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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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22、猛獣使い

 男性に守られて嬉しいなどという乙女らしい感情とは無縁のアリスだが、シモンの背に庇われるのがこれで二回目だと思うと自然に感謝の念が起こってくる。

 対して彼女を当たり前のように腕に抱くサシャには、苛つかずにはいられなかった。

 とりあえず力いっぱいサシャの胸を押しやり身を離すと、シモンの陰から顔だけだして前方を見る。


「なんなんだ、お前らは! 離せ! ここを通せ! 俺は妹に話があるんだ!」


 すると見えたのは長身のキールに背後から片腕を捻り上げられ、首の後ろを掴まれ押さえ込まれてもなお、猛獣のように唸り暴れて抵抗するオーレリーの姿だった。

 誰よりもおせっかいや目立つことを嫌う『事なかれ主義』のアリスが、珍しく人前にもかかわらず友人のために立ち上がったというのに――

 喧嘩馴れしているらしいキールにオーレリーは完全に組み伏せられている状態で、どう見ても彼女の出番はなさそうだ。


 思いおこせばこの数年間というもの、アリスは修道院でも第二支部でも、一方的にテレーズにフォローされる立場だった。

 第三支部に聖剣使いがいるように、第二支部には聖弓使いと聖盾使いがいて、聖弓とクィーンは相性がとても悪い。

 しかも女嫌いで有名な聖堂騎士団所属の聖弓使いルカ・ヴァレンタインは、女魔族を相手にすると倍以上張り切り、特にクィーンを目の敵にしている。

 そしてサシャ以上にうざい性格で、ローズの呼びかけから彼女の名前までばっちりおぼえ、毎回、


『クィーン! 今日こそが貴様の命日だ!』


 という決め台詞を口にして、しつこく連射矢の的にしてくるのだ。

 おかげでクィーンが殺されかけたのは、一度や二度ではなく、ローズの『荊の守り』でガードされていなかったら、確実に5回は死んでいた記憶がある。


 本人が主張するようにテレーズを『姉』だと思ったことは一度もないが、アリスも今まで世話になってきたことへの恩義は充分感じており、少しでも返したいという意識はつねにあった。


 だから今回、身体を張ってでもオーレリーを止める覚悟で飛び出したというのに――

 この通り横からお役目を奪われ、すっかり肩すかしを食らった気分だ。


(でもまあ、人間姿で大の男を前に大立ち回りをしたら、後々面倒だったけれどね……)


 アリスが内心ひとりごちていると、再度ぐいっとサシャに腰を引き寄せられ、気持ち悪いほど優しい声音で囁きかけられる。


「アリス、君はここで待っていなさい」


 長い腕がアリスの身体から剥がれ、背中を見せたサシャが淡色の金髪を靡かせ、キール達の元へと歩いていく。

 追うように歩きだしたアリスを止めるように、今度はシモンの腕が伸びてきて腕を掴んでくる。


「――!?」


 驚いて真近にあるシモンの綺麗な顔を見上げたアリスは、一瞬、呼吸を忘れ、苦しいほどに胸がどぎまぎしてしまう。

 今しがた求婚と告白を受けた事実から、すぐに恥ずかしさに耐えきれなくなり、思わずガバッと顔をそらすと同時に、自覚する。


(わ、私っ……キールばかりか、シモンの顔もまともに見れなくなってしまっている!?

 これが30年間男性に免疫のなかった、女のメンタル!)


 己の不甲斐なさに愕然とするアリスの耳に、オーレリーのがなり声が響いてきた。


「畜生! 離せ! 俺を誰だと思っている!

 王立騎士団、小隊長、オーレリー・マルソーだぞ!」


「悪いけど、知らないな」


 あっさりとあざ笑うように否定するキールの背後から、サシャが静かに近づき声をかける。


「知っているとも、オーレリー」


 はっ、と肯定の言葉に反応してサシャの顔を見たオーレリーの顔色が、みるみる赤色から青色へと塗りかわる。


「ノッ――ノアイユ侯爵閣下!」


 アニメでのサシャはエリート隊の隊長というだけではなく、第一王子の側近中の側近という扱いだったから、こちらの世界でもそうなのだろう。

 オーレリーの態度で彼の騎士団内での高い地位を察することができた。


「デュラン卿、もう彼を離していい――」


 配下に指示するようにサシャがキールに素早く伝え、戒めを解かれたオーレリーはさっと地面に膝をつき、頭を垂れる。

 そこでサシャが怒り口調で問う――


「さて、オーレリー、私は今、ひどく怒っている。

 王国の誇りある騎士であるお前が、まるでならず者のようなふるまいではないか? いったいこれはどうしたことだ?」


 答えるオーレリーは、先ほどの勢いはどこへやら、萎縮して、猛獣どころか子猫のように大人しくなり、言い訳する声が裏返っている。


「おっ、お騒がせして申しわけありません……侯爵閣下がいらっしゃるとは夢にも思わず、大変失礼をいたしました!」


 サシャは恫喝した。


「――私がいるいないは関係ないだろう!

 女主人であるマラン伯爵夫人の意向を無視して、呼ばれもしないお茶会に乱入し、か弱き女性を怒鳴りつけるとは何事だ? 恥を知れオーレリー!」


「ははっ!」


「――何より許しがたいのは、お前が今しがた『どけ』と乱暴な口をきいたのは、私が後見している誰よりも大切なアリスだということだ!」


 そこが一番重要なのかと、アリスは心の中でつっこみを禁じえなかった。


「……そっ……そうでありましたか、存じあげなかったとはいえ、大変失礼をば致しました!

 誠に申しわけありません! この通りです! 何卒、お許しください!」


 地面に頭を擦りつけんばかりのオーレリーの態度に、いささか溜飲を下げたサシャは大きく溜息をつく。


「それとオーレリー、お前の妹であるテレーズさんはアリスの大切な親友だ。

 たとえ兄であろうとも今後、彼女に無礼な態度を取ることはこの私が許さない」


「――なっ、なんと、テレーズが、侯爵閣下のご親戚の令嬢の、親友!?」


「理解したなら今日は素直に帰るがいい。

 以降、マラン伯爵夫人の許可があるまで、二度とこの屋敷の敷居をまたぐな。

 もしもこの指示を破るようなことがあれば、必ずや私からそれ相応の報いがあることを覚悟しろ」


「ははっ――畏まりました。侯爵閣下!」素直にそのまま引き下がるかと思いきや「ただ最後に一言だけ、申し上げることを許して頂けませんか……」未練がましくオーレリーが言い募る。


 少しの逡巡の間のあと、


「――下らぬことを言わぬなら、許可してやろう」


 上からサシャに発言の許可を与えられ、オーレリーがここぞとばかりに一気にまくし立てる。


「一家の恥であるがゆえ今まで周りに硬く口をつぐんでまいりましたが、侯爵閣下の大切なご令嬢に悪影響があってはいけないので苦渋の思いで申し上げます!

 テレーズは我が妹とはいえ、今は亡き父が娼婦に産ませた娘であり、娼館育ちです! まともなご令嬢がお付き合いさせて頂けるような娘ではありません!」


「――!?」


 衝撃的なオーレリーの暴露に、最初アリスは頭の中が真っ白になり、じょじょに内容を理解するとともに、腸が煮えくり返ってくる。


「――なっ、オーレリー……お前という奴は……!」


 サシャも一瞬絶句し、怒りの声を上げ――それ以上に、強い憤怒の気を全身から発したアリスが、発作的に叫ぶ。


「――テレーズを……侮辱しないで!!」


 力を込めて握りしめた爪が手の平に食い込み、激しい怒りの感情に身の震えが止まらない。

 この際、後のことなどどうなってもいいから、どうしてもこの糞男を一発殴らずには、気が収まりそうになかった。

 拳を握ってオーレリーへと歩み寄るアリスの足を止めるように、ガタンと背後で席を立つ音があり、テレーズが悲鳴のように叫ぶ。


「止めて、アリス!」


「――!?」


 反射的に立ち止まって振り返ったアリスの瞳に、悲しそうに歪んだテレーズの顔が映った。


「あっ……!?」


 自分の発作的な行動のせいでそんな顔をさせてしまったのだと、瞬間的に悟ったアリスは、罪悪感で胸がズキリと痛む。

 テレーズは口を押さえてくるりと背を向けると、バッとその場から逃げるように駆けだした。

 一瞬遅れでアリスも慌てて後を追って走り始める。


(ああ、私はなんて馬鹿なんだろう。結局おせっかいした結果テレーズに人前で恥をかかせて)


 ドレスの裾を掴んで駆けながら、毎度、要領が悪い自分にアリスはうんざりする。

 追いかけるうちに、ふっ、と木陰近くでテレーズの姿が消え、慌てて見回した瞳が薔薇の陰に震えてうずくまる背中を捉える。

 一呼吸置いてから、アリスは意を決し、謝罪しながら近づいていった。


「ごめんなさい、テレーズ……私、よけいなことを……」


 アリスの言葉を遮るように、涙に濡れた瞳を上げたテレーズが叫ぶ。


「何言ってるの、アリス! 私、あんたが庇ってくれて嬉しかったのよ!」


「……だけど、私のせいで……」


「違うのよ……! 私が恥ずかしかったのは娼館育ちだって知られる以上に、あんたにこんな意気地なしな自分の姿を見られたことなの!

 ああ、我ながら情けない。もう何年もたつのに……いまだにオーレリーの声を聞いただけで身が竦んでしまうなんて……。

 顔を見るのもおぞましくて耐えられず、何一つ自分で言い返せなかった。

 あんたの前ではいつも強がっていたかったのに、これじゃあ姉の威厳が台なしよ」


「テレーズ……」


 出会ってから初めて泣いているテレーズの顔を見て、アリスは口ごもる。

 今までの人生において人付き合いは元より、他人を慰めた経験がほぼないので、こういう時に何て言葉をかければいいのか分からなかった。


 呆然と見ているアリスの前で、テレーズは自身の肩を抱きしめながら身震いしたあと、近くに咲いている薔薇にそっと目を止め、呟いた。


「……ローズ、君は名前の通り、薔薇のように美しい……」


「……」


「父は母にいつもそう言ったそうよ。

 恋に盲目になって、不幸になった例というのは……実は私の母親のことだったの……。

 ――ねぇ、アリス、もしも良かったら、少しだけ私の昔話を聞いてくれない?」


 テレーズに言われたアリスは無言で頷き、並んで庭の地面に座りこんだ。



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