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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第一章、『物語の始まり』
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プロローグ、物語の始まり

ちょっと設定があれなので、あまり突っ込みを入れずに読んで頂けると幸いです。

 さても悲しい物語の始まりである。

 あるところに生まれた時から恵まれない、運に見放された一人の憐れな少女がいた。

 安アパートのゴミ部屋で育ち、場末のスナックで働く男好きの母親のサンドバックとして育つ。


 そんな彼女にもささやかな楽しみが二つばかり。

 絵を描くことと、母親が働きに出ている夜の時間帯にTVアニメを観ることだ。


 絵といっても何一つ遊び道具を持たない幼い彼女にはクレヨンすらない。

 身の周りにある紙類も請求書やハンバーガーの包み紙ぐらい。

 ゆえに地面を棒でひっかいたり、軽石を見つけては道路にこすりつけたり。


 そんな彼女も小学生になり、ノートと鉛筆を手に入れたときは、生きてきたなかで一番幸せを感じた。


 ところが学校という集団生活の場は少女にはとって過酷で残酷な世界。

 彼らは自分達の列から外れているものを決して見逃しはしない。

 ゴミ部屋暮らしでロクに風呂にも入らず、毎日同じ服を着ている彼女は、格好のいじめの対象となった


 家では母に学校では級友達に、絶え間なく身体的および精神的な暴力を加えられる日々。

 少女は母親にも級友にも滅多に名前を呼ばれることは無かった。

 家では「あんた」「おい」、学校では「蛆虫」「菌」。


 それでも少女はひたすら感情を凍らせ、ただ無表情に毎日をやり過ごす。

 なぜなら彼女の人生は生まれた時からそんなもの――苦痛に満ちたものだったのだから。


 安らぎは母親が夜の勤めに出たあとのアパートに訪れる。

 自分を傷つける外敵がいなくなり、自由にテレビを観られる至福の時間だ。


 中でも深夜アニメ『燃える髪のメロディ』は少女の一番のお気に入り。

 それは夢だけではなく厳しさや毒もある世界。

 天真爛漫でお転婆な公爵令嬢メロディが、少女の憧れをつめたような華やかな社交界で、これまた乙女の理想のような王子や貴公子達と出会う。


 愛らしい容姿とまっすぐな性格から、メロディは誰からも好かれ、毎日幸せに暮らしていた。

 ところがある日、突如、過酷な運命の歯車が回り出す――

 公爵である父が王の暗殺未遂で捕まった挙句、独房で自死したのだ。

 さらに母も後を追うように服毒死。

 親戚にとって厄介者となった一人娘のメロディは、国を挟んだ異国の修道院へと送られてしまう。

 だが父の無実を信じる彼女は、証明するためにそこから脱走。

 旅の一座に加わり、一路祖国を目指す。

 そうしてメロディは、悪の組織と戦いながら、めくるめく冒険の旅の末、愛する王子と結ばれるのだ。

 ヒロインの不運な境遇に自らを重ねつつ、少女は荒唐無稽ともいえる物語の世界に没入した――


 そんなある日、悲劇が起こる。

 大事なノートが学校にいる間に誰かに破かれ、表紙に『蛆虫、死ね』と落書きされたのだ。

 新しいノート代を貰うためにそのことを伝えると、母親はにキレてランドセルの中身をぶちまける。

 それからノートを手に取って大爆笑した。


「蛆虫なんてうまい表現じゃない。陰気でみじめなあんたにお似合いよ」


 母親の嘲笑に少女は疑問を覚えた。

 蛆虫は好きで蛆虫に生まれたわけでは無いのに、なぜ人にさげすまれ、忌み嫌われるのか? と。


 以来、母親も彼女を『蛆虫』と呼ぶようになった。


 やがて少女も中学生になり、幼い頃より日々の暴力や陰口は増していたものの、制服のおかげで服の悩みは無くなった。


 一方、母親は自分の恋人が年頃になった娘を見る目つきが気に食わない。

 事あるごとに八つ当たりして少女を痛めつけた。


 そしてついに運命の夜、出勤した母親と入れ違いでその恋人がアパートを訪れる。

 帰宅したてでまだ制服姿だった少女は、夜の憩いの時間を邪魔されたくなくて、一刻も早く男が帰ることを願う。


 ところがいつだって運命は少女に対して残酷だった。

 たった一着しかない大切な制服が男の手によって引き裂かれたとき、少女は怒りより悲しみで愛用のカッターを持ち出した。

 そうして逆上した男と揉み合ううちに、全開にしたカッターの刃が少女の首に食い込む。

 吹き出す血はとめどなく――急速に遠ざかっていく意識のなか――少女は自分の死を悟る。


 生まれてこのかた泣くことをほとんど知らない可愛げの無い少女であったが、一生を終えるその時だけは違った。

 ゴミ部屋に埋もれるように死んでゆきながら、自分が蝿にすらなれない蛆虫のままであったことを悲しく想い、最期に涙をこぼしたのだ。





 次に気がつくと少女は西洋風の異世界の貴族令嬢に生まれ変わっていた。

 優しい両親の元で送る、物質的にも精神的にも豊かで恵まれた日々。


 しかし前世の記憶を持っていた彼女の瞳は、楽しい時でもつねに陰りを帯びる。


 幸福な生活の終わりは7歳の時。

 近衛騎士である父の殉職の知らせが家族の元へと届いたのだ。


 最愛の夫を失った妊婦の母はショックと悲しみで早産ののち産褥死。

 生まれたばかりの小さすぎる妹は、身体が弱く熱ばかりだした。

 そんな虚弱な妹に少女は母親代わりの愛情を注ぐ。


 親戚の侯爵家に姉妹で引き取られたあとも、毎日つきっきりで献身的に世話を焼いた。

 二歳になった妹がいつにも増して酷い高熱を出した時も、少女は懸命に看病し、神様にも祈った。


 自分の生命を代わりに差し出してもいいので、どうか妹だけは助けて下さいと――


 ところが、願いは聞き届けられない。

 幼い妹の呼吸が止まった瞬間、少女の心はかつてない程の悲鳴を上げ、引き裂かれたのだ。


 全ての幸せが粉々に砕け、無慈悲な神と自身の無力さを呪った。


 幸福と愛を知ったからこその、それらを失う辛さときたら、何もなかった前世の頃の比ではない。


 母は最愛の父のもとへ行きたがっていた。

 けれど幼い妹は別だ。

 最期まで泣きながら姉である自分の名を呼び続けていた。


 深くえぐれた心の傷から流れ出る血は止まらず、絶えず彼女を苛み続ける。


 こんなに苦しいのならば、いっそ何も持たぬ蛆虫のままのほうが良かった思えるほどに。

 温かい小さな手、まっすぐ向けられる愛情。

 あの子を取り戻したい。

 ただそれだけを望み続けた。


 方法ならある。


 彼女は知っていた。

 ただし救いは太陽の下にあるものでは無い。

 深き、暗き闇の底にあるのだ。


 生まれつき前世の記憶がある彼女は気づいていた。

 自分の名前含め、この世界の多くの名称が、かつて夢中で観た『燃える髪のメロディ』と一致していることを。

 さらに隣家に住むメロディという公爵令嬢が、アニメのヒロインそのものであることを――


 やはり彼女は生まれ変わってもついていない。

 アリス・レニエ――自分の名前は魔王を信奉する悪の秘密結社『黄昏の門番』の戦闘員。悪役の女ボスという裏の顔を持つ貴族令嬢のもの。

 アニメでの自分の役目ときたら、ヒロイン&ヒーローのやられ役なのだ。


 本来のアニメ設定ではアリスは11歳の時に、フランシス王国にいる悪の組織のNo.3に勧誘され、組織に入信していた。

 だが、彼女は悠長にその日まで待つつもりなどない。


 アリスはアニメの視聴記憶から、誰が悪の組織のメンバーであるか、どこに行けば会えるかを知っていた。


 ゆえに世話になっている侯爵夫人が聖地へ巡礼に行く際、我儘を言って同行しのだ。

 

 幸いなことに信心深い侯爵夫人は教会に高額な寄付をしており、高位聖職者の集まりに呼ばれる機会があった。


 アリスは無礼を承知で、一人の聖職者の上衣の裾を掴み、見上げて幼い瞳で訴えかけた。

 彼こそは表向きはクリスタ聖教の若き枢機卿であり、裏では魔王を崇拝する組織のNo.2の人物だった。


 入信するために必要な合言葉は知っている。


 彼は深く屈みこみ「何か言いたいことがあるのかい?」と優しく問いかけた。

 アリスは顔を寄せ、ゆっくりと耳打ちする。


「いつの世も神が居た試しはなし」


 ああ、全くその通りだ! と思いながら。



 その晩、闇の中より現れ、アリスの枕元へ立つ影があった。


「組織のために励むなら、お前の愛する者は復活するであろう」


 愛する妹を取り戻すため、悪魔に魂を売り渡す覚悟はできている。

 アリスは、迷わずその場で魔王への忠誠を誓った。


 数ヶ月後、アリスは組織の息のかかった修道院に入る。

 そしてそこで様々な訓練や教えを受けながら、組織員として活動する数年間を送った。


 結社で上から百番以内の順位を得られれば、魔王より異名に合わせた異能と肉体――魔族に変化(へんげ)する能力が授けられる。

 その際の、異名は魔王より賜るか、自分でつけるかを選択できる。


 人間界と魔界の(はざま)の異空間にある『黄昏の門番』のアジト黄昏城の拝謁の間。

 巨大な黒い渦の形をした「魔王の意思」の前に立ったアリスが選んだのは、後者だった。


 アニメの世界では、アリスが名乗っていた異名は『蝶の女王』で、呼び名はクィーン。

 異能は飛行と燐粉による目くらましと、テンプテーション――魅了スキルだった。

 彼女のくちづけで甘い蜜を飲まされた男は、全て彼女の奴隷になり下がる。


 しかし前世の記憶があるアリスにとって男性は激しい嫌悪対象。

 くちづけによる魅了スキルなんて虫唾が走る。


 彼女は空中に浮かぶ真っ暗で巨大な渦に向かって話しかけた。


「私の決めた異名に相応しき力と姿をお与え下さい」


「宜しい、では、名乗るがいい」


 アリスは決然と告げた。


「私の名前は、『蝿の女王』」


 (よわい)13の夏だった――



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― 新着の感想 ―
[良い点] いきなりハードで残酷ですね! ワクワクです! 続きを楽しみに読みたいと思います!
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