表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
25/113

17、初めての一夜

 見つめる瞳も、合わさった唇も、抱きしめる腕さえも、ソードの何もかもが燃えるように熱かった。

 彼が放つ強い生命力に引き寄せられるように、クィーンの意識は急速に引き戻されていく――


「……っ……はぁっ……!?」


 クィーンの自発呼吸を確認したソードは安堵の声をあげた。


「良かった! まだ苦しいか?」


 これ以上キスされたくなかったクィーンは、必死に首を振り、懸命に空気を吸っては吐く。


「はぁっ……ふぁっ……」


「……まったく! びっくりさせるなよ! クィーン。

 とにかく早いところここを破壊して、アジトへ戻ろう!」


 大きな溜め息まじりに叫び、ソードは素早く牢獄内に視線を走らせる。

 それから、大人が子供を抱くようにクィーンを片腕でかかえ直し、再び背中の大剣を抜き放った。


 脱力状態のクィーンは、ぐったり彼に身を預け、視線を落としてぼんやり床を確認する。

 すでに少女の身体には上から毛布がかけられており、沈黙から、長い苦しみに終止符が打たれたことが分かった。


「ユニスの……最期はどうだったの?」


 クィーンの質問に、ソードはふっと微笑を浮かべる。


「……安心しろ。俺の剣は世界一慈悲深い。

 ユニスは、自分が首を切られたという痛みすら、感じる暇がなかったはずだ」


 クィーンはその言葉に少しだけ心を救われ、自然に感謝の気持ちが口から出た。


「……良かった……ありがとう……ソード」


「お礼を言われるようなことはしてない」


 ソードは低く呟き、片腕をしなやかに動かし、空気を切るように大剣を数回振り抜いた。

 シュン、シュンと飛ばされた幾筋かの衝撃波がほぼ水平に走り、一気に鉄格子を横向きに切り裂いていく。

 バラバラと床に鉄格子が落ちきるのを合図に、ストン、と、剣が背中の鞘に戻された。


(……凄い……)


 『触れずに物を斬る』というのは、クィーンにはマネ出来ない、剣に特化しているソードだからこそできる技だ。

 片腕で放った斬撃でさえこの威力ならば、両腕を使い全力で放ったものは恐ろしいまでの破壊力だろう。

 自分が剣を奮えば相手は即死する、と言った、彼の言葉の真意をクィーンは初めて理解する。


 ともかく任務を無事に終え、後は帰還を残すのみ。


「さて戻ろう」


 ソードは合鍵と一体化した手を虚空にかざし、異空間への入り口を呼び出した。



 ――No.9の間に移動すると、自分が運ばれている方向に気がつき、クィーンは焦りを覚える。


「……待って、ソード……!? もう大丈夫だから下ろして……」


「駄目だ、クィーン。まだ顔が真っ青だ。絶対に休んだほうがいい。

 そのためのベッドだ!」


 天蓋つきベッドのカーテンが引かれ、クィーンは放り込まれるように、ドサッと身体を横たえられた。


「あっ……」


 慌てて身を起こそうとする彼女の肩を上から押さえつけ、ソードは子供に言い聞かせるようにする。


「……大人しく寝てるんだ、クィーン。

 さもなきゃ、俺が重しのようにあんたの身体の上に乗り、無理矢理寝かしつけることになる」


「……」


 本気のソードの眼差しに、クィーンは起き上がるのを諦め、ふーっと溜息をついた。

 情けないのを通り越し、いっそのこと、消えてなくなりたいほどだ。

 大幹部になって早々に、配下の、しかもソードに醜態をさらし、人工呼吸までされたあげくに、子供のようにベッドに寝かしつけられるとは……。


(……もう最悪過ぎる……)


 一番最悪なのは、前世と今生を足しても、今回が彼女にとって生まれて初めての男性との口づけだったことだ。

 クィーンはうつ伏せに枕に顔を埋め、今更ながらソードの唇の感触を思い出して、恥辱に顔を熱くして身を震わせた。

 ついでに枕から男臭い香りがして、思わずむせそうになり、仰向けにひっくり返る。


「うっ……」


「大丈夫か? クィーン?」


 傍らで様子を見守っていたソードが、心配気に声をかけてくる。


 全然大丈夫ではなく、二日連続で人前で失神しかけた自分が情けなくて、恥ずかしくて死にそうだった。

 涙目で思いながら、クィーンは大切なことに気づく。


「……ねぇ、ソード……お願いがあるの……」


「……なんだ?」


「今日の発作のことは、ニードルには、内緒にしておいてくれる?」


 できるだけクィーンとアリスを結びつける情報は他人に与えたくなかった。


「……内緒ね……あれって持病かなにかなのか?」


「ええ、そうよ……」


「……そうか、分かった。だったら誰にも言わないから、安心しろ」


 きっぱりしたソードの返事に、クィーンはほっと溜め息をつく。


「ありがとう」


 お礼を言うと、いきなりソードの顔が、ぐいっと間近まで寄せられてきた。


「な、なに?」


「――クィーン、あんた――鳥肌が立っている。

 大丈夫か? 寒いのか?」


 原因は男性アレルギーのせいだが、そうとは知らないソードが何を思ってか、ジャラジャラとした装備を全身から外しだす。

 悪い予感にクィーンがギクリとしてると、ほどなくベッドが沈みこみ、彼が覆いかぶさってくる気配がした。


「きゃっ……、何っ!?」


「俺が温めてやる」


 そう言うとソードは強引にクィーンの身体に両腕を回してきた。


「やっ……大丈夫だからっ……お願いだから……止めてっ!?」


 悲鳴を上げ、全力で硬い胸を押しやろうとしたが力が入らず、やすやすとソードに抱き寄せられてしまう。

 枕以上の男臭さと、密着するソードの引き締まった肉体の感触に、先刻とは違う意味で、クィーンの気は遠くなりかけた。


「……ひっ……!? 嫌っ……離して……お願いっ!!」


 蒼ざめ、必死に身をよじり、半泣きで震えて訴えるクィーンの表情に、ソードの口から切ない吐息が漏れた。


「……クィーン、弱ってる……あんたって……可愛いな」


「……!?」


 気色の悪いことを言われ、クィーンの全身がゾワッと総毛立つ。


「……まずい……なんだか俺……ムラムラして来たかも……」


 駄目押しのように言われ、クィーンの生理的な嫌悪感の針はとうとう全開に振りきられてしまった。


(……もう駄目……)


 激しい拒絶反応で全身が硬直し、ぐるぐると目が回り、クィーンは口から泡を吹きだす。

 度重なるストレスと衝撃により、とうとう精神的な限界を迎えたクィーンの意識は、完全にそこで途絶えてしまった――



 締め切られた暗い押入れの隅で、うずくまって座る少女がいる。

 少女は爪を噛み、愛用のカッターの刃をチキチキ出しては、チキチキ引っ込める。

 昼間学校で受けた、残酷ないじめを思い出し、胸に暗い怒りがくすぶっていた。


『みんな死ねばいいのに』


 小声で呪詛のように呟く。


 押入れの扉の向こう側、脱ぎ散らかした衣装やゴミが散乱した汚部屋からは、男と楽しむ母親の嬌声が聞こえてくる。

 こうして『居ない者』として扱われることは少女も慣れっこだったが、『あの女』の快楽に上げる声だけは別物だ。

 聞いていると不快感のあまり、胃に入ったばかりの貴重な食べ物を戻しそうになる


『気持ち悪い、気持ち悪い、キモチワルイ、キモチワルイ』


 今日の晩御飯は、母親が放って寄こしたスナック菓子だった。

 だけど食べさせて貰えただけで今夜はマシな晩だったのだ。

 何も胃に入っていないと、同じ状況でも惨めさが10倍ぐらいに感じられる。

 

『……寒い』


 ただでさえ、この部屋にはロクな暖房器具がないのだ。

 唯一部屋にある電気ストーブは近くしか暖めないうえ、今は母親が男と過ごしているベッドの方向へ向けられている。

 

 急に母親の恋人がアパートを訪ねて来たから、上着を持って押入れに入ることができなかったのだ。

 鉛筆を削っている最中だったので、手元にあるのはその時使っていたカッターのみ。

 しかも少女が隠れた押入れの下段は、ゴミ置き場になっている。

 暖を取ろうとゴミをあさっても、中にはプラスチック素材の物ばかりで、身体を暖めてくれそうなものはなかった。


 少女は身を縮こまらせ、自分の身体を両腕で抱きしめ、ガタガタと震える。


『まだ、寒いのか?』


 誰かが耳元で語りかけてくる。


『うん、寒いの』


 少女は答える。


『寒くて死にそうなの』


『大丈夫だ。俺が温めてやるから』


『本当に?』


『本当だ』


『これからもずっと?』


『ああ、ずっと……ずっと、ずっとだ……』


 不思議な声が言った通り、少女の身体はだんだん温かくなっていく。

 誰かの身体に全身がくるまれているような感覚。

 こんなのは生まれて初めてだと少女は思う。

 今までずっと一人ぼっちで誰も自分を抱きしめ、温めてくれる人などいなかったのだ。


 ――まるで身体と一緒に、心まで温められていくようだった――



 クィーンは珍しく幸福な気持ちで目を覚ました。

 あたりは薄暗く静かで、誰かの穏やかな寝息音だけが響いている。

 少しの間、寝ぼけた状態で思考がまとまらなかった。

 ところがぼやけた視界が集点を結んだ瞬間、目の前にあるのがソードの顔であることを認識し、心臓が口から飛び出しそうになる。


「……ひっ!?」


 大声を出しかけて、クィーンは慌てて両手で自分の口を抑え、悲鳴を飲み込んだ。

 必死に脳みそをフル回転させ、自分が置かれている状況を整理する。


(そうだ、昨日、ソードに抱きしめられたショックで、失神してしまったんだ)


 幸い服は着たままだから、ソードとの間に間違いは起こってない様子。

 しかし、がっしりとしたソードの腕が身体に巻きつけられ、抱きしめられているという最悪な状況は昨夜と変わりなかった。


「……もう……寒くないか?」


 と、突然、ソードに話しかけられ、クィーンの心臓の鼓動は大きく跳ね上がった。


 怯えながら見るとソードの瞳は閉じたまま、呼吸も規則的なことから、寝言を言っているだけのようだ。

 ほっとしたクィーンはなんとか身をよじり、ソードの腕を緩め、中から脱出することにした。

 不思議なことにずっと彼の腕に抱かれていたはずなのに、鳥肌は収まっていた。

 ソードの香りにも慣れて来たみたいで、匂いを嗅いでもそんなに不快感は感じない。


「はぁっ……やっと出られた」


 結構しっかりソードの腕に抱きしめられていたみたいで、彼を起こさないように慎重にほどいて中から抜け出るのに、かなり手間取ってしまった。


 クィーンはべッドの端に座り、鉛色の長髪を広げて熟睡しているソードの精悍な寝顔を、少し観察しながら考える。


 前世の頃、自分は周りの人間にとても嫌われていた。

 一度も話したことがない人間からも、嫌われ、学校中の人間に汚物扱いされていたのだ。

 無口で極力他人に関わらず、隅で大人しくしていただけなのに、あんなにも他人に嫌われまくっていたのは、結局のところ先入観だったのだろう。


『あいつは汚い、あいつはみんなの嫌われ者、臭いし、暗くて、関わると自分まで人に汚物扱いされる』


 自分のことを何も知らない人間まで、そうして感染していくように自分を嫌っていった。

 

(だけど私も彼らと同じだったのでは? ソードのことを先入観だけで見ていたのかもしれない)


 彼のことを何も知らない癖に、最初の印象のそのままに『首狩りソード』だなんて、仇名までつけて……。


(彼は、私が考えているような人間じゃなかった)


 昨夜一緒に任務をしていてそれがよく分かった。

 実際の彼は残酷な殺人鬼などではない。

 それどころか自分の剣を『世界一慈悲深い』と呼び、人に苦痛を与えるための拷問部屋を胸糞が悪いと評した。

 親友であるシモンに恩義を感じ、少女の躯に毛布をかける情けがあったのだ。


 思えば他人を恐れ、衝突することを嫌い、表面的な繰り言ばかりを口にする自分より、いつも本音で語る彼の方がずっとマトモな人間なのだ。

 

 証拠にソードは一晩中彼女を腕に抱きながら、手を出すどころか寒いのかと心配して、ただ身体を温めてくれていた。

 

 クィーンは心から反省するとともに、彼に感謝の念をおぼえた。


「ずっと温めてくれてありがとう。

 ――寒くなかったわ」


 一言だけ寝ている彼に語りかけ。

 そっと床に降りて、ベッド・カーテンの外に出る。

 No.9の間の床の上で伸びをして、ふとニードルが飾ってくれた時計を見て、クィーンは飛び上がった。


「……!?」


 なんと時間はすでに朝方過ぎだった。

 文字通り自分はソードと一晩明かしてしまったらしい。


 クィーンは焦って走りだし、外界への扉に飛び込んで侯爵家の自室に戻った――



 素早く変化を解き、部屋の鍵を開け、カーテンを引いて、あたふたと身支度を整えたアリスは、一目散に朝食室へ向かう――


 東南向きの窓から明るい光が差し込む食堂には、すでに侯爵夫人ばかりか、サシャの姿まで揃っていた。


「おはようございます。侯爵夫人、サシャ」


「おはよう、アリス。今朝は特にいい朝ね!

 ゆっくり眠れたかしら?」


「はい、もう、それは熟睡出来ました」


 見れば夫人もサシャももう食事を終え、食後のお茶の段階にさしかかっていた。


「おはようアリス、今朝は君にしては遅かったようだね?」


 話しかけてきたサシャは昨日と違って顔色が良く、何かを振りきったような、すっきりした顔をしていた。

 優雅な光沢のある薄緑色の貴族服を纏い、いかにも休日の装いをしている。

 アリスは少し恥ずかしそうに俯いた後、


「こんなに寝すぎてしまうなんて、自分でも恥ずかしいわ」


 焦りで上気した自分の頬を抑えながら言った。


「良く眠れることはいいことだよ」


 サシャは静かに言い、優しく穏やかな眼差しをアリスに注いでくる。


「何にしても、すっかり体調が良さそうで良かったわ。

 アリスがお茶会へ行けなかったら、楽しさが半減ですもの!」


 ノアイユ夫人の満面の笑みの言葉に、サシャがピクリと反応した。


「ずいぶん嬉しそうだな。母上。いったいどこのお茶会へ呼ばれているのですか?」


 彼は何かに勘付いたように整った口元を歪め、サファイア色の瞳を細めて母親の顔を凝視した。


「今日は、アリスと一緒に、あのマラン伯爵夫人のお宅に呼ばれているのよ」


 夫人は人気者のマラン伯爵夫人の家に呼ばれていることを、いかにも自慢するように言った。

 格下の相手に呼ばれここまで喜ぶ貴族夫人も珍しいだろう。


「へぇ、アリスと一緒に? 

 私の記憶では、マラン伯爵夫人とは、今までそんなに親しく付き合っていなかったようだが?」


「ええ、一昨日公園でアリスが倒れた流れで、いつもより距離が縮められたの。

 付き合いが広がることは喜ばしいことだわ。

 ねぇ、アリス?」


「夫人の言う通りだと思います」


 舞い上がっているノアイユ夫人にアリスも調子を合わせる。


「そうか、たしかに母上の言うことも一理ある。

 私ももう少し交流の輪を広げてみたほうがいいのかもしれない。

 ちょうど今日一日暇しているから、私もそのお茶会に同行することにしよう」


「え?」


 意外なサシャの発言に、侯爵夫人とアリスの口から、同時に驚きの声が上がった。

 アリスの知る限りこの半年間、サシャはただの一度たりとも、夫人のお茶会に同行したことなどなかったからだ。

 ゆえにそれは全く想定外の申し出だった。


(サシャがお茶会に参加? 嘘でしょう!?) 


 冗談を言っているのかと思って、アリスがまじまじとサシャの顔を見つめると、楽しそうな微笑が跳ね返ってくる。


「今から参加するのが楽しみだ」


 どうやら本気でお茶会に参加するようだ。

 アリスは悟った。

 

 ――今日も面倒臭い、憂鬱な一日が始まりそうであると――




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ