16、美しい庭では……⑤ シモンとの対面
(せっかく見直して、正体も明かそうと思っていたのに……!
大体、二度と帰れない状態って何よっ……!?)
こんなものを送られたのでは、信用する気も失せてしまう。
任務などの理由もなく、組織員以外に結社のカードを送るという規則違反。
加えてこの一方的で横暴な書き方。
クィーンとしてではなく、アリスとしても許しがたいメッセージだった。
着替えを終えたアリスはデュラン家へ探索用の蝿を、マラン伯爵夫人宛に馬車での迎えを頼むメッセージ・カードを飛ばす。
もちろん精神体側を残して屋敷にいるフリをすることも出来たが、同時に二人のアリスが存在しているのを見られるリスクを考えたのだ。
アリバイ工作については、昨日のソードの話を聞いていて思いついたことがある。
(教会の手伝いに行くフリをしよう)
ここ最近はグレイに管理業務を広く任されていたので、第三支部に関するあらゆる情報に精通しつつあった。
だからシスターや神父含め、関係者が全員結社員という教会が、王都に複数存在することも知っていた。
しかも、偶然ではないかもしれないが、都合のいいことに一つはマラン伯爵家の屋敷のある教区だった。
マラン伯爵夫人についてはテレーズの親戚なのもあり、今では娘のように可愛がられているという設定になっている。
だから、急に誘いに来てもなんら不自然じゃない。
以前より器用になっていたアリスは、朝食中にノアイユ夫人やサシャと会話しながら蝿を操作し、キールが自宅にいないことを確認する。
(昨夜はどこかに外泊したようね……)
他の場所を探そうにも、キールの普段の行動半径なんて知らない。
(脅しに屈するようで癪だけど、闇雲に探すよりまっすぐヴェルヌ家へ行こう。
正午までにと指定したということは、私が来たか確認しに来るはず)
そう考えたアリスは、迎えに来た馬車に乗り込むと、行き先を告げる。
「ミラン通りまで行って」
キールとの初任務で痛恨のミスをして以来、アリスは暇な時に蝿を飛ばして王国内を巡り、土地勘を養ってきた。
おかげでヴェルヌ家の屋敷への道のりも把握している。
「ここまででいいわ」
途中から徒歩で向かうべく、適当な場所で馬車を停めて貰い、降りようとすると、
「こちらをどうぞ」
気の利くマラン伯爵夫人がベール付の帽子を差し出してきた。
「ありがとう」
帽子を深くかぶって数十分ほど歩き、いよいよヴェルヌ家の玄関扉前に立つと、アリスは極度の緊張をおぼえる。
ニードルとしては毎日のように顔を会わせているのに、久しぶりのシモンとの対面が怖くてたまらない。
正直言うと来たそばから帰りたかった。
しかし、そうやって逃げていた結果、こうして呼び出されるハメになったのだ。
何より二人の友情の危機については、アリスも非常に責任を感じている。
(昨日の今日でいまいち心の準備はできていないものの……せめて、キールを好きだと嘘をついていたことだけでも、理由を含めてシモンに話さなければ……)
アリスは深呼吸してからドアノッカーを鳴らした。
応対に出てきた使用人が引っ込むと、驚くほどの早さで本人が駆けつけてくる。
「アリスさん、本当にアリスさんなのか……!?」
シモンは黄金色の髪と息を乱し、両目を見張って、興奮した口調で訊いてきた。
大袈裟過ぎるその反応に、アリスはますます怖じ気づき、足がすくんでしまう。
「……突然訪ねてきてごめんなさい……」
我ながら、蚊の鳴くような情けない声だった。
一応震える指でベールを上げてみせる。
「まさか、アリスさんならいつでも大歓迎だ! さあ、中へ入って」
シモンは抑えがたい感情を表現するように”バッ”と手を伸ばし、アリスの両手を掴んで屋敷内に引き入れた。
そして近くに控えていた使用人に庭にお茶の用意をするように指示すると、廊下を移動しながら質問してくる。
「ここまで歩いて来たの?」
「いえ、途中まで馬車で……」
「とにかく来てくれて嬉しいよ。最近、教会で会えなかったから寂しかった。一ヶ月が一年にも感じられたぐらいだ」
「……ごめんなさい……」
「そんな! アリスさんが謝る必要なんてないんだ。僕が勝手にあなたの顔を見ることを生き甲斐にしていただけなんだから」
(生き甲斐……)
「ところでお茶の準備が整うまで、屋敷の中を案内させて貰っていいかな? 色々アリスさんに見せたいものがあるんだ」
シモンはあえてなのか、アリスに時間の都合を尋ねなかった。
「……はい……」
返事をしながら、アリスはキールのメッセージに書かれていた『シモンの絵を見たいと言え』の一文を思い出す。
意味は分からないが、絶対に口に出してはいけない危険なワードだ。
シモンはといえば、サシャに触れるなと言われたことを忘れたように、しっかりとアリスの手を握って廊下を導いていく。
そうして案内されたのは、以前来た時とは違う二階の奥にある部屋。
一応警戒して入る前に中を覗いてみたところ、布類や道具が満載された棚や、衣装を着たトルソーなどが見える。
中央に置かれた広い台には型紙が広げられていたが、絵とは呼べないだろう。
「……裁縫部屋、ですか?」
「ああ、僕の隠れ部屋で、別名『仕立部屋』だ。アリスさんは手芸が好きだって言ってたよね?」
「ええ」
「以前貰ったハンカチは毎日肌身離さず持ち歩いている。この一ヶ月、そのお返しをかねて、色々制作しては送ったんだけど、全て戻ってきた」
「……知らなかったわ……私は何も……」
サシャの仕業だろう。
「分かってるよ。せめてノアイユ夫人経由で手紙を渡そうと思ったけど、それすらも『息子に固く禁止されている』と、叶わなかったからね」
ノアイユ夫人は相当サシャに釘をさされたのだろう。
「さあ、ここの椅子に座って、帽子を脱いで寛いでも大丈夫だよ。
今は父が領地に帰っていて、使用人達の多くも一緒に移動しているから、この屋敷には最低限の人数しかいないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、だから気兼ねなくゆっくりしていって欲しい」
アリスはとりあえず帽子を脱ぐと、いたたまれない気持ちを誤魔化すように、
「本格的な道具ですね」
取ってつけたような質問をする。
「子供の頃から集めていたからね。父に隠れて母が色々買い与えてくれてた……『私の小さな仕立屋さん』、そう僕を呼んで……」
シモンの澄んだ緑色の瞳が、懐かしむように細められる。
だから彼は自分に『仕立屋』という異名をつけたのだ。
椅子を進められても座る気にならず、アリスは室内をうろつき回る。
「遠慮せずに、手に取って見て」
「ええ」
頷いてはみたが、ゆっくり眺めるような気分ではない。
シモンが礼拝を休んでいた理由を始め、園遊会やキールとのことなどの、肝心な話題に触れて来ないのが却って辛かった。
そんな落ち着かないアリスの様子を見て、シモンが気を回してくる。
「実は昨夜からキールが泊まっているんだけど、呼んできたほうがいいかな?
起こさないと、日によっては夕方過ぎまで寝ていることもあるんだ」
(ここにいたのか!)
シモンが思っているのとは別の理由で会いたい気持ちはあれど、
「いえ、起こさなくても大丈夫です……」
とてもそんな事は言えないアリスだった。
「本当に?」
探るような眼差しと声だった。
「僕に気を使わなくてもいいんだよ、アリスさん。
園遊会でキールがアルベール殿下に呼ばれた理由含め、ことの顛末は聞いている。
キールは最初誤魔化そうとしていたけど、僕にあいつの嘘は通用しないからね。
そうじゃなくても、あいつは感情が表に出やすいから……」
だからアリスもアルベールに嘘が見破られそうで、キールに本当のことを言わなかったのだ。
そうでなくても、シモンは他人の気持ちに敏感だ。
(――それなのに――)
思わずアリスの口から疑問の言葉が漏れる。
「……私が、彼を好きだと、シモンさんは信じたんですか?」
問われたシモンは綺麗な顔を曇らせ、目を伏せる。
「まあね、思い当たるふしもあったし……」
「え?」
「マラン伯爵家でのお茶会の時、アリスさんはキールの顔をあきらかに意識して見ないようにしていたから……」
「……!?」
(あれは、人工呼吸されたばかりで、変に意識してしまっただけ……!?)
「それに、キールには僕にはない、人を惹きつける強烈な魅力がある。それは女性にとっては抗いがたいものらしい……」
キールへの劣等感を滲ませるシモンの一言だった。
そんな事はないと全力で否定したいアリスだったが、人工呼吸されたことだけは死んでも言いたくない。
言い換えると「キス」したということだから。
(ああっ……!? でも、その事実を伏せたまま、うまく説明する言葉が思いつかない)
アリスが口ごもって俯くと、
「ごめん、アリスさんを困らせるつもりはなかったんだ」
シモンが慌てたように謝罪してきた。
そして気まずい空気を流すようにわざと明るい声を出し、棚から何かを取り出してみせる。
「それより、これを見てくれる?」
差し出してきたのはハンカチだった。
「アリスさんを思って総レース編みで作ったんだ。この程度ならノアイユ侯爵に見とがめられないと思う」
「……私のために、これを……?」
受け取って眺めつつ、アリスの胸は切なく痛む。
(このままじゃ駄目だ。なんとかシモンの誤解を解かないと)
焦った頭に、
『まずはニードルだけにでも自分がクィーンだと告白したらどう?』
『こういうことは先延ばしにすればするほどよけい言いにくくなるし、真実を知った時の衝撃もでかくなるわ!』
メリーの口から聞いたローズの言葉が響く。
(そうだ、正体を明かしてしまえば、人工呼吸のことを飛ばして事情が話せる)
ショックを与えたくないなんて言い訳は、真実を隠しているせいで却ってシモンを傷つけているのがはっきりした今では通らない。
キールについては今朝のメッセージのおかげで、正体を打ち明けることへの不安が以前より増して戻ってきていたものの――
(ローズが言っていたように、シモンには隠している理由がない。
――さあ、勇気を振り絞って告白するのよ……!)