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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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18、思わぬ提案

アリスだけではなく、ノアイユ夫人もサシャの発言にびっくりしたようだ。

 目を丸くして少し固まったあと、いかにも焦った声で、息子にお茶会に参加しない方向での説得を始める。


「まあ、サシャ、せっかくの休みなんだから、屋敷でゆっくりしていればいいじゃないの。

 それに普段は軍の仕事に追われて、侯爵としての仕事がたまっているでしょう?」


「逆ですよ、母上。せっかくの休みだからこそ、家族と共に過ごす時間を大切にしたいのです。

 昨夜は早めに寝たから身体も充分休ませることができたし、侯爵としての仕事もこの前の休みの日にあらかた片付けたので問題ない。喜んで、二人のお供をさせていただこう」


 弁舌さわやかで口が滑らかなサシャ相手に、おっとりとしゃべるノアイユ夫人では太刀打ちできないだろう

 アリスとてどちらかというと口下手ではあるが、僭越ながら夫人の加勢を試みることにした。


「サシャ。私たち家族と一緒に時間を過ごそうとしてくれる気持ちはとても嬉しいわ。

 だけど今日、マラン伯爵夫人のお宅には、たぶん彼女と付き合いのあるシモン・ヴェルヌ卿もいらっしゃると思うの。

 一昨日、あなたは彼に対して物凄く感じの悪い対応をしたから、サシャが行くと彼の居心地がとても悪くなるわ」


 アリスのこの発言は諸刃の剣でもある。

 シモンが来るなら是が否でも行くと、サシャが意固地になる可能性があるからだ。


「やはり、彼が来るのか……」


 予想通りとでも言うようにサシャは苦々しい呟きを漏らした。

 ノアイユ夫人は眉をひそめ、批難がましい視線を息子に向ける。


「物凄く感じの悪い対応? まあ、それは本当なの?

 だったらあなたは来ないでちょうだいサシャ。

 楽しい一時を台なしにしたくないわ!」


 元々マラン伯爵邸へ招かれているのはノアイユ夫人とアリスだけである。

 ノアイユ夫人が同行を拒否すれば、サシャは無理矢理には着いては来れないはず。

 アリスは彼女のシモンに対する、溢れんばかりの好意に賭けた。

 ところがサシャは母親に非難まじりに断られても、いっさい顔色を変える気配がない。


「逆ですよ。母上。シモン・ヴェルヌ卿が来るなら、ますます私はそのお茶会へ行かねばなりません。

 ヴェルヌ卿が、社交界へデビューしたてである、初心(うぶ)なアリスの手を馴れなれしく握ったことは、正直なところ今でも許しがたいと思っている。

 しかし彼もその場ですぐに自分の非を認め謝ったことだし、冷静になった今では私も大人気なく言い過ぎたと思っています。

 先日の夕食の席での不用意な発言についても心から後悔している。

 他人の噂話をよく確かめもしないで軽がるしく口にすることは恥ずべき行為だ。

 母上、どうか私が紳士としての恥を知り、己の行いを反省し悔い改めることができる人間であることを、あなた達家族の前で証明させてはくれないか?

 お願いだから、私にも名誉挽回のチャンスを与えて欲しい!」


「……」


 サシャにしてはずいぶんしおらしい発言である。

 アリスもまさか気位の高い彼が、ここまで自分の非を認めるとは思わなかった。


「そうね。きちんとシモンさんにお詫びしてちょうだい、今後、身内になるかもしれない人なのですから。

 とにかく、分かりました、サシャ。そういうことでしたら、同行を許します」


 『身内』とか相変わらずノアイユ夫人は気が早い。

 サシャはビクッと反応して、何か言いたそうな不満気な顔をしたものの、すぐに元の表情に戻った。


 アリスもサシャのお茶会参加を阻止できないまでも、シモンの前で先日のような不愉快な態度を取るつもりがないと知り、とりあえず安心する。


「さてと――では私は支度もあるので、先に失礼させていただくわ。

 それでは、後でね、アリス、サシャ」


「はい、また後ほど、ノアイユ夫人」


 夫人が食堂から退出するのを見送ったあと、アリスはサシャに念押しした。


「……本当に、シモンさんに謝るのね?」


「ああ、アリス。男に二言はない。何より、君にとって私はつねに尊敬できる存在でありたいんだ」


(――尊敬って? 一体どういう路線変更なのかしら?)


 深く考えるのは面倒くさいので、この話はこれぐらいにして、アリスは別の重要な質問をすることにした。


「ところで、サシャ、大事な話があるんだけどいいかしら?」


「ああ、改まってなにかな? アリス」


 ティーカップをそっと置き、サシャはサファイア色の瞳をまっすぐアリスに向けた。


「実は昨日、メロディから意外な誘いを受けたのだけど……。

 誤解しないで聞いて欲しいの。私が決してその誘いを喜んでなどいないことを――」


「ああ、メロディか……。その話は聞いている。

 アルベール殿下に王宮へ招待されている件だろう?」


 さすがアルベールの側近なだけあって、すでに話が通っていたらしい。

 それなら話が早くて助かる。


「ええ、その通りよ。あなたに相談してからと思って、まだメロディへの返事は保留してあるの。

 ねぇ、サシャ、私は一体どう返事するべきかしら?

 先日も言ったけど、私は王子と親しくなろうなどという大それたことは、夢にも思っていないわ」


「うむ。私も実は昨日、王子よりその話を聞いてから、ずっと考えていたのだが……どうだろう? アリス。

 君には、つまり、約束している相手がいるんだ。

 婚約にまではいまだ至っていないが、いずれそうなる予定である男性が……」


「ええっ?」


 サシャはいったい何を言い出すのだろう。


「私の知る限り、アルベール殿下は人の感情というものを非常に大切にする方だからね。

 君の心の中にはすでにしっかりと他の男性がいると知れば、必ずや諦めてくれるだろう」


「要するに、好きな人がいるフリをしろと、そういうこと?」


「その通りだ。アリス。これはアルベール殿下のためになる嘘だから、君はいっさい、罪悪感を感じる必要はない。

 彼の立場ではどうしてもメロディかあるいは王位の後ろ盾になるような、しかるべき権力者の娘と結婚しないとまずいのだから。美しい君に心を奪われている場合ではないのだ」


 アリスとて死神アルベールとは距離を置きたい気持ちでいっぱいである。

 案外サシャの提案は悪くもない気がしたが、一つだけ気になる点がある。


「もしも、具体的に相手の名前を訊かれたらどう答えるの?」


 抜かりのないアルベールならばそこまで追求して来る可能性が高い。

 サシャはアリスがそう訊いてくることを想定していたように、余裕の表情を浮かべてきっぱりと言い切る。


「ならば、私の名前を挙げるといい」


「……サシャの?」


 アリスは目を丸くして、自分の後見人である男性の顔を凝視した。


「無論、口実であって、本当の話ではない。

 だが他の男性の名を挙げて、万が一相手の耳に届き、その気になられたら面倒だからね。

 その点、私の名前を出しておけばそのような心配もない。

 現在、公にしていない理由も、後見人であるという立場から、体面上、慎重に時期を伺っているというのではどうだろう?」


「……でも……」


 サシャのいう理屈は分かるが、どうもアリスは気がすすまなかった。

 たとえ嘘であっても、サシャと想いあっているなどと、この口からは言いたくないのだ。

 この際、感情は廃するべきかもしれないが、他にうまい手はないものだろうか?


「……そんないかにもな嘘が通用するかしら?」


 気乗りしない調子でアリスが尋ねると、サシャは自信に満ちた表情で答える。


「大丈夫、通用するとも。一応、私からも殿下に、君に特別な相手がいることは匂わせておいた。

 君に話を通していないから、それが私であるということまでは明言していないがね」


「……」


 つまりすでに餌は撒かれ済みであるということか。

 そうなると会った時に、何も言わなくてもアルベールのほうから、その話を振ってくる可能性が高い。

 だったら今さら提案に乗るも乗らないもないだろう。


「了解しました。あなたの話に合わせて好きな人がいるフリはします。

 ただし、相手の名前を具体的に出すかの判断は、私に任せてくれない?」


「もちろん、そこは君に任せるよ」


 サシャは美しい顔に満足気な微笑を浮べて頷いた。


「あとは、日にちの方なんだけど――」


「そうだな。とりあえずこちらはいつでも大丈夫ということにして、先方に合わせよう。

 何しろアルベール殿下は多忙な方だからね。今も他国からの訪問客が来ていて忙しいのだ。

 実は私も昨日その件で王宮へ呼ばれてね。明日から殿下に付き添う必要があるので、メロディを通してだけではなく、私の方からも返事をしておこう」


「分かったわ、サシャ。私からもメロディに会った時に、その旨を伝えておくわね」


 話がうまくまとまったところで、アリスはひとまず食事に専念する。

 今日の朝食後にメロディは屋敷に来ると言っていたから、そろそろ来てもおかしくない時分だ。


 急いで食事を終えて、食後のお茶もそこそこにアリスは自室へ戻り、刺繍しながらメロディを待ち受けることにした。

 ところが新・家庭教師の監視の目はかなりきついのか、結局メロディは午前中を過ぎても現れなかった。


「失礼します、アリスお嬢様。旦那様と奥様が玄関でお待ちです」


 とうとう執事のジョセフが呼びに来て、時間切れを悟ったアリスはポレットにメロディへの伝言を頼み、急いで玄関へと向かう――

 すでに二人は馬車内にいて、最後にアリスが乗り込んだ時には、すでにサシャとノアイユ夫人が向かい合って座っている状態だった。

 そこで迷わず夫人側に座りかけたアリスの腕を、サシャの手ががっしり掴んで捉える。


「君は私の隣に座りなさい」


 断わる間もなく引きこまれ、気がつくとアリスのお尻の下には、彼の長い脚と硬い膝の感触があった。


「きゃっ!」


「すまない、手に力が入りすぎた」


 謝罪したサシャは、膝に乗っているアリスの細い腰を両手で掴んで隣の席に下ろす。


「……」


 百歩譲って、その膝抱っこがわざとでは無かったとしても、馬車での移動中のサシャのアリスへのセクハラぶりは酷いものだった。

 まず座る距離が近過ぎて膝や肩がくっついている状態。

 話かける時もいちいち息がかかるほど顔を寄せてきて、アリスの腕や肩にもさり気なく触れてくる。


(なんだって、今日のサシャはこんなにベタベタしてくるの?)


 全身をぞわぞわさせつつ真剣に考えこんだ末、アリスは思い至る。

 原因として考えられるのは、たった一つ。

 自分が昨日したサシャとの兄妹同然宣言のみ。


(まさか、これがサシャにとっての兄妹の距離感?)


 だとしたらつっこんだら負けなのかもしれないと、アリスはごくりと唾を飲みこむ。

 とにかく着くまでの辛抱である。


 しかしマラン伯爵邸に到着したとたん、アリスの脳内から、サシャのことなど一瞬で吹き飛んだ。

 玄関ホールで出迎えるマラン伯爵夫人の隣に、驚くべき人物の姿を発見したからだ。

 吸い込まれるような琥珀色の瞳と、蜂蜜色の巻き髪の華やかな顔立ちをした美しい女性。

 そこいたのはアリスの数少ない友人の一人、ローズの正体であるテレーズだった。


「アリス、待ってたわ! 世間は狭いわよね。

 私がお世話になる家があなたと付き合いのある御宅だったなんて。

 あなたがこちらへ今日来ると知って、昨晩から楽しみにしていたのよ!」


(世間が狭過ぎるし偶然にもほどがある!)


 アリスはすっかり呆気に取られて思う。

 つまりグレイが手配したテレーズの王国内での住居は、マラン伯爵邸であったということらしい。

 フランシス王国内の貴族家の三分の一に組織関係者がいる、という話は先日グレイから漏れ聞いていたが、実際に知人がそうだと驚くべきものがある。


「やあ、マラン伯爵夫人。今日は二人に付き添って私も来させて貰ったよ」


「ごきげんようノアイユ侯爵閣下。お越し下さるなんて光栄ですわ」


 サシャは最初にマラン伯爵夫人に挨拶したあと、視線をテレーズへと移す。


「アリス。良かったら、こちらのご令嬢を私に紹介してくれるか?」


 アリスは即座に頷いて応じる。


「アビー修道院で一緒だったテレーズです。

 テレーズ、私の親戚で後見人のサシャ・ノアイユ侯爵と、彼のお母様であるノアイユ夫人よ」


「初めまして、テレーズ・マルソーと申します。アリスさんとは、修道院で特に親しくさせていただいておりました。

 侯爵閣下のお噂はかねがねアリスさんより伺っていたので、こうして実際お目にかかれて感激です!」


 テレーズがいうようなサシャの噂など、一度たりともアリスはしたことがなかった。


「そうか、修道院での……。こちらこそアリスの友人に会えて嬉しいよ。

 ――ところでマルソーといえば……」


 続けてサシャが何か言いかけたとき――急にマラン伯爵夫人と会話していたノアイユ夫人が息子に向き直り、遮るように話しかけてきた。


「サシャ! もう皆さん全員揃って応接間で待っているそうよ! お待たせしては申し訳ないから、早く移動して、席に座ってからゆっくりお話しましょう!」


 全員ということは、シモンも先に来ているらしい。

 アリスの胸は不思議なほどドキドキと高鳴ってきた。

 ニードル時も含め彼とはもう数回顔を合わせているのに、サシャと一緒のせいか、今日はやけに会うのが緊張する。


 やがてマラン伯爵夫人に廊下を導かれ、ほどなく一行が案内されたのは、高い天井まで届く窓が壁の一面に並ぶ明るい応接間だった。


 テレーズに続き一番最後に扉を通って入室したアリスは、真っ先にシモンの姿を探している自分に気がつく。


 見たところ応接間にいる先客の人数は三人。

 すぐにアリス達に気がつき席を立った一人目は、深緑色の貴族服を着た黄金色の髪に緑の瞳の男性。

 中性的な美貌に柔らかな笑顔を浮かべているシモンだった。

 その隣にいるデュラン子爵夫人は、座ったままこちらを見て愛想良く笑いかけている。

 三人目の残りのもう一人は、椅子に座っていても長身だと分かる、濃赤の貴族服を着た男性だ。

 アリスはその銀色の髪を見た瞬間、心臓が一瞬止まりそうなほどのショックを覚える――


 予想通り遅れて振り返ってこちらを見たのは、刃物みたいな青灰色の瞳をした野生味のある精悍な顔立ちの青年。

 クィーンとして彼女が今朝方まで同じベッドで寝ていたソードの正体――キール・デュランだった――


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