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「あなたの方が宿題が終わっていないって意外ね。勉強ができるイメージだったけど」
三人はグラウンドの周りを図書館へと歩く。女子高生二人は奢ってもらったアイスクリームをなめている。
「失礼ね」
「色々とあったんです。……セイラさんは宿題をきちんとやる方でしたか」
「そうね…」学生時代を懐かしむように空を見上げる。
「高校生の頃から強化選手にしてもらっていたから、夏休みとか長い休みの時は、基本的に合宿と試合の日々だったわ」
セイラは、全日本選手権六連続準優勝の実績を持つ元アマレス選手だ。
「でも、全日本の監督は勉強にもうるさい人で、必ず勉強をやる時間を取ってくれてたわ。というか、やらされてた」
懐かしそうな顔をする。
「合宿の合間に勉強って大変ですね」
「大変だけど、皆で一緒に勉強できて楽しかったわ。それに、あの時、勉強をさぼらなかったおかげで、警察に入ることもできたし。感謝してる」
「もともと警察志望だったの」
「就職氷河期だったから、就職先があっただけラッキーだったのよ。安定の公務員だし、競技を続けることに関しても協力的だったし」
「でも、刑事ってほとんど休みなく働いているんじゃないんですか」
「昔はともかく今はそんなことはないわ。きちんと休暇を消費しないと上がうるさいみたいだし。むしろ刑事は土日休みだし、交番勤務より良いぐらいだわ。もちろん、重大事件が発生したらそんなこと言ってられないけど」
「夏休みもあったんですか?」
「課内で順番に取ってるから私はまだ。九月になってからね」
「なにするの?海外旅行?」
「強化練習会があるから、その手伝いね」
「ぜんぜん休みじゃないじゃない!」
ナナの突っ込みにセイラは自虐気味に、でも嬉しそうに笑う。
「身体的には全然休まらないわね。でも、私が選手だった頃は先輩達がそうやって練習に来てくれていたから、今度は私の番ってことね」
「体育会系の考え方は分からないわ」
「連綿と受け継がれていく、素晴らしい絆じゃないか」
ナナは呆れるが、ルリは感動する。
図書館の前に着いた。四階建てのコンクリート製。築三十年ぐらいか。公民館や別の施設も同じ建物内にあるが、入り口は独立している。
入り口には黄色いロープが貼られており、制服警官が一人立っている。
「お疲れ様です。この子達は捜査に協力してくれるそうです」
警官は無言で頷く。ロープをくぐって入り口をくぐる。照明が落とされているため薄暗い。正面には受付カウンターがあり、その右に階段、左にエレベーターがある。左側は子供向けスペースらしく、背の低い書棚が並び、靴を脱いで上がるスペースがある。右側は壁際に新聞や雑誌が納められた書架が並び、真ん中にイスが置かれている。奥には飲料の自動販売機がある。
夏休みの最終日、本来であれば賑わっているのだろうが、人の姿はなく、閑散としている。セイラは素通りして階段へと向かう。ここも電気が消されていて薄暗い。壁には図書館でのマナーをうながすポスターが貼られている。
「事件はいつ起こったの?」
「二日前」
「近所に住んでいるのに、ぜんぜん知らなかったわ。ニュースでもやってなかったと思うけど。殺人なんでしょう?」
「日本では年間千二百件ぐらい殺人事件が起こっている。その全てが重大事件として報じられているわけじゃないわ。この事件も、新聞の地方欄には載っていたわよ」
「もう、ここでの捜査は終わっているみたいですけど、セイラさんは公園でなにをしていたんですか」
「犯人は現場に戻ってくるって聞いたことがない?怪しい人物が現れないか、少し離れたところから観察していたの」
「目星はついているの?」
「それは秘密情報よ」
「ケチ。って、四階まで上がるなら、エレベーターを使いなさいよ!」
「ああ、ごめん。ついくせで」
四階のフロアは四角く、その真ん中辺りに階段とエレベーターのスペースがある。背の高い本棚が並び、壁際に沿って、机とイスが並んでいる。収められている本は、歴史、社会学、経済、ビジネス、教育、法律、医療等の専門書、他には郷土史や官庁が発行した書籍などだ。
セイラは本棚の間を横切っていく。窓際に置かれたベンチの一つ、その周りにだけ黄色いテープが張られている。
「ここには入っちゃ駄目よ。なにも触らないで。二日前…、二十九日の午後六時半、職員がこのベンチに座っている男に声をかけたところ、死んでいるのが発覚したわ。男は肥後義友、五十九歳。発見される二時間前からここに座っていることが目撃されているけど、居眠りしているんだと思われていたみたい。死因は、首を紐のようなもので絞められた絞殺」
「紐のようなもの……ね」
辺りを見回すが、それらしきものは見当たらない。
「凶器は見つかっていないわ。別の場所で殺されて、このベンチに座らされたみたいだけど、その様子を見ていた人は居ないし、争っているところを見た人も聞いた人もいない」
「なんで別の場所で殺されたって分かるの」
「首に付いた跡から、後ろから絞めたことが分かっている。壁を背にして座っている人を、後ろから絞め殺すのは無理でしょ」
「検視したなら、正確な死亡時刻は分かってるんじゃないんですか?」
「天井にクーラーがあるでしょ。このベンチって、あそこから吹き出した風が直撃するのよ。二日前は暑かったから強風にしていて、死体はその風をもろに受けていたから、正確な時間は分からないって。目撃情報通り、二時間ぐらい前としか分からないらしいわ」
「監視カメラは?」
「残念ながら入り口とエレベーターにしか着いていないわ」
「階段を使えば、四階に来たかどうかは分からないってことね。入り口にあるなら入館した人は分かるだろうけど、夏休みだし、多かったんじゃない」
「死亡推定時間に出入りしていた人数は約五百人」
「大変ね。あそこにあるドアはなに?」
「隣の公民館との連絡通路よ。普段はカギがかかっている。鍵を持っている人のアリバイは確認しているけど、スペアの管理は厳重じゃなかったらしいの」
「つまり、コピーを作られていた可能性もあると。図書館の出入り口を使用しなかった可能性もあるってことね」
「しかも、公民館には裏口があって、そこにはカメラがついていない」
「ダメじゃない」
「ダメダメ」
セイラは両手を挙げながら肩をすくめる。
「そもそも、その人は何をしに、平日の昼間に図書館に来ていたんですか?」
「あら、言ってなかった?小学校の校長先生なの。土橋小学校の。巡視をしていたらしいわ。夏休み中、何回もこの図書館に来ているらしいわ」
「なんでそんな重大な情報を最初に話さないのよ。だったら決まりね。夏休みを終わるのを憂う小学生が、夏休みが続くことを願って校長先生を殺したのよ。生徒なら怪しまれずに近づくことができるし、大勢出入りしているから特定も難しいわ」
「ちなみに校長先生の身長は何センチなんですか?」
「百六十八センチ。中肉中背。いたって健康」
「だとしたら、小学生が背後から首を絞めるのは難しいですね」
「じゃあ、夏休みが続くことを望む先生」
「校長先生が死んだら夏休みが続くなんて考える先生はいないだろ」
「分かってるわよそれぐらい。色々と容疑者を考えているだけでしょ。いじめられて、恨みを持っている先生がいたのかもしれないわ。モンスターペアレンツに狙われていたのかもしれない」
「その可能性も考えて、聞き込みをしているけど、今のところ有用な情報は上がってきてないわ」
「もしかしたら、校長先生という職業に縛られているのかもしれない」
ルリのつぶやきにナナは指を鳴らす。
「それね。事件は女と金の動きを追えばいいのよ。愛人とかはいなかったの?」
「愛人も含めて、女の話は上がってきていないわね。ただ、奥さんが、来年からずっと夏休みが続くかと思うとぞっとする、と近所の人に話していたらしいわ」
「来年定年だから?それは悲しいお話ね」
「殺意を持つほどぞっとしていたかどうかはともかく、アリバイがあるから、容疑者からは外れている」
「他には」
訊いて、ナナはゆっくりと歩き始めた。ルリとセイラはそれに続く。セイラはバッグから手帳を取り出した。
「次はお金?借金はないわ。家のローンも終わってる。連帯保証人になってトラブルになっているって話も入ってない」
ポニーテールが導いているかのように、三人は背の高い本棚の間をゆっくりと歩いていく。
「お金じゃないけど、一つ問題があったとすれば、ある高校野球の選手の後援会での話ね。土橋小学校の出身で将来有望な選手がいて、プロも早くから目をつけているってことで、高校生なのにもう後援会ができていたの。被害者は来年、学校を辞めた後は、後援会長になろうと考えていたらしいわ」
「だからそういう大事なことは早く言って!つまり、後援会長の座を巡る闘いがあったってことね」
「そうじゃないの。なんといっても小学校の校長先生だし、交代はスムーズに行われる予定だった」
「じゃあ、なにが問題なのよ」
「あの、もしかして…。その選手って、下平先輩のことですか?」
ルリがおずおずと尋ねる。
下平悠治は二人の通う籠目高校の三年生であり、野球部のエース、だった。
甲子園での活躍も期待される選手だったが、地区大会準決勝で敗れた次の日、補欠のキャッチャーに殺害されてしまった。二人とセイラが出会うきっかけになった事件である。
「当たり。話によると、ほぼ決定していた後援会長の座が選手ごと消えてしまって、かなり荒れていたらしいわ。なんで殺されるようなことになったのか、周囲にいた大人たちがきちんと指導をしなかったからだって。後援会ではもちろん、籠目高校野球部の保護者会や、PTAにも怒鳴り込んで行ったらしいわ」
「モンスターティーチャー……、校長先生って英語でなんて言うんだっけ?それとも後援会長のほうが良いかな」
「単純に『老害』で良いんじゃないか」
「それでもいいわ。ともかく、怒鳴り込まれてあらぬ疑いで罵詈雑言を浴びせられ、憤怒の情に駆られた人が、校長が図書館を巡視しているとの話を聞きつけて、ここで待ち伏せ、犯行に及んだのね!」
立ち止まったナナは振り返り、拳を作って力説する。
「その時間に出入りしていた大人の中で、後援会関係者、もしくは籠目高校の野球関係者を調べればいいの!」
「でもそれは…」
反論しようとするルリを、ナナは封じる。
「そう、でもそんな、セイラさんのヒントから考えられることは、当然警察がすでに調べているわ」
「ご名答」
セイラは苦笑しながら頷く。
「でも有力な証言は得られていない。じゃあ他に何かがあるのよ。それはなに?カッチン!」
「えっ。私か?」
突然指名されて少々慌てたが、ルリはセイラの方を見ながら話す。
「一つ気になっていたことがあるんです。校長先生は、なんで四階まで巡視していたんだろうって。この階は専門書や学術書ばっかりだから、小学生は来ないと思うんです」
「鬼ごっこをして走り回ったり、携帯ゲームをしたりしている子がいるんじゃないの」
「犯人はたぶん小学生じゃないんだ」
「なるほど。そっちから考えるのね。……子供は来ないフロア。小説なんかに比べたら、大人もあまり来ないわよね。つまり人気のないフロア。立ち並ぶ本棚。校長先生が、いや、先生が見回る理由………」
ナナの誘導に従って、三者三様に思いをめぐらせる。
そして、ナナは「分かった」と叫び、ルリはー「あー」と言いながら思いつき、セイラは「なるほど」と続いた。
「セイラさん、今、分かったふりをしたでしょう」
ナナは目ざとく、勝ち誇った笑みを浮かべながら突っ込む。
セイラは「あはははは」と笑いながらルリに回答を促す。
「多分、なんかこう、ふしだらなことをしている人を探していたんです。小学生が見たら教育上良くないですし。だから校長先生はそういうことをしている人がいないか、見回っていたんだと思います」
「そして二日前、まさにいちゃついているバカップルを発見した。いつもどおりに注意をした。でもいつもと違ったのは、邪魔をされたのに怒ったバカップルが、襲い掛かってきたってことよ」
「そういえば、四階で何度もそんなことをして注意されているカップルがいるって話があったわ。あの日も来ていたはずよ」
セイラは興奮しながら手帳をめくって確認する。
「決まりね」
「でも、そうだとすると、注意されて、かっとなって殺したことになるわ。計画的な犯行じゃない。凶器のヒモはなんなのかしら」
「高校生ぐらいなら皆が持っている紐のようなものがあるわ。カッチンも持っているでしょう」
ナナに言われて、不思議そうな顔をしながらカバンを覗き込んだルリは、すぐにそれを発見して、取り出して見せた。
「イヤホンのコード!でもそれじゃ、首を絞めている間に切れるわよ」
「だから、絞殺できるぐらい丈夫なコードのついたヘッドホン。それを、バカップルのどちらかが持っているはずよ」
高らかにファイナルジャッジが下された。