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2話

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3話

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「んんっ」と悩ましげな声が、ぷっくりと膨らんだ桃色の唇からこぼれる。

 大きく広げられた白く美しい両の脚が、更に角度を増していく。それに合わせて、切なげな声が大きくなる。

 阿久津瑠璃は友人、枇々野那奈の息遣いに顔を険しくする。

 一緒に過ごす時間は長いが、四六時中ではない。もちろん友人の姿を全てを見ているわけではないし、自分の姿を全て見せているわけでもない。

 友人の今の姿は見たいものではないし、その声は聞きたいものではない。

 しかもそれが繰り広げられているのは、すぐ隣のことである。ちょっと手を伸ばせばすぐに手が届く。

「はぁ」 その吐息を感じることもできる。

 ここはナナの自宅であるから、それを見るのが嫌なら、ルリがこの場を去るのが道理だ。しかしルリはそうすることもできず、一生懸命に隣を意識の外に追いやりながら、手元に集中する。

「んっ、んっ、んっ、んっ」

 そんな気持ちを知ってか知らずか、声はリズミカルに響き始める。身体の動きも早く、激しくなって行く。

「超」に「絶」を加えるほどの、美少女であるナナの顔は上気して赤く染まり、汗が浮き出している。見慣れた顔のはずなのに、色っぽく、いつもよりキレイに見える。

「はぁ~」 不意にリズミカルな息が途切れ、大きく長く吐き出される。ルリの豊かな胸の奥で大きな音が鳴る。

 今度は大きく息を吸い込み、そしてまた、リズミカルな呼吸に戻っていく。

 ルリが集中しようとすればするほど、その集中は乱されてしまう。頭をかきむしりたい衝動に襲われながらも、手を握って堪える。拳はプルプルと震える。

 ナナの動きは更に激しくなる。そして、ルリの許容限界範囲をとうとう突破した。

 すくっと立ち上がって突進する。コードを勢いよく引き抜く。途端にテレビから、明るくリズミカルな音が流れ始めた。画面に映る女性の動きに合わせて、けれん味のある声がテンポを取っている。

『ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー・・・』

「なに?」

 体操を突然邪魔されて、ナナは大きなヘッドホンを外しながら怪訝な顔をする。

「せめて音を出してやってくれ。お前の声だけが聞こえると、すごく気が散るんだ」

「カッチンのために音を消していたんでしょう。それに声が聞こえるのが嫌なら、音楽でも聴けば良いじゃない」

 ナナはルリのことをカッチンと呼ぶ。

「電池が切れたんだ。充電器を持ってくるの、忘れたし」

「それは私のせいじゃないわ。それで?音を出したら続けてもいいの?」

 ルリがしぶしぶ頷くと、すぐに体操は再開された。テーブルに戻り、自らに課せられた問題と向き合う。テーブルの上には二冊の問題集が広げられていた。一冊には几帳面そうな字で、答えが全て埋められている。もう一冊の埋まり具合は、まだ道半ばであった。字は非常に荒れている。

 ちなみに、時刻は八月三十一日午後二時十一分。

 夏休みは明日で終わる。

 ルリは問題集を書き写す作業を再開する。

『大きく腕を広げて、右を前に。左を後ろに。今度は逆。腰の動きも忘れないで。そう、とても上手よ』

 ナナの声は聞こえなくなったが、逆にテレビの音は聞こえてくる。

『明日のあなたを信じて。あなたならきっとできる。自分を信じるの』

 次から次へと繰り出される前向きな言葉は、ちっとも胸に響いてこない。むしろ、うっとおしいばかりだ。

 しかし、音を消せ、とは言えない。

「機械だ」

 ルリの口からポロリと言葉が転げ落ちる。テレビの音に邪魔されてナナには届かない。

「機械だ。機械になればいいんだ。私は宿題写しマシーンなんだ」

 そしてもともと豊かではない顔の表情をさらに消し、シャープペンを強く握り締め、目の前のノートにだけ焦点を合わし、作業に取り掛かった。

 幸いなことに、宿題写しマシーンは正常に稼動した。シャープペンと眼鏡の奥の目が黙々と動き続ける。

 十分後、テレビから大きな歓声が上がり、その後に万雷の拍手が鳴り響いたが、マシーンの動きには全く支障を与えなかった。

 体操を終えたナナは立ち上がり、テーブルの横を通ってバスルームへと歩いて行く。

 しばらくするとシャワーの音が響いてくる。三分ほどでシャワーの音が止み、しばらくするとさっぱりした顔で戻ってきた。タンクトップにショートパンツという、シャワー前と同じような格好だ。DVDディスクを片付け、床に敷いたマットをくるくると丸めて、部屋の隅に立てかける。冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクをグラスに移してテーブルに置き、ルリの向かいの席に座った。

 一口ずつ飲みながら、携帯電話のキーをすばやく叩く。三分ほど淀みなく入力を続けた後に、満足げな笑みを浮かべながら送信し、携帯電話を閉じる。ずっとアップにしていた髪をほどく。キューティクルに守られた黒髪はさらさらとこぼれるように降りてきて、手で簡単に梳いただけで、定位置に収まった。

 テーブルの上に両ひじをついて、ルリの手元を覗き込んでくる。

「どれぐらい進んだ?数学はもう少しみたいね。でも、答えだけ書いても丸はもらえないわよ」

「ん・・・・・・。解法まで全部写したらバレるだろう。他の解き方を考えている時間もないし。それにまだ、生物もグラマーも残っているんだ。とりあえず埋まっていればいい」

 ここまで快調に動いていたマシーンは作業に戻ろうとするが、非情にもナナはそれを許さない。

「生物がまだなの?図を描かなきゃいけないからけっこう大変よ。カッチンは画が上手だから問題ないかもしれないけど」

 心配をしているようなことを言いつつ、返事を要求、強制している。つまり、相手をしろ、ということだ。

「画が上手なんじゃない。写すのが得意なんだ。それにきちんと写そうと思ったらそれなりに時間がかかる。私もなにか飲みたいな」

 ルリはマシーンに戻ることを観念して、回答集のオーナーに答える。メガネを外してボブカットの髪を一度ふわっと持ち上げる。収まりは気に入らないが、贅沢を言っている余裕はない。

「同じもので良い?そう言えばまだ訊いていなかったけど、カッチンが宿題をやり残すだなんて、いったいあったの?」

「特に何かがあったわけじゃない。パパと一緒に沖縄に行ったぐらいだ。気が付いたら夏が終わってた。夏休み中は大会が多いからな。インターハイから始まって、もちろん甲子園。今年はバレーボールのワールドリーグも盛り上がったし、サッカーの代表戦もあったし、ケーワンも珍しく面白い対戦が多かった。片っ端から追いかけていたら、時間がなくなったんだ。……いや。違うな。栄養費だ」

 楽しげにスポーツイベントを指折り数えていたルリの顔が、六本目で険しく曇った。

「東盛大学だっけ」

「ああ。ひどく裏切られた気分だった。あの記者会見はない。監督やスカウトだけじゃない。チームメイトとか家族とか、応援してくれている人、全てを裏切ったんだってことを、あいつは分かっていない」

 それは高校野球が終わるのを待っていたかのように発覚した事件だった。東盛大学の野球部員が某プロ野球団から栄養費と称して金銭を受け取っていたのだ。そのニュースは連日、新聞やテレビを賑やかしたが、それ自体は過去にも同様のことが何度もあったし、珍しい事件ではない。

 大学の野球部の監督、部長が涙ながらに謝罪をして辞任した。その際、なんとか選手が野球を続けられるようにと懇願した。プロ野球側も金銭を供与していたスカウト、スカウト部長、オーナーが辞任した。事件はそれで沈静化するはずだった。

 しかし、ある週刊誌がさらに火をつけた。

 それまでの大人たちの話では、スカウト側からの申し出で、野球部員に栄養費という名目で金銭を渡したことになっていた。しかし実際には、スカウトの弱みを握った野球部員が脅迫をし、金銭を要求していたのだ。しかも週刊誌にそのことを話したのは問題の野球部員本人であった。蛮勇を誇るかのように、自慢げに語っていたと記事は告げた。

 スポーツニュースやワイドショーはもちろんのこと、一般ニュースにおいても連日取り上げられ、盛り上がった甲子園よりも、熱く激しい報道合戦が繰り広げられた。

「あいつのせいで私の宿題もできなかったんだ」

「それは八つ当たりよ。もしくは責任転嫁」

「違う。スポーツ観戦をしているだけなら宿題もできたはずなんだ。なのにあいつのせいでワイドショーまで追いかけなくちゃいけなくなって・・・」

「ハイ、ハイ、熱くならないで。私だって被害者なんだから」

「なんで?」

「夏休み最後の二日間、新学期に向けてのんびりと過ごそうと思っていたのに、二日酔いでぐったりしている同居人をようやく送り出したと思ったらチャイムが鳴って、大きい人がうなだれて涙ながらに宿題を写させて欲しいってやってきたの。そこからご飯もお菓子も全部用意してあげて、お風呂に入れてあげて、ベッドまで提供しているのよ。立派な被害者に決まってるじゃない」

「それは……、本当に申し訳ない」

 ルリはテーブルに両手を付いて謝る。

「本当はそんなことは別にいいんだけどね」

 ナナは半身をずらし、長い脚をひょいっと組む。

「カッチンのせいで、もしくは栄養費のせいで、私は夏休みの最後になって、大きな問題をかかえることになったわ」

「なんだ?」

「期末テストの結果から考えて、今写している数学の正答率はせいぜい七十パーセントよ。もちろん、埋めるだけでいいならカッチンとしては問題ないだろうけど、七十パーセントしか取れていない私に問題があるの。この先の私の人生を考えた時に、百パーセント取れるようになることが必要だとは思わなかったから、その努力を放棄したわ。その時点ではそれが正しかった。でも、思いがけずその七十パーセントを人に提供しなくてはならなくなった。そうなった時に、相手が七十パーセントを納得しているとはいえ、それで良いのかしら、夏休みの時間を使って百パーセントに近づける努力をするべきだったのかもしれない、って思ったの」

「それは八つ当たりなのか?それとも暗に私を非難しているのか?」

「どうかしら?非難をしているのかもしれないし、気づかせてくれたことに感謝しているのかもしれない。きっと感謝ね。だって私は非難するなら、回りくどいことはせずに、はっきりと非難するもの」

「それはどうも。それで?今から百点を目指すのか?」

「正しいことに気が付いたからといって、それを全て実行できるわけないでしょ。もう時間はないし、なにより、次の休みからカッチンが写しに来なければ、私が百パーセントを目指す必要なんかないのよ」

「そうか?」

「そうよ!頭を使ったら甘いものが欲しくなったわ。コンビニに行って来るけど、なにか欲しいものある?」

「……任せる」

「はーい」

 ナナは丈の長い薄手のパーカーを羽織り、大き目のサングラスをかけて出かけていった。ドアが閉まる音と共に室内に静寂が訪れる。ルリは居心地の悪さを振り払うかのように大きく伸びをすると、宿題に戻った。

 しばらくして戻ってきた美少女は、大きな封筒を持って怪訝な顔をしていた。

「知ってる?」

 ルリは差し出された封筒を受け取る。ずしりと重い。紙の束か、本が入っているようだ。住所も宛先も書いていない。裏を見ると隅に小さく名前が書いてあった。斑目学。

「知ってる?」

「確か、期末テストで学年一位だったのがこんな名前だったな。C組だったかな」

「やっぱり私関係か」

 ナナは買ってきたものを冷蔵庫に入れながら溜息をつく。うざそうな顔もまた美しい。

「手渡されたわけじゃないっんだな。ポストに入っていたのか」

「手渡しに来たならこんなに早く戻ってきてないわ。警備会社を呼んで面倒くさい後始末をしているところよ」

「わざわざ来る奴もいるんだな」

「しょっちゅうよ。ファンクラブもそこまでは容認しているみたい。フミちゃんがオートロックのマンションを買ってくれて感謝だわ」

 フミちゃんこと、九季文佳はナナの母の妹であり、このマンションの部屋のオーナーである。ナナはある理由により親元を離れ、居候している。

「で、これはなんなんだ?」

「知らない」

「開けても良いか?」

「どうぞ」

 ルリはビリビリと封筒の口を破る。出てきたのは紙の束だった。

「壮大なラブレターだな」

「シュレッダーが壊れそうね」

 ナナは疲れた顔をする。ルリがパラパラと紙をめくる。書かれているのは自分よがりの熱い想いを綴った言葉ではなかった。ある意味、ひどく無機質な文字の羅列だ。

「……答えだ」

「なんだったの?」

「宿題の答えだ」

 ルリが広げて見せたのは、今まさにルリの手元に広がっている問題集と同じもののコピーだった。少し丁寧にコピー用紙をめくっていく。夏休みに課された宿題、全教科の回答集だった。

 しばらくはポカンとした顔を見せていたナナだったが、事態が飲み込めてくるとひどく不機嫌な顔になった。

「今まで色んな物をもらってきたけど、こんなのは初めてだわ」

 良い意味でないのは、口調と表情から明らかだった。

「これはラブレターなのかしら。それとも悪意のこもった行為なのかしら」

「答え以外のことは書いていないみたいだから分からないけど、どちらかというとラブレターじゃないか」

「そう。まだ後者なら許せたけど」

 ナナはルリの手からコピーの束を奪うと、ゴミ箱に叩き込み、宣言した。

「出かけるわよ」

「なんで?」

 悲壮感を放出しながらルリは問う。

「腹が立っているからよ。このままここにいたくないわ。今すぐこの場所を離れたいの」

「……分かった。怒りに任せて無茶をしないようにな」

「なに言ってんの。カッチンも一緒に決まっているでしょ。この怒りに満ち満ちた私を一人で外に行かせるつもり」

 鬼の形相で睨みつけてくる。

「ついていきたいのは山々だが、まだ宿題が残っているんだ」

「だったら図書館にしてあげる。いっぱいだったら喫茶店にでも行きましょう。カッチンの奢りで。着替えるから待ってて」

 ルリの精一杯の抵抗はむなしくスルーされ、ナナは返事を待たずに自室に入り、荒々しくドアを閉めた。

 残されたルリはゴミ箱の中のコピーの束を、恨みがましく一瞥した後、テーブルの上に広げたものを片付け始めた。閉ざされたドアに呼びかける。

「私も着替えるからな」

 ルリはノーブラにTシャツを羽織り、下はトランクス型パンツをはいているだけだった。

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