他の女って。
「結構美味いな、これ」
「当たり前でしょう。わたしが作ったのだから」
食パンを焼いてマーガリンを塗っただけだろうが。
「それだけじゃないのよ」
「何か、隠し味でもあるのか?」
見た目は普通のトーストだし、そもそも隠し味になる材料はなかったはずだけどな。
「たっぷりと愛情を込めてあるわ」
……。
「そういえば、母さんも父さんももう仕事行ったんだな」
「ええ、30分くらい前にお二人とも出かけましたよ。それと、そのトーストにはわたしの愛情を込めてあるわ」
……。
「さっき、台所に行ったらオムライスとデミグラスソースが無くなってたよ。父さんが食べてくれたんだな」
父さん大好き。やっぱり、俺の味方は父さんしかいないよ。
「ええ、そうみたいね。わたしもそう思ったわ。それはそうと、そのトーストには――」
「もうわかった。それ以上言うな」
なんか、こう……あれだ。
「聞こえていたのね」
「聞こえてはいたけどさ」
ほら、あれだよ、あれ。
「どうして黙っていたの?」
「…………」
「どうして話を逸らしていたの?」
「いや、そりゃあ、あの、あれだよ、あれ……」
「あれって何よ」
大愛が睨んでくる。
俺も見返す。
「あれ?」
「だから、あれって何よ」
「いや、そうじゃなくて」
大愛が睨んでくる顔、中々可愛いじゃないか、っていう意外からの『あれ?』だよ。
それを本人に言えるわけないんだけど。言えるはずがないんだけど。
「あれって何よ」
お前はさっきからそればっかりだな。
「そんなに気になるのか?」
「気になるわね。他の女がいたら許さないから」
「他の女って」
なんだそれ。今の話からなんで他の女が出てくるんだ。女子の思考はわからない。
「大丈夫。他の女なんて出てこないよ。つうか、母さんと大愛、闇雲、あとは先生くらいしか女とは喋らないからな。それに、女の先生と喋るのなんて週に一回あるかないかだし」
あれ? なんか悲しくなってきた。そもそも、女子って学校にいたっけ? 大愛と闇雲だけじゃないっけ? だとしたら、俺は普通だよな。
喜屋武? 明月院? 真田? 人星? 古渡? 谷沢? 織田?
誰それ。知っらなーい。一人男混じってた? ああ、そいつは俺が嫌いな奴だから問題ない。
「あなた、お母様を女性と捉えているのね」
「当然だろ?」
母親が女じゃなかったらちょっと色々問題が……というか、俺がグレるぞ。
「そう」
大愛の目が悲しげだ。なんだよ。なんだその可哀想なものを見る目は。
「……マザコン」
なんかボソッと言ったよこいつ! 俺に失礼なこと言ったんじゃないのこいつ!
「マザコンじゃねえよ!」
つーか、聞こえてたし! 思いっきりツッコミ入れさせてもらいますし!
「そんなことはどうでもいいわ」
どうでもいいのか!? ホントにどうでもいいのか!?
「神林君がマザコンかどうかなんて些細なことよ」
些細じゃねえよ! 思春期の少年にとって、マザコンだと思われることは、精神的にかなり影響があるぞ!
「それで、あれって何よ」
「あれ?」
あれって何だ? 何のことだ? すっかり忘れてしまった。
「始めからやって思い出す?」
「はい。お願いします」
頭を下げてまでお願いすることじゃなかった気がする。
「ねえねえ、神林君って自分のことどう思ってるの?」
「ん??」
なんだその台詞。今日そんなの言ってなかったぞ。
そして大愛の『ほら、早く』って顔やめろ。
「え、え、え、え」
硬直する。そんな始めて聞く台詞に対応できるかよ。
「適応力がないわね」
「えー?」
何言ってんのこいつー。朝の短い時間をどうして無駄に消費してんのー。
「たっぷりと愛情を込めてあるわ」
はい、と言って俺に続きを促す。うん、それはさっき聞いた台詞だ。
「えっと……そういえば、母さんも父さんも――」
「そうじゃないでしょ!」
怒鳴られた。
「ええー?」
もうわかんねえよ、俺。
「そうじゃなくて、どうして、そんな風に話を逸らすのか、その理由を訊いているの」
「あー、それは、ほら、あれ。あれだよ」
「その『あれ』を訊いているの」
成程。やっと理解できた。そういうことだったのか。
「それはその……」
「ちゃんと答えて。答え次第では死人が出るわ」
どんな答えで死人が出るんだよ……。
「そりゃあ、まあ、その……照れ隠しってやつだよ」
ああああ、恥ずかしい。恥ずかしすぎて横向いて言っちゃった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……黙るなよ」
「……そんなこと言われたら、照れるじゃない」
横目で大愛を見ると顔を手で覆っていた。少しだけチラリと見えた顔は、赤くなっていた。
「!」
それを見てしまった俺はまた目線を横に戻す。壁にかけてある時計が目に入る。
「!」
それを見てしまった俺。凝視。見間違いではないか。読み間違えではないか。しっかりと確認する。
「……大愛……」
「…………」
返事をしてくれない。
「……なあ、大愛」
「……な、なによ」
ここで告白とかしたらカッコいいのかもしれないけれど、俺にはそんなことをしている余裕はなかった。
「……俺たち……遅刻した……」
マザコンではありません。
ファザコンでもありません。
パソコンは好きですけど。