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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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16、闇へ落ちゆく者

※グロ注意※

 もしも向こうから来るのがサシャ以外であれば、無駄な殺戮は止めろと、すぐにソードを止めているところだ。

 だが、他ならぬクィーンには分かっていた。


(サシャがここで死ねば、聖槍使いはいなくなる)


 止めるべきではない。

 先のことを考えれば今ここで殺しておくべきだ。

 アニメで多くの組織の戦闘員を餌食にし、グレイの身を貫いた聖槍の使い手を――


 しかもサシャは見たところ隊の見回りではなく帰宅途中のようだ。

 侯爵の身でありながら腕に覚えがある自信からか、連れているのはランタンと手綱持ちをかねた徒歩の従僕のみだった。

 殺すには絶好の機会である――



 サシャは他人に厳しいだけではなく、己に対してもストイックな性格。

 幼い頃より日々武芸や馬術の鍛錬に励み、今では相当な槍術と剣術の使い手になっていると聞く。

 特に槍の腕前は王国内では右に出るものがおらず、王国内で定期的に行われる馬上槍試合の一騎打ちトーナメントも、出れば必ず優勝しているらしい。

 美貌や地位だけではなく、サシャは武勇でも鳴らしている存在なのだ。


 そんな彼だからこそ、アニメで聖槍を得たあとの活躍も凄まじかった。

 たぶんソードも変化前であれば、サシャとまともにやりあっても勝てないだろう。

 もちろん魔族姿になっている状態ならば逆で、聖槍を得ていない今のサシャでは絶対にソードには敵わない。


(今のうちに、サシャを殺しておけば、後の大きな脅威が一つなくなる!)


 前世の知識があるクィーンは、誰よりもそのことを知っていた。

 ――はずなのに――


「おい、クィーン、何の真似だ!?」


 判断するよりも先に身体が勝手に動いていた。

 何をしているのかなんてクィーンこそ一番自分に訊きたかった。

 とっさに背後からソードの身体を抱きかかえ、思い切り空中に舞い上がっていたのだから。


 とにかく一刻も早くこの場から遠ざかりたくて、必死に羽を羽ばたかせていた。


「歩いて行くより、空を飛んだ方が早いわ!」


 苦しまぎれに叫んだのはいいものの、よたよたと空を飛んでいる情けない状態ではいまいち説得力がない。

 言い訳として無理があることは自分自身でも分かっていた。

 変化すると腕力は上がるので、足りないのは抱える力ではなく、単純に羽の飛翔能力の問題だった。


 コンビ時代に何度もローズを運んだことがあるクィーンだが、大柄なソードは文字通り彼女には荷が重すぎた。

 自分の馬鹿さ加減と甘さに泣きそうになる。


「だったら方向はこっちじゃない。クィーン!」


「どっちなの? 早く教えなさいよ!」


 八つ当たりに近い叫びを上げる。


「もう少し右だ! あそこにある林の奥だ」


 ソードは別にキレ返したりしなかったが、方向を教えたあと溜息をつき、心から残念そうに愚痴る。


「さっきの軍服の飾りの多さと、淡い特徴的な金髪に、やたらお綺麗な顔立ち。

 あれはどうも近衛騎士隊隊長のサシャ・ノアイユのようだったから、ぜひとも、殺しておきたかったんだけどな……!」


 意外なことにソードはサシャだと思ったからこそ、殺そうと剣を抜いたらしい。

 クィーンはつい問わずにはいられなかった。


「なぜ? 殺したい理由でもあるの?」


「なぜって、親友のためさ! なんでもお偉いあいつを怒らせたとかで、夕べ酷く気に病んでいてな。

 普段世話になっている奴だから、悩みを一つ減らしてやりたかったのさ」


 親友とはもちろんニードルことシモンのことだろう。

 怒らせた原因のアリスであるクィーンはそこで気がついた。

 昨日のシモンへの無礼な態度のツケが、今夜サシャ自身に返ってこようとしていたのだ。


「……」


 事情を知ったクィーンは、しばらく何も言う気力が起きなかった。

 がっしりと引き締まったソードの身体は見た目以上に重く、上げても上げても高度が下がってしまう。

 無言で必死に夜空を飛んでいると、気まずい沈黙に耐え切れなくなったのか、ソードが話しかけてきた。


「……怒っているのか、クィーン?

 たしかに下らない理由で、人を殺そうとしたのは悪かった……。

 だがこのタイミングで、あいつと出会ったのは運命だと思ったんだ……」


 クィーンがそれでも黙りこんでいると、長い沈黙の間のあと、ソードがぼそっと呟く。


「……クィーン、あんたって意外と胸がでかいんだな」


「……!?」


 身体を背後から抱えているので、密着しているソードの背中に胸を押しつける状態になっていた。

 男性アレルギーとソードの発言の気持ち悪さもあいまって、すでにクィーンの全身に鳥肌が立つのは不可避であった。




 その後どうにか林を越え、施設の敷地内へ降り立ったクィーンは、粟だった肌のまま中庭にある大型の火刑台の前に立つ。

 気を取り直して、いよいよ任務の開始だった。


「ソード、私は建物への侵入口を作るから、あなたはこの台を破壊しておいて」


「分かった」


 ソードの返事を確認したあと、クィーンは建物の壁に近づいた。

 そして高い場所にあるステンドグラスを振り仰ぐと、腰からフライ・ソードを抜いて両手に一刀づつ持ち構える。

 羽を使わずとも高い跳躍能力を有する彼女は、自分の身長の数倍の高さに跳ぶことができた。

 加えて俊敏性が高いクィーンは、二度跳んで斬りつけるだけで、硝子を綺麗にくり抜いて通り穴を作ることができた。

 異能の剣は斬れ味が抜群で、それこそ石から金属まで大抵の物は斬れるのだ。 

 

 火刑台の破壊を終えて近づいてくるソードを振り返り、クィーンは宣言する。


「私が、先に行くわね」


 立場からいうと先行役はソードの役目なのだが、彼が通ったあとに生きている人間がいるとは思えない。

 死体をまたいで歩きたくないクィーンは自ら先頭を申し出た。


「ああ、任せるよ」



 建物は3階建てになっていて、破壊対象である異端審問所は1階、牢獄と拷問部屋は地下部分にある。

 クィーンは1階の異端審問所の部屋に直接侵入し、無駄のない経路で内部を破壊していくことにした。


 異端審問所はいわゆる、悪魔に魂を売り渡した者を判定するために、クリスタ教会が作った裁判所。

 室内の高所には教会側の人間が座る席があり、中央に裁かれる者を入れる四角い枠、回りには観覧席が設けられている。


 軽やかに身を反転させ室内に降り立ったクィーンは、続いて床に降り立ったソードに視線を送る。


「この部屋を一気に破壊してくれる?」


「了解!」


 ソードの大剣は人一人の首を繊細に切り落とす仕事から、大量の人間を一度に処刑できる大技まで放てる、切れ味も破壊力も抜群の剣なのだ。

 フライ・ソードでちまちま破壊するより早そうなので、破壊行為はすべてソードに任せることにした。


 クィーンは爆発音を背に廊下へと飛び出す。

 廊下の向こう側から物音に気がついたらしい、数人の修道兵士が急いで駆け寄ってくるのが見えた。

 ところが『時間分解能』が高い彼女の目には、大抵の人間の動きは遅すぎる。

 傍まで瞬時に飛んでいくと、相手が抵抗する間もなく、高速の動きで剣の柄で殴りつけては次々床に沈めていく。


 倒した兵士をクィーンが一箇所にまとめていると、大技で手早く破壊作業を終えたソードが廊下へ出てきた。


「ちょうどいいところに来たわ。この兵士達を動けないように鎖で縛っておいて」


 ソードの胴体に巻かれている鎖は、無限に伸びる対人用の『戒めの鎖』であり、彼は即座に相手の身体を拘束できるスキルを持っているのだ。

 後処理をお願いするとクィーンは素早く地下へと続く階段に飛び込む。

 

 一気に階段下に着地して正面の扉を開けば、そこはだだっ広い大部屋の拷問部屋だった。


 溝が張り巡らされた傾斜している石床の中央には、同じく石でできた平らな台がある。

 台の上の天井からは鎖が垂れ下がっており、近くの壁や床には巨大な鉗子やハンマーなど、様々な種類の刃物や武器が大量に飾られていた。

 部屋の一角には内部に無数の針が仕込まれた、大きな鉄製の乙女像の形をした拷問器具もある。 


「なんとも、悪趣味な部屋だな」


 呆然と立ち尽くして眺めるクィーンの横に並び、後からやってきたソードが呆れ声で言った。

 この部屋にいるだけで気持ち悪さで胸にむかつきをおぼえる。


「この部屋も破壊しておいてくれる?」


 指示したクィーンと、ソードも同じ気持ちだったようだ。


「ああ、当然だ! この胸糞の悪い部屋は特に念入りに破壊しておいてやる」


 ソードに頷き返したクィーンはさらに奥へと進んでいき、牢獄へと続く重い金属扉を開け放つ。

 冷やりとした空気と腐ったような異臭が流れてきて、両脇に鉄格子の並んだ暗く湿っぽい空間が広がっていた。


 完成し立ての施設だと聞いたから、てっきり捕まっている者などいないと思っていたのに――

 奥の方から微かな、すすり泣きの声が聴こえてくる。


「誰かいるの?」


 呼びかけながら、クィーンは近づいていく。

 突き当たりの壁際に燭台が置かれた台があり、音の出所はその右側にある牢屋のようだった。

 前まで移動するとクィーンはフライ・ソードを閃かせ、鉄格子を数本切り落として通り道を作る。


 蝋燭の揺れる光に照らされた牢屋の中、粗末な布一枚敷かれた上で、誰かが毛布にくるまってむせび泣いていた。


「大丈夫?」


 クィーンが声をかけたとたん、泣き声はピタリと止む。

 そろそろと毛布から顔を出した少女が、ヒッと恐怖に喉を鳴らす。


「……あ……あなたは……悪魔……?」


「違うわ、魔族よ。あなたはここに捕まっているの?

 逃げたいなら、逃げるといいわ」


「逃げる……? ……そんなことより、お願い……!」


 少女はずるずると芋虫のように床を這って、クィーンに近づいてきた。


「……」


「どうした? クィーン」


 盛大な破壊作業を終えたソードが、駆けつけながら異変に気がつき訊いてくる。


「ソード……」


 なんと答えていいか分からず、クィーンは自分の足を掴んですがりつく少女を見下ろした。

 その時ちょうど毛布がずり落ち、少女の腐りかけたような口元と、変色した上半身があらわになる。

 恐怖にか痛みにかガクガクと激しく身を震わせ、少女は訴える。


「……ここに私を連れてきた、男が言っていたの……。

 私は生きたまま、積み上げられて、焼かれるんだって……。

 ……私っ、生きたまま燃やされるのは嫌……!

 お願い、今も痛くて痒くて、気が狂いそうなの……身体の中で蛆虫が動いていて……。

 ……自分で死のうにも……もう力が入らない……。

 どうか、私を殺して……お願い、お願い……」


 必死な形相でクィーンを見上げた少女が「殺して」と懇願の言葉を何度も繰り返す。

 たぶん、彼女は処分されるために、どこかからここへ移送されてきたのだろう。


「……惨いことを言う……まったく、教会の奴らは、相変わらず腐ってやがる……」


 ソードが苛立たしげな口調で吐き捨てる。

 クィーンは身を屈め、少女に語りかけた。


「分かったわ。私に任せて。

 ――あなたの名前は? 何か言いたいことや伝えたいことは他にある?」


「……私は……ユニス……。

 ……小さい頃、親に売られて……たくさんの男の人の相手をさせられて……。

 ある日病気になって……身体が腐ってきたら……悪魔憑きだといわれて……。

 でも私……悪魔なんかに憑かれていない……それでも地獄に落ちないといけないの?

 私の体が汚れているから……? 天国には……行けないの?」


 近くで見ると少女はまだ年若く、自分とほとんど変わらない程度の年齢に見えた。

 クィーンは大きく力いっぱい首を振った。


「ユニス! 私はそうは思わないわ。自分の意志ではなく、他人にやらされたことは、絶対にあなたの罪なんかではない。

 罪がない者は決して地獄には行かないわ!」


「……本当に?」


「ええ、本当よ。私が保証する」


「良かった……ありがとう……」


 震える呼吸とともに言葉を吐き出したあと、少女は苦痛に顔を歪めた。


「……痛い……あぁっ……痛いっ!」


「大丈夫、今楽にしてあげるわ!」


 励ますように言って、フライ・ソードを構えたクィーンの手を、ソードの手が上から掴んで、押し止める。


「俺がやる」


「……」


 鉛色の長髪を垂らして身を屈めたソードが、強い意志を込めた鉛色の瞳で、まっすぐクィーンの瞳を見据えた。


「分かった。任せるわ」

 静かに頷き、クィーンは床でのたうち苦しむ少女の手を掴む。


「もう大丈夫よ、安心して、すぐに苦しみは終わるから」


「……はぁっ……はぁっ……!」


 ――と、少女の手をしっかり握り、苦しい息の下で自分を見上げた悲しい瞳と、瞳が合わさったとき――

 クィーンの頭の中に警告音が鳴り響いた。

 この構図はあまりにも、かつて妹を見送った時と似すぎていた。

 死にゆく少女の瞳と、あの日のミシェルの瞳が重なってゆき――クィーンの胸に、刃物を突き立てられたような、鋭い痛みが走る。


 それでも今さら少女の手を離すことなど、クィーンにはできなかった――呼吸がどんどん苦しくなり、自分の身体が痙攣してくるのを感じても。

 クィーンは唇を噛み締め必死に耐える。


 今辛いのは自分ではない!


 分かっているのに、目の前が霞んできて、どうしてもミシェルの最期の姿が眼裏に浮かび、悲しみに心が引き裂かれてゆく。

 あの日から、心の中で何度も何度も繰り返された光景――


「あぁ……駄目っ!?」


 必死に引きとめようと手を強く握り締めても、底なしの真っ暗な闇が小さなミシェルを飲み込んでいく――


 ごとっと床に刃が当たる音がした――次の瞬間――力強い手が彼女の手首を掴み、一気に身体を引き上げるように立たされた。


「ほら、血がかかるから、立って」


 首を切るのに特化したソードの剣は、人の頭と胴を綺麗な切断面で分け、遅れて血が出るのだ。

 情けないことに足に力が入らず、クィーンはソードの片腕に抱え上げられ、その場から移動させられることになる。


「クィーン、大丈夫か?」


「……っ……」


 抱いているクィーンが、呼吸困難を起こし、苦し気に喉をひくつかせているのに気がついたのか、ソードの声に緊張が滲む。

 剣を収めると、彼は両腕の中にクィーンをしっかり抱きなおし、顔を覗きこんできた。


「呼吸がうまくできないのか?」


 問われても返事をするどころか、目の前がどんどん暗くなってきて、今にもクィーンは気を失いそうだった。


「しっかりしろ! クィーン!」


「……あっ……」


 突然、叫びとともに熱い唇が自分の唇に重なってきて、クィーンの沈みかけていた意識が引き止められる。


「クィーン! おい! なんて様なんだ!」


 呼ぶ声も、抱きしめる腕も、唇の感触も何もかも力強く、クィーンの心を、酷く揺さぶった。


(あぁ、本当に、なんて(ざま)なの――)


 肺に強引に空気が送り込まれ、無理矢理呼吸させられているうちに、目の前にぼやけた顔の輪郭が現れてくる――

 クィーンはそこで初めて、自分が何度もソードに口づけされていることに気がついた。





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