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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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7、光の中の少年

(サシャにはどうしてこんな残酷なことが言えるの?

 だいたい言いがかりも甚だしい。

 シモンは私に求婚などしていないし、ただ倒れたところを介抱して、色々気を使ってくれただけなのに――)


 シモンが自分を助けたせいで、こうして他人の家の夕食の席で話題にされ、本人には責任のない部分で辱しめられている。

 その事実がアリスにはどうにも耐えがたかった。

 固く拳を握りしめ、怒りを込めた瞳でサシャを睨みつける。


「それがいったい何だっていうの? 

 ノアイユ夫人のおっしゃる通りシモンは素晴らしい人だわ。

 仮にその噂が真実であろうとも、彼の価値は少しも損なわれはしない」


 アリスは頭に血がのぼるあまり、シモンに敬称をつけるのを忘れた。

 サシャは端正な顔をカッと紅潮させ、彼女を見返す。


「素晴らしい? アリス、君こそ出会ったばかりの相手の何が分かるというのだ?」


「分かるわ! 会うのが今日初めてでも、シモンの滲み出るような人柄の良さ、思いやりは、充分私に伝わってきた。

 彼のような人と一緒なら、子供がいなくてもずっと幸せに生きていけるわ!」


 まるでシモンと結婚する意志があると誤解されかねない発言だと分かっていても、アリスは言葉が止まらなかった。


「……なっ?」


 サシャはうろたえたように口ごもり、強力な援護を受けたノアイユ夫人は勢いを得る。


「そうです。子供が出来ない夫婦など珍しくありません。

 親戚から養子を貰うなり、解決方法はいくらでもありますからね。

 それよりも夫婦として一番重要なのは、相手を尊敬できるかどうかだわ。

 素晴らしい人だと思えるのなら、アリスにとってシモンさんは理想的な結婚相手と言えます!」


 夫人も頭に血が上っているらしく、いつの間にかシモンを姓ではなく名前呼びにしている。

 サシャは目を剥いて二人の顔を交互に睨みつけ、高ぶった感情のままに爆弾発言をした――


「何が理想的なものか! たとえ不能でなかったとしても、ヴェルヌ伯爵家は当主と二番目の息子以外、家族全員が亡くなっている、呪われている家ではないか――!?」


「……!?」


 息子の暴言にノアイユ侯爵夫人は大きく息を飲む。


「サシャ、あなた、一体なんてことを」


 アリスの手から力が抜け、ガシャンと、指から滑り落ちたフォークが、皿の上に音を立てて落ちた――


(……呪い……?)


 アリスは動揺で手だけではなく、全身が震えだしていることに気がつく。

 心臓が酷く高鳴る一方、身体は冷えて硬くなるようだった。

 サシャも、アリスの身の上を思いだしたのか、はっ、と青ざめて凍りついた。


「アリス――私は……」


「……っ」


 吐き気を堪えるように口元を抑え、アリスはガタンと、膝の上に置いていたナプキンを落としながら席を立つ。

 そうして堪えがたい苦しみから逃れるように思わず駆け出していた。



 サシャも慌てふためいて立ち上がり、朝のシーンの再現のようにアリスの後を追ってくる。


「アリス、待ってくれ、私は……」


「……来ないでっ……!」


 自分でもおかしいほど胸が痛んでいた。


「……!?」


 アリスの悲痛な叫びに怯んだように、サシャの追いかける足の勢いが衰える。

 その隙にアリスは自室の中へと駆け込み、急いで扉を閉じて鍵をかけ、がっくりとくずおれた。


「はぁ……はぁ……」


 床に座り込んでアリスが肩で息をついていると、扉ごしにサシャの謝罪の声が響いてくる。


「すまなかった、アリス、許してくれ!」


 かなり取り乱した声だった。


「……」


「お願いだ。扉を開けなくてもいいから、聞いてくれ!

 決してあんな酷いことを言うつもりではなかったんだ。君が心配なあまり、わたしの頭はおかしくなっていた。

 どうか許してくれアリス! 本当に悪いと思っている。私は、最低だ……!」


 そうだ最低だ、見損なったと、ここでサシャに罵倒の言葉を吐くこともできるだろう。

 だけどそんなことをしても、一度耳に入った言葉は出て行きやしない。

 どれほど傷ついたか言って、訴えたところで同じ。


(生まれた時から光の中を歩み続けるサシャには、自ら闇に落ちていく私やシモンのような者の気持ちなど、絶対に分かるわけがない……!)


 アリスは返事もせず、扉にもたれて脱力し、唇を噛み締めた。


 まだ灯りがつけられていない部屋は真っ暗だったが、今のアリスの心理にはぴったりだった。

 それでなくてもアリスは前世の頃から、明るいところより暗がりのほうが心が落ちつく性分だ。


『蛆虫なんてうまい表現じゃない。陰気で根暗でみじめなあんたにお似合いよ』


 前世で母親に言われた台詞を思い出しながら、自分は生まれ変わっても相変わらずだなと思う。


(……でも……蛆虫は好きで蛆虫に生まれたわけじゃない……)


 好きでゴミ部屋に生まれ落ち、母親に蹴られ、殴られ、ののしられて育ったわけではない。

 好きで風呂に入らず、毎日同じ服を着て、薄汚い格好をしていたわけではない。

 好きで家族を全員失った、かわいそうなアリスになったのではない。

 生まれ変わる前からいつもそうだ、自分ではどうにもならないことで責められる。


 だけど前世の頃からそんな扱いには慣れきっている。

 とっくに慣れっこなはずなのに、言われてこんなにきついのは、認めたくないが相手がサシャだからだ。


 メロディはサシャの言うことなど、少しも気にはしない。

 それなのにこうしてサシャが言うことに、いちいち心を動揺させ、反応をしてしまう自分は、自ら彼が特別な存在だと、告白しているようなものではないか――


(もうあの頃の、サシャを意識して逃げ回っていた、小さな私じゃないのに……)


 そう思いながらアリスの眼裏に浮かんだのは、光の中で佇む、美しい少年の姿だった。


 あれはアリスがまだ3歳だった頃。

 先代のノアイユ侯爵の口ききにより、アリスの父親が近衛騎士隊に入隊できることになり、家族で地方から王都へと引っ越してきた。

 両親に連れられ初めて侯爵家を訪れた日のこと。

 春の明るい日差しに包まれた庭を案内されている途中、突然、アリスの視界に、咲き初めた薔薇を背景に天使が現れた――

 

 淡く煌く金髪と、澄み渡るサファイア色の瞳、まばゆいばかりの美貌。

 初めて会った時のサシャの姿は、幼いアリスの目に、決して手が届かない、天上の存在のように映った――


 今も見目麗しいが、少年時代のサシャの美しさはまさに神がかっていた。

 だから、9歳だったサシャが微笑みかけ、一緒に遊ぼう、と言って手を差し出してきたとき、思わずアリスは逃げださずにはいられなかった――

 母のスカートの影に隠れ、こっそりサシャの姿を盗み見したことを覚えている。


 なにしろ、当時のアリスは、今に輪をかけて人と接するスキルが低かった。

 前世の記憶があることがマイナスに働き、人間不信かつ極度の人見知り、家族以外とは口をきかなかった。

 特にサシャの前では緊張してしまい、視界に入るだけでもドキドキして、免疫ができるまでしばらく逃げ回っていた。



「頼む……アリス、許すと言ってくれ……」 


 過去を回想している間も、扉の向こうではサシャの謝罪と懇願が続いている。


(許すって何を? あなたがシモンや私みたいに家族に死なれた人間を、呪われている、と思っていることを?)


 アリスはまだ心が乱れており、サシャの言葉を素直に受け止められるような状態ではなかった。


(一体私に何を言えというのよ?)


 口を開くと酷い言葉を投げつけてしまいそうだったので、黙り込んだままアリスはサシャの現在の心境を想像した。


 今朝の傷ついた顔や玄関ホールでのサシャの態度。


『君は誰よりも美しい……』


 そして執務室でのあの言葉。


(サシャは私を異性として意識している?)


 幼い頃の印象そのままに、サシャのような人物が、自分なんかに特別な感情を抱くわけがないと思いこんでいた――


「……嫉妬を……してしまったんだ……ヴェルヌ卿に……」


 しかし、扉の向こうから痛切に響くサシャの告白が、その考えが錯覚ではないことを肯定してくれた。


「……!?」


「だから、あんな酷いことを口走ってしまったんだ……」


 アリスはそれ以上聞いているのが辛くなり、思わず両手で耳を塞いだ。

 幼い頃の自分の想いへと引き戻されていくようで、無性に怖くて、胸が苦しい。


 理由はたぶん、前世の子供だった自分の胸をときめかせた理想の王子様がアルベールであるなら、今生の幼い自分にとっての王子様がサシャだったからだ。


 ――少なくとも妹を失い、神とこの世界に絶望するまでは――


 生まれ落ちた時から祝福の光に包まれ、明るい陽の下を歩いているサシャやアルベールと、暗がりに生きる蛆虫のような自分は全く違う世界の住人。

 今のアリスにとってサシャやアルベールの存在は、見ると目を焼く眩しい光だった。

 

 高潔の騎士サシャ。

 神の恩寵を身に受けている彼は、やがてその手に聖槍を握り、聖剣を持つアルベールと並び立ち、アニメの中でのように自分の仲間達を(ほふ)るのだ。

 

 幼い頃はどうであれ、今ではアリスを破滅させるだけの存在なのに――


(どうして、メロディではなく、私にそんな感情を抱くの……!?

 そうしてなぜ私は、こんなにも心を揺らしているの?)


 もう自分はサシャに密かに憧れていた小さなアリスではない。


 いい加減、サシャに何を言われようとどう思われていようと平気にならないといけない。

 彼のことなど何とも思っていないのだと、他ならぬ自分自身に証明するために。


(今の私にとって、サシャは口煩く、傲慢でうざったいただの後見人。

 加えて高い確率でいつか戦わなければいけない敵なのよ!)


 アリスは強く自身の心に言い聞かせる。

 たとえ今のサシャがアリスを想っていたとしても、彼が見ているのは所詮は幻影(まぼろし)

 真実の姿を知れば、簡単に消えうせる種類のものなのだ。

 

 サシャでなくともこの蛆虫のように醜悪な内面と、悪役である事実を知ったうえで惹かれる者などいないだろう。

 みんな美しい見てくれだけ眺め、好ましいと感じているだけ。

 内側に詰まっている醜いものを見れば、顔をしかめて目を背け、去っていくに違いない。

 

 アニメでもそうだった。

 結局のところ誰もかれもがメロディを愛して選んだ。

 あのシモン――ニードルでさえ、最後はメロディの純真さにほだされ、寝返り、裏切る。

 その事実を思い、アリスの胸は針でさされたように痛んだ――


 アニメのストーリーを思い返してみれば、主要キャラでメロディに惹かれなかったのはカミュだけだった。

 そういった意味ではカミュはアニメのアリスにとって、たった一人、最後まで『自分側』にいてくれた貴重な存在だった。

 

 その事実と同時にアリスは大切な用事を思い出す。


(そうだ。彼に挨拶に行かなくては……こうしてはいられない……)


 こんな風に時間を無駄にしていてもしょうがない。

 自分の不幸に酔った悲劇のヒロインぶった女にだけは死んでもなりたくない。


 アリスは心を奮い起こすとヨロヨロと立ち上がり、扉と向かい合って向こう側にいるサシャへと呼びかける。


「分かったわ、サシャ」

「……アリス……!?」


 すがりつくような声で名前を呼び返される。


「……あなたの謝罪を受け入れるわ……。だから、今日はもうそっとしておいてくれる?」

「……本当か?」

「ええ、本当よ。ただ、今夜はもう一人でいたいから、ポレットにもそう伝えておいて……。疲れたから自分で寝支度をしてこのまま休むわ……」

「……そうか……」

「休めば、きっと気分も良くなるから」

「……分かった」

「おやすみなさいサシャ」

「おやすみ……アリス」


 無事に挨拶も終わり、アリスが扉の前から離れようと歩きかけると、


「……本当にすまなかった、アリス」


 最後にもう一度サシャの謝罪の言葉が聞こえ、扉の前から彼が立ち去っていく気配がした。


 遠ざかっていく足音を聞きながら、アリスの胸は憂鬱な思いで満たされる。


 嫉妬したというサシャの気持ちを聞いてしまった以上、これから二人の関係は微妙に変わってくるだろう。

 しかし、明日からのことを考えるより、今日やるべきことをこなさなくては――


 アリスは扉から離れると窓辺に近寄り、カーテンを隙間なくぴったりと引く。


 ――今夜もクィーンになる時間が訪れた――



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