15、美しい庭では……④
カードを持ち上げて裏を見ると、差出人はブルーだった。
「ソード、話の途中で悪いけど、急ぎの用件かもしれないので一応確認させて」
内容は大体想像できたものの、念のため読んでみる。
『ハニーへ――昨日は投票に協力できなくてごめんね。気まずくて会議中君の席に行けなかったけど、寂しかったよね? 約束のデートも俺の都合でなかなか実現しなくて申し訳ないと思っていたんだ』
(むしろ、ずっと実現しなくていいけど)
メッセージの前半はほぼお詫び文だった。
クィーンは後半に目を通す。
『ところが、そんなつねに時間に追われている俺のために、なんと愛しの君のほうからこちらに来てくれるそうだね。今No.2から君がぜひ第一支部に手伝いに行きたいと希望していると聞いて、嬉しくてさっそく連絡しちゃったよ。
それでやや急なんだけど、結社時間で三日後の終わりの刻、とある重要作戦の打ち合わせ予定なので第一支部に来て欲しいんだ』
(――って、手伝うなんて言ってないし、聞いてない――!?)
思わず衝動的にカードを引き裂いて、テーブルに叩きつける。
そんなクィーンを、ソードが眉をひそめて見る。
「嫌なことでも書いてあったのか?」
(カーマイン様は大幹部選の埋め合わせを私に促すために、勝手にブルーとの約束を取り付けたんだ)
クィーンは深呼吸して、気を落ち着かせてから口を開く。
「……ううん、つまらない連絡事項よ――ところで、さっきの質問についてだけど――」
遅まきながら、クィーンは問題に真剣に向き合ったうえで答える。
「確かに、あなたがしたことは、当然の報復だと思うわ」
「だよな! それなのにNo3はその一件以来、あきらかに俺を目の敵にするようになり、冷遇するようになったんだ。
つまり俺がいまだに大幹部になれていない一番の原因は、トップに恵まれなかったせいだ!」
力説するソードに向かって、クィーンは首を振ってみせる。
「待って、ソード、続きがあるの――それでも私には、グレイ様が下した処分が軽いか重いかを判断することなんてできない。
だって私はこれまで他人に飼い犬と揶揄されるぐらい、上の者の判断や組織の規則に忠実に従ってきた――逆らうどころか疑問すら持たず、そうすることが正しいと盲信してきたんだもの」
「……クィーン……!」
「でもね、第三支部に来てから色々あったおかげで、そんな私もだんだんと考え方が変わってきた。
あなたの影響もあって、たとえ上の者や組織の規則に反してでも、守るべきものがあるんじゃないかって思えるようなった。
ただし、実行する場合は、それなりの覚悟をするつもり。降格させられても、百番順位を下げられても文句など言わないわ」
クィーンはいったん言葉を切ると、ずっと見るのが苦手だったソードの刃物のような目を直視した。
「そうは言っても、それはあくまでも上にお伺いを立てて認められなかった場合の、最終手段としての話よ。
だからソード、あなたも勝手な行動はしないで、まずは私に相談してちょうだい。今のように納得できる理由なら、必ずあなたの力になると約束するから」
クィーンの瞳を見返しながら、考え込むような表情になったソードは、
「……ああ、分かった。約束する」
大きく頷いた勢いで、がくっと前方へ崩れかける。
慌ててクィーンがテーブルに手をつき、身体で支える。
「大丈夫ソード?」
「いや、正直、全然、大丈夫じゃない……最近の俺はどうにもついてなくてな……悪い出来事が重なっている……」
「分かるわ。そういう時ってあるわよね」
同意したクィーンも悪い状況が重なりっぱなしだった。
クィーンの言葉に反応したようにソードが顔を上げる。
「その話も聞いてくれるか、クィーン?」
「勿論よ」
今夜は限界までソードの愚痴につきあう覚悟のクィーンだった。
五杯目の酒を飲み下してから、ソードは語り始める。
「実はクィーンは気がついてないかもしれないが、俺とニードルの仲は一ヶ月ほど前からぎくしゃくしている――それというのも、あいつが生まれて初めて心を奪われた令嬢が、よりにもよってこの俺に惚れてしまったせいだ……」
いきなり自分の話題になってクィーンはどきっとした。
「……そうだったの……?」
(――という事は、園遊会で私に告白されたことを正直に話したのね……)
親友なだけに誤魔化しきれなかったのかもしれない。
「まあ、あいつは表面上は平気なフリをしているからな。でも、長年付き合ってきた俺には分かる。
ニードルはそのことでかなり深く傷ついていると!」
クィーンはゴクリとツバを飲み込む。
「そんなにも?」
「ああ、あいつは必要もないのに、昔から俺に妙な劣等感を抱いているからな。
自分の好きな女の片思い相手が俺だと知って、よけいショックを受けたに違いない!」
(そういうものなのか)
クィーンには理解できないが、グレイが「兄だけには君を奪われたくない」と言っていた心理と通じるものなのかもしれない。
「おまけにその令嬢はニードルが一目惚れするだけあって相当な美少女で、見初めた王太子が勝手に俺を恋のライバル認定している!
俺にはすでにクィーンという、生涯の伴侶と心に決めた相手がいるのにな!」
生涯の伴侶の部分は今はあえて聞き流し、内心クィーンは頭を抱えた。
(やはり私のせいで、二人の友情にヒビが……!
それにしても、思ったより他人のフリをして自分の話を聞くのはきつい……)
クィーンの苦悩をよそにソードは話を続ける。
「この王太子というのが話してみるとなかなかのくせ者でな。
なにせ、腹心の部下の侯爵がその令嬢に執心している事実を知りながら、強引に自分の物にしようとしているんだから。
とにかく、このままニードルがぼやぼやしていると、確実にあの食えない王太子に運命の女をかっさらわれてしまう。
そんなの冗談じゃない!
ニードルの人生を狂わせた俺には、あいつが幸せになるように助ける義務がある。だから、なんとしても恋を成就させてやりたいんだ!」
熱弁をふるうソードの姿がクィーンのなかでローズと重なる。
(いくら親友でもよけいなおせっかいだとは思うけど……、ソードが過剰にニードルの恋を応援する理由は分かった)
「だが、恋の仲立ちをしようにも、件の令嬢は園遊会以来、あきらかに俺達に会うのを避けている。毎週参加していたらしい教会の礼拝も、もう四週も休んでいるんだ。ちなみに一昨日も来なかった」
(……一昨日については順位戦でそれどころじゃなかったのもあるんだけど……)
「一回だけ俺が、直接侯爵家へ行って強引にでも連れ出してくると言ったら、『勝手なことをしたら絶交する』とニードルに宣言されるし……」
(そんなことをされたら、サシャが怒って後で大変な騒ぎになってしまう)
クィーンは止めてくれたニードルに心から感謝した。
「そうこうしている間に、彼女と王太子の婚約が秒読み段階、今日明日にも決まりそうになっているらしい……! さっきまでいた賭場で噂を聞いた」
(……今日明日とは不吉な……)
しかし、そこまでではないとはいえ、引き延ばしが限界に近づいている感はあった。
「いったい、どうしたら……」
――と、途方にくれたように呟いたソードは、そこでふとテーブル上のカードの欠片に目を落とし、そのまま吸い込まれるように額を打ちつけた。
巻き込まれる形でクィーンも前屈みになる。
「ソード?」
「……大丈夫だ……」
と、さっきとは逆の返事をしてテーブルに肘をつき、ソードは目が覚めたような顔で身を起こした。
「なあ、クィーン、メッセージ・カードの予備を持っていたら貰ってもいいか?」
「ええ、いいわ」
クィーンは素早く立って、仕事机の引き出しから一枚取って戻ってくる。
そして特に用途は訊かずに「はい」と手渡しした。
「ありがとう、クィーン。今夜は話を聞いてくれて助かった。
おかげで大事なのは、覚悟することだって気がついたよ」
カードを受け取ったソードはお礼を言い、すくっと立ち上がる。
「帰るの?」
「ああ、今夜はもう飲み過ぎたみたいだ」
そう言いながらも歩き出したソードの足取りは、意外としっかりしたものだった。
まだ酒瓶を全然空けてないのにと拍子抜けしながら、クィーンは去ってゆくソードの長身の背を見送る。
そうして一人になると「ふぅ……」と、重い溜め息をついた。
(……ソードは帰ったし、第三支部に行くべきよね。昨日冷たい態度を取ったことをグレイ様にフォローしなくては……)
そう思えども、肩を抱かれている間ずっと緊張状態だったせいか、解放されたとたん持病の偏頭痛が起こり出していた。
とりあえずソファーに深く腰掛け、痛みが止むのを待っていると、ニードルがNo.8の間へ戻ってきた。
「お帰り、ニードル」
「ただいま戻りました、クィーン」
挨拶すると、ニードルは室内を見回した。
「ソードは帰ったんですか?」
「ええ、飲み過ぎたと言ってね」
「へぇ、酒に強いあいつらしくない言葉だな。ずっと大幹部を目指していたから、落ちたショックで珍しく悪酔いしたのかもしれませんね」
それと同じぐらい親友の恋の行方を心配していたことを、クィーンは口にしなかった。
「そうね」
静かに頷くと立ち上がり、下界への扉へと足を向ける。
「お帰りですか」
「ええ、なんだか、疲れちゃって……」
ここ数日のストレスによる疲労がどっと出たのか、頭痛は治まるどころか酷くなる一方だった。
「今夜の幹部会議は欠席すると、グレイ様に伝えておいてくれる? ……報告書も明日、目を通すわ」
「畏まりました、クィーン」
ニードルに連絡を頼み、侯爵家へ戻ったクィーンは、すぐに変化を解いてベッドに入った。
そうしてズキズキと脈打つ寝つかれない頭で考える。
(やはり、正体含め、もう真実を打ち明けてしまったほうがいいのかもしれない)
そうすればソードの心を軽くするだけではなく、アルベールとの婚約引き延ばしの協力が得られる。
(メロディの覚醒はいつになるか分からないし、今夜のソードは酔っているにもかかわらず話が通じる相手だった。シンシアが言っていたように、私の立場を説明すれば、きっと理解してくれるはず。
――それと、ニードルにも――)
ローズの意見はもっともだったし、何よりこれ以上先延ばしにして、いたずらに彼の傷を深めたくない。
(……差し当たっては今週末、覚悟を決めて教会に行こう……週末までに、心の準備をしとかねば……)
――そう、思っていたのに――
翌朝、アリスが目を覚ますと、枕元に見慣れた結社製のカードが届いていた。
てっきりカーマインかグレイからだと思って、開いて読んでみたところ、
『アリスへ――毎週こっちは教会で待っているというのに、一昨日も来なかったな? さすがの俺もそろそろ我慢の限界だ。
いいか? 俺を本気で怒らせたくなかったら、今日の正午までにヴェルヌ家の屋敷へ来い。
ただし、その際はくれぐれも『自らの意志』で来たフリをするんだ。それから忘れず『シモンさんの描いた絵が見たい』と言え。いいな? もし言いつけを守らなかっ場合、俺はシモンの友情を失う覚悟で強行手段に出る。具体的に言うとお前を侯爵家から浚って、二度と帰れない状態にする。それが嫌なら必ず来い』
――という、脅しとしか思えない内容で、驚くべきことに署名は『キール・デュラン』だった。
「なっ――!?」
(結社のカードを流用するとは、なんて非常識な!)
怒りのあまり一気に目が覚めたアリスは、憤然と起き上がり、出かけるための準備を始めた。
キールに会って、直接文句を言ってやるつもりだった。