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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第一章、『物語の始まり』
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1、喜びの日

 アリス・レニエにとって、今日は限りなく喜ばしい日であった。


 安アパートのゴミ部屋で短くも悲惨な生涯を終え、なぜか好きだったテレビアニメの悪役の女ボス「クィーン」の正体である貴族令嬢に転生して早16年。

 前世の知識を生かし、アニメ設定より2年先行した9歳の時に、魔王を崇拝する悪の秘密結社の一員となり、組織のために身を粉にして働くこと実に7年間。

 ついにアリスは先日、組織のアジトである城の拝謁の間にて、恐れ多くも魔王直々に上から9番目の幹部への昇格を告げられたのだ。


 組織で10番以内の者は大幹部と呼ばれ、二人の幹部クラスの配下と、人間界と魔界の間の異空間、辺獄(リンボ)にある組織のアジト内にて個室を与えられる。

 そして今夜はいよいよ待ちに待った自分の下につく側近二人との初顔合わせの日。


(私の配下になる二人は一体どんな女性達かしら?)


 アリスにとって去年、先代のノアイユ侯爵が亡くなり、息子であるサシャ・ノアイユが爵位とともに、彼女の後見人役まで引き継いだのは、まったくの不運だった。

 「女性の幸せは結婚して家庭に入ること」と信じて疑わない彼が、新しい後見人になって最初にした仕事は、異国にいるアリスを強制的に侯爵家に連れ戻すことだったから。

 9歳から15歳までの6年間を過ごした修道院を離れて半年経った現在、季節は秋から春になっていた。


 組織の任務時、修道院にいた頃は同じ支部の仲間と組むことが多かったのに、侯爵家に移ってからは所属と管轄の問題なのかつねに単独行動。

 人と馴れ合うのは苦手なアリスであったが、そろそろ仲間のいない寂しさが身に染みてきていた。


 しかしこれからは配下達と一緒だと思うと、アリスの心は異様にうきうきした。

 早咲きの白薔薇が咲き乱れる庭の一角を望む侯爵家のテラスのテーブルにて、午後の紅茶を頂きながら、我知らず自然に顔が緩んでしまう。


「今日のアリスはいつもより機嫌がいいね」


 向かいの席からサシャが、優雅な仕草で整った口元にティーカップを運びながら話しかけてきた。

 普段、王宮勤めや侯爵家の当主としての仕事で忙しい彼が、このように屋敷でゆっくりとお茶を飲んでいることは珍しい。


「アリスは今夜、王宮へ行けることが嬉しいのよね」


 横からそう言ったのは、サシャの母親であり侯爵家の女主人であるノアイユ夫人だった。


 これは物凄い偶然なのだが、今日は宮廷夜会にアリスが生まれて初めて行く日でもある。

 こちらは正直、非常に憂鬱な行事であり、ノアイユ夫人の言うことは見当外れもいいところ。

 アリスとしてはできるなら仮病を使ってでも欠席したいぐらいなのだ。


 実際、夜会デビューを言い渡されてからというもの、アリスは『社交界に興味がない』『王宮など気後れする』『人が多く華やかな場所は苦手』等々の理由を並び立てては、サシャに必死に行きたくないアピールしてきた。

 しかし何を言っても『私が付き添うから心配ない』の一言で流され、本日に至る、である。


 まったく後見人だか一族の責任者だか知らないが、サシャだってまだ22歳の若さで自分よりたった6歳年長なだけなのに、すっかり保護者気取り。

 こちらの意思を無視して何でも独断で決めるのは横暴過ぎると、内心アリスは不満と反感をつのらせていた。

 このままだと勝手に結婚相手まで決められかねない。


「私も、すっごく楽しみ! アリスと一緒に夜会デビューできるなんて嬉しいわ!」


 アリスと違い、いかにも今夜のイベントを心待ちにしている様子の公爵令嬢メロディ・ロードが、無邪気に大きな緑の瞳を輝かせて言った。

 そこに、すかさずサシャの厳しい指摘が飛ぶ。


「メロディ、頼むからこの前の舞踏会の時みたいに、大声ではしゃがないようにしてくれ。

 元々地声が大きいのだから、話す時はなるべく声を抑えるように……。

 それと、早口で何を言っているか分からないことが多いから、落ち着いてゆっくりしゃべるんだ。

 アリスの控えめで上品な話し方をお手本にするといい」


「分かっているわよ! サシャ」


 そんな恒例の二人の掛け合いも、ここがテレビアニメ『燃える髪のメロディ』の世界でメロディはその主人公。

 サシャは彼女をめぐる恋の当て馬役であると知っているアリスには、とても白けたものに見えてしまう。


(メロディのことを憎からず思っている癖に、そうやって気取った説教臭い態度だからフラれるのよ)


 煌めく白金色の髪にサファイア色の瞳、彫刻のように整った甘いマスクと際立った長身――サシャは黙っていれば乙女の理想の王子様を具現化したような麗しい容姿なのに、この通り小姑のごとく口うるさい。

 しかも幼馴染みで妹分のメロディを諭しつける際、毎回「アリスを見習え」という枕詞を使用する。

 サシャにしてみれば、おてんばで暴れ馬のようなメロディとは正反対の、おしとやかで従順なアリスを好ましく思うがゆえの発言。

 だが名前を出される当人にとっては迷惑そのものだ。


 とはいえ実際アリスは年頃の娘らしい浮ついたところがいっさいない。

 前世の14年ぶん人生経験が上乗せされたぶん落ち着きと分別があり、アニメのように猫かぶりしているわけではなく、現在は素で口数の少なく物静かな性格だった。

 ついでに少女らしい夢や憧れもなく社交界にも結婚にも興味がないので、立派な貴婦人より組織の活動に集中できる修道女になりたかった。

 ところがサシャはアリス本人の望みは無視して、二ヶ月違いで同じ16歳のメロディと比べるだけではなく、貴族令嬢として同等に近い扱いをしたいらしい。

 先々月、16歳になったメロディの社交界デビュー&お披露目の舞踏会が大々的に公爵家で催されたときも、アリスのために侯爵家でも同じようなパーティーを開かねばならないと言い出したぐらいだ。

 幸いその後気を変えたのか、その話を口にしなくなったのでアリスはほっとしている。

 なんと言ってもメロディは公爵令嬢であり、こちらは侯爵のサシャを後見人に持つとはいえ、亡くなった父親は子爵家の次男で爵位を持たない一介の騎士。アリスの持参金もごく少ない。

 そもそも身分が全然違うのだから、よけいな気を使われるだけありがた迷惑だ。


 もちろん色々文句があってもメロディと違い、黙っているアリスなのだが……。


 とにかく今夜の王宮へ連れて行かれるのも、メロディに合わせてアリスも夜会デビューさせてあげようという、サシャのいらないおせっかいなのだ。


(今夜も日記が厚くなりそうだわ)


 根暗なアリスは日々の不満やうっぷんを詳細に日記に綴る習慣があった。


 ちなみに侯爵家に戻ってからこっちの日記には、主にサシャへの愚痴が書き連ねてある。

 強引に修道院から連れ戻されたことをアリスは深く根に持っていた。

 今夜は夜会に強制参加させられた文句をたっぷりしたためる予定だ。


「そうそう、今夜の最初のダンスの相手を予約しておいていいかい? アリス」


 ティーカップを見下ろしつつアリスが物思いにふけっていると、サシャが思いだしたように尋ねてきた。


「あら、私、サシャに踊りの相手をしてもらうつもりだったのに!

 だってあなた以外に誘ってくれる殿方の当てが一人もないんですもの!」


 慌てた様子のメロディにサシャが苦笑しながら約束する。


「メロディには他の相手を紹介するから大丈夫だよ」


 アリスの記憶では『燃える髪のメロディ』のアニメの第一回は、メロディの夜会デビュー・シーンから始まっていた。

 つまり今夜の王宮がその舞台であり、筋書き通りならメロディの最初のダンス相手はフランシス王国の第一王子アルベールだ。

 アリスは考えつつ、


「ええ、ぜひ、お願いします。サシャ」


 遅まきながらサシャの申し出を受け入れた。

 ダンスなど心からしたくなかったが、どうしても踊らないといけないなら、見ず知らずの相手より身内で慣れているサシャのほうがマシだ。

 何しろ前世の記憶があるアリスは、男性に襲われて亡くなったトラウマをいまだに引きずって、大の男嫌い。

 一瞬ならともかく、免疫のない相手に長く触れられていると肌が粟立ってしまう。


 だからサシャと一度だけ踊ったあとは他の男性に誘われないうちに、人波に酔ったふりをして会場の隅に引っ込もう。

 そのあとは脇役よろしく、メロディとアルベールの恋の始まりでも見守っていよう。

 そう考えているうちに、かつてテレビ画面で観たエピソードを目の前で観られることが、だんだん楽しみになってきたアリスであった。


 何と言っても夜会が終われば新しい仲間との初顔合わせが待っている。

 それを思えばどんな苦行だって笑顔で耐えられる気がした。




 夕方近く、メロディは夜会の支度のために公爵家へと戻り、アリスも早めに自室に引っ込んで身支度をすることにした。

 まずは侍女のポレットに指示して、衣装用のクローゼットから母の形見の衣装や装飾品を出して貰う。


「本当にこのドレスでよろしいのですか? お嬢様の年頃にしてはデザインが落ち着き過ぎていませんか?」

「これがいいの」


 派手好きで見栄っ張りだったアニメのアリスとは真逆で、今の彼女は控えめでシンプルなものを好んだ。

 真っ青な瞳と同じ色のドレスに着替えると、丁寧に髪を結い上げ、パールをあしらった髪飾りとお揃いのネックレスとイヤリングをつける。

 これで恥をかかない程度の装いはできているはずだ。


 アリスが準備を終えて玄関ホールへ向かうと、サシャが眩しそうに目を細め、片手を差し出しつつ賛辞を述べる。


「アリス、今夜の君はまさに月の女神のような美しさだ」


 淡い色合いの金髪にサファイア色の瞳、冷たい印象がするほど整った顔立ち、陶磁器のように白く滑らかな肌に、薔薇色の唇。

 サシャの言うように今夜の装いは、飾り立てないことで逆にアリスの輝くような美貌をより際立たせていた。

 対する、亡き父の後を継いで若くして王国の近衛騎士隊の隊長を務めているサシャは、裾の長い緋色の華やかな軍服を着て、女性なら誰もが見惚れてしまうほどの凛々しい美しさ。


 そんな彼に手を取られ馬車へと移動するうちに、自然に少女らしい胸のときめきが起こり、アリスは軽い驚きととまどいを憶える。

 四頭立ての豪華な馬車に乗り込み宮廷へ向かう間も、対面の席に座るサシャの視線がいつもより甘く感じられ、らしくもなく胸の鼓動が高鳴った――


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