phase6
翌日、土曜日。
当然のごとく遅刻状態で教室へ入室し、他の生徒より短めな一限目を終えたときだ。
「だから、ズル休みじゃないんだよ。誰にでも使命感っていうのはあるだろ? 豪にはないのかよ」
登校時間も守りきれない俺に、使命感なんてあるわけないだろ。
昨日休んでいた涼司がわざわざ俺の席まで来て、しなくてもいい釈明会見を開き始めた。
「確かに風邪気味なのは本当だけど、お、男にはやらなくちゃいけないときがあるのさ!」
女顔のお前が言っても説得力に欠けるし、自分で言ってて恥ずかしがるなと思いつつ、
「誰に与えられた使命だか知らねえが、そのブルーレイディスクを購入しないと世界が滅んじまったりするのかよ」
「自分が買ったことで、知らぬ間に世界を救うことになってるかもしれないじゃないか」
こいつの風邪とは別にこじらせてる症状が、軽いのか重いのかも俺には解らない。
俺を置いてきぼりにして突き進めとは静思したが、
「そんな考えは中坊んときに少し削ぎ落してこい」
これは他でもない、このクラスの女子学級委員にも言えることだ。
涼司は何かをアピールするように、わざとらしいくらい口先を尖らせている。
そういうのは女子がお気に入りの男子に向かってやるもんじゃないのか? 俺には効力を発揮しないみたいだぜ。
「豪は置いてきたものを少し取り戻したほうがいいかもな」
「タイムトラベルでもしろっていうのかよ」
「物語じゃあるまいしできるわけないだろ!」
何だかやり取りしてる俺が一番バカに見えるんじゃないかと思えてきた。
鳴世は俺の机に肘と乗せなくてもいいブツを乗せ、涼司を微笑ましい顔で眺めている。千代田は……相変わらずとしか言いようのない姿で我関せずだ。
「で、わざわざ休んでまで買いに行く価値がある物なのかよ。ネットでクリック数回じゃダメなのか?」
俺は少しでもまともな会話に戻すため、涼司に訊ねてやった。
涼司は勿体ぶるように制服の内ポケットへ手を入れると、
「ブルーレイ版の発売記念に購入者限定グッズが配られたのさ。それが……これだ!」
金色のメダルがくっいたキーホルダー二個を、俺の目の前へ顕示した。
一方には女子の顔が型押しされ、もう片方はコミカルな動物らしき図柄が施されている。
こういった物に無頓着な俺にしてみれば、子供だましにしか感じないが。
「それがお前の使命感に火をつけた動機ってわけか」
「あぶなく丸焼けになりそうなほどにな。ま、見せたところで豪には良さが解らないか。解るわけないよな!」
「何だそりゃ」
「これはだな――」
いや、その景品的なものがじゃないぜ。お前の言動にだ。
「楽しそうに話してるところ申し訳ないけれど」
涼司の勘違い解説が始まりかけたとこで、
「御堂くん、昨日お休みしてたから英語と数学のプリント渡しておくね」
こんな最果ての片隅に、珍客中の珍客が突如現れた。
「はい、これ」
と、微笑を浮かべた紗都が、紙切れ二枚を涼司に差し出す。
受け取り側のヤツは、自分の話題じゃないみたいな表情で手に持つキーホルダーをプラプラとさせていた。
前触れがなかったにしろ、同級生の女に何をおののくことがあんだよ。
俺は必死に堪えた結果半笑いで、
「おい、御堂くん。早く受け取ってやれよ」
女子学級委員の使命を後押ししてやった。
紗都は首を傾けて涼司を見据えていたが、視線の先はゆらゆら振り動く円形金属に変更されたようだ。
「涼ちゃーん。眞取っちがプレゼントだってよー」
鳴世が背中を押すような言葉をかけると、涼司はようやく紗都に対し口を開く。
「……あ、ああ、プレゼント!?」
「うん、プリントだけど」
紗都はそう言って涼司へ手渡したあとに、
「ねえ、御堂くん。もしかして……これってバロちゃん?」
少し耳を疑うような単語を口にし、メダルに顔を近づけた。
「……ええっ。眞取さん、これが何か解るのっ?」
おいおい、呼び方までよそ行きにしなくてもいいだろうよ。
挙動不審になってきた涼司が、自分の目の高さへキーホルダーを掲げる。
つられて姿勢を正した紗都が同じくらいの身長相手に、
「その物自体は解らないけれど、描かれているものには見覚えがあって」
答えの一歩手前を解りやすく返答した。
「信じられない……信じられないよな、豪っ!」
名前のとこでこっちを見るな。俺に振っても声明なんか発表できねえし。
涼司の顔は紗都のほうへ改められたが、明らかに目線は見当違いの方向へ向いている。
「た、確かにこれは眞取さんが言うように『魔法少女団レク――』」
「やっぱりそうなのね。私も子供の頃に夢中で観ていたから」
「聞いたか、豪? 眞取さんも観てたんだってさっ」
おそらく例のアレのことだろう。観てたといっても人とは違った目線でだがな。
「いちいち報告しなくても外発的に耳へ立ち入ってくるさ。その話しにゃ興味もねえし、花を咲かせるなら二人でやってくれ」
ならそうするさと思ったかは解らないが、俺にとってディープな内容を、涼司は早口で言い募る。
「本音を言うと翠風のカゼミちゃんのデザインが欲しかったんだけど、蒼氷のツララちゃんになっちゃったんだ。これはこれで、きりりとした目元なんかよく再現してあると思うけどね。あ、眞取さんは、魔法少女あやなオンテンバールとかも知ってるっ?」
「他のものはほとんど観たことがなくて」
さすがに紗都の笑顔へ苦みが加味されたように見えた。
「そ、そうなんだっ。でも眞取さんと初めて会話したのがこの話題だなんて、誰かの計らいなのかもね!」
「いつ挨拶しても、御堂くん聞こえていないみたいだったけど」
「…………」
伝わる物質が周りにないのか、と思うほど身近な空間が無音になった。
クラス内はそれなりにざわついているが、俺のパーソナルスペースにまで侵食してきそうな微妙な情調が漂う。
さて、誰が場の空気を読めばいい状況だ?
鳴世がちょんちょんと俺の肩を突くが、口を挟む気なんか更々ない。お前はもう少し密接距離から遠ざかれと目で訴えたとこで、
「でも古い作品なのに、御堂くんは随分と珍しい物を持っているのね」
それとなく察知したのか、紗都がテーマの修正にかかる。
「……あ、うん。昨日たまたま、本当にたまたまなんだけど、待望のブルーレイ化が成された記念にイベントがあったんだ。そこで一巻購入につき一つ貰えたのさ!」
「ということは、同じものを二つ買ったってこと? 保存用とかに」
「そうだよっ。察しがいいね!」
「私もDVDを買ったときに同じことをしたわ。ブルーレイで観る環境はまだないから、買うのはもう少し先になりそうだけど」
涼司は対面している間あちこち向けていた視点を、自分の手に合わせた。
「よ、よかったら一つあげるよ!」
「えっ」
大きな目を丸くさせた紗都の前に、二つのメダルがカチャリとぶつかり合う。
「眞取さんならこれの貴重さを解ってくれそうだしね。どうぞ!」
「……学校を休んで行ったのはよくないけれど、御堂くんが苦労して手に入れた物を頂くわけにはいかないわ」
「自分からのプレゼントなんて欲しくないか……欲しくないよね!」
「そういうわけじゃないけれど……」
紗都は少しづつ戸惑い顔を形成していく。
って、何でこいつまで俺を見るんだ。くれるもんは貰っときゃいいんだよ。
とは口に出さなかったが、ほんの数センチだけ顎をスライドさせてみせる。
最後のひと押しとばかりに涼司が、
「んー、口止め料と言ったら眞取さんは受け取らないだろうから、プリントのお礼でどうかなっ?」
「本当に……いいの?」
「うんっ。二つあるし、好きなほうでいいよ!」
ドコドコドコドコ……と、鳴世が小声で勝手なドラムロールをする中、
「じゃあ、せっかくだから」
紗都は片方に手を伸ばし、
「こっちを頂いておくね。どうもありがとう」
深々と頭を下げ、まるで子供のような破顔のまま顔を上げた。
「なんかなんか、いいものを観せてもらった気分だよー。眞取っちも涼ちゃんもよかったねっ。パチパチパチパチー」
と、鳴世は口と両手で対価を払ってみせる。
あえてツッコミを入れるなら、お前は片一方を敵と見なしてんじゃねえのかよ、と。
そんな裏事情など知らぬ涼司は、追加ともいうべき情報を紗都に贈呈し始める。
「そういえば、発売イベントが開かれたジェミニシティで、魔法少女団ショーもやってるんだよ!」
「えっ、そうなの?」
紗都が食いつきやがった。
「昨日は購入するだけで時間を取られたから、自分も観てはいないんだけどさっ」
ジェミニシティなんてまだ開園してたのか。ガキの頃は近所にあるテーマパークだからと手っ取り早く連れられたもんだが、今思えば巨大なゲーセンにちょっとしたアトラクションが加わっただけで、テーマパークと呼ぶにはおこがましいとこだ。
「今日までの入場チケットも特典として四枚付いてきたから、眞取さんも誰かを誘って、いいい一緒にどうかなっ? もちろん、気が向いて都合がついて運が良ければの話だけどね。夕方の部なら間に合うはずだし!」
誘い文句の一部が涼司自身のことな気もするが、
「観に行きたいのはやまやまだけど、さすがに好きな人じゃないと行けないかも」
「好きな……人!?」
涼司が素っ頓狂な声を上げると紗都がすかさず、
「アニメのことをね」
「そ、そうだよねっ」
ふんっ、アホらしくて見てらんねえわ。
俺の予想通り、紗都がピンポイントに愛好するものは見事に涼司と合致した。やはり趣味が合う者同士のほうが解り合えることも多いだろうよ。飽きるほど語り尽くすがいいさ。
外でも眺めようかと俺がのんびり構えてたところで、それは突然起きた。
鳴世が素早く紗都の背後へ移動すると、抱きつくように身体を拘束した。
声こそ上げなかったが、俺は無意識のうちにその場で立ち上がる。
こんな人の見てる前で、何をやらかす気だ。
鳴世は紗都の肩越しから俺に向けてニコリとすると、
「ボクも行きたいっ。行きたい行きたいっ、眞取っちと一緒に行きたいよー」
はあ?
「くーん。眞取っちの髪はいい匂いがするよー。ってあれ? 豪ちゃんも行きたいアピール?」
脱力したようなふにゃ顔で鳴世が言い放つ。
こいつ、紛らわしい行動してんじゃねえよ……。
「んなわけねえだろ」
俺は後ろも確認せず、半ば八つ当たり気味にドンっと椅子へ腰を下ろした。
涼司は呆気にとられてたが、紗都は意外と冷静なおもむきで、
「じゃあ、一緒に行ってみる? 今日も生徒評議会の集まりがなくなりそうなの」
肩口に乗っかってるレイヤー女子の顔へ同意を求めた。
「あっ。今日は大事な用事があるんだった。ゴメンよー。たぶん圷っちがお供してくれるよー」
あっさりと断念するなら、しゃしゃり出て来てかき回すな。
「そう、残念ね。じゃあ、圷ちゃんを誘って行ってみようかな」
紗都の決断で涼司は顔中に笑みを広げる。
「ほ、本当に!? チケットは家に置いてあるから、そうだなぁ……夕方四時にジェミニシティの入場口にいてよ!」
「豪ちゃんも遅刻せずにちゃんと行くんだよー」
鳴世が席へ戻りながら俺に忠言し、
「そうだぞ、豪。授業にはいくら遅刻してもいいけど、今日は絶対に許さないからな!」
なぜか涼司が間違ったことを興奮気味に諭してくる。
「あ? 何で俺が行かなきゃならねえんだよ」
垂れ目女子は共有物とでも思っている俺の机に肘は乗せず、
「だってチケットは四枚なんだから、必然的というか自動的というか運命的に豪ちゃんしかいないじゃんよー」
ブレザーのポケットに入れた両手をパタパタとさせた。
意味が解らねえ。そんな頭数的に加入させられてたまるか。
タイミングがいいのか悪いのか、時間切れを告げるように予鈴が鳴り始める。
女子学級委員様は急いで席へ戻らなきゃと顔に出しながら、
「じゃあ、あとで圷ちゃんを誘ってみるね。わ、私はショーを観に行くのがメインだし、誰が来ても構わないから」
身体と気持ちだけは黒板方向へ向け、
「これ、どうもありがとう」
キーホルダーを揺らすと涼司に礼を述べ、いそいそと立ち去っていった。
取って返すように涼司が俺に詰め寄ってくる。
「頼んだぞ、豪っ。お前にとっては紗都ちゃんと出かけることなんて日常茶飯事かもしれないけど、自分にとってはこんなチャンス滅多にないんだからな!」
だから、何であいつの呼び方を変えるんだよ。それに、俺とあいつの関係を捻じ曲がったビジョンで映し出すな。
「紗都も言ってただろ。興味のないヤツは行かないって。圷だってどうなるか解らないぜ」
「誰が来ても構わないっていうのが本意じゃないことを、豪は気づかないのか。そろそろ気づけよな!」
「何が言いてえんだよ。断固たる俺の参加理由があるなら、二十五文字でまとめてみろ」
「豪が来ないと会話もままならないからに決まってるだろ」
いや、ユーモラスだったがそれなりに疎通できてたと思うぜ。互いに。
「自分はその……紗都ちゃんと、こ、ここ交際したいとかそういう考えはないんだよっ。だけど間近で接したりするくらいは願望としてあってもいいはずだろ!」
じゃ、まずは挨拶に気づいてやれよ。それと、勢いは伝わるがどうせなら教室中に響き渡る声音で話せ。俺だけにしのび声で言っても、男同士変な目で見られるだけだ。
「何だか額の熱さが増してきたように感じるよ、豪」
そりゃ風邪でも恋心でもなく、単に興奮のしすぎだ。
「とにかく行くよな? 行くだろ? 行くって二文字で済むんだぞ?」
「しょうがねえな……って、お前に都合のいい展開なんか起こり得ねえよ。うるせえからさっさと席へ戻れ」
「必ず豪は気が向くさ!」
涼司はそれ以上何も言わず、かわるがわる片足で飛び跳ね席へと向かっていく。
……ったく。ややこしい話を持ち込んでくれたもんだな。紗都も紗都だ。遊技場でうつつを抜かしてる場合じゃねえだろ。
「はあ……」
俺はぶっちぎる気でありつつも、そこら中に拡散させる勢いで盛大に溜め息を吐き出した。
右横にいるガイノイドのような小柄女子を目にして思う。
俺もヘッドフォンから爆音を流して、すべての雑音を遮断したくなるぜ。
四限目が終わってすぐに、室内から飛び出ていく涼司の姿が目に入る。
そんなに急がなくても、パンやおにぎりの一つくらいは手に入るだろうよ。
そう自分の席で余裕をかましていると、
「少々驚きを感じたの」
呟いたというには大きな声で、右横の千代田が独り言を発した。
突然のことで、俺のほうが驚きを禁じ得ないとも言える。遠隔操作でもされて起動を促されたのか?
「そうだねぇ。ボクらの境遇的なもんも、そこから拝借してたようだよー」
どうやら、俺の前に座るヤツと会話を始めたらしい。だが、鳴世は千代田のほうを見ることもせず、ごく標準な座席姿勢を取ったままだった。
そこってのは何を指してるんだ。拝借? ますます解らん。
「残り時間も些少なの」
「なーんか、もうちょっとだけ楽しめると思ったのにねっ」
聞き耳を立てていたわけではないが、勝手に入ってくるのだから止めようもない。
数時間前には、少しズレた共通の話題で紗都と涼司が盛り上がっていた。関心もない俺からすれば、アスパルテームやスクラロースの話をされてるのと同じようなもんだ。魔法を使う少女や使えると白状した少女ならここにいるぜ、と輪に加わることもできたが、人生から即爪弾きにされても洒落にならねえしな。
「しかし、概要は見えてきたの。何とか間に合わせてみせるの」
「ボクのほうは、ほんのちょびっとだけ可能性ありだと思ってるよー」
俺に聞こえるように話してるのか、それともまったく眼中にないのか。何だか意味深にも感じるやり取りがなされている。
――ヤツらは歴然とした敵対勢力だからな。
端正顔の護り手とやら曰く、こいつらは紗都を攻撃対象に定めているようだし、いつかは魔女としてのあいつに直接コンタクトする気だろう。
内塔はこうも言っていた。
――月が変われば純然たる覚醒が起きるはずだ。
俺の拙い頭でも、それが〝明日〟だということは充分に理解できる。
黒板前に見える紗都は普段通りに圷と笑い合い、昼食を取るためか二人で教室を出て行った。
復活した魔女だとか何百人の手下がいるとか、それら非現実的なもんを差し引けば、紗都は平均より少々超えたものがある女子高生ってだけだ。肩書や体裁しか聞き及んでいない俺にしてみれば、危険だぞと吹き込まれているにすぎないんだが。
こいつらが紗都の何に脅威を感じているのか、俺はふと疑問に思った。
何か訊ねることはないかと脳内を探ってみたが、事前に予習をしていたわけでもないし、切れない刀しか抜けそうにねえ、か。
「よう」
珍しく俺から鳴世へ声をかけてみる。
「なーにー、豪ちゃーん」
間延びした声で返答してきたが、やはり体勢は変えず前を向いたままだ。
「お前らが危惧してる理由っていったい何なんだ」
自分なりに凝縮した疑義を込め、漠然とした質問をする。
「ギクっ」
つまらねえ返しをしてんじゃねえよ。
「おい、聞こえてるならそこの耳ふさいでるお前でもいいぜ。等身大のヘッドフォンスタンドってわけじゃねえんだろ?」
右横の千代田にも、けしかける腹積もりで投げかけてみた。
俺の声がセンサーにでも反応したかのように、チビ娘は小さな手を動かす。
が、鼻にも引っかけない様子で机の中から雑誌を取り出し、パラパラとページをめくり始めた。
部外者には応答もしねえってことかよ。
「ねえねえ、豪ちゃん」
鳴世は少しこもったような声で、
「正義の味方がさぁ、自分から名乗り出て正体を明かすときって、二つのケースがあると思わない?」
「ふんっ、クイズか? それとも、暗に同調して欲しいのか?」
前置き的なことを述べた鳴世がゆっくりと振り返る。
制服の両ポケットに手をしまい込んでおり、いつもの垂れ目だけが笑っているように見えた。
いや、目元だけしか見えないと言い換えたほうがいいのかもしれない。
ブレザーの下に体育で使う赤い女子ジャージを着こみ、ジッパーを上まで閉めて顔半分を隠している。
大好きな鏡でちゃんとファッションチェックしたのかよ、という目で見つつ、
「妙な恰好しやがって。そんなのが流行ってんのか」
「ねえ、豪ちゃん」
いつもより、ねえが一つ足らねえぞ。
「残念だけど、そろそろマトリッチに消えてもらう時がきたみたいだよ」
語尾も伸ばさず堅苦しい挨拶でもするような声で言うと、両方の掌を俺に広げて見せた。
消えてもらうという言葉の真意よりも、文字通り異色な光景に俺は面食らった。
袖から出ている手首から指先までが、黒に近い紫色に染まっている。まるで、子供がクレヨンでいたずらに塗りつぶしたかのように。
「何だそれは……」
「身体に直接触れちゃったからかな。ちょっと不用心だったよ」
ジャージ越しから調子を戻した話し方で、
「痛くはないんだけどねっ。法力が弱められた感じがするよー」
ことさら目尻を下げると、見ているだけで痛々しい手を引っ込めた。
「あいつがやったって言うのか」
「おっかしいなーと思うことは色々あったけどさっ。ボクが敵とみなされちゃってる証拠だね」
紗都の肩に乗っけてた顔周りも、同じ状態になってるってことか。
「でもでも、日頃の行ないがいいから棚から牡丹餅いただきましたっ」
棚ぼただ? こいつ、あんなことされたのに使い方間違ってるだろ。
「ねえねえ、豪ちゃん。さっきの二つのケースだけどね――」
鳴世は言葉を止め、俺の背面へ視線を移動させた。
「続きは後ろの子にお願いしよー」
何だと――。
「なかなかお目にかかれないから出向いてきた、かな」
俺の背中がゾクっとした。物理的な冷たさとは異なるものだ。
首だけじゃ物足りず、身体ごと直角移動させて視野へ入れる。
「お前……」
温かみの欠片もない挨拶を口にした褐色女子が、教室の後部に設置された棚へ脚を組んで座っていた。
「ま、あんたに用事があるってわけじゃないんだけど」
吐き捨てつつ乃浪は棚からひょいっと降りると、
「あいつはいないのかな」
「もう出て行ったよー」
俺越しに鳴世が答えてみせた。
乃浪はネックホルダーにぶら下がったペットボトルの揺れを止め、舌打ちでもしそうな顔をする。
利便性の高いふざけた魔法をお持ちだな。こいつが餅には思えないが、誰か気づいて大騒ぎしてくれよ。
窓を背にした俺は、意に反して三方を特異な同級生女子に囲まれてしまった。
自分で撮るのはしゃくだから、誰か記念に残しておいてくれ。この好意なきハーレム状態ってやつを、中学んときのダチに自慢してやるからさ。
乃浪は俺の傍へ立つと、鳴世に願われた続きを述べていく。
「正義の味方が認知されてる世の中なら、一般人の前でも正体を明かせる。もう一つの局面は言うまでもなく、人知れず争う宿敵に対して、かな」
「さてさて、豪ちゃん。ボクらのケースはどっちに該当するのでしょー」
ジャージ女子がおどけたように言う。
お前はクイズの司会役かっつうの。
解りきったことを密かに示してるつもりだろうが、どうにも解せない部分がある。
俺は残り少なくなった室内の生徒を気にしつつ、
「俺はれっきとした一般人だ。さらにお前らの敵でもねえ。もう一つ言わせてもらえば、正義の味方を気取ってる周りの連中に、正義があるとも思えねえな」
乃浪が中性的な顔に冷たい笑いを滲ませる。
「声を上げて大笑いしたいとこだけど、悪しき存在を認識しない限り、正義なんて上っ面に見えるのかな」
「くだらねえな。正義だ悪だって、誰がそんなこと決めやがったんだ」
俺は自分の主観的な倫理観に疑いを持つことなく、三方位に息巻いてみせる。
「この際ハッキリ言ってやるよ。人ひとりを消すなんてのは、口にするだけで犯罪と捉えかねねえ。紗都とは付き合いも古い。俺はあいつが悪事に手を染めるとは到底思えねえし、お前らの勝手な決めつけで事を起こすんじゃねえよ」
「犯罪ねえ……。公的機関の手に負えるなら、あたしらの出番なんてないかも。だよね、ライ、みふう」
乃浪が誰に呼び掛けてるのか一瞬考えたが、仲間に同意を求めたと気づいたときに、
「悪が現れたら倒す。それが、正義を掲げるあたしら魔法少女団の使命だから、かな」
――魔法少女団。
あのアニメに出てきたのも似たような名前だったはずだ。
「あー、言っちゃったかぁ。乃浪っち、絶対怒られると思うよー」
鳴世は自分で誰かに告げ口しそうな喜び顔で指摘した。
受けた乃浪は今さらといった様子で俺を戒めてくる。
「あんたはイレギュラーに知ってしまったってだけかな。あたしらをどう見なすかは勝手だけど、最初から一般人が扱える問題じゃないかも」
「ま、ボクは豪ちゃんが護り手なんじゃないかと、これっくらいは思ってるけどねっ」
これっくらいと示した鳴世の人差し指と親指が、ピッタリとくっついている。
……ゼロじゃねえかよ。
鳴世はハッとした顔でジャージの袖を引っ張り出すと、忘れていたであろう変色した手を包み隠した。
「だーめーだー。ボクはちょっくら保健室で休んでこよー。そんじゃね、豪ちゃん」
褐色女子のほうは凍りつくようなしかめっ面でペットボトルを掴むと、
「あの護り手と名乗ってる男か、それとも魔女か……どっちにしろ消す、かな」
物騒な申し渡しを捨て置き、
「ブウェーヒゥン」
躊躇なく魔法を使って姿を消した。
「ボクは学校で使わないけどねぇ」
後ろ手を振って扉へ向かった鳴世が、去り際に誓いの言葉を残していく。
結局、訊きたかったことは、はぐらかされちまったってわけか――。
チッ。そりゃ、一般人の俺に機密事項を話す正義の味方なんかいやしないだろうが、仮にあいつらがその立場だとして、なぜ紗都が悪なんだ?
――あたしら魔法少女団の使命だから、かな。
まさか……あのアニメを地でいってるってことなのかよ。
確かに、紗都はあれに出てくる魔女に感化されているんだろう。だからといって、敵対するヤツらまで沿った登場をさせる理由がどこにある。
あいつ、夢が叶ったと浮かれてる裏で、自分自身を追い込んでんじゃねえか……。
気づくと、正面になっていた小柄女子に視点が合う。
とうとう室内には、俺と千代田しかいなくなってしまったようだ。
ヘッドフォン娘は雑誌を片手に立ち上がると、あらかじめインプットされたような動きで俺のほうへ向いた。
依然としてその立ち姿は小学生と中学生の間ってところだが、
「今週のしし座の運勢」
あどけない表情にもかかわらず、艶っぽい声で囁いた。
今度は何を始める気だ。しかも俺の星座だし。
「肩の力を抜きたい週になりそうです。あなたのほんの些細な行動が、周囲に影響を及ぼす場合があります。毎日チューインガムを噛んで常にリラックスを心がけ、軽率な行動や言動は控えるようにしましょう。回避策として、まずは自分ができることを率先して行なってください。そうすれば、あなたにしか気づけないことが浮かんでくるはずです。来週へ引きずらないためにも、今週をいかに過ごすかが重要です」
母親が童話を読み聞かすようなテンポで言い終えると、開いた雑誌をそっと俺の机へ置いた。
何がしたいんだか……。
「週間星座ランキング、ビリなの」
クソっ。また回りくどい嫌がらせのつもりなのか。内容も微妙に不吉そうな感じだし、地味すぎて余計にムカついてくるぜ。
「これ、愛読書なの」
知りたくねえよ、チビっ子様のご趣味なんか。
青天白日といった薄茶色の瞳が、俺をロックオンし続けている。
「魔女の存在はこの世に必要ないの。従って消滅させるだけなの。それに、わたしの身体は聴取機器を置き飾るものでもないの」
千代田は実直な言い返しをすると、てくてくと歩いて教室を離れ去っていった。
おとなしく座ってる自分のほうがマシってことかよ。そりゃ、悪かったな。聞こえてるなら次回はその場で反論してくれ。
「はあ……」
思いのこもった嘆息行為が、ガランとした空間に適合していった。いつの日か、溜め息が呼吸法になっちまうような気もしてくる。
勝手に置いていきやがって、と開いたままの雑誌をひっくり返して表紙を眺めた。
……これが愛読書?
派手なフォントの書名に、千代田とはおとめ座銀河団くらいかけ離れた女の顔が、デカデカと掲載されていた。
思いっきりギャル御用達のもんじゃねえか……。
どこをどう見りゃ影響の形跡を垣間見れるんだ、と容姿を浮かべつつ雑誌を机に放り投げた。
ったく、一人くらいまともなヤツが現れてみろってんだ。
それぞれが、俺の了承を得るかのように宣戦布告していった。
見た目も態度もまるっきり違うが、目線の先は同じところを向いていやがる。魔法少女団とやらが正義を掲げて強攻するのだとしても、俺には対抗できる能力や交渉材料もない。
ならば――。
昼飯は抜きかもなと割り切りつつ、俺は立ち上がると教室の扉へ向かった。
下げたくない頭を下げるしかねえよな。