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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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4、運命的な再会

 反射的に身を起こそうとするアリスの肩をシモンは押し止めた。


「まだ動かないでじっとしていた方がいい」


 静かに言って、銀色の杖を小脇に挟んだ彼は、両腕をアリスの腰と膝下に回し、優しくそっと抱き上げる。


「……!?」


「そこのベンチに移動しましょう」


 足が不自由なはずなのに、アリスを抱えて移動するその足取りは淀みなかった。

 壊れ物のように優しくアリスをベンチへと降ろすと、シモンはかたわらに跪いて彼女の手を取り、慣れた手つきで脈を測り始めた。

 その間、突然の展開に呆然としていたアリスは、まるで口が聞けなくなったように、無言でシモンの顔を見つめていた。


 ニードルの時のうねるようなたっぷりとした髪とは違い、黄金色のシモンの髪はサラサラと素直に零れ落ち、同じように後ろで一つ結びにされていても全く違った印象だった。


「少し安静にしていれば気分が良くなるから、ここで座って休んでるといい、美しいお嬢さん」


 腰を落とした状態でアリスを見上げ、シモンはサラリと褒め言葉をまじえて言うも、薔薇の花弁のような可憐な唇を綻ばせた。


 その木漏れ日のような温かい光を浮かべた緑色の瞳は、カミュの瞳を見つめたときとは違う、癒やしに近い安堵感をアリスにおぼえさせた。

 

(知り合ったばかりなのに、どうしてかしら?)


 抱き上げられた時もそうだったが、脈を診るためこうして手を触られていてもまったく嫌じゃない。

 むしろ今までずっと共に過ごしてきたような馴染みと安心感がある。

 アリスは不思議な思いで、魔法のように自分を悪夢から引き戻し、短時間で元の落ち着いた状態へと導いてくれた、シモンの中性的な顔を見つめた。

 そして感動に近い感謝の念とともに、今さらながら自分の演じた醜態を恥じながら、お礼とお詫びを言う。


「……助かりました。ありがとうございます。すっかり、ご迷惑をおかけしてしまって……」


「何も迷惑などではありませんよ。

 それより、自己紹介をさせて下さい。僕は、シモン・ヴェルヌと言います。

 昨夜の夜会でお会いしたのを、憶えていますか?」


 『憶えている』と言いかけたアリスの言葉を遮り、近くで状況を伺っていたらしいノアイユ夫人のかん高い声が響いた。


「アリス! 良かった! 一時はどうなることかと思ったわ!」


 いつの間にか三人のご夫人方がシモンの背後に控え、二人の様子を眺めていた。

 ほっとしたような溜め息をつくノアイユ夫人の横から、アリスも顔見知りであるマラン伯爵夫人が尋ねてくる。


「まあ、ヴェルヌ卿、あなた医術の心得もあるの?」


「はい、心得というほどではないですが、知人の医者から基本の応急処置や対応を教わったことはあります」


 その医者というのは最近まで仕えていたNo.10のことだろうな、とアリスは思った。


「何にしてもあなたがたまたま通りかかったところで良かったわシモン!」


 やや大仰にそう言ったのは、帽子から銀髪をはみ出させた中年女性だった。

 アリスがまさかと思って見ていると――


「偶然ではなくデュラン夫人、お屋敷に行ったらあなたは公園へ出かけたと言われたので、ちょうど通り道だったのもあり、寄ってみたんです」


 シモンの口からすんなりと正体が明かされる。


(デュランってことは、ソード――キールの母親なんだ!)


 道理で見たことがあるような顔だとアリスは納得しながら、なんとなく三人のご夫人達のいでたちを眺める。

 デュラン子爵夫人とマラン伯爵夫人は当世流行の華やかな衣装と帽子を身につけ、一番裕福なはずのノアイユ夫人が一番地味な色合いの地味な装いだった。

 アリスの認識では、陽気で顔が広い人気者のマラン伯爵夫人は人当たりが良く、ノアイユ夫人と特別に親しいわけではないものの、共通の知人も多く、会えば楽しく会話する程度の仲だ。


「何にしてもとても助かりました。ヴェルヌ卿」


 ノアイユ夫人の感謝の言葉を耳にしながら、自分以外はみな顔見知りのようだとアリスは気がつく。

 

「ところで、こちらの美しい娘さんはどなたかしら?」


 デュラン子爵夫人がアリスを見ながら問うと、のんびりしたノアイユ夫人よりも先にマラン伯爵夫人が答える。


「ノアイユ侯爵夫人の親戚の娘さんなの。アリス、こちらは、デュラン子爵夫人よ」


 アリスはベンチに座ったまま挨拶と謝罪をする。


「初めまして、アリス・レニエと申します。

 みなさんにはご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」


「アリスか、美しいあなたにぴったりな名前だ」


 シモンがさり気なく呟く。


「そう、あなたがアリスだったのね」


「あなたのように繊細な娘さんには貧血はよくあることよ。気にしなくていいわ。

 それより、ちょうど今デュラン子爵夫人とあなたの噂話をしていたところなの」


 マラン伯爵夫人が言い、デュラン子爵夫人がその内容を話す。


「うちの放蕩息子を落ち着かせるには結婚させるのが一番だと思って、誰かいいお嬢さんがいないかマラン伯爵夫人に相談していたんです。

 そこにあわてた様子のノアイユ侯爵夫人がいらっしゃって、続いてシモンが現れたの」


 アリスは内心ぎょっとする。

 キールの結婚相手の候補にするのだけは止めて欲しい。


「勝手にあなたの名前を出してごめんなさいね。その年頃にしては落ち着いているから、ぴったりだと思って」


「キールに?」


 シモンは目に見えて浮かない顔をした。


「皆さん、どうかしら? アリスの身体も休ませたいし、このまま我が家へ移動して、ゆっくり腰を落ち着けてお話しませんこと? 

 少し早めだけれど、午後のお茶を飲みながら楽しい会話に花を咲かせたいわ」


 身体を動かす軍人以外の貴族の朝食は昼食をかねているので、午後にたっぷりとお茶とお菓子を頂く習慣がある。

 マラン伯爵夫人の提案に、ノアイユ夫人が慌てた声をあげた。


「とんでもございませんわ! こうして皆さんをお騒がせしたんですもの、その役目はぜひ我が家に譲って頂きたいわ。

 ここから距離も一番近いことですし、どうか皆さん私の屋敷にいらっしゃって」

 

 一番格上のはずのノアイユ夫人なのに、持ち前の性格から言葉も態度も腰が低い。


「まあ、ノアイユ侯爵家にお邪魔させて頂けるなんて光栄ですわ」


 デュラン子爵夫人が感激したように反応する。

 今来たばかりでもう帰るのかと思いつつ、自分が原因でノアイユ夫人に気を使わせたことをアリスは心から申し訳なく思う。


「ヴェルヌ卿にも来て下さるように、アリスからお願いして」


 アリスは素直に「はい」と頷き、腰を落としたままのシモンを見下ろし、誘いの言葉を口にした。


「ヴェルヌ卿も、ぜひ、お茶にいらっしゃってください」

 

「もちろんです。あなたのような美しい方に誘われては、とても断わることなどできない。

 アリスさん、みなさんも、どうか僕のことはシモンとお呼び下さい。

 頼まれごとがありますので遅くまで長居はできませんが、それでも良ければ、ぜひご一緒させて下さい」


 その頼まれごとというのは高確率で自分が依頼した部屋の模様替えだろうなとアリスは察した。


(それにしても、アニメで知っていたけど、シモンってば結構キザな性格よね)


 歯の浮くような台詞に、やたら『美しい』を連発している。


「では、私のこともアリスとお呼び下さい。

 おかげさまですっかり気分が良くなりました」


「それは良かった」


 シモンは笑顔で返し、腰をあげようとするアリスに手を差し出す。

 アリスはご夫人方の手前もあって拒否することもできず、自分の手を上に重ねて応じ、シモンと一緒に立ち上がる。


 流れで手を取られたまま馬車へと向かいながら、アリスは軽く驚く。

 シモンはれっきとした男性であり、身長だってサシャと変わらないぐらい高いのに、女友達と手を繋いでいるような自然な感覚だった。

 しかも、それは女顔だとか、女性のような美しい手をしているからという理由でもないみたいだ。


(シモンは雰囲気がとてもシンシアに似ている。顔や姿は全然違うのに、癒やすような優しく温かい空気というか)


 穏やかで柔らかな表情や済んだ声が、いちいち修道院で同室だった懐かしい女性を思わせる。


 それだけではなく偶然の一致なのだが、盲目だったシンシアも外出時は彼のように常に杖を携帯していた。

 ――と、小脇に杖を抱えたまま歩くシモンを見て、疑問をおぼえたアリスは尋ねる。


「杖を使わなくても大丈夫ですか?」


「ああ、今日は足の調子が良くて、痛まないから平気だ。

 心配してくれてありがとう」


 シモンの説明にアリスはやや不自然さを感じる。


(ニードルの時も足に違和感は感じられなかったし、シモンは本当に足が悪いのかしら?)


 もしフリなのだとしたら、理由は何なのだろう?

 思ったものの、他人のことを詮索するのが嫌いなアリスは、それ以上深く考えるのを止めた。


 それよりも先刻からご夫人方の自分とシモンを見つめる目つきが、やけに楽しそうというか――

 まるで初々しいカップルでも眺めるような微笑ましいものになっていることが、気になって仕方がない。


「また気分が悪くなったら困るから、アリスはシモンさんと一緒のほうがいいわ」


 いらない気を利かせたマラン伯爵夫人が、シモンにアリスと同じ馬車に乗るよう促す。

 さらにノアイユ夫人が向かいの席に座った成り行きで、アリスはシモンと隣り合って座ることになった。


 馬車が走り出すと同時に、ノアイユ夫人が興味深そうに話題を振る。


「先ほど夜会の話をしていたけれど、二人は昨夜、王宮で顔を合わせたということよね」


「ええ、そうです。と言ってもすれ違っただけですが――」シモンは思い出したように言った。「そうそう、アリスさん、夜会ではあなたが美しすぎるものだから、ついぶしつけに見惚れてしまって申し訳なかった」


「え?」


(凄く見ていたけど、あれって、見惚れていたの?)


 アリスは意外な真相に驚いた。

 ノアイユ夫人は目を輝かせて叫ぶ。


「まあ、そうだったの! では、今日は運命的な再会だったのね!」


(運命?)


 アリスは思わず首を傾げた。

 アニメのアリスと容姿は変わらないのに、今のシモンや昨夜サシャから貰った賛辞、アルベールの自分への好意など、あまりにも周囲の反応が違いすぎる。

 心当たりがあるとしたら、現在のほぼノーメイクで地味好みの自分と違い、アニメのアリスは衣装が派手好みなのに加え、毒々しい色合いの口紅に、濃いアイシャドーとがっつりチークをつけ、厚化粧だったことぐらいだ。


(ひょっとして、化粧が逆効果だった?)


 などとアリスが悩みこんでいる間に、距離が近いので侯爵家へ到着してしまった。

 最初に馬車から降りたシモンは、まずはノアイユ夫人に、次にアリスへと手を貸した。

 そうして玄関前の石畳の上で降りたアリスが、重ねている手を上げようとしたところ――、


「まだ念のために、シモンさんに手を引いて貰っていた方がいいわ」


 熱心な口調でノアイユ夫人が勧めてきて、結局、シモンに手を取られて歩き出すはめになった。


(なんだろう、このプレッシャー)

 

 さすがに恋愛ごとに疎いアリスも、不穏な空気を感じつつあった。


 それにいくら嫌じゃないとはいえ、昨夜サシャに『二人の王子に色目を使った疑惑』をかけられていたアリスにとって、屋敷の前でシモンに手に引かれていることは、緊張すべきことだった。

 

(あれから一時間以上経過しているし、とっくにサシャは出かけていると思うけど、万が一まだ屋敷でゆっくりしていたらどうしよう。

 またあらぬ言いがかりをつけられたら面倒くさいし、どうか出くわしませんように……)


 内心サシャの不在を祈りつつ、アリスは甘く微笑みかけるシモンと並んで大きな玄関扉をくぐり、侯爵家の屋敷の中へと入っていった――




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