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非魔法少女主義!  作者: ミサキ
1/14

phase1

「遅いわよ」

 待ち合わせ相手に告げられたセリフは声色もテンションも低いものだったが、俺を冷やすまでの冷涼さは含んでいなかった。

 どうせならキンキンに凍りつく言葉を浴びせてくれ。俺にマゾヒズムな兆候は見当たらないが、小走りしたおかげで余計に暑気を感じやがるからな。

 高校の入学式から三週間ほどしか経たないというのに、四季が短縮モードにでもなっちまったのか、春をすっ飛ばして初夏が訪れたような陽気が漂っている。

 朝からこの調子じゃ、昼飯時には夏の代名詞が鳴き出すんじゃねえのか? と、このあと直面する何とも決まりが悪い状況から意識を背けてみた。

 ランデヴー時刻を順守したであろう待ち人は、我が校の名が付いた紫城学園前駅しじょうがくえんまええき改札を出たところで柱に寄りかかっている。

 俺の代わりとばかりに、ローファーのつま先で地面を突きながら――。

「約束の時間に待たされるなんて人生で三度目ね。しかも二度目は昨日。相手はあなた」

 高確率だな、と頭に浮かべ、

「悪い、何だかホームで知らねえ子に話しかけられちまってな」

 俺は目の前の眞取紗都まとりさとにそう弁明した。

「そんな軽々しい理由で二分も遅れたっていうの?」

 紗都はデカい目を細め、頭一個分ほど下の女子平均身長から威圧まがいに睨んでくる。

 昨日よりはいくらかマシだろ。唐突に得体の知れない連中に追いかけ回されてりゃ重々しいってのか? プンスカされても怖かねえが、二分遅れたくらいで詰め寄るのはどうかと思うぜ。

「俺から話しかけたわけじゃねえし、そう、不可抗力ってやつだ」

「不可抗力って……あなたのチープな出来事に使う言葉じゃないわ。辞書引き直してみれば?」

 むしろ、ニュアンスって語句を引いてみてくれ。

 紗都は俺に視線を定めたまま学校指定の鞄に手を入れ、青い布に包まれた直方体を取り出す。

「これ」

 最小限の言葉で受け取ることを促すと、

「昨日同様好きにしていいから」

 布の結び目を無造作に掴みながら、俺の胸辺りにトンっと接触させた。

「無理して続けなくてもいいんだぜ? 俺は助かるけどな」

 言いながら差し出されたものを拝受すると、何やら周りからの視線を過剰に浴びてることへ気づく。

 横を通り過ぎていく類似性を持ったブレザー姿のうち、フレアスカートの集団はチラ見しながらクスクスと笑い声を漏らし、ズボンの一行は羨望……いや、怪訝な眼差しを向けていた。

 こいつら、料金不要の見せ物だと思ってねえよな。俺だって好き好んでやってるわけじゃねえんだよ。おそらく紗都だってそうさ。本意じゃねえんだろ、こんなこと。

「別に無理なんかしてないわ」

 よそ見をするなと言いたげに返答を寄こし、

「一度決めたことは必ずやりとげてみせるから」

 まっすぐ見つめられた瞳によって、思わず身体も思考も凝固しそうになる。

 相も変わらず、強情なまでの真面目っぷりだな。

 俺はちゃかす気もなく第三者目線で、

「ま、目的はどうあれ健闘を祈ってやるよ」

「健闘っていうのは立派に戦うってことを指すの。見えない敵と戦うほど暇じゃないわ。辞書でよく調べることね」

「ああ、そうかよ。そんじゃ、精一杯頑張ってくれ」

 頑張ってやることなのかさえよく解らないが、せめて言葉の上だけは応援するフリをしてやろう。

「で、今さら確認なんだけどよ。確か、紗都の家と俺の家は隣同士だったよな」

「それが何か?」

 俺は青い包みを紗都の眼前にブラつかせ、

「これ、俺がウチを出る前に届けるわけにはいかねえのかよ」

「それは無理ね」

 質問を予測してたかのように即答しやがった。

 黒ハイソックスの足を一歩踏み出した紗都は、声を押し殺しながら俺へ切言してくる。

「高校生にもなって毎朝幼なじみの家に通い詰める。今どきそんな恥ずかしいマネ、できるわけないでしょ」

 いや、中学んときまで恥ずかしげもなくやってましたってなら解るが、細かい事情なんか誰も気づかねえし、俺だってそんな展開は望んでねえよ。

 ただな――。

「とにかく、ここじゃなきゃダメなの。だからあと一回。きっちりとやらせてもらうわ」

 居丈高に腕を組み、俺の口がつぐむよう目力で封じ込めている。

「じゃあ、そういうことだから。また明日ね」

 そう言って踵を返すと、紗都は腰まである黒髪をドレスのように翻し、ツーサイドアップだかの二本を揺らめかせながら俺の元を去っていった。

 また明日、と言っても教室で顔合わせんじゃねえか。

 相手に届かぬ無意味な切り返しをすると、受け取った物を鞄にしまい込み、俺も学校へと向かうためその場から歩き出した。

 ったく……。何に固執してんだが知らねえが、笑顔もなしにこんな場所で渡される立場になってみろと言いたい。そんときゃ耳元で囁くようにはしてやるが、特大の拡声器を使った上でな。

 だが、こんな奇妙なやり取りもあと一日の辛抱だ。明日を乗り切れば、自ずと終わりを告げるんだろうさ。



 駅から住宅街の真ん中を通る長い並木道を抜け、俺は学校へと辿り着く。

 前方に見えていたはずの細身な女子型シルエットは、何をそんなに急ぐことがあるのか、いつの間にか視界から消え失せていた。

 並んで登校なんて絵面は俺もあいつも描いちゃいない。たとえ家が隣同士としてもだ。

 昇降口にはブレザー姿の男女が、たかだか靴を取り替えるために肩を寄せ合っている。

 そんなにくっついていたいなら、いっそのこと二人三脚でもして通学すりゃいいのさ。羨ましい気なんか小指の先ほどもねえが、さっさとそこからどいてくれ。

「ゴーゴーっ、豪!」

 未だ閑散とした場所に突出した喚声が響く。

 朝からやかましいヤツがいるもんだ。いつもより早く起きた身としては、まだまだ静寂な部屋で寝具に包まっていたいというのによ。

 男女二人組みが消えスペースが空くと、俺は下駄箱上段から上履きを取り出し、投げるように地面へ置いた。

「おい、獅井名豪しいなごう! 三回も名前を呼んだのに無視することないだろっ」

 やかましいと感じた声の持ち主が、中性的な顔を引っさげて横から話しかけてきた。

 顔見知りから赤の他人へ格下げしてやろうかと思ったが、

「あのな、セコンドが劣勢なボクサーを鼓舞するように呼ばれても――」

「今日も紗都ちゃんからアレ貰ってきたのか?」

 せめて最後まで聞けよ。ホントに他人扱いすることを考慮し始めてやろうか。

「知りたいことがあるなら本人に訊け。その代わり、言葉使いに気をつけねえと容赦なく修正してくるぞ」

 俺はクラスメイトである御堂涼司みどうりょうじにそう進言してやった。

「紗都ちゃんの情報を入手できるのは豪くらいしかいないんだからさ。貰ったのか貰ってないのかハッキリ教えてくれよ」

 俺を少し見上げるような角度で涼司が訊ねてきた。痩身で女みたいなツラ同様、訊いてくる内容も異性のそれに思える。

 無言のままポンッと鞄を叩き、俺は教室のある二階へと向かった。

「待ってくれよ。それ、いつまで続くんだ?」

 黙々と階段を登りながら、再度確認するように期日を浮かべてみる。

 ――明日だ。三日間という約束の最終日は明日やってくる。

 そもそも、これを頂くという行為は俺にとってあまり意味をなさない。涼司のヤツは何か勘ぐってやがるのかもしれないが、俺とあいつはそんな甘ったるい関係じゃないからだ。強いて言えばガキの頃から隣の家に住んでるってだけで、俺的には幼なじみなんて語句に期待や妄想も抱いてはいなかった。

 今やってることは、単なる紗都の押し付けでしかないからな。

 涼司は俺の返答がないことなど忘れてしまったかのように、妙な質問を追加してくる。

「なあ、紗都ちゃんはお前を起こすときにどんな方法を使ってくるんだ?」

 はあ?

「上に乗っかってきてポカポカ叩いてくるのか? それともベッドの下から大事なものを見つけ出して、起きないと捨てるわよってタイプか?」

 こいつは時々意味不明なことを口にしやがる。勝手に部屋へ入ってきたら不法侵入だろ。これでも毎日必死こいて自分で起きてんだよ。

 とりあえずシカトで歩行スピードを上げてみた。

「内緒にして自分だけのお楽しみタイムにする気か!」

 叫びながら追いすがってきた涼司と共に、F組と掲げられた教室へ足を踏み入れる。いつもより時間が早いせいか、室内にいる生徒は半数にも満たない。普段なら始業時間ギリギリで入室する俺にとっては、馴染みのない景色だ。

 紗都のよく解らない行ないによって昨日今日と優等生的な通学時間を強いられ、クラスの連中が腫れ物に触るまではいかずとも、眺めるくらいの視線を俺に投げていた。

 俺が早く登校するのはそんなに珍しいことなのかねえ。ま、入学以来まともに来たことなんかねえけどさ。たかが何分かの差ってだけで、世界が違って見えるぜ。

 昨日もこんな感じだったよな、と思い返しながら教室内指定席がある窓際の最後列に進む。入学初日以降空きっぱなしの隣席を視界に入れつつ、鞄を机にかけると椅子に腰を下ろした。

 前方に目線を転じると、紗都の姿を捉えた。

 教卓の真ん前の席で、すでに圷麻輝奈あくつまきなという女子と談笑中だ。

 俺に向けていたものとは違う柔和な表情をして――。

 あいつと俺が旧知の仲だということを一部のヤツらは知っているだろうが、単にお互い知った顔という程度の認識で、普通ならそれ以上の詮索思考は持たないだろう。校内ではほとんど口も利かねえし、問いただされるほどの過去も所持しちゃいねえからな。

 それでもやっかみ的な口出しをしてくるヤツがいる。この涼司もそうだ。

「五百円でどうだ」

 唐突に、やや金色がかった硬貨が目の前へ提示された。

 俺はブレザーのポケットから板ガムを一枚取り出し、それと引き換えに涼司の掌に乗ったものを遠慮なく受領する。

「そうじゃないだろ、豪。アレを寄こせ」

 オーバーアクションでガムを突き返してきた涼司は、別の物を要求してきた。

 ったく、売りもんじゃねえんだよ。でもな、

「これの一〇倍なら検討してやってもいいぜ」

 と、俺は受け取ったニッケルシルバーを親指で弾いてみせる。

「売るのかよ! と言いたいとこだけど、持ち合わせがあれば払ってしまいそうな自分が怖い」

 涼司は額に手をやり、どうやって工面すればいいか真剣に悩んでるような姿態をとっている。

 冗談に決まってるだろ。それと、

「布切れに包まれた物については、あまり大声で触れてくれるな」

 ただでさえ、二日間も駅で小っ恥ずかしい目にあってるんだ。紗都だって学校へ来てまで話題にする気はなさそうだからな。

「豪よ。羨ましい限りだ。せめて開封するときに中だけは拝ませてくれよな」

「ああ。気が向いたらな」

「向く努力くらい怠るなよ!」

 言い捨てると、涼司は落胆といった色を背中に滲ませ、自分の席へと戻っていく。

 気づかないようだから、こいつは拝観料の前払いとして頂戴しておこう。

 俺はさりげなくズボンのポケットに手を突っ込み、窓際へ顔を向けた。

 ふと、駅でのやり取りを思い出す。

 紗都の横柄とも言える口調や態度は、対俺用として開発されたものらしい。いつからそうなったのかなんて覚えちゃいない。気づかせる予兆もなく、自然とあんな対話法になっていた。ま、俺のほうがよっぽど口悪だという自覚はある。誰に対してもだ。

 品行方正がスカートを履いて歩いてる、とでも表せばいいんだろうか。あいつは成績や日頃の行ないからすれば、いわゆる優等生って部類に入るヤツだろう。小、中とクラスは別なこともあったが、常に学級委員的なポジションへと就いていた。ここへ来ても他薦で選ばれてやがったからな。

 そんなわけで、俺以外のヤツには猫をかぶる、といった小ざかしいマネなどするはずもない。そこだけは保証してやってもいい。

 ただ一つ――。

 いや、ガキの頃の話だ。高校生になった今でも、あんなくだらねえものに夢中になってるわけがねえ、か。

 ん?

 なんてことをつらつら思っていたら、前に座るヤツの手鏡越しに視線がぶつかる。

「ねえねえ、豪ちゃん。なんかアンニュイな顔してるじゃんよー」

 それがシグナルだったのか、目先のセミロングレイヤーがくるっと振り返った。

「何だそれは。そんな香水だか白いデザート、顔に振りかけた覚えはねえぞ」

「あははっ。相変わらず妙な喩えをするね、豪ちゃんは。ねえねえ、涼ちゃんとの会話が耳に入ってきちゃったんだけど、アレって昨日からのアレ?」

 別に非合法なブツや卑猥なもんでもねえが、

「まあ、そういうことになるな」

 と、前席に横座りした鳴世ライ(なるせらい)に答えた。

 鳴世はイビツな輪郭の手鏡に向かって思わせぶりなニンマリ顔を作り、鎖骨辺りまで伸びた茶色い毛先をいじり出す。

「豪ちゃん、背丈は一丁前だしね。眞取っちは見かけに魅かれてるわけじゃないんだろうけどさっ」

 ここにも華麗に思い違いをしてやがるヤツがいたか……。

 それより、一丁前って表す意味が解らねえ。声変わりだってとっくに終わってるぞ。

「誰かボクにもくれないかなぁ。あっ、豪ちゃんがくれてもいいよー?」

 そんな義理はねえし、技量も所持してねえよ。それとだな、

「女のくせに自分のことをボクと抜かすのはあえて咎めねえが、俺のことをちゃん付けで呼ぶのだけは止めてくれ。以前そう呼ばれてた記憶が蘇っていい気がしねえからな」

「あはっ。今さら獅井名く~んとか呼べないじゃんよー」

 甘ったるい声を放出させ、鳴世は垂れ目がちな片方をぎこちなく瞑ってみせる。

 今さらとかねえよ。今からだ。

「んじゃ、獅井名っちってのはどう? 眞取っちとお揃いでさっ」

 手鏡をブレザーへしまうと、俺の机に両肘を立てて掌で顔を支え出した。

 そんなゲームで育てるやつみたいな呼び方も却下だろ。あとな、肘と一緒に机へ乗っけってるデカいものをすぐにどけろ。

 俺の憮然とした表情を見て取ったのか、

「解ったよー、豪ちゃんっ」

 解ってねえし……。

 小気味よくスルーしやがった前の席の女子は、初対面のときからこんな態度で接してきていた。愛想のよさとウザさを絶妙にヒットアンドアウェイしてきやがるから非常に性質が悪い。

 俺は会話の強制終了を合図するように、再び顔の向きを左へ変える。

 窓から見えた正門付近には駆け込む生徒が数人いるだけで、教室内は座席分に達するほどの賑わいさへと様変わりしていた。

 こんな怠惰な時間を過ごすくらいなら、ホームルーム寸前に来たほうがよっぽどマシだぜ。

 明日もこんな気分を味わうのか、と沈鬱しつつ担任の女教師が入室してきた気配を感じながらも、俺は窓の外を眺め続けていた。



 昼休みを迎え、静寂だった室内が一気にざわめき出す。

 普段なら席を立ち上がって移動を開始するとこだが、明日までの俺はこの定位置で優雅に座っていられることを保障されていた。

 紗都は校内であらかた圷と行動を共にしている。二人が教室から出て行く姿を確認すると、俺は今朝受け取った物を鞄から取り出し、さも当然とばかりに机の上へ置いた。

 さてと、開封タイム開始とするか。

「豪ーっ、開けるときは声をかけろと言っただろ!」

 いーや。そうは言ってなかっただろうよ。気が向かなかったというより、気がつかなかったってだけだ。

 布の結び目に手をつけたとこで、怒り口調の涼司が喜び勇む顔ですっ飛んで来た。

 気にせずほどいてゆき、『HUNGRY!!』と書かれたプラスチック製の蓋を開ける。

 ……はぁ?

 予期せず現れた謎の物体。

 何なんだこれは――。

 ようっ、とばかりに片手を上げた黄色い何かがそこにいた。

「凄えぇぇぇぇぇぇぇぇっ! やっぱり紗都ちゃんをお嫁に――」

「うるせえんだよっ、お前は」

 俺は涼司の意味不明な語句を遮るように言うと、とりあえず一度蓋を閉じてみた。

 そして怪しげな煙などが立ち昇らぬよう願いながら――、再び開け放つ。

 変わらねえ。

 無機質な表情の熊野郎が「待たせたな」と言わんばかりに挨拶してやがる。

 これ……食えるのか?

「今日もキャラ弁かぁ。これが自分に向けたものであればどんなに幸せなことか……」

 涼司の戯言など耳を通過するだけで、俺は〝弁当の中身〟から目が離せなくなっていた。


 ――紗都からの要望。

 それは、自分が作った弁当を文句も言わずに三日間受け取れ、ということだった。


 仮にも弁当箱に入ってるんだから、食い物には違いねえんだろうが――。

 匂いに釣られた猫のように、いつの間にか鳴世が俺の机に顎を乗せ、

「黄色いとこは薄焼き卵かな。赤い服はケチャップだし、今日はオムライスだねっ」

 ニタニタと笑いながら解説口調でのたまいやがる。

 手鏡を虫眼鏡みたいに扱っても倍率は上がらねえだろ……。いくつめの好奇心をくすぐられてるのか知らねえが、ほどほどにしとかねえといつか痛い目に遭うぞ。

 昨日は世界一有名なネズミが海苔を使って描かれていた。その程度なら少し洒落っ気のあるヤツならやりそうなもんだ。

 確かに紗都は料理もそこそここなす。が、俺以外の誰かが目にすることを前提として作ってるとは思えねえし、そんなのを気にするヤツじゃないのはこの俺が一番よく解っている。

「紗都ちゃんの作る姿が浮かんでくるよ、豪。やっぱり十倍払って立場を変わってやってもいいぞ?」

 腕を組んで目を閉じた涼司が、ウンウンとうなずきながら言う。

 紗都が嬉々として勤しむ姿なんざ俺には想像もできない。そもそもあいつ自身は学食を利用しているらしいし、ついでにというわけでもなさそうだ。

 ったく、愛でも恋でもない相手に、何だってこんな面倒くさいことをするのかねえ。

 もしや……。あいつは何か罰ゲームの類いでも与えられてるのか? いや、この仕打ちはむしろ俺が受けていると言っても過言じゃねえ気がしてきたぞ。

 上目遣いの垂れ目がちと目が合う。

「ねえねえ、豪ちゃんは頭からいく派? それとも尻尾?」

「お前の作るオムライスはあんこでも詰まってんのか? たい焼きじゃねえんだからよ。尻尾があるかないかなんて食ってみなきゃ解らねえだろ」

「自分はお腹からガブッといく派だな!」

「へー、涼ちゃんは見かけによらず大胆だねっ」

「お前らなぁ……」

 そんなもんで傾向が解るなら、腕から食ってやろうと思ってる俺はさぞかしひねくれ者なんだろうよ。

 終始無言の熊野郎とも目が合うが、もちろん命乞いなどするはずもなく、ましてや紗都の意図を伝えてくれるわけでもない。

 一度目はさほど気にもならず、タダ飯が食えてラッキー程度にしか感じなかった。ま、受け取り方は別としてだ。三日間という期限の先に何があるのか知ったこっちゃねえが、今日この時点で約束を反故にしたい気分だぜ。

「なあ、豪。今からでも遅くないぞ。その愛らしいクマさん弁当を――」

「人の昼飯にガタガタ言ってる暇があるならな、さっさと自分たちの食でも確保しに行きやがれ」

 言い放った俺は同封されていたスプーンを手に取ると、迷わず黄色い左手を口に運んだ。



 ウェストミンスターの鐘が鳴り放課後を迎えると、クラブ活動などに関与してない俺は真っ先に帰宅を開始する。

「よう、獅井名。これからカラオケに行くんだけど、一緒にどうだ?」

 駅前付近にいる男女八人ほどの固まりから、クラスで何度か言葉を交わしたことのある男子が声をかけてきた。

 集団を眺めると「駅ビルの中でいいよね」などとはしゃぐ面子の中に、何だか苦笑顔にも見える紗都の姿に気づく。いつも横にいる圷も含まれていたが、俺の知らない顔も混じっていた。

 他のクラスのヤツ、か。さて、断り文句はどうすっかなと考えたときに、

「来るのか来ないのか、早く決めてくれ」

 一番離れた場所にいる初対面野郎に、低音ボイスで急かされる。

 何だよ、このせっかち君は。ま、どうでもいいが、

「悪い、今日は用事があってな」

 誘い主のクラスメイト男子に投げ返す。

「そっか。じゃ、また今度だな」

 俺の分まで楽しんでくれ、といった薄っぺらな社交辞令も口にせず、小さなコミュニティより先に帰巣本能を働かせた。

 面倒くせえ約束をしちまったもんだな……。

 大勢でつるむのを好まないということもないが、明日の約束までは紗都との接触を出来る限り避けたい自分がいた。何となく、あいつもそう望んでいるような気がしたからだ。

 俺は改札を抜けると階段を上り、タイミングよく滑り込んできた電車に乗った。

 駅名にもなっている私立紫城学園は、元々天守もない小さな城跡に建てられたらしい。由緒ある場所なのかもしれないが、地域一番の進学校というわけでもないし、取り立ててスポーツが盛んなわけでもなかった。

 入学の決め手となったのは家の最寄り駅から二駅という立地と、俺の成績で何とか最上位の高校にという思惑が合致したからだ。

 男子校に通うことになった中学んときのダチは「たとえ女子と口を利くことがなくても、共学にしとけばよかった」と卑屈にのたまうが、まさか黙ってても複数の異性に好意を持たれる楽園的なもんを夢想してんのか? 俺にしてみりゃ中学校の延長ってだけで、特に変わったものなどありゃしない。隣の芝生は青いってやつなのか、身を置く者とすれば逆隣りの石畳がよく思えることだってあるんだぜ。

 自宅の最寄り駅で降車し、小さな商店街を通過すると、公園沿いの道へと差しかかる。

 ここも昔から変わらねえな。ガキの頃から遊具が増えた形跡もねえし。

 変わらないことで小さな疑問があるとすれば――、あいつの存在くらいだ。

 着用してる黒ブレザーや男女同じ格子柄のズボンとスカートは、制服で釣るといった思惑が垣間見れるほどモダンなデザインでもねえし、隣人の端然的女子ならもっと通うべき女子高の一つや二つあっただろうに。

 そう浮かべたところで、背後から呼び止められる声がする。

「ねえ」

 あと数歩で到着という自宅の手前で振り返ると、

「忘れずに持って帰ってきた?」

 垂れ下がった触角のような二束を揺らした紗都が、表情もなく立っていた。

「ああ」

 俺は空返事を発すると鞄をまさぐり、朝よりか重量が減った弁当の包みを取り出した。

 というか、連中に同行したんじゃねえのかよ。ガキの遊びでもあるまいし、後ろにいたならもっと早く声をかけてくれ。これが不審人物なら、俺は不覚を取っていたということになっちまうからな。ま、そんな状況に陥ることもねえが。

 紗都に包みを突き出しながら、

「今日も――」

「謝辞や感想を述べようとしているのなら、そういった類いのものは必要ないの」

 引ったくるように奪われた。

 頑なにも思える徹底ぶりに問い詰めてやりたい衝動が湧くが、そんな無粋なマネはしない。意図がどうあれ明言しないってことは、知られたくないか俺に話してもムダってことだからだ。

「それより、ちゃんと定期試験の勉強とかしてる?」

 紗都に問われ、そんなものがあったことを今思い出しつつ、

「忠告や苦言を呈そうとしてるなら、そういうもんは必要ないぜ」

 と地味にやり返す。

「そう。用事ってそのことかと思ってたけど。じゃあまた明日、よろしくね」

 紗都は二度ほど手を振って俺を追い越すと、隣の門の奥へさっさと姿を消していった。

 どうにも、世間話すらできる雰囲気じゃねえ。

 メランコリックにも感じた紗都の様子に多少の引っかかりはあったのだが、わざわざ家を訪ねてまで訊く気は起きなかった。

 ここまでくりゃ、寝て起きちまえば事は済むはずだからな。

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