2、三つの質問
(……これは、完璧に舐められている)
椅子から立ち上がり損ねたクィーンは、この頭が痛くなる状況にこめかみを押さえた。
自分がカーマインの側近だった頃は、ソードのような発言や態度はまず考えられなかった。
口答えどころか、そばに控えている間は片膝を床につき、顔すら許可なく上げなかったものだ。
しかし正直なところソードの気持ちも理解できなくもない。
アニメや隣国との紛争時に見かけた彼の戦いぶりから察するに、純粋な戦闘力だけなら組織の上から五指に入るだろう。
自分より弱そうな女の配下になったわけだから、つい舐めた態度になってしまうのも仕方がない気がする。
「おいNo.16! No.9……クィーンに、無礼な口を聞くのは止せ!
大体、何が知り合うためにだ?
お前はたった今その口で、これまで馴れ合ったことなんかないって、言ったばかりじゃないか!」
ニードルがソードの胸元に掴みかかり、生成りの絹糸のような髪を振り乱し、声を張り上げて注意した。
「無礼だなんて心外だな。俺は純粋に新しい女ボスが自分好みの年上の女性なのが嬉しくて、個人的に仲良くなりたいだけなんだ」
何気にクィーンを年上認定しながら、悪魔じみた唇を舌で舐め濡らし、ソードがギラついた目を向けてくる。
(気持ち悪いし、生理的に無理)
こみ上げる悪寒と肌が粟立つ感覚に耐えながら、クィーンは椅子からなんとか立ち上がった。
ここは相手にしないで立ち去るのが一番だ。
問題は、この男が簡単にここを通してくれそうにないことである。
「悪いけど、遠慮するわ」
冷たく言い放ち、歩き始めたクィーンの進行方向に、予想通りにソードが立ちふさがる。
「冷たいこと言うなよ。せめて祝杯だけでも一緒にあげようじゃないか。クィーン?」
ソードは気安く肩に触れてこようと、彼女の方へさっと腕を伸ばしてきた。
その動きは変化後の蝿の能力、極めて高い『時間分解能』を持つクィーンの目に、しごくゆっくりと映る。
かわすことなど容易だったが、その前に長身の背中が盾のように現れて彼女を庇った。
二人の間に割って入ったニードルは、ソードの腕を掴んで怒りの声をあげる。
「勝手にこの方の身体に触れようとするな! 身分をわきまえないにも程がある」
「おい、離せよ、No.22。俺の邪魔をするな」
「クィーンに謝罪しろ!」
もみ合い、争い始める二人の姿を見て、クィーンは先が思いやられて憂鬱な気分になる。
これも女教師の授業が荒れるがごとし、自分の不甲斐ないリーダーシップのせいなのだ。
極力ソードには関わり合いたくないとはいえ、今後、共にやっていくことを思えば、関係が険悪になるのは避けたかった。
クィーンはため息をつき、不本意ながらもソードに提案した。
「祝杯はいらないわ。お酒は飲まない主義なの。
ただしその代わり、ソード、あなたのお望み通り、お互いを知り合うために三つだけ質問を許すわ。
それにそれぞれ答えるというのではどう?」
酒臭い母親に育てられた前世の記憶から、クィーンであるアリスは酒が大嫌いだった。
それ以前に、飲酒年齢に達していないのだが……。
「クィーン!」
譲歩したクィーンをニードルが驚いた顔で振り返る。
ソードはいかにも楽しそうに、切れ長の目を細め、歌うような声で言った。
「三つか、まあ、いいだろう。では、お言葉に甘えて、さっそく質問に入らせて貰おう」
「ええ、疲れているので手短に頼むわ」
ソードは折り曲げた人差し指を唇に当て、少し考え込む仕草をしてから、口を開いた。
「そうだな、まずは、No.9――クィーンは、今までどこでどうしていたんだ?
今まで第三支部には、シングルNo.はNo.10とNo.3しかいなかったから、新しくこの支部で昇格したか、よそから移動してきたんだよな?」
なかなかいい質問だとクィーンは思った。
「私は第二支部のNo.2の側近から、去年こちらに移動してきて、先日、大幹部に昇格したの」
「No.2! 凄い、クィーンはそんな上位の方に仕えていたんですね!」
ニードルが感心した声をあげる。
「へー、ということはNo.2に推されて大幹部になったのか――やはり気に入られるためには、特別なご奉仕もしてきたのか?」
「それは二つ目の質問?」
「いいや、勝手に想像させて貰うから、答えなくても結構だ」
ニタニタ笑いを浮かべるソードのいやらしい目つきに、クィーンは寒気を覚える。
とりあえず早く会話を終えたかったので、話の向きを修正する。
「今度はあなた達が答える番よ。先ほどの会話によるとソードがNo.3、ニードルはNo.10のところにいたのよね」
「ああ、数日前、急に移動を言い渡されるまではな。
これまで1年ばかりNo.3に仕えていたが、先刻も言ったように俺は嫌われていたようで、ほぼ無視された状態の、名ばかりの側近だった」
感慨深く語るソードに続けて、ニードルが発言した。
「僕は異能を得てからは、今までずっとNo.10の下で、医療行為のお手伝いをしていました」
隣で聞いていたソードが大きな身体を揺すって思い出したように吹き出す。
「そうそう、No.22は、この前の隣国との紛争時も、戦闘しないで、ずーっと負傷者の怪我を縫ってたんだよな!」
「おい、馬鹿にした言い方は止せ。人の首をはねるよりも、ずっと大切な役割だ」
私生活でも友人同士のせいか、ニードルとソードの間の空気は馴れ合ったものだった。
「だって聞いてくれよクィーン! こいつは、異能を得てから、No.10の助手として人の身体を縫う針仕事しかしてこなかったんだ。
それだけで数年間で22番位まで上り詰めたって言うんだから、ある意味尊敬に値するよな!」
「針だけじゃなく鋏も使っていたさ。皮膚なんかを切るのに……。
クィーン、もしもあなたが怪我した時は、僕が傷痕が残らないように綺麗に縫って差しあげますので、ご安心下さい」
ニードルの柔らかい笑顔につられ、クィーンの口元がわずかに緩む。
「……じゃあ、その時はお願いするわね」
そこで刃物のようなソードの鉛色の瞳が、観察するようにじっとクィーンを凝視する。
「次の質問だが、クィーン、あんたの年齢って、30歳ぐらいか?」
「……なっ!?」
ニードルが呆れて絶句した。
「……」
「ちなみに俺は21歳で、そこのNo.22は20歳だ。
自慢じゃないが、これでも俺は女の年を当てるのが大得意でね。
大体の年齢なら間違わずに言い当てることができるし、これまで滅多に外したことがない。
どうだ? いいところをついているだろう?」
いいところをついているどころか、見事に前世と今世を足した年数を言い当てている。
「なんて失礼な質問をするんだ! 女性に年齢を訊くだなんて」
ニードルが憤然と叫んだ。
「いいのよ。ニードル。実際、当たっているし」
どうせアリス姿では接する予定がないので、否定する必要もない。
16歳の小娘として認知されるよりは、立場だけではなく年齢的にも目上の者として接して貰ったほうが良さそうなので、肯定しておくことにした。
「驚きました! 見た目がとても若いから、そんなに年上だなんて思いませんでした!」
意外そうなニードルに対し、訳知り顔でソードが語る。
「女の見た目ほど当てにならないものはないからな。俺のひいきにしている高級娼婦なんて、40近くなのにいまだに25歳で通している」
それは通すのが無理なんじゃなかろうかと思うと同時に、この男のごひいきが倍に近い年齢の女ということを知ってクィーンは微妙な気持ちになった。
「さて」と、改まった態度でソードが、再びクィーンに真剣な目を向ける。
「それじゃあ、最後に一番重要な質問をすることにしよう!
クィーン、我ながら実力は充分だと思うんだが、いまだに俺はNo.16に甘んじている身だ。
どうしたら、俺はもっと上に、具体的にいうと、大幹部になることができると思う?」
この質問については現在、大幹部であるクィーンには、自信を持って答えることができた。
「幹部の昇格は大幹部会議で決定されるから、自分の直属にあたる大幹部にいかに気に入られ認められるかということが最重要ね」
「要するに、俺がいまだにNo.16なのは、頭のNo.3に嫌われていたせいか……。
それでクィーン、今の俺の直属の大幹部であるあんたに好かれて認められるにはどうしたらいいんだ?」
クィーンは待っていましたとばかりにその質問に答える。
「そうね、ソード、とりあえず私は無駄なおしゃべりをする男が一番嫌いよ。
少しでも私に気に入られたいなら、以降、言葉使いと態度に気をつけ、無駄口や下らない質問は控えることね。
それさえ守ってくれたなら、働きに応じて、必ず出世の後押しをすると約束するわ」
ソードはここまでのやり取りで、真摯に自分と向き合ったクィーンをそれなりに認めたのか、えらく素直に頷いた。
「分かったクィーン、肝に銘じておくよ」
ようやく三人の間に流れだした和やかな空気に、クィーンははっと閃いた。
(そうだ、この二人にやらせればいいんだ――)
「ねえ、ソードにニードル、さっそくの指示で悪いんだけど、二人の合鍵をずっと開放状態にしておくから、暇なときでいいからこの部屋の模様替えをしておいてくれない?」
『No.9の鍵』にはクィーンが持つ本鍵と側近が持つ合鍵があり、本鍵を持つ者は合鍵を自由に操作することができる。
基本的に用事のないときは使用不可にしておき、開放状態にすることで、相手に呼び出しを伝えることができた。
「部屋の模様替えですか?」
「ええ、ニードル、家具選びや配置などはあなたのセンスに任せるわ。
ソードはまずはこの骨家具を全部粉々にするなりして片付けて、その後は、ニードルを手伝ってあげて」
「ふーん。部屋の改装か、面白そうだな。了解した」
「初仕事って訳ですね。分かりました」
「ばっちり、気のきいた部屋にしておくよ」
「期待しておくわね。では、私は今日はもう帰って、明日また来るとするわ」
クィーンはそう言うやいなや、足早に外界への扉へと向かった。
ようやく侯爵家の自室に戻ると、素早くアリス姿に戻って部屋の鍵を開け、寝巻きに着替えて一息つく。
(はーっ、疲れた。異様に疲れる長い一日だったわ。今日はもう限界)
ベッドの上につっぷすと、とたんに激しい睡魔が襲ってくる。
とりあえず、部屋の模様替えの悩みから解放されただけでも、今日は良しとしよう。
(明日はカミュ様への挨拶と第三支部に顔を出しに行かないと……)
眠りに落ちる前、まどろみながら考えた――
翌朝、アリスは侍女のポレットが部屋のカーテンを開く気配で目覚めた。
いつもなら自分の手でカーテンを開けるのに、今朝は少しばかり寝すぎてしまったらしい。
修道院生活のおかげで規則正しい生活習慣が身についているアリスは、毎日朝の早い時間から活動を始めていた。
「おはよう、アリス、今日もいい天気ね」
「おはようございます、ノアイユ夫人」
同じく早起きなノアイユ夫人は、アリスが朝食室に入った時には、すでに食後のお茶を飲んでいる段階だった。
挨拶して席についたところで、ちょうど侯爵家の当主である出勤前のサシャが軍服姿で現れた。
「おはよう、母さん、アリス」
「おはよう、サシャ。今朝は早いのね」
ノアイユ夫人がおっとりした笑顔で挨拶する。
一方、昨日の今日でサシャにたいして思うところがあるアリスは、いつもなら微笑をもって挨拶するところを、今朝は無表情に顔も見ずにボソッとした声で、
「おはよう、サシャ」
と呟いただけだった。
ゆうべの夜会後のやり取りで、いかにこれまで自分が無駄な努力をしていたか思い知ったからだ。
どうせサシャの機嫌を取ろうが従順に振舞おうが、修道院に帰して貰える見込みなどないのだから。
すっかりやる気を無くしたいつもとは違う無愛想なアリスの反応に、サシャはやや目を見張り、着席後も彼女のほうばかりみていた。
「今日は天気も良いし公園を散歩したいわ。アリス、付き合ってくれる?」
侯爵家に戻ってからはずっと夫人の付き添い役はアリスのつとめだ。
「分かりました。ノアイユ夫人」
夫人にたいしては微笑で返す。
「アリス、きちんと日傘をさして出かけるように。君の白い肌が焼けたら大変だからね」
ところが、次にサシャに話しかけられたアリスは、再び目もくれず、素っ気なく答えた。
「……ええ、そうね……」
「……!?」
いよいよ彼女の冷淡な態度に気がついたらしい、サシャの声が焦りを帯びる。
「アリス、話す時は、なるべく相手の顔を見るものだ」
「……」
また小言が始まったのかと、アリスは忌々しく思って顔を上げ、冷たい眼差しでサシャを睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「これでいい? サシャ」
別に態度が悪いと怒るなら怒ればいい。
投げやりな気持ちでそう思ったアリスだったが、瞳に映ったのは意外な光景。
怒るどころか、テーブルの向こう側に座るサシャはショックを受けたようにサファイア色の瞳を見張り、美しい顔を蒼ざめさせ、こわばった表情を浮かべていた――




