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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
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20、美しい庭では……⑨

 悲壮な決意に胸を打たれ、思わず立ち上がったアリスは、シモンの背に問いかけそうになる。


(扉を開けるところを見られた場合、私を不幸にしないために死ぬ気なの?)


 ――と。

 しかし愚問だと思ってすんでで”ぐっ”と言葉を飲み込む。

 わざわざ確認したところで答えは変わらず、シモンを困らせるだけだと――

 たった今突きつけられた事実を認識し、アリスは胸が締め付けられるようだった。


(シモンにとって魔王を信棒する秘密結社の一員であることは「不幸」そのものなのだ)


 命を賭してもアリスを入信させたくないぐらい。

 それを思えばアニメでメロディ側についたのも当然の結果。

 むしろ、望んで彼が組織に入ったわけではないことを知ったときに気づくべきだった――


 クィーンとの信頼や絆があろうと関係なく、ニードルはいずれ組織を裏切る。

 そして、親友であるソードも……。


(逆に私はなぜ、ずっと仲間でいられる気になっていたのだろう。

 間違っても人間世界の崩壊を望むようなニードルではないのに)


 アリスは苦い現実を飲み込むように頷いた。


「分かりました、シモンさん」


 続けて素直に背中を向けてみせながら、アリスはシモンの覚悟を見届けるため、戻し損ねた蝿に意識を移して通気口から出る。


 ところが、離れた後ろから蝿のアリスが観察していても、扉に向き直ったシモンは両手を前に出しただけで、魔族に変化する様子はなかった。


 不思議に思って近づき、天井に張り付く格好で上から覗き込んでみると――左手で鉄扉を押しながら、右手を繰るように動かしていた。

 その指先から出ている糸を見た瞬間、アリスはシモンの行動が自分の想像を超えていたことを理解する。


 シモンは魔族に変化するとき、無数の糸に巻かれて姿を変える。

 つまり、人間時でも出せるもの――クィーンの蝿にあたるのが、彼の場合は自在に動く糸なのだ。


 鉄扉には閂は下りていても鍵はかかっていないので、押せばわずかに隙間が開く。

 シモンはそこから外側に糸を出し、閂を上げようとしているのだ。


 ――ニードルはソードと違って魔族姿を見られるリスクなんて犯さなかった――


 目を瞑るように言ったのは、生き物のように動く糸を見られる可能性を危惧してのこと。

 異様な光景を目撃されれば、人ならぬ悪魔の技だと気づかれる可能性があるから。

 しかしそれさえも身体で隠すようにして、アリスから見えないように細心の注意を払っているようだった。


 それほどまでにシモンはアリスを自分の運命に巻き込みたくないのだ。

 そう悟ったアリスは、


(そんなことをしても無駄なのに――とっくに手遅れなのに――!?)


 張り裂けそうな胸の痛みと共に突如気づいてしまう。 

 誰よりも敏感なシモンがいまだにアリスがクィーンだと気づかない理由を――


 人は考えたくない現実から無意識に目をそらす。


 側近二人が敵側に回る未来を考えないようにしていた、逃避癖があるアリスだからこそ分かる。


(シモンは私をクィーンだと考えたくもないんだ――!?)


 証拠に蝿を見てもアリスとクィーンを結びつけなかった。

 何よりシモンのときとニードルでは、自分に向けられる眼差しが全く異なる。 

 その違いがクィーンだと告げることを躊躇わせたのだと、ようやくアリスは認識する。


 アリスを見るときのシモンの瞳はサシャに似ている。

 壊れやすい大切な物――守るべき対象を見るような、いたわりに満ちた愛情が浮かんでいる。

 一方、クィーンを見るときのニードルの眼差しは、頼もしい仲間に向けられる尊敬と信頼が込められたものだった。


(私が恐れていたのはシモンの自分を見る目が変わること。

 ――つまりはシモンの愛を失うのが怖かったんだ――)


 自覚したとたんアリスは己の浅ましさに吐き気を覚えた。

 グレイ同様、想いに応える気もないのに――


 アリスが深い自己嫌悪に浸っていたとき、下から報告する声がした。


「開きました、アリスさん」


 慌てて蝿型の魂を本体に戻し、アリスはシモンを振り返った――






 ヴェルヌ家の庭に出ると、冷んやりした地下室と違う暖かい空気が肌に感じられた。


「この辺りに稀少な薔薇が植えられていたんだ」


 通り道に敷かれた石畳を辿りながら、シモンが懐かしそうに庭の一角を指し示す。

 しかし、アリスはとても受け答えするような精神状態ではない。

 手を引かれるままに歩きつつ、光を受けて眩しいような芝生の緑に目を細め、内心激しく葛藤していた。


(私がクィーンだと知れば、どんなにシモンは心を痛めることだろう)


 今回の彼の行動を思えば、想像するだけで胸が掻きむしられるようだった。


 今ならよく分かる。

 ローズがカーマインに命令された特別任務の内容を、アリスやシンシアに話さなかった訳が――


(無用に私達を悲しませたくなかったからだ)


 シモンがキールに母の死の真相を告げなかったように、この世界には知らないほうが幸せなことがある。


 先日シンシアが『彼はアリスにとってとても大切な人なのね』と言ったのも、大切な存在だからこそ決して言えないことがある、という意味だったのだ。



 庭が見渡せる位置にある東屋に着くと、そこにはすっかりお茶の用意が整っていた。

 シモンと向かい合って席についたアリスの前に、湯気を上げたティーカップが置かれる。


「さあ、飲んで。精神が落ち着く効果のあるハーブティーだ」


 優しく促すシモンの声を聞きつつ、


(シモンを悲しませるぐらいなら、このまま真実を秘密にしておきたい)


 強く願わずにはいられないアリスだった。

 とりあえず温かいお茶で乾いた喉を潤し、乱れた心を落ち着かせていると、押し黙るアリスの表情に苦悩を読み取ったのか、シモンがふと呟いた。


「……姉もキールのことが好きだった……」


 その言葉にハッとしてアリスはシモンの顔を見る。

 そういえばまだ肝心な誤解を解いていなかった。


「……お姉様が?」


「ああ、四つ歳が離れていたが分かりやすく意識していたからね――早熟なキールが十歳ぐらいで姉の背を追い越した時期からだろうか――キールと目を合わさないようになって、その癖いつも姿を目で追っていた。

 でもキールは幼い頃から僕の母の美貌を賞賛し、あらかさまに好意を示し続けていた。

 皮肉なことに姉の容姿は父親似で、僕が母親の容姿を引き継いでしまった」


 確かにアリスが宝物庫で見た絵の中の母娘はまったく似ていなかった。


「そのせいで周囲から母や僕と見た目を比べられがちで、自然に姉の中に負の感情が育っていったのだろう。

 子供の頃は仲が良かったのに、成長するごとに僕達と距離を取るようになっていった。

 それが年頃になるとますます開き、婚期になると良い縁談が来ないのもあって、すっかり姉は母や僕に心を閉ざすようになっていた。

 そんな時にフーリエ神父が近づき、同情心を誘うために母との経緯を語ったのだろう――そしてそれが報われない新たな恋に発展したらしい。

 残されていた姉の遺書にはフーリエ神父の名こそ無かったが、自分は母と違って愛する人のためなら死ねる、とはっきり書かれていた。

 その言葉の正確な意味を僕が知ったのは、叔父の話を聞いた後だったけどね」


「……」


 つまりシモンの姉は愛する人のために、永遠に口を閉ざす道を選んだのだ。


 さすがにそこまではできないものの、アリスもシモンのためなら現世の姿を捨てても構わないと思った。


(現世の地位が出世の後押しになるとはいえ、結社は基本実力社会。

 確かアニメの記憶によると、No.4は人間としての生活を完全に捨てた状態で四天王まで駆け上がっていたはずだ)


 そうすれば組織の活動に集中できるメリットもある。


 アリスが真剣に考え込んでいると、いつの間にかシモンが椅子から立って横までやって来ていた。

 そうしてアリスの両手を掴んで跪くと、下から顔を見上げてくる。


「アリスさん、キールはああ見えても一途な男で、既に心に決めた相手がいる。僕はあなたには姉のような、報われない恋をして欲しくない。だからアリスさんには僕のことを見て欲しいし、振り向いて貰うためなら何でもしてみせる」


「……シモンさん……」


 いつかのようなひたむきな告白に、アリスはまた心が掴まれるようだった。

 そこで緑色の瞳が切なそうに揺れ、手を握るシモンの指に力がこもる。


「だけど、それでもどうしても、あなたがキールじゃないと駄目だと言うなら――辛いけど僕は、出来る範囲で協力する」


 それは耳を疑うような、思いがけない提案だった。

 シモンはアリスのためなら自分の心を殺し、恋の応援をすると言っているのだ。


(どれほど私の気持ちを優先させるのだろう)


「勿論、そんなことはしたくないし、想像もしたくもない。アリスさんが諦めやすいように、キールの恋の成就を願って止まないけどね」


 ――と、感動で胸が詰まったアリスが、苦笑するシモンの顔を見返し、


(誤解だけでも解かなければ)


 強く思って口を開きかけた時だった――


「なんで、庭にいるんだよ!」


 苛立つような声が響いてきて、視線を向けると、屋敷のほうから歩いてくるキールの姿が見えた。




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