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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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12、波乱の予感

「……アリスお願いだ。いくらでも、何度でも謝罪するから私のことを嫌わないでくれ!」


 廊下を舞台にだしぬけに始まった、寸劇のようなサシャの懺悔と懇願だった。

 アリスはかなり引き気味でサシャの蒼白な顔面を見下ろす。


(……なんでこうなるの……? 

 てっきり一晩寝たら、いつもの調子に戻っていると思っていたのに……)


 ここ最近のサシャの言動や反応は、いちいち彼女の想像の斜め上をいっている。

 朝から激しい精神の消耗を感じたアリスは、深い溜め息を漏らした。


「昨日、許すと言った筈よ」


「だけど、理由もあわせて君はあんな酷い言葉を口走った私を、心の底から軽蔑したはずだ……!」


(よく分かっているじゃない)


 しかし嫌われたくないと言いながら、サシャは肝心なことを理解していない。

 アリスが昨夜の彼の態度を軽蔑して嫌うとしても、一番の理由は家族を亡くした自分への無神経な言葉ではない。


 何よりも許せないのは、シモンの尊厳を踏みにじる最低な発言だった。


(何が、嫉妬、したからよ。……誰も彼もが下らない理由で他人を痛めつける)


 前世で虐待といじめを受けていた彼女は、いたずらに他人を踏みつけにするような人間を嫌悪せずにはいられなかった。


 アリスの中ではこれは謝る、謝らない、許す、許さないの単純な問題ではない。


 たとえば、前世で自分をサンドバッグがわりにしていた連中が謝ってきたとしても、彼女にとっては胸くそが悪いだけの話。

 散々酷い目に合わされた挙句に、最後に相手を許し、精神的な救いを与え、心を軽くしてやらないといけないなんて、冗談じゃない。


 もちろんサシャが彼らと同じであるとは思わない。

 それに認めたくないが、どうもアリスはサシャの辛そうな顔が苦手だった。


 どちらにしても、誰かをあっさり許すには、彼女の性格はひねくれすぎていた。

 よほどのことでしか怒らないかわりに、いったん怒るとしつこいのだ。

 自分の心が狭くジメジメとして暗いことは、アリスも自覚している。


 とはいえ、別に仕返しをして相手を無用に痛めつけようとも思わない。

 基本的に放っておいて欲しいだけなのだ。


 今のアリスがサシャに望むことだって、表面だけの許しで納得して、引き下がって欲しいだけなのである。


(どうすればうまくサシャを納得させられるのかしら?)


 アリスは思考を巡らし、一番良い選択、『正解』を考え続けた。


 考えうる限りで一番最悪かつ面倒なのは、この流れと勢いのまま、サシャから愛の告白を受けることだ。

 それを思えば、単純に逆の方向へ行けばいいのかもしれない――!?


 アリスは結論に達して口を開く。


「ねぇ……サシャ、私はあなたを本当の兄同然に思っているの……!」


 まずは『兄』という言葉を強調して、告白封じと、自分は彼に『気がない』という事実をしっかり突きつける。


「……!?」


 サシャは意外な言葉を耳にしたように目を見張り、顔をこわばらせた。

 愛の言葉を口に出される前に、脈がないことを察して自ら引いて貰うのが、この場合のベスト・エンドだ。


 さらにアリスは彼の両手をぎゅっと握り返し、畳みかけるように言葉を続けた。


「サシャ、私は幼い頃からあなたに可愛いがられてきて、今もこうして世話になっていることを、家族として深く感謝しているわ」


 今度は『家族』という部分に特に力を込める。


「昨日、サシャの口から『嫉妬』という言葉が出た時も、あなたも私に『実の妹』のような強い愛情を抱いてくれているのだと思って、嬉しかったほどよ」


 事実はその真逆であり、ここの部分の言い回しはやや強引で、苦しくもある。

 けれど、兄によっては実際そのような嫉妬を抱く例もあると聞いたことがあるので、問題ないだろう。


「そんな実の兄のように慕っているあなたを私が軽蔑したり、ましてや嫌ったりすることなど有り得ないわ。だから無用な心配はしないで安心してね」


 最後に駄目押しのようにきっぱりと言いきり――

 自分にしてはうまくまとめられたとアリスは満足した。

 そして反応を伺うようにサシャの表情を観察してみれば、呆然としすぎて、視線はアリスを通りこし、はるか遠くを見つめている。


「兄……妹……」


 虚ろな目をして、口の中でぶつぶつと呟くそのさまは、かなり『やばい人』に見えた。

 脱け殻のようになったうえ、寝不足で顔色が物凄く悪い、今にも倒れそうなサシャの肩を、アリスは支えるように抱いて揺すった。


「サシャ、大丈夫? 凄く具合が悪そうよ? 部屋に戻って休んだ方がいいんじゃない」


「……ああ……」


 我に返ったサシャは、よろよろと立ち上がり、思い出したように呟く。


「もう行かなくては……、今日はアルベール殿下に急ぎの用事を頼まれているのだった……」


「そうなの?」


 アニメでもサシャというか、近衛騎士隊はアルベールに手足のように使われていたのを憶えている。

 王国軍の最高指揮官は言わずと知れたフランシス王であるが、近衛騎士隊の指揮については全権、アルベール王子に委任されていたからだ。


(王子の命令とは何だろう?)


 悪の組織員として仮面の騎士である王子の動向は気になるが、まさかここでつっこむわけにもいくまい。

 逆に彼女の行動が気になるらしいサシャが、歩きかけてからわざわざ振り返った。


「……アリス、君は今日、どう過ごすんだ?」


 そう質問した声には緊張が滲んでいた。


「私は疲れが溜まっているから、屋敷でゆっくりする予定よ」


「……そうか……」


 アリスの返事に、サシャの唇から安堵したような溜息が漏れる。


「……私も明日は屋敷で一日休んでいる予定だ……。

 それでは今日は行ってくる……」


 去り際、最後にサファイア色の瞳を揺らし、切なげな表情でアリスを一瞥してから、サシャはおぼつかない足取りで歩いて行った。


(本当に大丈夫かしら?)


 一応気にしつつも、嫌なフラグを無事にへし折ったことに、ひとまずアリスはほっと胸を撫で下ろす。


(妹として慕っているというのは言いすぎだったけど、あれ以上うまいこじつけが思いつかなかったのよね。

 とにかく、サシャだって無駄な告白なんかして、恥をかきたくなかったはずだから、これで良かったのよ)


 自分を納得させるように思いながら、サシャと別れたその足でアリスは朝食へ向かう。

 食堂内へ入ると、昨日と同じように侯爵夫人が食後のお茶を飲んでいるところだった。


「おはよう、アリス、今日も良い天気ね。

 今朝の体調はどうかしら?」


 アリスは外出したくないのもあり、素直に自分の状態を説明する。


「……疲れが溜まっているのか、少しだるさを感じます」


「まあ、そうなの? 明日までに良くなるといいわね!」


「明日?」


 言葉に含みを感じて、問い返したアリスに、ノアイユ夫人がこぼれる笑顔で答える。


「実は明日、マラン伯爵夫人のお宅にお茶に招かれているの。

 ぜひあなたを連れてきてとのことだから、今日はしっかり休んで、元気になって欲しいわ」


 ノアイユ夫人の表情からアリスは察する。


(間違いなく、明日はシモンも来るんだわ)


 ノアイユ夫人のみならず、マラン夫人もシモンとアリスがお似合いだと思っているフシがある。

 そのことを思うと、訪問することが憂鬱になる。


(……かといって、明日はサシャが屋敷にいるみたいだから、出かけないと下手したら一日中、顔をつきあわせていることになる。

 どう考えても、お茶会に行ったほうがマシよね……)


 色んな面で年頃であり適齢期である我が身が、わずらわしいばかりのアリスであった。




 朝食後は、アリスの体調を気にした夫人のすすめもあり、さっさと自室で休むことにした。

 勘ぐられないように扉の鍵を開けた状態で、午後のお茶まで趣味の作業に没頭しているフリをする。


 アリスは侯爵家に来てから、前世から好きだった絵を描くことを発展させ、自分で起こした図案をもとに、ハンカチなどの布に刺繍をする趣味ができていた。


(それにしても昨日のニードルの薔薇の刺繍は物凄かった)


 アリスは裁縫道具を出して、刺繍作業を始めながら、No.9の間で見たクッションの見事な縫い取りを思い出す。

 どうすればあそこまで繊細な刺繍が出来るのか、一度シモンに訊いてみたいぐらいだ。


 ちくちく針で布を縫っていると、なんとはなしに先ほどの、サシャの弱った姿が思いだされる。


(サシャは私の刺繍の趣味をとても好ましく思い、褒めてくれるのよね)


 容姿だけではなく、自分のこういう女性らしい面が、サシャに好かれる要因になっているのかもしれないと、アリスは憂鬱に思った。


(かといって、メロディみたいに、太陽の下、跳ね回ったりする気も起きないし……)


 メロディは16歳になった今でも庭で木登りをしたり、ブランコ遊びをしたりしていた。


 刺繍作業に慣れたアリスはこうして考え事をしながらも、無意識に針を動かし続けられる技能を得ていた。

 ゆえに午後のお茶の時間より、よほど偵察向きの時間なのである。


 アリスはほおっと大きな息をつくと、


(さて、そんなことをいつまでも考えていてもしょうがないし、時間は有意義に使わないと)


 気を取り直して、手を動かしたまま精神の一部を分離していく。

 少しの間のあと、アリスの頭から一匹の蝿が出て、空中へと飛び立っていった。

 彼女は自身の魂の一部を飛ばす際、こうして蝿の形を取るのだ。


 アリスから飛び出た蝿は書き物机の引き出しの内の、『No.9の鍵』へと吸い込まれて消えていく。

 鍵自体の存在が異空間へと繋がっているので、肉体を伴わない魂状態のアリスには充分な通り道になる。


 無人のNo.9の間に飛び出ると、蝿からクィーンの姿に形を変え、デスクの引き出しを開き、書類を出してパラパラとめくる。

 一見、手で紙をめくっているように見えるが、実際に触れているのではなく、霊力で動かしているのだ。

 今のクィーンは実体がないので、基本的には触れることも触れられることもできない。

 この姿にしても、単にアジトの個室には配下が訪れる可能性があるから、クィーンの形を取っているだけなのだ。


 彼女は変化しないと異能を使えないので、人間の姿で飛ばした魂の状態では、せいぜいこのように軽い物を動かす程度の力しかない。


 今やっている動作だって相当に意識を集中させて行っていた。


 当然、その間、侯爵家の自室にいるアリスの身体の意識はほぼお留守状態だった。


 書類に目を通し、ソードに下された任務内容をじっくり読み、アリスは驚いた。


(どういうことなの? 隣国の任務どころか、三つともフランシス王国の、しかも地方ではなく、王都内の任務だわ……。

 ――これでは――仮面の騎士と出会う確率が高いじゃない……)


 グレイに限っては『うっかり』などということは有り得ない。

 そう考えれば、理由は明白といえる。


(私がソードのボスになった今だからこそ、王都内の任務が振られている?)


 クィーンがソードを援護するという前提ありきで、仮面の騎士に出会う危険性が高い、王都内での任務を与えられているとしか思えない。

 あえて他の幹部の犠牲を増やさないために、彼女の側近が選ばれたのだろう。


(この考えが当たっているなら、今後もアルベールに出くわす確率が高い任務は、優先的にソードに振られる?

 いや、この言い方は正しくない。私の側近に振られると表現すべきね)


 つまり、クィーンの配下でいることは、それだけで『リスク』になる。

 勿論まだはっきりと断定は出来ないが――


(だとしたら、ソードは仕方ないとしても、ローズを絶対に私の側近にしてはいけない!)


 剣の稽古を一緒にする時、アリスはつねに『人間姿』でローズであるテレーズの相手をしてきた。

 クィーン状態では異能による稀なる動体視力を持つ自分と彼女では、まったく勝負にならなかったからだ。


 ソードを止めるのは至難の業だが、アニメの中ではある程度、仮面の騎士の攻撃をかわしていたと記憶する。

 少なくともニードルが言っていたような、多くの幹部の死に方『即死』はしないはずだ。


(ソードはたぶん幹部の中では最強クラスの強さだもの)


 仮面の騎士に出くわした場合に、生還できる確率はローズよりもずっと高い。

 グレイに試されているのか、他に選択の余地がなくて苦渋の選択なのか。

 それは分からないものの、上から命令された以上は、文句を言わずに任務を受け入れなければいけない。

 急ぎではないとはいえ、任務期限はアルベールが旅に出る予定より前に設定されている。

 いなくなってから遂行することは無理だ。

 しかも任務は三つあるから、三回は仮面の騎士に遭遇する危険がある。


(いずれにしても任務の間、ソードを監視しないと……)


 そう決意しつつも、不吉な予感に胸騒ぎを覚えていると――


『アリス、アリスったら!』


「――!?」


 不意に遠くから自分の名前を呼ぶ声がしてきて、クィーンはドキリとした。

 飛ばした魂側へすっかり意識を集中させていたのだが、侯爵家の自室にいる『本体』の自分へと、今まさに誰かが呼びかけているのだ。

 そう気がつくとともに、慌てて意識をそちらへと戻した。




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