つーか、なんで母さん帰ってきてんの。
「さあ、部屋に戻って勉強しましょう」
「東示ちゃんも大愛ちゃんも頑張ってねー」
母さんが手を振りながらリビングから出る俺たちを見送る。
黙って廊下を歩き、階段を上がり、部屋に入る。
「疲れたー。もう勉強する気力なんてねーよー。何もやりたくねー。眠いー。寝させろー。つーか、なんで母さん帰ってきてんの。ふざけんなー」
ベッドに倒れ込み、愚痴る。
「あら、いいお母様じゃない」
大愛は椅子に座り俺を見ている。
「大愛は母さんと何があったんだー。気になるー。教えろー」
「お母様のこと、嫌いなの?」
何があったのか教えてくれない。何故。
「嫌いじゃねえよ。嫌いじゃねえけど、なんか嫌だ」
「どういうこと??」
自分でもよくわからない。よくわからないけれど、なんとなくわかることはある。
「母さんも父さんも、いつも家にいなくて、そりゃあ毎日忙しいんだろうけどさ、だからって、家族なのに一回も顔を見ない日だってあるんだよ。なのに、たまたま会えたときだけあんな風に親ぶってさ。そういうのがなんか癪に障るんだよな。どう思う?」
「どう思うって言われても……わたしは半年くらい両親には会ってないから……」
うっかりしていた。そうだよな、こいつは俺以上に親とは疎遠になっているんだろう。そんな大愛に対して「どう思う?」だなんて。俺の馬鹿。
「あ、いや、ごめん。大愛にこんな話をしたのが間違ってた」
「いいのよ。それに、わたしが聞いたことだし」
大愛の親は大愛がどこにいるか知っているのだろう。いつだったか、そんなことを言っていた。いや、言っていなかったか。ただ、日本にいることだけは厳守させているようだから、日本にいることだけはわかっているだろう。
だけど、大愛は自分の親が今どこにいるのかなんて知る術はないのだろう。
……え? 無いのか? そんなことはないだろう。電話だって出来るだろうし、佐々原さんだかに訊けばすぐわかるんじゃないか。
「そうね。確かにわかるわ。訊いたことはないけれどね」
「どうしてだ? 気にならないのか?」
「ならないわ。あんな人たちが今どこにいて何をしていつ死んでも、わたしには関係ないから」
なんて言いながら、俯く。「関係ない」わけがない。強がりなんだろう。
「それに、慣れているから。独りでいることに」
「駄目だ」
「え?」
大愛が驚く。俺も驚いている。だが、続ける。
「人は独りでいることに慣れちゃ駄目なんだ。そんな悲しいことは駄目だ」
駄目なんだよ、ともう一度言う。
「お前、次に親がいつ日本に来るかわかるか?」
「……わからないわ」
「そうか。じゃあ、呼んで」
「無理よ。絶対無理。仕事で忙しいと言って来れないわ」
「じゃあ、お前の親のところに行くことは出来ないか?」
「どうしたの? 神林君はわたしの親に会って何がしたいの?」
わからない。
「そんなことはどうでもいいだろ。とにかく行けるのか、行けないのか答えろ」
「無理。場所がわかったとしても、わたしは日本から出れない」
「そうか。わかった」
ベッドの上で胡坐をかき、考える。
「神林君、どうしたの?」
「黙って。静かにして」
考える。考える。考える。
ああ、そうだ。
「お前は行けなくても、場所はわかるんだな?」
「えっ、うん、多分」
「いつ、どこにいるかまでわかるか?」
「待って、務川さんに訊いてみる」
ケータイを取り出してボタンを3回押し、電話をする大愛。
「1ヶ月分はわかるそうよ」
「そうか。じゃあ、来週の土曜日、どこにいるか訊いて」
頷いて尋ねている。
「アメリカのニューヨーク支社だそうよ」
「ニューヨークか……まあ、大丈夫だな」
英語圏で良かった。中国とかフランスだと言葉が通じないからな。英語なら学校で習ってるし、まあまあいけるだろ。
「何をするつもり?」
わからない。
わからないけど、何かする。
「務川さんが神林君に代わってって」
「俺に?」
なんだろう。
「はい、神林です」
『君が神林君か。初めまして。と言っても電話なので少々合ってないような気もしますが、仕方ないでしょう』
男の声。優しげな声だ。
「は、はあ……」
『二つ程、君に訊きたいことがあるのです。いいですか?』
「ああ、はい。どうぞ」
『君はお嬢様の何なのですか』
椅子に座って俺を見ている大愛をチラッと見る。
「何でもないですよ。普通のクラスメイト。ただの同級生」
『そうですか。では二つ目、あなたは社長に会って何をしようというのですか。そもそも、会える保障はどこにもないですよ』
「会いに行くとは言ってませんけどね」
会いに行くつもりだけど。
「何をするんでしょうね、わかりません。会える保障はないですか、そこは大丈夫です。ご心配なさらず」
『何か、策がおありなのですか』
「策? いやいや、そんなものはありませんよ。ただ男らしく行くだけですから」
『そうですか、ありがとうございます。お嬢様に代わってください』
ケータイを大愛に返す。
「……はい。わかりました。……おやすみなさい」
そう言って電話を切る。
「おやすみなさい」? 早くね? 務川さん、もう寝るの?
「神林君、何故か許可されました。というか、強制的に命令されたというのが正しいかもしれません」
「ん? 何が?」
「今日、わたしはここに泊まります」
「……は?」