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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
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17、美しい庭では……⑥

 ――必死に自分の心を急き立てていたとき――


「どうですか?」


 間近から感想を訊かれ、アリスはあやうく飛び上がりそうになる。

 いつの間にかシモンが顔を寄せ、目の前に愛情がこぼれるような緑色の瞳が迫っていた。


(……うっ……!?)


 見返したアリスは言葉を発するどころか、一瞬呼吸さえも忘れてしまう。

 逃げ場のない眼差しに心臓の鼓動がおかしいほど速くなり、胸が苦しく、軽いめまいをおぼえるほどだった。

 それでもなんとか動揺を堪え、遅れて声を絞り出すも、


「……とても、見事な、薔薇柄ですね……」


 口から出たのは決意とは関係ない言葉。


「ありがとう。昔この屋敷の庭に咲いていた稀少な薔薇をモチーフにしたんだ。祖父が腕のいい庭師を雇っていた頃は、それはそれは美しい庭でね」


 嬉しそうに語るシモンに対し、アリスは己の不甲斐なさに愕然としていた。


(……ここに来てなぜ言えないの……!?)


 これまでずっと他人との衝突や面倒事を嫌い、ろくに自分の意見も言わず、その場しのぎの言い訳や先延ばしばかりしてきたツケだろうか――


(これじゃあ、ソードに偉そうなことを言う資格なんかない)


 落ち込むアリスとは対象的に、シモンは終始舞い上がっている様子だった。

 アリスの手を両手で掴み、しっかりとハンカチを握らせてから誘ってくる。


「そうだ。当時の庭の絵があるので見ませんか?」


「……絵、ですか……?」


 とうとう大事なことを告げられないまま、避けたかった絵の話をシモンのほうから振られてしまった。

 一応キールはただの絵ではなく「シモンの描いた絵」と指定していたものの、ここは迷わず断る場面だろう。

 しかし、自分の体たらくぶりに失望するあまり、アリスは気が変わっていた。


「ええ、ぜひ見たいわ」


 逆に力を込めて頷いてみせる。


(言い出せないなら言い出せざるを得ない状況に、自分を追い込めばいいのかもしれない。

 いっそ、窮地にでも陥れば、シモンに告白する踏ん切りがつくかもしれない)


 ほとんど自棄になっての選択だった――



 


 

 シモンはますます積極さを増し、片手でアリスの手を握ったまま、もう一方の手で肩を抱いてくる。


「心臓の弱かった祖父は遺言を残していて、美術品はすべて僕に譲られた。だから現在、地下の宝物庫の管理も僕がしているんだ」

 

 笑顔で話しながら地下へ続く階段前まで行くと、シモンは壁にかけてあったランタンを手に取り、火をつけてから降り始める。

 宝物庫は暗く長い地下通路を進んだ最奥にあった。

 金属製の重厚な扉を開くと、床を埋め尽くすような美術品と、壁中に飾られた絵画が目に入る。

 密閉された空間の割に意外と中は埃り臭くなかった。

 シモンはアリスの手を引いて部屋の中央まで進むと、壁にかけられた一つの絵と対面するように立ち止まる。 


「この絵だ」


 声に促され、アリスは絵を眺めてみた。

 目に映ったのは、鮮やかな芝生の緑を区切るように石畳が敷かれ、大輪の薔薇を中心に色とりどりの花が競いあうように咲き誇る美しい庭。

 中央には二人の人物――朽ち葉色の髪をした笑顔の少女と、どこか遠くを見るようなシモンとそっくりな黄金色の髪の女性が描かれていた。


「これは母と姉だ。この絵は僕が13歳の時に描いた」


「シモンさんが……?」


 アリスはギクリとしてから、動揺を誤魔化すように言う。


「……素晴らしい絵だわ……」


 非常に繊細な筆使いで、細部まで丁寧に描かれている。


「褒めてくれてありがとう、アリスさん。あなたのこともぜひ描いてみたいな。その美しさを永遠に絵の中にとどめておきたい」


 シモンの気障な台詞にアリスは少々顔を熱くしつつ、遠回りに断る。


「お気持ちは嬉しいけど、サシャの許可を得られないと思うわ……」


 絵のモデルになるにはどちらかの屋敷に通わなくてはいけない。


「何より私なんかをモデルにしてもつまらないと思います」


 呟きながら、アリスは今も絵の中で生き生きと笑う少女をじっと見つめた。


「そんな事はない、アリスさん――僕がなぜ、ここに絵を飾っていると思いますか?」


 アリスは一瞬考えてから答える。


「……大切な絵だから?」


「そう、確かにここには窓がなく、陽の光で絵が傷むことがない――というのは理由の半分で、見るたびにかつてを思い出し、辛くなるからだ」


 いまだにミシェルの墓参りさえできないアリスには、誰よりもその気持ちがよく分かった。


「実際、この四年間、僕はずっと過去ばかり見て後ろ向きだった。失った幸せに心を囚われ続けていた」


 それはアリスも同じだった。

 

「でも、アリスさん、あなたに出会った瞬間から、僕の時は再び動き出した。そうして今では幸せな未来を思い描くようにまでなった。

 だから、もっと自分に自信を持って欲しいな。あなたは僕にとって誰よりも価値のある、特別な人なんだから」


「……シモンさん……」


 切なる思い込めたシモンの告白にアリスが言葉を失ったとき――背後で、ガチャン、と不吉な音がした。

 続けて落下するような金属音が鳴り、


「まさか……!?」


 瞬間的に反応したシモンが金髪を翻し、慌てて部屋の入り口へと駆けてゆく。

 アリスも追うように――取っ手を掴んで鳴らしたり、身体全体を使って押したりして、扉の状態を確認するシモンに近づいていく。

 そして即座に状況を理解しつつも、一応質問する。


「どうしたんですか?」


「どうやら、外から閂が下ろされたようだ。これでは内側から扉を開けることができない」


 説明すると、彼もこんな真似をする人間を他に思いつかなかったらしい。両の拳を激しく扉に打ちつけながら廊下に向かって叫ぶ。


「キール、そこにいるんだろう? 悪い冗談は止して、ここを開けてくれ!」


 しかし、いくら呼びかけても返事はなく、やがてシモンは疲れたように扉にもたれかかった。


「アリスさんすみません。完全に閉じ込められたみたいだ」


「完全に?」


「ええ、さっき言ったようにこの部屋にはいっさい窓がなく、盗みが入らないようかなり分厚い石壁で覆われている。

 さらに悪いことに祖父時代の慣習が今も残っていて、使用人は決してこの地下室には近づかない」


「つまり、ここから出られない?」


「ああ、僕達を閉じ込めた犯人――キールが扉を開けてくれない限りはね」


 そもそも開けるつもりがあるなら閉めないだろう。

 

「……まさか、あいつが、こんな手段に出るとは……。きっと子供時代の経験から思いついたのだろう」


 シモンは深く溜め息をつきながら解説を始めた。


「キールが昔いたずら盛りだった頃、こっそり祖父をつけてこの宝物庫に侵入したことがあるんだ。昔の僕は気が弱く、あいつの言いなり状態だったからね」


 内気で泣き虫だった頃の話は以前聞かされたことがある。


「その時もうまく祖父の視線をかいくぐって宝物庫内に潜入したまでは良かったんだけど、僕達がいるのに気づかれないまま扉を閉められてしまった。

 おかげで僕達は祖父以外近づかないこの地下室に、一晩中閉じ込められてしまったんだ」


「一晩中ですか?」


 緊張した声でオウム返しするアリスにシモンは頷く。


「たぶん、キールは明朝以降、証人役の誰かを引き連れ、この扉を開けに来るだろう。

 一晩一緒に明かしたら事実がどうあれ、未婚の貴族令嬢であるあなたは名誉を守るために僕と結婚するしかないからね」


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