phase13
俺は黒い獣が捕獲された真下、散在する少女団の中央で身体を止めた。
「おいっ」
こいつらを引かせないと、バカげたアニメ的争いは終わりゃしねえんだ。
「こんなことして何の意味があるんだっ。お前らが紗都に仕掛けるからどんどんエスカレートしてんじゃねえか!」
「言ったはずです。力を持っているだけで討伐の対象になると」
炎使いのリーダーは、ピンク色を気にしながらも俺に言う。
「ふざけんな。お前らの力と何が違うってんだ。火だの氷だの、お前らが悪用しないって根拠を答えてみせろ!」
「わたくしたちは正――」
「正義だからとかくだらねえことを言い出さねえよな。一人で勝てねえからって仲間と協力するだ? そんなもんは正義でも何でもねえ!」
「獅井名さんのお言葉は一般論として心に留めておきます」
こいつ、強攻する気か。
俺は水飲み場前にいる紗都を見やる。黒フードを被ったまま両手をダラーンと下げ、空を見上げて茫然自失状態だ。
「紗都っ、バリアを張れ!」
「聖獣バロンが表に出ていては、障壁を造立することもできないのでしょう」
何だって……。あいつ、引っ込めかたが解らないのか。
「……止めろ! おい、圷っ。てめえ紗都のダチなんだろっ。何とも思わねえのかよ!」
俺の大声だけがグラウンドに響き渡る。鳴世も千代田も乃浪も、神妙な顔を崩すことなく何の反応も見せない。圷だけが今にも泣き出しそうなツラをして、ハート型を見つめていた。
御堂妹の顔から一切の笑みが消え、
「トット、ズィェンス。アーンヴァレン」
抑揚もなく淡々と呪文を唱えた。
ハート型が急速に動き出し、紗都へ激突する角度で落下してくる。
紗都は身構えることもしない。あいつ、諦めたというのか。
ダメだ、マジで当たっちまう。
「逃げろっ、紗都!」
俺が覆い被さったとこで、あんな弩級のハート結晶みたいなものから紗都を守りきれるはずもない。もう、間に合うかも解らない。
そう思いつつも、俺の足は動き出す。
と、ピンクハートを捉えていた俺の視界に、猛追する黒い塊が入り込んだ。
あれは――。
紗都が出現させたバロちゃんという黒い獣が、スリップストリームだかで立体型ハートを追い越した。そして、行く手をさえぎるように空中で立ちはだかる。
「ありえません!」
顔なんか見えやしないが、声を上げたのはおそらく少女団リーダーだ。
二つの塊が激突し、強烈な白光があたりを照らす。一瞬の芸術的放光のあと、光は花火のように儚く散っていった。
助かった……のか。
気づくと、立ち止まっていたグラウンドには静寂さが戻っていた。
とは言っても、塊同士がぶつかった爆音が轟いたわけでもなく、俺の張り上げる声が止んだからなのかもしれない。
そもそも紗都を含め、こいつらの使う魔法には音がない。紗都には大音量に感じるらしいが、まさか魔法を使えないと音が認識できないシステムってわけじゃねえよな――。
ふんっ、涼司。お前がブルーレイディスクを購入して世界を救えたのかは解らないが、少なくとも、紗都のピンチは救えたみたいだぜ。
「なんでバロちゃんが……」
紗都が片膝をついてうなだれた。
自分で引き戻したんじゃないのか? まさか黒い獣が自ら行動したとでも。
少女団側は、各々が精根尽き果てたといった様子を呈していた。
「御堂っち、もう身体がカチコチで動かないよー……」
鳴世がグラウンドへ大の字になって泣き言を言い、その近くで体育座りしている千代田は傍に落ちたヘッドフォンに視点を固定している。
大っぴらに足を開いてへたり込んだ圷は、
「これで眞取ちゃんに嫌われてしまうのは確実なのです……麻輝奈はまたクマノスケしか友達がいなくなってしまうのです……もう麻輝奈は目を開けていられ――」
熊のぬいぐるみにぶつぶつと語りかけている途中で、コテンと横になった。
「最終超結合魔法を阻害されてしまうとなると、もうわたくしたちには打つ手が……」
リーダーの御堂妹でさえ悲観的なことを口にし、俺の後方で立ち尽くしている。
アニメなら今の一撃で親玉を倒してめでたしめでたしってとこだろうが、むしろこれでよかったような気もする。倒す手立てを失ったなら、こいつらも諦めるしかないだろうしな。
「……絶対に許せない」
黒フード優等生がひそやかに漏らし、ゆっくり顔を上げて前を向く。
「イミテーションだったとしても、バロちゃんは私を庇って消えてしまった。内塔くんだってそう。私を守ろうとしてみんないなくなっていく……」
紗都は片膝をついたままチークブラシを上へ放り投げると、自分もその場で跳び上がった。
あいつ、まだ何かやらかすつもりか。
ブラシは五メートルほどの高さでホウキサイズへ早変わりし、紗都はその上で波乗りでもするかのようにグーフィースタンスを取ってみせる。
「おいっ、延々と続ける気かよ」
そう訊ねた俺へ、紗都は大きな瞳を値踏みするように合わせてくる。
「あなたまで消えることになったら、魔女になった意義が無に帰するの。だから――」
左の掌上にゴルフボール大の黒い球体を生み出し、
「すべてを終わらせるわ」
黒フードを右手で後ろへ払うと、ツーサイドアップの長い黒髪が不規則に宙を舞った。
こいつ、キレやがったのか。
紗都のこんなおっかない顔を見たのは初めてだった。
髪が蛇に変わっちまったわけじゃないが、見続けていたら本当に凝固してしまいそうな無機的な目をしている。遅刻した俺にプンスカしているレベルじゃない。あからさまな怒り顔じゃないだけに、余計に怖さを感じさせやがる。
紗都は羞恥心もクソもなく、乗った飛行ブラシをさらに上昇させた。掌に浮く黒い球体は遠近法で小さく見えるはずが、バスケットボール並みの大きさへと変わっている。
「あれは……」
俺の斜め後ろから御堂妹が臆するように言いかけ、
「デ・メースト・ゲヴァァルライク・ピックズウァルト」
呪文でも詠唱したのかと思ったが違った。
「何なんだ、いったい」
俺は紗都の手元を見据えながら、質問っぽい言葉を口にする。
「〝最も危険な真黒〟と呼称される最悪の魔法です」
受け止めた御堂妹が端的な説明を寄こした。
「あんな小さくて丸っこいのがか」
「あれを放てば想像もつかない範囲に被害が及ぶでしょう。何も残ることはありません。ただ単に、魔女が立っているだけの光景になると言われております」
……内塔が例に出していたアレか。
そんな馬鹿なマネはしないと豪語してきた俺が、一番馬鹿野郎になりそうだった。
ウソだよな――。
校舎の壁に設置された時計に目がいった。午後十一時五五分。自分の腕時計を見直してみるが、まったく同じ時間を示している。
内塔が言っていた真の復活だかが起きたわけじゃない。もしかすると、それさえもズレてるのか?
紗都は無慈悲にも見える顔のまま、ブラシ上でバランスよく突っ立っている。
黒い球体は現在進行形で増大していた。煮えたぎった黒い沼地がそのまま球体になったかのように、表面にはボコボコとした起伏がデタラメに沸き起こっている。
見た目だけなら視野へ入ってるだけで気分が悪くなりそうだぜ。黒い球体のほうをな。
「……魔女ぉぉぉぉっ!」
突然一人で何人分もの怒号を飛ばした乃浪が、氷斧片手に紗都へ突撃を開始した。
「氷織さんっ、無茶なことはお止めください!」
リーダーの言葉を無視し、褐色女子が優等生魔女目掛けて跳躍する。
紗都は優雅にも見える動作で空いた右手をすーっと上げると、無言でそれを振り下ろす。
五本の各指先から、毒々しい紫の煙が噴き出した。
その一つが乃浪を捕える。鉄格子付きの獄屋みたいなものに閉じ込められた乃浪は、地上へ叩きつけられるように押し戻されてしまう。他の四人の身体も、同種の紫ケージに囚われる形となった。
乃浪のヤツ、余計なことをしやがって。刺激してんじゃねえよ。
「これでおとなしくしてもらえそうね」
手元に浮いてる黒玉が重くなってきたのか、紗都は左腕を掲げて支えだした。
俺は御堂妹へ顔も合わせず、小声で訊ねる。
「なあ、さっきのハート型であの黒玉だけ片づけられねえのかよ」
「無理です。動きを封じられたわたくしたちは、ご覧のとおり手も足もといった状況ですから」
紗都に引っ込めさせるしかねえ、ってことか。たとえ最終魔法だかを撃てたとしても、こいつらは迷わず紗都の身を狙いやがるだろうしな。
「やはり早期に打ち倒しておくべきでした、といったところでしょうか。残念でなりません」
後悔先に立たずってやつか。いや、後の祭りか? そんなもん、今はどっちだっていい。内塔だって同じような気持ちを味わわされたはずだ。
上空へ浮かんだ紗都は、あられもない恰好のくせに立ち姿は凛とした佇まいをみせてやがる。こんな角度から見上げてるのをわざわざ知らせたくもねえが。
「おい紗都っ。お前、それがどんなもんか解っててぶっ放そうとしてんのかよ」
球体は黒組大玉転がしといったサイズに膨れ上がっていた。そろそろ形容する球がなくなりそうだぜ。
「解ってるわよ」
俺を見下ろしながら、紗都はすんなりと答えやがった。
……解ってるだと?
紗都が絶妙なアーチ眉をひそめる。
「悔しいとイメージしたらこれが出てきたの。おそらく払拭できる効果が見込めるはずだわ」
解ってねえじゃねえか……。
「とにかくそれを引っ込めろっ。お前が考えてるより遥かにヤバいもんだ」
「あなたに何が解るのよ。それとも、そっち側の意見を真に受けているの?」
「そうじゃねえ。内塔も言ってたことだ。ヤツのことならまだ信憑性があるだろっ」
「あなたはできるだけそこから離れて。私はもう逃げたくないのっ」
こいつ、マジで撃つ気か。
「もうこいつらにゃ、お前を倒す力は残っちゃいない。ひとまず矛を収めろ!」
「……今すぐ離れてよ」
月を跨ぐ時間も目前なはず。真の復活だかで冷酷無比な凶行に及ぶ前に、何としても止めさせないと。そうは言っても、止めろ止めろと言うだけじゃダメだ。
紗都を納得させるような、これってのを叩きつけねえと……。
ふいに紗都が片目を瞑った。
だが、意図があってした目配せや、好意を示した意味ではない。
女子高生が腕力に見合わない物を持ち上げているってだけの、単なるしかめっ面だった。
俺と紗都は単なるガキの頃からの知り合いで、特別な結びつきがある関係ではない。魅了する言葉なんか思いつきもしねえが――。
「この先、俺の言うことなんか一つも利かなくていい。だから、今回だけは飲み込めっ!」
こんな争いを続けても不毛なだけだ。俺が知ってるお利口さんなら、そろそろ気づけよ。
「紗都っ!」
俺は眠ってるヤツを叩き起こすぐらいの勢いで声を荒げる。
今日だけで何度名前を叫んだことか。顔を見るのも勘弁だ、とまでは思わないが、三ヶ月くらい封印したい気分に陥りかけたとこで、
「……解ったわ」
紗都が苦々しい顔をしながらも承服に転じた。
やっとかよ……。
合意したその言葉を耳にして、俺の気が抜けそうになったときだ。
「けどね、もう支えていられそうもないの。撤回する方法が解らないのよ……」
紗都は困ったガキのような顔で絶望的なセリフを吐いた。
冗談だろ、と言いたいとこだが、こいつがブラックジョークなんか口にするはずもない。
マジで最悪の事態じゃねえか――。
アドバルーンなんて手が届く位置で見たこともないが、広告気球ほどに膨らんだ不気味な黒玉は、中で生き物がうごめいてるような外面で膨張を続けている。紗都が放り投げなくても、その場で破裂しそうな勢いだ。
あの黒い獣と同じで出した本人が引っ込められないってのに、どう処理しろっていうんだよ。
「もう終焉のようですね」
少女団リーダーの弱々しい声が聞こえてきた。
「獅井名さんが気丈にも立っておられるのが不思議でなりません。わたくしはこの不快な音や臭いだけで、今にも意識を失ってしまいそうですから。却って楽にエンディングを迎えられるのかもしれませんけどね」
エンディングだ? 勝手に諦めて幕引きしてんじゃねえよ。
他の魔法少女団メンバーも立ち上がっているヤツは誰もいない。紗都が閉じ込めた紫の檻ん中じゃ、消える魔法も使えねえのか。
――消える。
俺はそのフレーズに、妙な引っ掛かりを覚えた。
……消えるってなんだ?
いや、俺には消えることなんてできない。
何を気になったんだ、俺は。
消える……。
――あなたにしか気づけないことが浮かんでくるはずです。
あのギャル雑誌の占いにも書いてあったはずだ。紗都の願いを叶えたというのなら、俺にもちっぽけな予想くらい浮かばせてみろ。
俺にしか気づかないこと。
――音、臭い。
――消える。
……そうだ、俺の場合はどうだった。
無理矢理浮上させた過去の様々な出来事が、急速に一つの結論を導き出そうとしている。
まさか……、そんなことがありえるのか?
目線だけを上にやり、紗都の姿を目に入れた。
「何とか空へ向けて撃つから、ご、あなたは逃げて……」
紗都の声色と左腕が震えている。重量なのか、それ以外の要因なのか知ったこっちゃないが、もう支えていられるのも時間の問題だろう。
このまま俺がトンズラすれば〝魔法少女団だけ〟が吹っ飛んじまうかもしれない。だが、ヤツらに退場を願うにはそれじゃダメなんだ。一見矛盾したことにも思えるが、今の俺に気づけるのはそれしかない。突き詰めたり、迷ってる暇もねえのさ。
「おい、随分と重そうじゃねえか」
俺は重ねた机でも運んでる相手へ言うように、
「代わりに持ってやってもいいんだぜ、優等生様」
紗都に軽口を叩く。
「……こんなときに何を言い出したのよ。もう本当に限界なの。お願いだから早く避難してっ」
紗都は片方の大きな目を塞ぎつつ、珍しく言葉へ出しながら俺に願い出た。
こいつは二度とこんな巨大あんこ玉みてえのを生み出したりしないだろう。だから、そいつを空の彼方へ投げられても意味がねえんだ。
「なあ、魔女になって強くなったんだろ? だったら俺にぶち当てて証明してみろ!」
そうじゃないとこっちも証明できねえんだよ。
「そんなことでき――」
紗都の意思とは無関係に、禍々しい大黒玉が落とすように発射された。鉄球だったら半分はグラウンドへめり込むような、そんな重量にも見える。
もし見込み違いだったら……という一抹の不安を抱いたところで、
「くっ」
俺の視程はすぐに黒で埋まった。
不思議なもんだが、こんなときっていうのはホントに時間がゆっくりと流れるのか。最後に少しでも現世を見とけと、誰かが計らってるのかもしれねえな。
――私は他人へ迷惑をかけるために魔女になったわけじゃないわ。
だよな、紗都。お前の言葉を信じてやるよ。
「いやよっ。避けて……豪ちゃんっ!」
紗都の絶叫と共に、押し潰されそうになる圧迫感が俺の中で湧いた。
巨大な黒い影が俺にのしかかる。
暗い――。
のちに感想を述べろと言われたら、追想する言葉はそれしかない。
だが、暗いと感じた俺の目には、通常の闇夜が映し出されていた。
紗都がちゃん付けで俺の名前を叫んでから、物音がすることはなかった。音もなく俺の視界が晴れ渡ったという証拠だろう。
ふう……。消えやがった、か。
これでヤツらに言い聞かせることができる。それでもぐだぐだ言うなら、やっぱり実力行使しかねえよな。
特別教室棟前のトラックゴール付近に目をくれる。大仕事を終えた魔女は無事地上へ降着し、女の子座りのまま両手で顔を覆っていた。
俺は紗都へ一言だけ告げるために、あわてることもなくゆっくりと近づく。
こいつ、気づいてないんじゃねえのか?
俺が目の前に立っても、紗都は悲嘆に暮れるような姿を継続していた。
ツーサイドアップの細い二束でも引っぱってやろうかと思ったが、
「ごっ、豪ちゃん……」
いきなり顔を上げ、意表をついた呼び名を口にしながら俺を視認する。
ったく、ガキの頃に退行してんじゃねえよな……。
ツヤ感のある唇が開いた紗都の小顔へ向け、
「ヤツらを追い払ってやるからよ。そこにおとなしく座っとけ」
俺はそう言い、魔法少女団リーダーの元へ引き返す。