス、私はね、あんたには光を、明るい方向を見ている人と、一緒になって、幸せになって欲しいの。

 出来たらシンシアのように、あんたを包み癒してくれるような存在だとなおいいわ……」


 暗い方向を見つめる瞳――言われたアリスは、夜のようなグレイの瞳を思い出した。

 自分だけではなく、他人から見ても、アリスと彼は似ている存在らしい。


「何にしても、命あっての物種よ。

 この国には、あんたの天敵だった聖弓使いのルカ・ヴァレンタインはいないけど、かわりに聖なる武器の使い手では最強の、慈悲の仮面をかぶった聖剣使いがいる。

 もしも、出会った場合、私の防護がなければあんたの命が危ないわ!

 だから 早いところ側近にするように、グレイ様に言いなさい!」


 例の命令口調で言われて、アリスはとても困ってしまう。

 テレーズ――ブラック・ローズはクィーンとは逆に、聖弓使いのルカと相性が良く、茨のガードは完全に聖矢を防ぐ。

 しかし、対、聖剣使いとなると事情が異なり――アニメを視聴していたアリスは知っていた――茨のガードでは、聖剣は防げず、『貫通』することを。

 そして、人の子の王なる者に与えられし慈悲の仮面の守りは強力で、アルベールにはローズの得意とする幻惑技は一切きかない。


 現に聖弓使いルカ・ヴァレンタインがいても、聖盾使いのダミアン・ソレルの二人がいても、カーマインの采配もあり第二支部は滅多に犠牲者を出さず、壊滅の危機など陥っていないのに、アルベール一人しかいない第三支部はすでに虫の息。

 聖剣使いだけあきらかに、他の聖なる武器や防具の使い手と次元がことなる存在なのである。


 テレーズの生い立ちを聞いたアリスは、ますます、彼女を聖剣の餌食にするわけにはいかないと思った。

 家族を得て幸せになるという夢を叶えさせるためにも、グレイより聖剣使いの対応を任されている自分の側近には、絶対にテレーズを加える訳にはいかないのだ。 

 けれど、オーレリーのことで精神的ショックを受けたばかりの彼女に、今、そのことを告げるのは忍びない。

 ――途方にくれてアリスが口ごもっていた時、


「アリス! どこにいるんだ?」


 タイミング良く、心配して探しにやってきたサシャの呼び声と、近づいてくる気配がした。


「ここよ、サシャ」

 返事をしながら、木陰から金髪を煌めかせて現れたサシャの姿を見て、アリスはほっと胸を撫で下ろした。



 

 二人がサシャに伴われ、お茶会の席に戻ると、すでにそこにはオーレリーの姿はなかった。


「テレーズさん、あなたの兄は、ノアイユ侯爵閣下と俺で充分、絞りあげておいたから安心しろ!」

 

 着席するテレーズに向かって、キールが楽しそうな口調で、得意気に語りかけてきた。


「……そうなの?」


「ああ、俺が数発ぶん殴った後、ノアイユ侯爵に雷を落とされ、泣き面で帰って行ったよ。

 なにしろ、アルベール殿下が王位についた暁には、騎士団長になるのが確実だと言われているお方を怒らせたんだからな。

 将来の出世の道は絶たれたも同然だし、相当堪えただろう」


 なんと、サシャはアルベールが王になったら、軍のトップに立つ見込みらしい。

 ともかく、キールが自分のかわりにオーレリーを殴ってくれたことにアリスが心の中で感謝していると、マラン伯爵夫人が沈痛な面持ちで謝罪し始める。


「本当に今日はテレーズさん、皆さんにも、大変不愉快な思いをさせて申し訳なかったわ。

 実は、オーレリーはあのような性質だから、家族全員が、娘のクララとの結婚を反対したのですけれども、半ば強引な手段を取られ……止むを得ず、嫁がせることに……」


 テレーズの話を聞いた後のアリスには、なんとなくオーレリーが取った強引な手段の見当がつく。


「私からも謝罪させて下さい。せっかくの楽しいお茶会を、台無しにして申し訳ありませんでした」


 続いてテレーズが謝ると、ご夫人達とシモンが口々に慰めの言葉をかけ、キールとサシャが悪いのはオーレリーだと強く断じてくれた。

 

 ――その後は、終始、なごやかな時間が過ぎ、当たりさわりのない、穏やかな会話が続いた。

 ノアイユ侯爵夫人もデュラン子爵夫人も、もう縁談の話は口に出さず、途中で中庭の薔薇を見せてもらうため、マラン伯爵夫人と三人で席を立っていった。

 アリスは残りのお茶会の時間の間、キールとシモンが並んで座る向かい側の席を見ないように、終始うつむきがちで、いつものように会話の聞き役に徹した。


 やがて、中庭に吹く風が涼しくなってきて、お茶会の終了時間が訪れる――

 帰りがけ玄関に向かい、マラン伯爵夫人と並ぶサシャの後ろを、テレーズと並んで歩いていたところ。

 いきなり追いついてきたキールに横から話しかけられ、アリスは胸がドキリとした。


「アリスさん、俺は正直、最初は、後見人の言いなりで無口なあんたを、綺麗なだけの人形みたいだと思い、あまり良い印象は抱かなかった。

 だけどその後、友達のために大の男に立ち向かい、拳を握ったあんたを見て大いに見直したよ。

 あんたみたいな女性なら、親友のシモンの結婚相手として認めてもいいとね。

 したがって、今後は大いに安心して欲しい――シモン以外との縁談は、俺が確実に全部ぶっ壊してやるから!」


 力強くキールに言われ、嬉しいような、嬉しくないような、複雑な気持ちになって返答に困っていると、


「キール。また余計なことを言っているんじゃないだろうな?」


 慌てたようにシモンがキールの肩を掴み、無理やり二人の間に割り込むように隣に並んできて――アリスの鼓動は再び大きく跳ね上がった――





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