東示だ!
「そういえば、神林君」
「何?」
「今日、わたしがここに来た本当の理由をまだ話していないでしょう?」
「勉強だろ?」
そうじゃなかったら、どうして俺はマンガの上で連立方程式を解いているんだ。
「それもあるのだけれど、わたしは勉強なんてしなくても、成績はいいのよ」
「……そりゃあいいですねー」
「勉強はさて置いて、本題に入りましょう」
「本題に入るのなら、俺のほうを向いてくれ」
「いやよ。わたしは勉強しているの。邪魔しないで」
『言ってることが矛盾してるんじゃねえの?』と、心の中で思う。
「神林君、まだ200万円あるわよね」
「? あるぞ。そこの引き出しに入ってる」
200万なんて大金、何となく勿体なくて使っていない。ずっと引き出しに封印されている。
普通の中学生の中に、200万を渡されてすぐに全部使うような浪費家はそうそういないだろう。
「それ、心配じゃない?」
「そうか? ここら辺は泥棒なんて出ないし、泥棒がいたとしても、こんな家の、マンガだらけのこんな部屋に入ってくることはないだろ。だから、心配じゃねえよ」
両親とも、昔からこの町に住んでいるが、泥棒はおろか、万引きすら一人もいないらしい。盗みは働かない、いい人たちばかりだ。
三角定規で人の頭を刺すような奴はいるけども。
「じゃあ、これから先、200万円を使う予定はあるの?」
「んー、ねえな。親から毎月1万貰って、欲しいものは全部それで買うからさ」
「そう。例えば、神林君のお母さんが仕事が休みの日に、神林君の部屋を掃除したとしましょう」
「うん」
「引き出しの中に隠してある200万円と、ベッドの下に隠してあるいかがわしい本が見つかりました」
「ん? いかがわしい本?」
そんなのないぞ? 買う気もない。
「さて、問題になるのはどちらでしょう」
「なんだそのクイズ!?」
どっちも問題になるだろ! 強いて言えば後者のほうが簡単だと思うけれど!
「でも! 俺の部屋にはいかがわしい本なんてねえぞ!」
「……神林君煩い。わたしは今、オームの法則の計算をしているのよ。邪魔しないで」
「でも!」
「煩い。ウ冠君と呼ばれたくなかったら黙って」
ウ冠君!? 「かん」しか合ってないぞ! でもウ冠君とは呼ばれたくない! 大体、俺の名前にウ冠は入っていない!
「……神林君の名前ってなんだったかしら」
「東示だ! 神林東示!」
東を示す。東と言えば太陽が昇る方角。そこを示す。だから、人が明るく過ごすための道標になるように、と名付けられたらしい。無理矢理過ぎて後付な気がするけども、気にしない。あと、同じ読み方の「闘志」とかけているらしい。どうしてかけているのかはわからないし、じゃあ俺は凍死するんじゃないかと思うけれど、やはり気にしない。
「そう、それ。わたしにはいかがわしい本をどうにかできるような権利はないけれど、こんなことはできるのよ」
そう言って、大愛が自分の鞄から何かを取り出す。そして、それをマンガ机の上に置く。
「通帳?」
俺の名前が書いてある通帳だった。
大愛銀行 神林東示様
「大愛銀行って! お前のとこ、銀行もやってたのか!」
「そうよ。結構有名なはずだけど、知らないの?」
知らなかった。いろんなことやってんだな。
「これに、200万円入れておけば安心でしょ?」
大愛が珍しく天使のような微笑みを見せる。可愛い。
「お、おう。サンキュ」
「どういたしまして」
可愛い。
どうしたんだ俺。心臓がバクバクしてるぞ。脈拍が上がってるぞ。全身から汗が出ているぞ。
大愛はまた机に向き直ってしまったが、俺は動きが止まったまま。
連立方程式を解かないと……。集中だ、集中。
200万のやり場も見つかったし、大愛と一緒の部屋で勉強することで、大愛との距離が縮まった気がするし。
なにはともあれ、よかったよかった。
さあ、勉強だ!
自分で書いてて、神林の人生が羨ましくなりました。