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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
16/113

8、鏡の中のアリス

 アリスは侯爵家の自室でクィーン姿に変化(へんげ)したのち、『No.9の鍵』を使ってアジトへ移動した。 


(No.3に挨拶をして、第三支部にも顔を出さなければ――)


 考えながらクィーンがNo.9の間に出ると、そこは静まり返っていて無人だった。

 骨家具が撤去され、何も無い乳白色の空間が広がっている。


(ソードのやつ、結構まじめにやっていたのね)


 感心しながら眺めたあと、クィーンは手中に鍵を握り込んで溶け込ませると、廊下へ出る扉のノブを掴んで開く。

 もちろん鍵を直接差し込んで扉を開くこともできるが、いくつもの扉を通らないといけない場合はこのほうが便利で早い。


 クィーンの所有する『本鍵』はアジト内の自分が入る権限のある部屋の扉を、全て開くことができる便利なものだった。

 一方、側近が持つ『合鍵』は初期状態では廊下に出る扉を開けることはできず、本鍵を所有している大幹部に権限を付与される必要がある。

 ゆえに現在のソードやニードルはこの扉を開くことはできない。

 アジト内では立ち入り可能の領域が立場によって厳格化されていた。


 廊下に出たクィーンは艶やかな黒髪をなびかせて足早に歩く。

 灰色の石造りで幅が広く薄暗い廊下には、No.9以外の大幹部の個室の扉も番号順に距離を開けて並んでいた。

 当然ながら、自分以外の個室の扉を開く権限はないので、ノックして内側から開けてもらわなければいけない。

 今まで出入りしていたNo.2の間ではなく、今日行くのはNo.3の間だ。


 やっと目的の扉の前へ到着すると、クィーンは一呼吸置いてから、おもむろにノックをした。

 いよいよNo.3との初対面である。


(なんだかすごく緊張する)


 ――異様にそわそわして、扉の前に立ち待つこと数十秒――


 反応がないので留守かと思いかけたとき、中から抑揚の無い声が響いてきた。


「どなたでしょうか?」


 話し方から本人ではなく配下のようだ。

 

「No.9です。No.3はいらっしゃいますか?」


「……お待ちください」


 指示通り待っていると、少ししてからガチャリと扉が開き、黒髪で眼鏡をかけた無表情な魔族姿の青年が立っていた。


「どうぞ、お入り下さい」


 招き入れられた室内は、廃城の玉座の間のような独特なセンスの内装だった。

 荘厳でありながら遥かな時が沈澱したようなうらぶれた雰囲気がある。


「良く、来たね、No.9――」


 部屋の奥側にある一段高い場所から、玉座のような立派な椅子に座ったNo.3が挨拶してくる。


「ご挨拶に伺うのが遅れて、申し訳ありません。No.3」


「いいや、謝るべきはこの半年間、一度も挨拶のために君をここに呼ばなかった私だろう。

 使いのNo.19から一時的な滞在だと聞いていたものだから、機会がないままここまできてしまった。

 ところで今では同じ大幹部同士だ、そう畏まることなどない。立って、もっと近くまで来てくれ」


 側近時代の習性が身についていて、つい床に片膝つくポーズをしていたクィーンだった。


(やはりカーマイン様に比べるとかなり優しいわ)


「恐れ入ります」


 感動する思いで立ち上がり、歩いてNo.3へと近づいていく。

 

「No.2は君をクィーンと呼んでいたそうだね、私もそう呼ばせてもらっていいかな?

 私のことは、魔王様がお呼びになるように『グレイ』と、呼んでくれて構わない」


「畏まりました、グレイ様――」


 組織のNo.の上位4名は四天王と呼ばれ、アニメ的な分かりやすさからか、それぞれ色の名前で魔王から呼ばれていた。


 グレイはそこで、近くで控えていた自分の側近に退出を求めた。


「ヘイゼル、第三支部の機密室で、任務などの事務処理をしておいて貰えるか?」


「はい、グレイ様」


 アニメでもグレイの側近であったNo.12――異名『閲覧者』、通称『ヘイゼル』は静かに返事をして、クィーンが今しがた入ってきた扉から速やかに廊下へと出て行った。


 第二支部と同じなら支部の拠点は人間界にあり、重要機密が管理されている『機密室』などの一部の部屋のみ、異空間のアジト城内にあるはずだ。

 機密室には支部在籍の組織員名簿や、誰がいくら結社へ寄付金や上納金をおさめたかが記された帳簿など、絶対に外部に漏れてはいけない情報が集約されている。


 いったん階段下で立ち止まると、クィーンは改めてグレイの姿を仰ぎ見た。

 裾が床に広がるたっぷりした灰色の(ローブ)と、蒼白い月光を映したような青味がかった銀色の髪。青灰色の肌に、冷たい炎のように光る水色の瞳。

 異名は『灰色の亡霊(グレイファントム)』。

 夜のような静かな空気を纏ったカミュの裏の顔であり、組織最強と言われているNo.3がそこに座っていた。

  

 100番以内の魔族に変化できる者は、魔王より最初に与えられた異能の力が、その後の組織での順位に大きく影響する。 

 グレイの『亡霊』スキルはあらゆる意味で万能に近い。

 壁や天井等いかなる障害物も自由に通り抜け、武器に貫かれても死なず、瞬間移動と空中浮遊に、眼光で人の動きを『制止』できる能力まである。

 圧倒的な力で向かうところ敵なしのグレイは、王子という身分がなくても、結社内で上位に君臨するのは当然と思えた。

 

 ただし、神のご加護を受けた聖なる武器の使い手には、『制止』能力は通用せず、人の剣では決して貫けないその身も、聖剣や聖槍ならば話は別だったが――



「やっと会えたことだし、クィーン。もっと近くまで来て欲しい」


 やっとというか、人間姿では一昨日会ったばかりだと内心思いつつ、クィーンは言われた通り階段を上ってゆく。


 アニメでのクィーンはグレイに慣れなれしく、いつも彼が座っている椅子の肘掛に腰かけ、彼の肩に腕を回してもたれかかるスタイルだった。

 今のクィーンには考えられない気安さでグレイにべったりとくっつき、甘えた声を出しながらしなだれかかるのが基本だった。

 そんなクィーンにグレイもまんざらではなく『頭の悪い飼い猫』でも飼いならすように、抱き寄せたり髪を撫でたり、つねに親密な態度で接していたと記憶している。


 しかし今のクィーンにはとてもそんなことはできないので、グレイの座る椅子より一段低い階段部分で立って彼の顔を見上げる。


「ちょうど君に謝らないといけないと思っていたんだ。昨夜、配下との初顔合わせだっただろう?

 No.2に頼まれて、私が第三支部の幹部の中から君の側近を選ばせてもらったのだが……、生憎と人材不足で、希望の女性幹部を配属できなくて申し訳なかった」


(ええっ……!? カーマイン様はちゃんと頼んでくれていたの?

 そして、本当に幹部不足だったんだ……。

 じゃあ、あのメッセージ・カードの意味も、カーマイン様からの純粋な励まし?

 だとすると私って、物凄い被害妄想……!?)


 考えながら自分で自分が恥ずかしくなったクィーンは、顔を上気させて嫌な汗をかいた。


「とんでもないです……! 謝って頂く必要なんて、ありません!」


「そう言ってくれると助かるよ……。

 君が知っているかは知らないが、この国には現在、聖剣使いである仮面の騎士がいて、魔族姿の戦闘員を標的にして殺しまわっている。

 今まですでに百番以内の者は5名ほど、それとは別に幹部が3名ほど屍になっていてね。

 唯一の女性幹部がそれで亡くなってしまったんだ」


 グレイの話から、クィーンは聖剣使い――アルベール――のせいで第三支部がかなりの打撃を受けていることを、滞在半年目にして初めて知ることになった。

 ここまで込み入った話はアニメにも出て来なかった。


「そうだったんですか……」


「あまりに人材不足なので、先日、君のことを頼まれた時に、No.2に誰か回してくれるように個人的に頼んだぐらいだ。

 幹部の数が足りないなんて、層が厚い第二支部からは考えられないだろう? 何しろ四天王が二人も在籍しているし――」


 グレイの言う通り、現在、第二支部には大幹部の、しかも四天王が二人も在籍している。

 とは言っても、同じ支部に所属していながら、クィーンは四天王であるNo.4と接する機会はほとんどなかった。

 アニメでもNo.4は、独特の役回りから四天王の中では一番出番が少なく、変化姿でしか登場しなかったと記憶している。


 No.4だけではなく、アニメではメロディの周辺人物の描写と、戦闘シーンに尺が割かれているので、詳しい素性が分からない上位No.は結構多かった。


「第三支部がそんな状況だとはつゆ知らず、わがままを言って申し訳ありませんでした……」


「そんなことはいいんだ。……それで、入れ違いで昨日回答があって、女性幹部の一人が第三支部への異動を志願してくれたらしい。

 さっそく今夜こちらに、挨拶に出向いてくれる予定なんだ。

 君が望むなら、その女性幹部と現在の君の幹部の一人を交換することも可能だ。

 もし良ければ、今からここへ来る予定だから立ち合っていくといい」


 思いがけぬ提案にクィーンは驚く。


「……!? お気遣いありがとうございます。

 ですが、今の側近で大丈夫です」


 疑心暗鬼なうえに被害妄想な自分にはそんな好意を受け取る資格なんてないと、クィーンは心底思った。

 グレイが言う言葉、一つ、一つに溢れる優しさと、カーマインが自分のことをちゃんと考えてくれていたという事実が、彼女の心に染み入っていた。 


「実は、幹部不足の影響で、現在は私の側近は、先ほどいたNo.12のヘイゼル一人しかいないんだ。 

 特に君の希望がないなら、私の側近に加えることにするが……」


「はい、私は大丈夫なので、そうしてください」


「本当にいいのか? 君は男性が苦手だと、No.2が言っていたけれど、No.22はともかく、No.16はきついんじゃないか?」


(さすが、グレイ様、ご明察!)


 ソードはクィーンにとって、おおよそ考えうる限り、一番苦手な部類の配下であった。

 だが、グレイに余計な気を使わせたくないし、ここは否定しておかねばいけない場面だ。


「そんなことはないです!」


 クィーンが言い切ると、グレイは冷たく魔的な美貌に憂いのある微笑を浮かべ、溜息をついた。


「まあ、No.16のほうで、私の下には戻って来たくないだろうけどね。

 私は彼に良く思われてなかったようだから」


「……!?」


 たしかソードも同じようなことを言っていた気がする。

 ひょっとしてお互いがお互いに嫌われていると思い込んでいる?


「そんなことは……!?」


「いいんだよ。分かっているんだ。

 どうも、彼は私の自分への扱いに不満があったようでね。

 疎ましく思い、冷遇しているのだとでも思っていたのだろう。

 そんなつもりはまったくなかったのだが、私はどうも、人から誤解されやすい性質(たち)でね……。

 ――基本的に人と接するのが苦手なんだ」


 グレイは静謐な顔を曇らせて言い、何かを思い出すように、自分の右手をじっと眺めた。


(私も同じく、人と接するのは苦手だわ)


 クィーンはその言葉に強い共感とグレイへの親近感をおぼえる。

 彼にも同じように感じるものがあったらしく、不思議そうな瞳でクィーンの姿を眺める。


「どうしてかな? 出会ったばかりなのに、こんな話をしているなんて……。

 なぜだか君とはとても話しやすいし、初めて会った気がしない……」


 不思議そうに問いながら、椅子から立ち上がったグレイが階段を一段降りる。

 伸ばされた冷やりとした手がクィーンの手を掴み、急速に二人の距離が縮められた。

 

 クィーンは両手を取られた格好で、間近からグレイに探るような眼差しを向けられる。

 触られていることもそうだが、本来人と目を合わせると緊張する筈なのに――

 夜会の時と同じように、彼の瞳を見つめていると逆に心が落ちついてくる。


 それはシモンの温かな光を見返した時におぼえた安心感とは違う、沈静効果と呼ぶべきものだった。

 まるで鏡の中の自分の瞳を見ているような不思議な『同一感』からくるものだとクィーンは気がつく。

 

「私も人が苦手というか、怖いんです」


 初めて自分に近い存在に出会えたという感覚から、心を明かさずにはいられなかった。

 

「そうか、苦手な理由まで同じなんだね」


 グレイが静かに頷き、口元を綻ばせてそう言った瞬間。

 クィーンは自分の頑なな心がほどけて、急速に彼へと惹きつけられていくのを感じる。


(何? これは……。この泣きたいような気持ちは――)


 自分の気持ちを誰かにこうして話すのも初めてなら、理解したうえで同意して貰うのも初めてだった。

 見つめあった瞳から言葉にせずともお互いの想いが通じ合う感覚。

 クィーンの胸は、初めて他人に感じる強い共感に、いつしか震えだす……。

 

 かつて幼い頃、アリスは神々しいまでのサシャの美しさに、魂を掴まれる思いがした。

 アリスが魅せられたのは、声変わりする前の少年特有の、中性的な、成長する過程で失われていく、儚いがゆえに強烈な美しさ。

 つまり所詮は一目惚れだったのだ。


 しかし今クィーンであるアリスが、カミュであるグレイに感じている、この惹かれる想い――吸引力は――それとは全く別の相手の内側にある本質、お互いの魂が共鳴して引き合うような初めての感覚だった――




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