11、寛ぎの一時
No.9の間はクィーンが出る前と比べ、大いに様変わりしていた。
壁や天井はクリーム色、床は蜂蜜色で、調度は茶系に統一。
部屋の中央には植物図柄の絨毯が敷かれ、上に置かれたモスグリーンのソファには、差し色的にローズピンクのクッションが乗っている。
(短時間でこの変わりよう……)
「凄い……」
挨拶を返すのも忘れクィーンは呆然と部屋を眺め、感嘆の声を漏らす。
「とりあえず壁や天井を塗ってみたのですが、色がお気に召さなければ、いつでも塗り替えできますので……」
ニードルの台詞から、彼が持つ『染色スキル』が壁や天井にも有効らしいことを察する。
ご夫人方のアドバイスに従えばもっとシックな色合いになった筈だが――彼の性格を示すように、部屋は優しい色調でまとめあげられている。
感動する気持ちで室内に入り、見回していたクィーンの目に、ふと、ひとつだけ理解できないアイテムが映った。
「ねぇ? 聞いていい?
なに、あの巨大ベッド?」
どうやって運び入れたかも不明の大きな四柱つき天蓋ベットが、部屋の角に鎮座している。
「すみません。僕がいない間に、ソードが勝手に運び入れていて……」
申しわけなさそうに謝罪するニードルの横で、
「個人的な目的で休むのに絶対必要なものだ」
例の下卑たニヤニヤ笑いを浮かべてソードが断言する。
「……」
そのふてぶてしさにクィーンは一気に疲労感に襲われ、物を言う気も起きなくなった。
ぐったりとソファに腰を下ろしてみると、さすが伯爵子息のシモンが入手したものだけあり、なかなか上質な座り心地である。
「ソードが座っている椅子とベッド以外は、僕が選んだ家具なんですがいかがでしょうか?」
「明るくて上品でいいと思うわ」
「一番格好いいのは、この俺専用の椅子だけどな」
得意気な顔でソードが自分が腰かけている革ばりのカウチを自慢する。
この男は一体ここを誰の部屋だと心得ているのだろう?
ローズといい、自分ほど下の者に舐められている大幹部は他におるまいと、また頭が痛くなってきてクィーンはこめかみを押さえた。
「今日はどちらのアジトに行かれていたんですか?」
ニードルがティーポットからカップにお茶を注ぎながら尋ねてくる。
廊下側のドアからクィーンが入ってきたのでそう訊いているみたいだ。
「No.3に挨拶して、第三支部に顔を出して来たの」
「ふーん。No.3はどうだった? 口をきいてくれたか?」
そこから質問するソードが少しかわいそうに思えるクィーンだった。
「ええ、まあね。
悪いんだけどソード、他の幹部含め、No.3がこの部屋に顔を出す可能性があるから、あまり変な部屋にはしたくないの。
だからもうあなたが個人的に家具を入れるのは禁止ね」
「ええっ⁉ もう少し俺色にこの部屋を染めたかったのに!」
(まだ私物を増やす気だったのか……)
「たしかNo.3は壁を通れるんでしたね」
ニードルが何気なく言う――
(言われてみればそうだわ。別に権限なんかなくても、グレイ様はどこでも自由に出入りできるのよね)
その事実にあわせて、クィーンは先ほどローズと交わしたばかりの『もしも付き合ったら』うんぬんというやり取りを思い出した。
(ローズったら……本当にそんなんじゃないのに……)
自分がグレイに特別な新近感を抱いている事実は認めるが、その感情は自身に近い者に出会えたという、純粋なもの。
たとえ性別が男同士であっても感じた種類のものであるから、恋愛感情とは関係ないし、グレイも同じような気持ちであるはずだ。
その点ではシモンに対する好意も同じ。
彼に感じるのはシンシアへの想いと同種の友情に近いものだった。
少なくともローズのアドバイスに従って、付き合おうなどとは夢にも思わない。
(そもそも、恋愛なんかしたくないし、する余裕もない)
今の自分にとって一番無用なものであるとすら思える。
だいたいローズ――テレーズだって、15歳で修道院に入った癖に、恋愛の何が分かるのだろう? と、クィーンは思う。
たしかに2歳年上のテレーズは組織への入信は自分より先だったものの、修道院入りしたのは3年ほど遅く、そのぶん男性と接する機会は多かったのかもしれない。
それでも入ってきた時の年齢を思えば、豊富な恋愛経験を積んでいるとは思えなかった。
少なくとも『世の中に二種類の男がいる』などと語るほどには――
ぼんやり考えながらクィーンは二人の配下の顔を眺め、なんとなくローズの基準に従って判定してみる。
(ニードル――シモンは前者のタイプに見えるわ。いかにも相手を幸せにしそう。
ソード――キールは正直分からない。相手を不幸にすると言い切りたいけど、実はそれほど私は彼のことを知らないのよね)
次にサシャの顔が思い浮かんだ瞬間、クィーンの脳みそは考えることを拒否した。
「なにじーっ見ているんだ、クィーン」
ソードに訊かれてクィーンは視線をそらす。
「別に……」
「さては、俺に惚れたな」
艶めいた声で言ってから、ソードがチラッとベッドの方へ視線を送るのを見て、クィーンは急に寒気をおぼえて身震いした。
ニードルが目の前のテーブルにティーカップを置きながら、気遣う言葉をかけてくれる。
「風邪ぎみですか? なんだか今日はとてもお疲れのように見えます。
もし良ければ、飲んでみて下さい。ハーブティーです。身体が芯から温まりますよ」
「……ありがとう」
なんともまあ、気がきく配下である。
勧められるままにカップを手に取り、クィーンは気がつく。
ローズの言いつけに従い側近を入れ換えるなら、グレイとソードの折り合いを考え、ニードルを手放さなければいけないという事実を。
正直、昼間助けられたことやこの部屋のこともあり、手放すのが惜しい気持ちになっている。
本人には絶対に言えないが……。
クィーンは名残惜しい思いで、ニードルが入れてくれたお茶を一口飲み、ほっと溜め息をつく。
「おいしいわ」
「良かった。自宅の庭で育てているハーブを煎じて作ったお茶なんです」
温かいお茶に癒され、心に余裕が生まれたクィーンは、ふとソファの上のクッションに目を止める。
手に取って眺めてみると見事な薔薇柄の刺繍が施されていた。
「とても、いいクッションね」
「ありがとうございます。僕が作りました」
菫色の瞳を細め、ニードルが可憐な花がほころぶように微笑む。
抜群の癒し効果のあるこの笑顔といい、自分やローズよりよっぽど女子力が高い。
「何しろ、異名を仕立屋というぐらいだからな」
仕立屋はクッションを作らない気がすると、ソードの言葉に内心でつっこみを入れつつ。
侯爵家にいるよりずっと寛いだ気分になっていたクィーンことアリスだった。
「ところで、手に持っているその紙は、任務書ですか?」
「うん、そうよ」
ニードルに問われて思いだしたクィーンは、パラパラと手元の書類をめくってみた。
ざっと見た感じではほとんどソード宛のようだ。
でも明日からニードルが内勤であることを思えば当然かもしれない。
大幹部になったクィーンのおもな仕事は支部と組織員の管理と監視になり、任務が下されることは滅多にないからだ。
「そうそう、ニードルは明日から第三支部でNo.12の仕事を手伝ってくれる?
鍵に権限を付与しておくから」
「はい、分かりました。実は以前からその話はあったのですが、No.10の助手の仕事が忙しくて、引き受けられなかったんです」
「支部内に閉じこもって仕事するなんて俺はごめんだなぁ。
外に出て暴れるほうが性分に合っている。ってわけでクィーン、俺にはどんな任務が来てる?」
「分からないわ……。まだ任務書を読んでないから。
確認したうえで明日渡すわね、ソード」
「できたら仮面の騎士の討伐任務がいい。
一番出世率が高いし、倒せば一発でシングルNo.入りだからな。
それなのになぜか結構前から俺に振られる任務が隣国のものばかりになって、王都を見回っている仮面の騎士に出くわすことさえできない。
任務時以外での変化はNo.3に堅く禁じられているし……」
ソードは愚痴ったが、それがグレイの意図的なものであると今のクィーンは知っていた。
今思えば自分がこちらに来てからのこの半年間、与えられるのが実体を使わないで済む情報収集任務に限られていたのも、仮面の騎士に出会うリスクを回避させるためだったのかもしれない。
大幹部になった今は事情が違うが、いつか第二支部に戻るカーマインからの預かり者である幹部の自分を、グレイは危険な任務につかせないようにしていたのだろう。
(魔界製の武器でなければ、渡り合えない、か――)
「ソード、幾らお前でも仮面の騎士を単独で倒すのは不可能だと思うから、そんな事を考えるのは絶対に止せ。
僕がNo.10の元にいる間、医術室に運び込まれた百番以内の者の遺体は、全員仮面の騎士に殺された者だった。
誰もかれも死に方はほぼ即死だったから、相当な手練れだと思う」
「そっちこそ馬鹿言うなよ、ニードル。だからこそ倒しがいがあって腕が鳴るんじゃないか!
俺はここしばらく、ついぞ心踊るような命のやり取りをしていない。
なぁ、クィーン、あんたの権限でどうにかできないか?
俺は仮面の騎士と戦いたいんだ」
「期待を裏切って悪いんだけど、残念ながら私にはNo.3を越える権限はないわ。
その彼があなたと仮面の騎士がやりあうのを禁じているんだから、無理よ」
淡々とした口調で言って、残りのハーブティーを飲み終え、クィーンは立ち上がる。
「さてと、私はもう帰って寝るわ。
おやすみなさい、二人とも。また明日ね」
ソードに粘られないうちにここは退散するに限る。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
No.9の間を退出する前に、ニードルが部屋の奥側に設置した仕事用らしいデスクに寄り、忘れず引き出しに任務書を入れておく。
仮面の騎士のことで監視する必要があるから、明日きちんと書類に目を通して内容を把握したあとで、ソードに任務を言い渡さなくてはいけない。
外界への扉をくぐり侯爵家の自室に戻ると、アリス姿に戻って忘れず部屋の鍵を開け、寝間着に着替えてからベッドの上に倒れこむ。
「今日もやたら色んなことがあった一日だったわ……」
昨日の夜会から今日の公園を散歩してまでの流れは、あまりにも濃かった。
アリスはまどろみながら、明日は穏やかな一日になることを心から祈った――
翌朝、アリスはまた寝坊気味に目覚めた。
なんだか身体が異様に重く感じる。
(ここ数日、疲労が溜まっているのかも……)
考えつつも、ポレットを呼ばず一人で身支度を終え、朝食へ向かうために疲れぎみで部屋の扉を開けたアリスは――
「――きゃっ!?」
突如、目の前に現れた長身の亡霊――もとい、廊下にぼうっとつっ立っている青ざめた暗い表情のサシャを見て――反射的に悲鳴を上げて飛び上がる。
そんなアリスに対し、濃いクマのできたやつれた顔のサシャが充血した目を向け、儚げな微笑を浮かべて挨拶してきた。
「おはよう、アリス」
朝から心臓に悪いホラー展開である。
(もしかして私が出てくるまで、ずっと扉の前に立って待っていたわけ?)
薄気味悪く思いながらアリスは問いかける。
「おはよう、サシャ。いったい、朝からこんなところに立って何してるの?」
問われたサシャは長い睫毛を伏せ、美しい唇をわななかせながら告白した。
「昨日の夕食の席でのことを、君に再度謝りたくて、起きるのを待っていた……。
昨夜は一晩中、自分が君にどう思われているのか、そればかり考えて、とうとう一睡も出来なかった……」
殊勝な台詞であったものの、アリス的には気に食わなかった。
(どう思われているかって、自分の気持ちだけ?
シモンへの侮辱については言及しないわけ……?)
サシャを責めたい衝動が起こる一方、目の前でサファイア色の瞳を揺らしている悲壮感たっぷりの様子に、憐れみの感情が起こってくる。
結局はなじるどころか、伸ばして来た彼の手すら拒めず、自分の手を取らせてしまう。
サシャはアリスの右手を両手ではっしと掴むやいなや、がばっと腰を落として床に片膝をついた。
それからいかにも思いつめた目で彼女の顔を見上げ、劇的な調子で訴えかけてきた。
「ああ、アリス……私の天使! どうか許してくれ。
君に嫌われるのだけは耐えられない!」
「――!?」
(いっ、今、私の天使って言った?)
思わず耳を疑う信じられない表現が出てきて、アリスは唖然としてサシャの姿を見下した。
――本日も初っ端から面倒くさそうな、一日の始まりである――




