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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
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19、美しい庭では……⑧ シモンの回想

(どうにかしてみせるって?)


 言われた言葉の意味を考え、アリスは緊張した。

 結婚については、一晩同じ部屋で過ごした後ではもうどうにもならない気がする。


(すると、どうにかしてこの部屋を出るってこと……!?)


 そうなると手段として真っ先に思い浮かぶのは魔族の力を使うことだ。

 しかし、キールならともかく、シモンに限ってそんな力技を使うとは思いたくない。

 だが、他に手段があるだろうか?


(通気口から叫ぶとか? でもシモンはこの屋敷には今人が少ないと言っていた。運良く聞き取られる可能性は少ない)


 真剣に悩んでいるうちにアリスの涙は止まっていた。

 しかし、泣きあとを見られたくなくて、すぐにハンカチから顔を上げられない。


 優しい手つきでアリスの背中を撫でながら、おもむろにシモンが切り出す。


「四年前、僕の家に起こった事件をアリスさんは知ってる?」


 脱出とは関係ない話で密かにほっとしつつ、ためらいがちにアリスは答える。


「……はい……」


「誰もが知っているような有名な話だからね――その時ここから盗まれた美術品の中に、母をモデルにした人物画があった。今思えば、その絵が全ての悲劇の元凶だった」


 シモンはそこでいったん言葉を切って確認してきた。


「長い話だけど、聞いてくれる? アリスさん」


 まだ昼下がりで時間的に余裕がある。

 それにソードがしなかった絵の話が非常に気になった。


「……はい……」


 アリスが頷くと、シモンが静かに語り始める。


「――この話は全部、母が亡くなったあと弟である叔父から聞き出したものだ――

 きっかけは母がアリスさんと同じ16歳の頃、ある高名な画家の目に止まったことだった。

 その日、フーリエ子爵家で行われていた次男の婚約発表をかねたガーデン・パーティーに、母は主役の一人として参加していた」


(フーリエ子爵家?)


「……主役ってことは……」


 アリスが呟くと、シモンは長い金色の睫毛を伏せた。


「ああ、母には当時、父以外の恋人がいて、とてもお似合いの美しいカップルだったという。

 二人は幼馴染で長年想い合っていたが、両家の親がなかなか仲を認めてくれず、ようやく迎えることができた念願の日だった。

 その祝いの席で母は絵のモデルを頼まれ、一緒にいた両親は大喜びで快諾した。後日完成したのは、花が咲き乱れる庭で幸福いっぱいに微笑む美しい乙女の絵だった」


 話を聞きながらアリスはハンカチのレースごしに壁にかかった庭の絵を見やる。

 離れているうえにボヤけてよく見えないが、シモンの母はにこりともしていなかったはずだ。


「母の実家のパトリ家は貧しい男爵家で、借り屋暮らしで借金もあり、娘の持参金も出せないような経済状態だった。

 一流の画家の絵は官職が決まったばかりの婚約者にも手が出せない金額で、結局その絵は画商によってある高位聖職者に売られることになった。

 その屋敷を訪れ、母の絵に一目惚れしたのが、先代のヴェルヌ伯爵――僕の祖父だ。

 祖父は芸術を愛し、美しい物を一つでも多く所有したいと願うような人だった。そして非常な資産家だったので、欲しい物を手に入れるためなら金に糸目をつけなかった。

 悪いことに、その時の祖父は絵を買い取るだけでは満足せず、描かれている美しい母も息子の嫁にすることで自分の手元に置こうとしたんだ。困窮している母の実家が金の力に抗えるわけもなく、当然のように恋人達の仲は引き裂かれた」


 恋人が一度もいたことのないアリスにはシモンの母親の心情は推し量れない。

 ただ、絵のなかの遠くを見ているような彼女の表情が、すべてを物語っているように思えた。


「人によっては貧しい娘が資産家の貴族の嫡男に嫁いだ、という幸運な話に聞こえるだろう。しかし、芸術に興味のない父は祖父の浪費と道楽を嫌い、親子仲は極めて険悪で、その関係が夫婦関係にも影響した。

 父と母の夫婦仲はごく冷え切ったもので、愛も尊敬も信頼関係もなかった。実際、父は母をよく金目当ての女と罵ったものだ。だから四年前夜盗が入ったときも、父は母を真っ先に疑った」


 ソードの話では語られなかった経緯だった。


 シモンはそこでアリスの肩を掴むと、真剣な声で訊いてくる。


「ここからは、アリスさんにだけに話す内容になる。特に母を聖女のように崇めていたキールには絶対に知られたくない話なので、決して他言しないと誓って貰ってもいいかな?」


 すでに話に引き込まれていたアリスは即座に頷く。


「約束します」


「ありがとう、アリスさん――とにかく母の人生はとても不幸だった。愛する者とは結ばれず、夫とは不仲で、可愛い子供を二人までも亡くした。

 それでも、僕を置いて自ら命を断ったことがどうしても信じられなかった。加えて以前から気になっていたこともあったので、母の死後、僕は色々調べ回った――というのは、五年前教区の教会に新しい神父が来た時から、あきらかに母の様子がおかしかったんだ――二人の間にはつねに見えない緊張の糸が張っていて、時折フーリエ神父は母をじっと見つめているのに、逆に母はつねに意識して彼を見ないようにしているようだった。

 ――その理由が、叔父の話を聞いてようやく分かった。フーリエという家名を聞いて――フーリエ神父は母の許嫁だった。母との仲を引き裂かれたから聖職者になったのだろう。そして母が自殺したタイミングからいって、間違いなく愛する男性を追っての行動だった」


 驚愕の事実にアリスは息を飲む。

 思わずハンカチ持つ手から力が抜け、膝へと落ちる。


(つまり、ソードが、報復のためにフーリエ神父を殺したから、シモンの母は亡くなった?)


 昨夜ソードがそのことを話さなかったのは、単純に知らなかったからだろう。

 基本的に組織の情報網を使った場合、調査を依頼したこと以外は詳しく調べられない。


「屋敷に入った夜盗の黒幕もフーリエ神父だった。けれど追跡調査した結果、彼は盗品のうち、母の絵だけはオークションに出していなかった。それどころか寝室のベッドからよく見える位置に飾っていたんだ――きっと彼が取り戻したかったのは、絵ではなく母そのものだったのだろう――二人は死ぬまで想い合っていたんだ」


 その話を聞いて、フーリエ神父がお金に執着するようになった理由も分かる気がした。

 衝撃に言葉も出ないアリスの両手を、その時、シモンがぐっと掴んで寄せてくる。


「アリスさん、僕は昨日あなたとアルベール殿下の婚約が今にも決まりそうだという話を聞いたとき、まっさきに母のことを思い浮かべた――母がそうだったように、いくら華やかで物質的に豊かな生活が保障されても、アリスさんが幸せになれるとは到底思えなかった。

 第一に、あなたには母みたいな意に染まぬ結婚をさせたくなかった――にもかかわらず僕は今日、アリスさんの気持ちも考えずこの状況を利用し、そのまま自分との結婚を推し進めようとした。そのことを今は心から反省している。

 そんな卑怯者にノアイユ侯爵があなたを委ねるわけがないし、何より僕はどんな時でもあなたに尊敬して貰える僕でありたい」


 強く言い切るとシモンはアリスの手を離し、決然と立ち上がる。

 そして黄金色の髪と長いジャケットの裾を靡かせ、まっすぐ扉へと向かって歩いて行った。


「そろそろ喉も乾いただろう? すぐに扉を開けてあげるから、理由を聞かないで、背中を向けて目を閉じて貰ってもいいかな? 僕はあなただけは不幸にしたくない」


「シモンさん――?」


 長身の背中を見つめながらアリスは確信した。


(シモンはやはり、魔族の力を使って、扉を開くつもりなんだ)


「だから僕がいいというまで決して目を開かないと約束してくれる? これは、僕の命に関わるぐらい、重要なお願いだと思って欲しい」


 ――命に関わるぐらい重要なこと――

 思い詰めたようなシモンの声から、アリスは瞬間的にそれが単なる言い回しではないことを察知する。


(……それって、もしかしなくても……!?)


 魔族に変化できることを他人に知られた者には二つの選択があると言われているが、実際は三つある。

 ただし、その一つ――自分が死ぬ――という選択肢は、決して選ぶ者がいないから最初から除外されている。


(――シモンは魔族姿を見られた場合、私を結社に入れるぐらいなら、自ら死を選ぶつもりなんだ――!?)


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