phase3
一旦教室に戻った俺は、弁当を鷲掴みするとすぐに自席を離れた。
やっぱりらしくないことはするもんじゃねえな――。
不可思議なもんを見せられるわ、不可解な話は聞かされるわ……終いにゃ、動いただけでアレが見えちまいそうなミニスカお姉さんにガキ扱いだ。俺の鼻は紗都への呼び鈴じゃねえっつうの。
大事な昼食時に周りからやんや言われるのが疎ましかったので、俺は普段あまり足を運ばない場所で過ごすことに決めていた。
屋上へと続く階段を上り、踊り場で身体を方向転換した瞬間だった。
あっ、と思ったときにはすでに遅かった。俺は軽い衝撃を体感した。
少し視点を下降させると、かなりの至近距離にどこか見覚えのある顔が配置されている。
涼……司、じゃねえよな。
目下の女子は俺を責めたてるわけでも謝意を表すこともなく、壁に触れたら方向を変えるオモチャのようにしてとっとと過ぎ去っていく。
俺も不注意だったから一言詫びときゃよかったのかもしれないが、無愛想ぶりは似たようなもんだったしな。
そう自分勝手に相殺させながら、屋上へ出る扉を開けた。
まばらな人の姿を目に映しつつ、手近なフェンスを背に緑色にペインティングされた地面へ腰を下ろす。
昨日までは教室でのんびりと食うことに裏付けが取れてたはずなのに、こんなとこまで追いやられるとは。といってもここを選択したのは俺の意思に違いない。日常ってのは、ほんの少しのことでズレていっちまうもんなんだな。
行動も思考もズレつつあるヤツから今朝ほど渡された物に目を落とす。
ったく、魔法が使えるようになっただと? 新しい電子機器だかを使いこなせた手軽さでほざいてたが、あいつの言ってたことは現実的じゃねえだろ。
リードパンチにしては多少の驚きがあったのも事実だが、今思えば目にしたものだって奇術の域を出ないとも取れる。何の確信を持って突き進んでいるのか、今の俺には繋がりも何も見えやしない。
はぁ……、考えるのも億劫だぜ。無記名でいいから誰か成り行きを教えてくれよ。
ややこしいことはさておき、今まで受け取った中で一番重量の軽い弁当箱に手をつける。
蓋を開けると、耳にリボンをくっつけた白い猫が現れた。それも三匹。
……あいつ、俺を幼稚園児だと思ってねえよな。
おそらくパンでかたどったこいつらは、何も知らずにハムだとかレタスを挟まれてるんだろう。子供なら見た目に大喜びするんだろうが、食う段階になって悲哀を感じたりはしないのかねえ。
「豪っ! コソコソ隠れて一人でニヤニヤしようとしてただろ!」
またお前か――。
ハァハァと息を切らせた涼司が目の前に立ち、
「隠蔽しようたってそうはいかないぞ。公平に開示しろ!」
悪徳企業のトップにでも物申す勢いだ。
俺は一旦弁当箱の蓋を閉じ、涼司に確認してみる。
「そういやお前、女装趣味でもあんのか?」
「な、何でそんなことを訊くんだよ」
「今さっき踊り場の曲がり角で、お前そっくりな女とぶつかってな。ま、髪はストレートロングだったけどよ」
「豪……、相手はパンを咥えて走って来たんじゃないだろな?」
いったいどういう解釈をすりゃそうなるんだ。
「パンならまだこん中に手付かずで入ってる。お望みなら俺が咥えてみせてやろうか」
トントンと弁当箱を突いてみせた。
「今日はお手製サンドイッチです、って自慢か! さりげなく情報を小出しにしてるけど、自分は情報を明確に提示するぞ。女装趣味など一切ないっ」
「ならいい。そのことは気にするな」
「気になるだろ! でもな――」
涼司は深刻そうに続けて、
「おそらく、そいつは自分が一緒に住んでる女だ」
「そっか」
「おい、軽く流すとこじゃないだろっ。もっと驚け! そしてツッコミを入れろ!」
面倒くせえなぁ。俺は職業でやってるわけじゃねえんだよ。
女絡みの話なんか大して興味もないが、
「どうせ双子の姉ですとかってオチだろ?」
「残念だけどハズレだ。妹だからな」
ほぼ当たりじゃねえか。
俺への手応えが薄いとでも感じたのか、涼司は不満げな目を寄こす。
「豪よ、妹に反応しないってことは姉属性なのか?」
「言ってる意味はまったく解らねえが、属性主義じゃないことは確かだ」
「ん……。どうも前からおかしいと思ってたけど、一つ質問に答えてくれないか」
妙に真面目くさった顔で訊いてくる涼司に、たまには真剣に答えてやろうと問いを促す。
「何だ」
「もしも豪の目の前に、空から少女が降ってきたらどうする?」
「天気を記入する欄に少女って書き込む。何ならマークを考案してやってもいいぜ」
「今すぐ考えろっ。そして空中のキャンバスに指で描いてみせてくれ!」
アホか、こいつは……。前々からおかしいと感じてたのは俺のほうだ。
「あのな、お前がよく解らん妄想だか空想にふけるのは結構なことだ。だがな、俺はそういった作り物だかに興味がねえんだよ。だから現実とごっちゃにした会話をしてくれるな」
「よく解るぞ、豪。あんなCGで描かれたような幼なじみが身近にいるのなら、創作されたものすべてが虚構に映ることだろう」
「じゃ、紗都の近くで金属バットでも振り回してみろよ」
「野球部でもないのにそれはおかしいだろ」
涼司は真顔で言うと、少し離れた位置に膝を抱えて座り込む。
お前に向けて俺が素振りをしてやりてえよ。
俺は弁当箱の蓋を開けて猫型を一匹掴み出し、
「とにかく飯を食わせろ。どうせこいつで閉幕だからな。何か文句があるなら耳にだけは入れてやる」
口に入れるとかぶりついた。
「いや、文句を言う気はないよ。ただ羨ましいだけさ。三日間とはいえ、美人の幼なじみが作ったお手製弁当を駅で手渡してもらえるなんて。どれだけ幸せな境遇にあるのか、豪には解らないんだろうなぁと思ってさ」
ああ、解らねえな。外野が浮かべてる惚れた腫れたといった陳腐な背景ではないことを、俺はよく知っているからだ。
一匹目を捕食し終えた俺は、
「お前が好む創作物ならありがちな光景なのかもしれねえが、この俺に当てはめるには無理があるぜ」
「創作物か……。なあ、豪。この世に魔法とかってあると思うか?」
口の中がカラになっててよかった。二匹目を食い始めてたら吹き出してたとこだ。
何なんだ唐突に。質問は一つじゃねえのか、とツッコミ返すのも面倒なので、
「さあな」
と流し、次を手に取ってランチタイムを継続させる。
「自分はないと思いたい」
涼司はさらっと口述してみせた。
「ほぉ、てっきりあるという前提で訊いてるのかと思ったがな」
「厳密に言えばあって欲しくないと思ってるかな。そりゃ現実に存在すれば便利だったり有利になったりするんだろうけど、物語とかに出てくるのは有益なだけじゃないからさ」
俺は黙々と食べながら、耳だけは傾けることにした。
「例えば実際に誰かが魔法を使えたとして、それを悪用しないとも言い切れないだろ? 加えて悪用する人物を魔法を使って制止する者が現れたとしても、結局それって誰かを傷つける魔法ってことになるんじゃないのかな。お互い殺傷能力だけを有する魔法なんて持ちえても争いを生むだけだし、誰も幸せにはなれないよ。もし自分が使えても誰かに損傷を与えることはしたくないし、そんな魔法なら存在して欲しくないと思ってる」
涼司は、哲学的と呼ぶには内容がぶっ飛んだ考えを吐露していった。
似たようなことを耳にした覚えもあるが、忘れちまった。デジャヴュってやつか。
「豪のツッコミだってボケる相手がいなければ成立しないだろ? 正義側だって敵がいなければ使いどころもないしね」
定義する幅が広すぎだろ。それに、俺の周りにゃ天然と勘違いと思い込みが激しいのばかりだから、自然発生的にそうなってるだけだ。それで飯が食えてるわけじゃねえし。
「でもさ。みんなの幸せのためにしか使えない魔法なら実際あってもいいんだろうけど、それじゃ物語は面白くないからね」
ついさっき魔法がどうたらと言ってた真面目少女は、そんな高尚な信念じゃなかったような気がするがな。
「要するに、物語の中だけで楽しむぶんなら何でもいいのさ。そういうものはな!」
「結論はそこかよ」
「紗都ちゃんがピンチの時、眠っていた血脈が蘇り突如魔法が使える。それで守れたら最高にカッコいいじゃないか!」
最終結論がそれか。
涼司は少しトーンを落とした声で、
「ただな、豪。眼鏡を外したら実は美少女に変身みたいなことは起きてもいいと思うんだ」
「印象ってやつが変わるだけで顔形が変化するわけじゃねえだろ。魔法でも何でもねえしよ。それに何だ、今は眼鏡をかけてることを好むヤツもいるらしいじゃねえか」
「息子と会話する父親みたいな言い方するなよ……」
ふんっ、どうとでも表しやがれ。そして俺を置いてきぼりにして構わねえから、お前はそのまま突き進むがいい。
俺は三匹目を食べ終えると、腹以外にも何か物足りなさを感じてならなかった。
何だかしっくりこねえな――。
俺は涼司に気づかれないように頭を振る。
紗都が魔法だとか抜かしてるもんは、せいぜい余興の足しにしかならない。所詮、その程度のシロモノだ。
いずれにせよ、俺だけに知らせたのだとしても、それで紗都との距離感が変わるわけじゃない。
それが一番折り合いが取れた状態だと、お互いが思っているはずだからな。
その後、授業に復帰した紗都とは絡むこともなく、家へと帰宅途中ダラダラと近所の公園沿いを歩いていたときだ。
何となく背後に人の気配を感じた俺は、立ち止まって後ろを振り返ってみる。
が、通行人の一人もいない。
たった今進んで来たばかりの、見慣れた景色が広がるだけだった。
誰かに呼ばれたような気もしたが――、気のせいか。
またもや紗都が弁当箱の回収にでも現れたのかと思ったが、あいつのおかしな話で神経が過敏になっていたのかもしれない。
何であんなことを俺に打ち明けやがったのか。
ノスタルジックなアニメの影響だか何だか知らねえけど、似たような趣味の持ち主とでも共有すりゃいいだろうに。涼司なら俺なんかより、よっぽど興味を持って話を聞いてくれるぜ。
俺は停止した身体を再び動そうと進行方向へ向き、
「こんばんは。いや、まだこんにちはって時間かも」
一歩踏み出したところで歩みを止めざるを得なかった。
中性的――。
涼司とは逆の意味でだが、最初に浮かべた印象はそれだった。
日に焼けたような薄褐色の肌に、トップを逆立てた襟足の長いショートウルフ。俺と同じ黒ブレザーとはいえ、スカートを履いていなければ顔の造形が整った男子とも取れる。女子にしては背も高めだしな。
……何より、どっから沸いて出た?
「あたし、乃浪氷織。ちなみに同じ学年のC組」
端的な自己紹介を終えると、垂れ下がった前髪の隙間から切れ長の目を細めてみせ、
「あんたが獅井名って人でいいのかな?」
褐色女子が懐疑的に訊いてきた。
「ああ」
俺は答えながら、僅かな不自然さを感じた。
制服を着用しているが、鞄は所持していない。手に握られているのは、透明の液体が入った500mlのペットボトルだけだ。
「初めて来た場所だったけど偶然にも会えたかな。あんたに会うために出張って来たんだから必然寄りかも」
ってことは、わざわざここまで来るだけの用事がこの俺にあるってことか――。
それはそうとして、初っ端からあんた呼ばわりはどうかと思いつつ、
「見知らぬ女子が来訪してくる予定はねえはずだが……用件は何だ」
「あたしと会って何も感じないかな?」
あ? どっかで顔を合わせてたっけか。
「残念なことに、運命的なもんは何もねえな」
「そこそこ笑えそうな返答かも。でも、対峙しておきながら余裕があるようにも見えるかな」
余裕も何も、初対面の応対としてはまずまずだろ。
「ここまで接近できるとはやや拍子抜けした展開だけど、あんたホントに〝護り手〟なのかな? あいつの情報はあんま当てにならないかも」
マモリテ? 何を言い出したんだ、こいつは。
「あいつって誰だ? よく解らねえが人違いなんじゃねえのか」
「いや、人は合ってるかも。つまり中身が正解なのかってことかな」
「言ってる意味がサッパリだな。単刀直入に頼むわ」
「すんなり正体を明かしてくれるなんて思ってないし、問答無用っていうのを採用してみようかな。でも、お互い本性出すにはちょい場所が悪いかも」
中性的女子は持っていたペットボトルの蓋を開けて液体を口に含むと、
「ブウェーヒゥン」
意味不明な語句を呟き、俺にも勧めるかのように腕を伸ばす。
容器の飲み口と冷ややかな瞳が俺に向けられている。
「…………」
俺も目前の女子も押し黙ったまま、決まり切ったように何も起こらない。
「……マギーミュールの類いね。この程度を防ぐのは当たり前というわけかな」
は……? 何の小芝居だよ。防ぐっつうか、全力で塞ぎ込みたくなるんだが。ったく、マジで構ってらんねえわ。
「特に急ぎの用事はねえが、空想劇に付き合う気はねえよ。悪いが他当たってくれ」
姿勢を変えないまま立ち尽くす褐色女子に告げた。
「仕方ない、かな。できればここで使用するのは避けたかったかも――」
じゃあ使うなよ、という定番的な俺のツッコミより先に、握った容器をさっきと同じように口元へ持っていく。
「エイスベイル」
状況を把握し切れていない俺へ追い討ちをかけるように、目の前で奇異な現象が発生した。
暗くなりかけた夕暮れの街並みで、そこだけ温度が下がったような彩りをみせている。
……何をしやがった。
抗議するためにプラカードでも取り出したのかと思ったが――、違った。
その手に、氷細工を思わせる馬鹿デカい斧状の無機物を出現させていた。袋から出したての棒アイスのように、白い気体がゆらゆらと下へ流れている。
おいおい、大道芸の押し売りでも始めようってのか?
って、悠長なことを浮かべてる場合じゃない。イリュージョンとでも呼べばいいのか、どこから取り出したのかさえ解らねえ。完全に手品を超越していやがる。
まるで、魔法の呪文でも唱えたあとに発現させたような……。
――魔法。
ジリっと近づいた褐色女子は、白煙が纏わりついた武具らしき物を俺の鼻先に構えた。
「あたし一人でどうにかできるとは思えないけど、それなりに爪痕は残せるかな」
何なんだこれは。誰かと共謀して小規模なドッキリでも仕掛けてんのか? マジで意味が解らねえぞ。
「何か反応が鈍いね。楽観視してるのか、それとも〝護り手〟っていうのはあいつの見込み違いなのかな」
俺は目先の氷塊と冷然たる相手の顔を交互に見やり、
「……ちょっと待て」
どうにか制止の言葉を捻り出した。
「脅してえのか驚かしてえのか狙いが読めねえが、話し合いってやり取りを知らねえのか」
粘着式トラップへ引っかかったように、後ずさることもできないまま訴える。
「あんまり知らないかも。これでもあたしなりに前フリはしたから、やるべきことをやるだけかな」
見るからにひんやりとしそうな白煙が地面に漂っている。感覚がマヒしてるのか、突き付けられているブツに冷たさなどは一切感じない。が、自分の意思に反して、背中から腰辺りに冷たいものが落ちていったのは解る。
「一方的に進めるつもりかよ。人の話はきちんと聞きましょう、ってガキの頃に習わなかったのか?」
俺自体も言うほど実践できてねえけどよ。
幸いなのか最悪なのか、視界には目の前の女子以外に人や車の姿は映らなかった。
同級生の女子と夕暮れの公園沿いで見つめ合う。こっから気持ちを打ち明けられる流れになったとしても、とても淡い気持ちにゃなれそうもねえ――。
交渉相手は女子高生らしからぬ冷笑を浮かべ、
「まあ、それもいいかも」
傘についた水滴を払う要領で腕を下方へ振ると、氷の彫刻とも呼べた物体は跡形もなく消えてしまった。
……どんな原理だよ。
俺は肺の空気を口から放出させる間もなく、
「話を聞けというより、俺のほうから訊きたいことがある」
「構わないけど、不穏を感じた場合は容赦なく討つことにするかな」
字が解らねえ。打つ? 撃つか? そんなことより、
「乃浪、だったよな。まず、お前が紫城学園の生徒だってことは解る」
「苗字を覚えたのなら、あんたにお前呼ばわりされたくないかも」
そりゃお互い様だろ、とは口にせず話を進めた。
「面識のないヤツから恨みを大人買いした覚えも、一戦交えるような気高い理由も思い当たらねえ。マモリテとかいうワードは聞きかじった記憶さえねえし」
俺は相手の疑心溢れる瞳から目を逸らさず、
「でだ、踏まえて何しに俺のところへ来た」
度がすぎる余興は拝見させてもらったから、本題といこうぜ。
「この期に及んで〝護り手〟じゃないって言いたいのかな。鼻で笑っちゃいそうなのは堪えるけど、よもや記憶を喪失しているといったお定まりの道筋は遠慮願いたいかも」
「いや、マモリテとやらが何なのかはマジで知らねえが、ガキんときからの様々な思い出は今でも保有してるさ。もちろんすべてを明確に思い出せるわけじゃねえけどな」
「最終的には、あんたの最も身近な者に用向きがあるかな。今日ここへ来たのは通過点にすぎないかも」
なら無許可で避けるか飛び越えるかして行ってくれとも思ったが、身近な者だと?
「それってもしかして――」
俺は言うべきことを躊躇した。程度の差こそあれ、似たような体験をしたばかりだ。この状況をあいつのやって見せたことと関連付けても、さほどおかしくはないはず。
ここで口に出すべきなのか――。
「そう、魔女のことかな」
乃浪と名乗る女子は、気にかけていた単語をあっさりと口にした。
やはりそうなのか。
口を閉じた俺を、褐色娘は冷ややかな目つきで凝視してくる。
「魔女王マトリッチ・サトランダ。通称、廻天の魔女。この世にあってはならない存在かな。こっちとしてはね」
……何だ、中学生が夜中にでも考えついたようなそのネーミングは。
「あんたが護るべきポジションへ就いてるなら、これですべての状況は把握できたかな? そろそろ覚悟を決めたほうがいいかも」
「だから、覚悟も何も身に覚えがねえって言ってんだろうが。あいつと俺に何の関係があるってんだ」
「魔女が復活したことを知ってるのに、無関係というのはちょっと無理があるかな」
「ふんっ、単なる紗都の戯言だろ。復活とか、そんな大層なこととは思ってねえよ」
「魔女自身はどうかな。真意まではあんたに語ってないだけかも」
真意――。
「あのな、お前が紗都と顔見知りなのかは知らねえが、あいつの言ってることを真に受けてるってのか」
「顔見知りと言えば聞こえはいいけど、そんな普遍的間柄じゃないかも。端的に説明すれば、宿命的に知らされたとでも表せば解りやすいかな」
余計に解らん。というかハショリすぎだろ。
「紗都がガキみてえに願ってたのにも呆れるが、俺からしてみりゃお前が言ってることだって同じようなもんだ。そんなもん、信じもしなけりゃ興味もねえ。お遊戯じみたことは俺抜きで勝手にやってくれ」
乃浪は片手を腰に当てると、顔色を窺うように俺を見据えた。
「そこまで言うのなら、一つ愚問を浴びせてみようかな。答える義務もないだろうけど、返答次第であたしの使命は果たしたことにするかも」
黙っているという選択肢はなさそうだと諦めつつ、
「何だよ」
「あんたさ、魔法を使えるのかな?」
そりゃ愚問だな。ジェット機を操縦できますかと訊かれたほうが、いくらか現実味がある気がするぜ。
「何を指して魔法と言うのか、お前が想定してるものを鑑みるに俺にそんなもんは付随してねえな」
「秘めたるパワーとか、潜在する能力とか、異才の覚醒とか。そういったものも皆無かな?」
よく解らねえが、それって全部似たようなもんだろ。しかも後出しくせえし。
「今んとこねえよ。というか、この先もねえし」
「ん……。疑いは捨て切れないけど、確かに面と向かっていても法力を持ってるように感じられないのは事実かな。仲間がわんさか集まるわけでもないし、あいつの調査不足かも」
「調査不足だ? ふんっ。魔法だか法力だか、この世にそんなもんあってたまるか。どんなトリックを使ったのか威嚇めいたことまでしやがって。お前のやってることは犯罪ってやつに該当すんじゃねえのか」
「犯罪? 冗談キツいかも。今のは少し笑ってしまいそうになったけど、罪を犯すなど正義の側が行なうことじゃない、かな」
正義……だと? こんな寸劇みたいなことをやってるのが正義だというのか。
「まあ、少し事を急いだのは否みきれないかな。あたし一人じゃとても魔女には太刀打ちできないし、まずは側近を減らすことに目を向けようって考えたんだけど」
「壮大なストーリーが脳内で描かれてるようだが、そこに俺を登場させんじゃねえよ」
草や木といった静止物の端役でもだ。
「あんたがあまりにも魔女に近いからこうなったのかも」
「俺の意思で隣に住んでるわけじゃねえし」
乃浪は俺の反論を完全に袖にし、
「それに、存在を知ってしまったからには単なる一般人扱いはできないかな。あんたにも監視の目が強化されるし、それが世の常かも」
勝手に押しかけて認定しやがったくせに、その上見張られるだと?
「笑わせんな。お前は一般人じゃねえとでもいうのか」
「そうかも。でも謎めいた存在のほうが魅力的かと思うし、秘密ってことにしておこうかな」
「くだらねえな」
「ここでのことを魔女に報告してもいいけど、犠牲を伴うのがお互い早まるだけかも。いずれにしても、魔女の存在は消す、かな」
乃浪はあたりを見渡すと、
「あんたに対するあたしの判定は三角ってことで、今日は失礼させてもらおうかな。またお目にかかることを願っておくかも」
フッと冷たく微笑み、ペットボトルからゴクンと水分補給すると、
「ブウェーヒゥン」
忽然と姿を消した。
……消した?
俺はぐるりと視点を一周させる。
マジで消えやがったんだが――。
ある意味、好事魔多しってことなんだろうか。良くないことだから邪魔も入らないってほどあたりは無人状態だ。
何だったんだよマジで。カメレオン形態ってやつなのか? もしや、メタマテリアル製の制服でも着込んでたのか?
いや、そんな自然とか科学だとかのレベルじゃねえ。奇術なんかもってのほかだ。
ゴゴーーッといった唸り声が頭上へ降り注ぎ、俺は咄嗟に見上げてみる。
止まっていた時間が動き出しかのように、空には飛行するジェット機が横切っていく。
思いっきり現実へ引き戻された俺は、これといった理由もなく、点滅した赤いライトを目で追った。
ははっ……、もう笑うしかねえだろ。これが夢なら、今すぐ誰か揺り起こしてくれよ。
正体不明のステルス攻撃により、俺は精神的に疲れているはずだった。
が、すんなり眠れるかと思いきやそうもいかない。ガキが遠足前日に寝付けないのとはかけ離れたものだ。
早めに寝ちまおうと夜の一〇時にはベッドへ横たわったものの、一時間ほど空間の終着点を眺めるだけになっている。
いったい、どうすりゃいいってんだ――。
自宅へ入る前に弁当箱を返そうと隣の家を訪ねたが、洋風の大きな郵便受けが目につき、そこへ放り込んだまま帰宅した。あいつと顔を合わせたとしても、何をどう話していいか解らなかったからだ。
晩飯を食う間や風呂へ入ってるときでもなるべく意識から遠ざけてみたが、ここへきてグルグルと頭ん中を渦巻きやがるとはな。
俺は寝返りを打ち、しばらくぶりに体勢を変えてみる。
紗都が魔法だかを使えると言い出して、手品レベルのことをやってみせた。魔女になったとかいう発言はギリギリ妄想レベルで済むことだ。
しかし、公園沿いで体験したものは明らかに異質な現象だった。指先から火を出すとか増やした物を消しちまうとか、その何十倍何百倍と不可思議に思えることが、俺の見てる前で実際に起きた。
フィクションでさえたいした関心もねえ俺に、驚き以外の何を感じろってんだよ。
こういった場合、普通ならどうするべきだ。この世に魔法はあったんだぜ、と周りに触れ回ればいいのか? それともネットの掲示板やブログにでも書き込むのが今風なのか?
普通って言葉が何なのかもよく解らなくなってきたが、そんなことをしてみせれば俺自体が変わり者だと思われちまう。
自分の上半身ほどもある武器まがいを、女子の細い身に隠し持てるはずがない。あんなもんをポンポンと出せるなら、学園祭でかき氷屋でも出店すりゃ元手がかからねえよな。
妙な超常的現象は俺の理解を超えてやがる。ここで考察しても意味がない。
「それよりも、だ」
自分に言い聞かせて身体を起こすと、床に足をつけベッドへ横座りする。
あの乃浪とかいうヤツ、終始俺を敵視しているような口振りだった。
――最終的には、あんたの最も身近な者に用向きがあるかな。
何より、これのほうが胡散臭い気がしてならねえ。
あまりの途方のなさで、さすがに演技型罰ゲームが続いてるとは思えないし、いたずらにしちゃあ手が込みすぎている。
やっぱり紗都に忠告しといてやるべきなのか――。
女みてえに枕へ顔でも埋めてやろうかと思ったが止めた。
何で俺がこんなことを考えなきゃならねえのか。元はと言えばあいつが夢みたいなことを考え続けてたせいだよな。こんなことがお望みの展開だっていうのかよ。
そこへ、さあ気づけと言わんばかりに、枕の横で震える物音がし始める。
振動が長い。電話か。
買い換えたばかりのスマートフォンを手に取ると、珍しいヤツの名前が目に飛び込んできた。
まさか――。
画面をフリックし口元へ持ってくると、
「何かあったのか?」
即座に紗都へ問いかける。
『何よ、いきなり。まぁ、あったと言えばあったけれど……』
「見知らぬヤツと話したとか、何か妙なもんを見せられたとか」
俺がまくし立てるように言うと、
『な、内塔くんのこと? あれは向こうが一方的にメールアドレスを教えるために携帯の画面を見せてきたから』
「はあ? 誰だ、それ」
『ほら、昨日カラオケに行こうってメンバーにいたA組の男子よ。あなたに来るのか来ないのかって訊いてた』
いや、顔も思い出せねえし。
「そんなヤツのことはどうでもいい。そうじゃなくて女だ、女」
『今日から登校してきた千代田さんのこと? まだ挨拶程度しか交わしていないけど』
「それでもねえ。その女じゃなく――」
『ねえ、さっきから何なのよ。私の話なんか聞く気もないでしょ? 女、女って、高校生になったと思ったら随分と色気づいたものね』
「くだらねえこと言ってんじゃねえよ」
『そうね。あなたに話そうとしたのは間違いだったのかも。もういいわ、おやすみなさい』
「あ、おい――」
紗都はお構いなしに通話を切断した。
……何をやってんだか。
滅多に電話なんかかけてこねえから何か仰りたいことがあったんだろうが、もういいって宣告してえのはこっちのほうだ。
俺は枕元へ通信機器を放り投げると、身体もベッドへ投げ出した。
チッ、どうなろうが知ったこっちゃねえ。勝手にしてくれ。