天然石
何月生まれって聞かれたから。
12月と答えた。
そうしたら彼がにっこりと笑って。
「じゃあ、トルコ石だね」
と言ったので。
なんのことだかわからずに。
「何が」
と問い返した。
「12月生まれの誕生石。トルコ石なんだよ、12月の誕生石はラピスラズリっていう人もいるけど僕はトルコ石の方が綺麗だと思う」
そう言うと、本を並べて眺めていた床から離れて、彼は自分の本棚へと向かう。
本棚の上に無造作に置かれていた小振りなクッキー缶を抱えて戻ってくる。
わりと重そうだ。
何が入っているのだろう?
彼が缶を開けた。
そこには不揃いな形をした石が、透明なのも、色付きなのも、全然綺麗じゃない普通の石ころみたいなのもあった。
「これ」
そう言って彼が差し出したのは。
親指の爪ほどの石ころ。
色つきだけど透明じゃない。
びっくりするくらい空色の石。「これがトルコ石」
彼が楽しそうに言う。
あげるよ、と言う。
僕の手のひらを開かせて、その上にそのちっぽけな石を置く。
「綺麗でしょ?」
僕はその石を見た。
僕の誕生石なのだというその石を。
もし、そこらへんの石ころを拾ってきて、空色の絵の具を塗ったらそっくり同じモノが作れるんじゃないだろうか。
僕は手のひらの石を握り締めて、その後、壁に向かって投げた。
カツン、と悲しいくらいささやかな音がその石の断末魔だった。
「いらないよ」
そう言って、驚いた顔している彼を見る。
何故かイヤだった。
他の透明な石を貰ったのなら、きっと大喜びでありがとうと言えた。
なのに…その濁った空色の石を貰った事を酷く悲しいと思った。
陽にすかしても何も見えない。
作り物の様な石。
おまえはそうなんだと。
言われているような気がして。
何故か悲しかった。
嘘っこの石。
おまえもそうだよと。
言われているような気がして……。
――――――彼の家にはそれから二度と行かなくなってしまった。
「ねえ、2年前におじいちゃんのお葬式で着た喪服。袖を通しておきなさい、着れなかったら買わなきゃいけないから」
学校から帰ってくると、突然母さんがそう言ったので、僕は訝しげに聞き返した。
「喪服…? 何で…?」 母さんは台所からエプロンで手を拭きながら出て来て、眉を寄せて幾分悲しそうに、その実それ程の事件ではないように、言った。
「従兄弟の陽一君、亡くなったのよ…昨日、自殺だって…」
―――いらないよ。
そう言った時の彼の驚いたような顔を思い出した。
彼にはあれ以来、会った事もなかった。
父方の従兄弟で、僕より3つ年上。
鉱石や化石や貝殻や、標本や図鑑や硝子や、ぜんまいや螺子や剥製が好きだった陽一君。
彼の家には僕の見た事もないようなものがいつも溢れていた。
頭がよくて、国立に言ったと聞いていたのに…。
葬式は週末だった。
――――――――――――――天気予報は晴れ。
溜息をついて、斎場から少し離れた道端に立つ。
父さんが死んでからは、母さんがなるべく親戚との付き合いをしないようにしていたので、僕には顔もわからない人ばかりだった。 なのに向こうはさも懐かしいといわんばかりの作り笑いで声をかけてくる。
『大きくなったねえ』
『小さい頃におじさんの家に遊びにきたことがあるんだよ』
『今は、高校生?』
うんざりだった。
気分が悪いと母さんに断って、外に出てきた。
無性に1人になりたかった。
人の中にいれば、嫌でも陽一君の話題を聞かされてしまうから。
『せっかくいい大学に入ったのにね』
『なんでもここ4・5年は精神病院に入退院を繰り返して…』
『中学、高校と…いじめっていうのかねえ…酷い目に遇ってたらしいよ』
『智子さんも可哀想に…』
誰かを哀れんであげているという行為に酔った大人達の言葉は汚かった。
それは透明ではなかった。
それはあの『嘘っこの石』と同じだった。
見かけだけ鮮やかで綺麗な石。
僕の中の陽一君は10年前のあの日で止まっていた。
石を投げた僕を驚いて、そして悲しそうに見つめていた彼。
鉱石や化石や貝殻や……………………。
彼が好きだと思うモノを否定した僕は、あの日、何よりも彼を否定したのかもしれない。
ちくりと胸が痛んだ。
彼が死んだと聞いたときにほんの少し感じた罪悪感。
それだけが、死んだ彼に対する僕の弔いだった。
「優君」
僕の思考を女の人の声が破った。
下を向いていた顔を上げると、そこにいたのは大分年をとった陽一君の母親だった。
「智子おばさん」
泣きはらしたらしい真っ赤な目が痛ましかった。
「来てくれてありがとうね、きっと陽一も喜んでいるから…」
そう言って薄っすらと笑う。
年齢を言えば、僕の母親の方が若い筈なのだが、智子おばさんは年をとったとはいえ綺麗で優しそうだった。
目元が陽一君にとてもよく似ている。
「あのね、おばさん優君に渡したいものがあるの」 そういっておばさんは小脇に抱えていた袋を僕に差し出した。
受け取ると見た目の小ささのわりには結構重い。
「……?」
なんだか意味がわからずに顔を傾げる僕に、おばさんは『開けてみてくれる?』と言った。
袋を開くと中には古ぼけたクッキー缶。
「これ…」
僕はなんとなく中を予想しながら蓋をあけた。
―――そこには不揃いな形をした石が、透明なのも、色付きなのも、全然綺麗じゃない普通の石ころみたいなのも―――。
無かった。
かつて彼の部屋で見たような色んな種類の石などその中には無かった。
その缶の中はただ一色で塗りつぶされていた。
まるで、絵に描いた空のような色のたくさんの塊が……。
「トルコ石…」
ぽつりと呟いた僕におばさんがまた微かに笑った。
「優君、昔は陽一と仲良かったでしょう? いつも遊びに来てくれて…そしてある日から全然来なくなったじゃない? 陽一がね、言ってたのよ。
『嫌われちゃった』って。
『綺麗じゃない石を見せたから怒って帰っちゃった』って。
あの子ね、それをずっと気にしていたの。
『本当はトルコ石は凄く綺麗なものなのに、たまたま優君に見せたのが綺麗じゃなかった…綺麗なトルコ石を渡したら、優君は僕を許してくれるんだ』って言って…。 陽一死ぬ間際まで必死になって探してたのよ、何時の間にかそんなに溜まってしまって…」
おばさんは、そこまで言うと一滴、涙を零した。
僕は缶に溜められた、あの日僕が否定した筈の石達を見ていた。
どれも同じようにしか見えない。
どれが綺麗で、どれが汚いんだろう。
そんなんじゃなかった。
あの日、僕が否定したのは、綺麗とか汚いとかじゃなかった。
何も映さないその表面が作り物めいていたから否定したのに……。
透明でキラキラしたものが好きな子供っぽい嗜好と、たくさんの綺麗な石のなかから、そんな不透明な石を渡した従兄弟への憤り。
なんて事のない、子供時代の思い出のはずだった。
少なくとも僕は、彼の死を聞くまで思い出しもしなかった。
彼はずっとそれを気に病んでいたのか…。
ほんの少しの齟齬。
もう昔の事なんだからと言ってしまえばそれだけの事。けれどそれを本人に伝える事はもう出来なかった。
「それ、受け取って貰える?」
おばさんの言葉に僕は微かに頷いた。
「ありがとう……ございます……。僕、そんなの知らなかったから…一度くらい手紙でも出せばよかった……」
僕がそう言うと、おばさんはゆっくりと首を横に振った。
「気にしないでね、陽一は何時の間にか時を刻む事を止めてしまって……多分、一番楽しかった頃の思い出の中だけで生きていたの。優君といた頃がきっととても楽しかったのね…。いつでも話すのは優君の事だけ。自分と遊んでくれた幼い優君の……」
おばさんの声をどこか遠くで聞いていると親戚の人が近づいてきて、何か耳打ちしていた。
「優君、そろそろ焼き場の方にいきますって…あなたのお母さんも来るって言ってたけど、どうする?」
「僕も、行きます」
僕達はそれきり陽一君の話はせずに、焼き場へと向かう親族用のレンタルバスに乗った。
バスの中で、僕は渡された缶を見つめながら、考えていた。
僕の中の陽一君が、10年前で止まっていたように、彼の中の僕もきっと10年前で止まっていたのだろう。
彼は10年前の僕に許しを得るために、ただひたすら石を集め続けたのか。
不透明で鮮やかな石を。
焼き場について、割り当てられた座敷で火葬が済むのを待つ。
大人たちはこんな所でも酒を飲み、大声で話していた。その間を僕の母親や、手伝いの女の人がお酌をして廻る。
暫くして係りの人が呼びに来たので、僕達はぞろぞろと陽一君の骨の元へと向かった。
骨壷に二人一組で骨を納める。
彼の成長した体格の白い骨が、10年間、会わなかった距離を語っていた。
僕の隣で名前も知らない親戚のおばさんが
「若い人が死ぬとね…骨が健康で焼いても崩れないから入りきらないのよ…そんなときに無理やり砕いて納めるのを見ているとやり切れない気分
になるねえ」と溜息をもらしていた。
僕は隙を見て、その骨壷の中に彼からもらった空色の石のひとつを落とした。
カツンと悲しいくらいささやかな音がする。
それが、僕に聞こえた陽一君の断末魔だった。
不透明な石は決して向こう側を透かさない。
その中に入れば、決して外の景色など見なくて済むのだ。
僕は陽一君がそうすればいいと思った。
思い出の僕と、陽一君がその石の中に入ればいいと思った。
世界や、日常などを気にしない世界で。
今度は決して彼を否定したりしないように。
それは『嘘っこ』だけれども、幸福な事だ。
嘘を認めてしまえるのなら、トルコ石の空色はとても綺麗で鮮やかだ……中にいたらずっと青空に浮かんでいるような気分になれるだろう…。
天気予報どおりに今日は良く晴れた綺麗な青空で。
僕はほんの少し、トルコ石が好きになった――――――。
END
私の誕生石がトルコ石です。昔は嫌いだったトルコ石が今ではとても好きなのですが、そんな心の変化を小説にしてみました。