Level52:『魔の証明』
障害となる全ての屍人が掻き消えて、クロエはその先にウィリアムらの影を見る。彼らふたりは、何はともあれ生き残っていた。しかしエリオは孤軍奮闘の折、深い手傷を負ってしまっている。決して無事とは言いがたい。
クロエは駆け寄ってくるふたりの様子を認めて安堵の息を吐きながら、不意に己の掌へ視線を落とす。手の中に残る、真っ二つに叩き折られた古木の欠片。それはもはや杖とは言いがたい有様を無惨に晒していた。
おそらくは何らかの魔導器だったのだろうか。古ぼけた枝はさらさらと砂のように崩れ落ち、床に積もり──やがて風化していく。終いには跡形もなかったかのごとく、塵の全てはクロエの掌中から流れるようにこぼれ落ちた。
「──助かったッ。クロエ、大丈夫かッ!」
「……ん。私は、なんとか……」
「オレは割りと大丈夫じゃねェな……」
「ああ。分かってるから聞かなかった」
「の割りにゃ無茶させるよなァ!?」
怪我のほどはさて置いても元気であることは間違いがないらしい。崩れ落ちた屍人の残骸に囲まれながらの賑やかなやり取りを眺め、クロエは面映いように薄っすらと瞳を細める。だいじょうぶ、とばかりは彼らに言い含めた。
ふと彼女は、手の中にちいさな重みを感じ取った。石のような感触であった。いとけない掌を、ゆっくりと開いて見つめる。
どうした、と訝しむように覗き込むウィリアムとエリオに突き出すクロエ。その掌上には、黒い光を照りつかせるほんの指先大ほどの輝石が鎮座していた。
「これ──どこで?」
「……気づいたら、手のなかに。……たぶん、死霊術の“核”だったんだと……おもう」
妖しい輝きを照り返す宝石から、クロエは確かな魔力の流れを感知していた。おおかた、先ほど破壊した杖に埋めこまれていたのだろう。外装の役割を果たしていた杖が崩壊した結果、その中枢が無防備な形で排出されてしまったのだ。
「つゥと、アレだな」
「……あれ?」
「死霊術なんぞに使ってたもんが呪われてねェわけがねえ」
「……あぁ……うん……」
エリオの言葉に神妙な表情でクロエは頷き返す。
もっとも、珍しいことではない。むしろ、魔力の付随する物品が呪われていないことの方が余程まれだ。加えて呪われていない通常の品よりも、呪われている魔力武具の方が幾ばくか高価な傾向にある。冒険者がはびこる世の中、危険を背負ってでも力を求める人間はいくらでもいるのだ。呪われた品そのものを求める物好きさえ、その数は決して少なくない。
「ちょっと厄いな……僕はここでぶっ壊すのもありだと思うけど」
「……出来れば……どういうものか、確かめたい、から」
出来ることならば、戦利品はひとつとて余さず持ち帰りたいところだ。この迷宮の攻略は、国を挙げての事業である。ここでの攻略とは、すなわち迷宮内部で獲得しうるあらゆる品物の収集も当てはまるのではないだろうか。もっとも、クロエにとっては純粋な好奇心に従った希求という面が大きく現れているのだが。
危険だったらすっぱり処分しよう──というところで一行は合意して、クロエは黒い輝石をポーチに収める。そして改めて、三人は閑散とした周囲を振り返った。魔物の気配などはうかがえず、しんと静まり返った空間は広大なことも相まってかえって寒々しい。とはいえ異常も見当たらないため、腰を落ち着かせるには程好い広間であった。
「取りあえず、そうだな──この階の構造を把握して、それからここに野営を張らないか」
「場合に寄らァな。無理を押せば行けなくはねえが」
「……後が続かないと、思う……から。状況を、見て」
少なくとも、無理に突き進むうちに最上階へと辿り着くような代物ではあるまいと当たりを付ける。だからこその休息という選択肢だ。
仮に野営をするとして、その途中で襲撃を受けてしまっては元も子もない。それを阻むためには安全を確保しなければならず、いずれにせよこの階層を探索しつくすことは必要不可欠な用件だった。
「前に、立てるの……ウィルと……私と、で。大丈夫……かな」
「さっきあれだけ暴れんだぜ。出てきてんだろォよ、いたとしてちょっとならどうにでもならァ」
「……私が、狙われない……かな」
「大丈夫だ。そういう時は、僕が抑えて止める」
「……う、うん」
「で、そこをワンパンだ」
「私が!?」
「うん」
魔術師が肉弾戦をして何が悪い。
そう言わんばかりの真剣そのものな表情でウィリアムは言い切った。
もちろん、貴重な魔術の使い手を肉弾戦などに登用して無為に損なうことは大いに問題なのだが。
「んじゃま、行くか。援護射撃は欠かさねェから安心してくれ」
さっきみてェにクロエを前に出さすのは特例として、だ──とエリオは気軽な口振りでこぼしつつ、何気ない手つきで己が弓に手をかけようとした。
その途端だった。
クロエがちいさな手を咄嗟に伸ばし、エリオを制する。無論のこと、少女のきゃしゃな腕の力では男の挙動をはばむには至らないが──物言いたげな視線をぶつけられ、思わずエリオは慄いて少女の姿を見返した。様子を見守るウィリアムもまた、いささか目を丸くして事の顛末を眺めている。
「……どしたん」
「弓を引くのは、身体の色んな所を、使うから。……自重」
「……は、はい」
──すこぶる丁寧に言いくるめられ、思わず敬語になるエリオだった。
集合住宅、というものがある。一個の建造物にいくつもの区切りを作り、多くの人間が独立して住まえるようにした、都市部特有の居住形態だ。
これはなぜかというと、都市は基本的に人口過密なのだ。したがって狭い範囲に多人数を押し込めておく必要がある。村などと並べれば比べ物にならないほど都市は広いが、それでも面積比に対して都市部に生きる人々は──あまりに多すぎた。
「……インスラ、みたい」
果たしてそれが現状に何の関係があるのかといえば、つまるところクロエがぽつりと呟いた言葉に集約される。多層型共同住宅。第三階層から吹き抜けに繋がっていた“飽食塔”第四階層は、扉で区切られたいくつもの小部屋が連綿と並んでいる区域であった。階層の広大さも相まって大量に存在する玄室の数は、くまなく調べるのが億劫になる段階に差し掛かっている。
「……ひとつひとつ調べてくかァ? コレ」
エリオは心なしかげんなりとしていた。先の見えない十字路が延々と繋がり、あちこちに玄室への扉が散見されるのだ。それぞれを探索していけば、部屋の意味くらいは容易に知れるのかもしれないが──
「まあ、いいや。開けてみるか」
「手袋くれェしろってェの!?」
考えるよりも動くが易し。それがウィリアムという人間である。忠告通り右手に手袋をはめ、迷いなく扉に手をかける。石戸がぎぃと軋むような音を立てて、ゆっくりと開いた。
──四辺それぞれが十歩分、と言った所の広くも狭くもない空間が広がる。室内にこれといって目に付くものは無く、たき火の痕跡や動物の骨や皮などで組み上げられた調度品が散見される程度。その“動物”の正体がいったい何なのか、ウィリアムはあまり考えたくなかった。人体構造にも造詣を有するであろうクロエは顔を薄っすら青ざめていたのだが、ともかく。
物はない。だが怪物はいた。扉を開く音に応じて、ゆっくりと──二匹の小鬼はウィリアムに向かって振り返った。数瞬の合間、視線が重なって互いが互いに硬直する。
──奇妙なのは、小鬼たちの様子である。ウィリアムという人間の姿を確かに認めたにも関わらず、ほとんど反応を見せていない。あまりに突然だったからかとも思えたが、どうやらそういうわけでもないらしい。現に小鬼らは、立ち上がって武器を振りかざすでもなく一行の出方をうかがっていた。
ウィリアムは静かに扉を閉めた。
「……なァんか、この場面を一度見た覚えがあるんだが」
「それが勘違いじゃなきゃ、僕らは向こうから襲われることになるな……」
元通りになった扉を前にして、緊張でわずかに滲んだ手汗をぬぐいウィリアムは一息吐く。エリオはその頬に冷や汗を伝わせ、そして改めて周囲の無数の扉を見渡した。それぞれの間隔や間取りはおおよそ一定、見るものが見ればよくも高度な技術が用いられたものだと目を見張るほどなのだが──無論、彼の思惑はまったく別のところにある。
例えばそれぞれの室内に魔物がつめこまれ、点在しているのだとしたら。この状況はすでに魔物の群れに取り囲まれているも同然ではないか。
「……何も、なし……かな」
クロエは扉の様子をじっと見据えて観察し続けるも、目立った変化は見られなかった。つまり、相手方からの動きは無いと考えるべきだろう。
見逃されたか──あるいは、そもそも戦闘行為を望んでいないのか。それはいささか疑問の残る事態であった。現在に確認されている魔物は総じて縄張り意識が強く、加えて好戦的な種が大多数を占めているのだ。吸血鬼や夢魔などの知恵持つ例外はしばしば存在するとして、その数は決して多くない。
「戦力が分散してる理由が分からんけど……後ろから詰めかけられるのもぞっとしない。手出し無用、だ」
用心深く石戸を一瞥した後、ウィリアムは背を向ける。冒険者まがいの旅人であった少年にとって、魔物に対する危機感は人一倍だ。為政者の手が行き届かない道無き道や森の中では、襲撃を受けることも日常茶飯事に過ぎない。魔物の住処であるところの迷宮に踏み込んだのならば、なおさらだ。
だからこそ、訝しむ。何もない、なんてことがあるものかと。
「念の為、後ろは警戒しとくさ。何も無けりゃ良いんだがなァ──」
「……おとなしい、魔物……も、いる?」
「何かえらく不条理な言葉だ……」
善悪など、あくまで人間の視点に立った側面でしか語ることは出来ないが──仮に穏健な個体があり得るならば今なお魔物と呼ばれてはいるまいと、ウィリアムはそう考える。
しかし同時に、果たして本当にそうだろうか──とも思う。
魔物の生態を念入りに研究した者が、過去にひとりでもいただろうか。
魔物はその凶暴性ゆえに誰からの保護を受けることもなく、同時にその研究も困難とされている。“魔物は人間を害する”という認識は世界に共通して広まっている以上、この考えをくつがえすことはおおよそ不可能だ。
魔物は善性を有するか、否か。
──つらつらと浮かぶ思索を打ち消し、探索を続行する。第四階層から上層に連なる階段が見つかるまで、異変はなにひとつ起こることがなかった。階段の設けられている大広間は特別なのか、これまで通ってきた廊下と異なって開放的な寥廓たる空間である。
しいて問題があるとするならば。
階梯が三つ発見された、ということだろうか。
「……これ、どうしよう……」
「分断、にしてはいい加減だァな」
「どっちにも行くしかない、のか……うーん。そうだな。こうしよう」
「……と、いうと……?」
ウィリアムはおもむろに帯剣を鞘ごと掌に収める。その手にエリオとクロエの視線が引きつけられていることを確かめると、やおら鞘の底を床に置き手を離した。ぐらりと揺らいだ一刀がぱたりと倒れ、刃先が一方の階梯を指し示す。
「よし。こっちだ」
「バカ!」
「あほ!」
ウィリアムは思いっ切り罵られた。
当然である。
「まァ冗談は置いといてだな……」
「いや僕はわりと本気だったんだが」
「寝ろ」
「……最後の手には……あり、なのかなー……」
寝言として処理されて然るべきおこないだが、あながち悪手とも言い切れない。答えの出ない問いは、時として往々にある。その類を一挙に振り払い決断を促進させるには悪くないのだが──今は話が別であった。
「……まあ、真剣に考えると……通り過ぎてきた部屋になにかしらある、というのが妥当とは思う」
「なんでそっちを先に言わない!」
「あまり気が進まなんだ」
「まァな……」
先刻はいわば魔物から目溢しされた形なのだが、本格的な捜索をするのならば彼らの掃討は必須だろう。エリオは依然として手負いのまま、いざ実行に移すにはなかなか骨の折れる話だ。例え小鬼とはいえ人間ひとりに値する実力は有しており──敵がそれだけではない、という可能性も十二分にありえるのだ。
「騒ぎ起こせば雪崩式に……ってこともあり得る」
「迅速に騒がせずに、か。小鬼くれェならどうにでも、だが」
この階層に存在する玄室の数は、彼らが見つけられただけでもざっと二十をゆうにこえていた。それぞれに小鬼ばかりが詰めこまれているという保証は一切ない。どうしたものかといい加減に煮詰まってきたところで、不意にクロエががばっと勢い良く顔を上げた。
「ど、どうした」
「……部屋。分けられてる、理由……浮かんだ」
「つゥと」
「……別の種が、ひとつの空間にいると、不都合があるから、分けてる──……これが一番、納得できる理由」
「まァ、同じ生活するにはちと無理があるよな、アイツら」
「小鬼とか猪鬼とか、まとめて襲われたことが結構あるんだが」
「縄張りが近い、なら。……外敵の排除には、協力する……の、かも」
「──なるほど」
それなら得心が行く、とウィリアムは舌を巻く。真偽はさておき、この階層の状態には説明がつくのだ。魔物の巣穴である迷宮内部で複数の魔物から攻撃を受けたとして──彼らが常日頃から同一の共同体として生活している、とは限らなかった。むしろこの階層のように、別個に分かたれていると考えた方がいくらか自然だ。
となれば、この階層はいわば、魔物の巣の縮図とでも言うべきか。
そして今、攻撃を受けていない理由は──階層の構造そのものが原因だろう。狭苦しい通路は、大多数での包囲戦にはあまりに不向きだった。
「十分に、ありえらァな──となると、一旦戻るか。下手に手出ししなけりゃ面倒にもならねェだろ」
「……そ、だね。……ここでも、休めなくもない、かな」
「魔物の蠢く隣で休むのはぞっとしないなあ……」
手出ししなければ大丈夫だと頭では分かっていても、心から納得することは難しい。どうしても引っ掛かりのような不安を覚えてしまうのだ。ウィリアムの言葉に、クロエもまた苦笑いを浮かべて頷く。
そして三人が来た道を戻ろうと、振り返った──その時だった。
かつりかつりと石畳を踏む音が、聞こえた。不規則に重なりあう響きが複数の足音であると知らせる。果たしてなにものか、考える猶予は与えられなかった。退路は来た道のほか存在せず、否が応でも追い詰められてしまう形だ。人であれば対話はかなうが、魔物だったならば覚悟を決めなければならない。ウィリアムたちは互いに視線を交わし、頷き合う。
──次の瞬間。垣間見えた姿は、考えうる限り最悪だった。
「──貴様ッ! ウィリアムッ!」
彼女はウィリアムの姿を見るやいなや不躾に、高らかな声をあげた。意志の強さを表面に押し出したように鋭利な瞳が、冴え冴えとした青い視線をウィリアムに送りつけてくる。大広間に彼女が一歩踏み込むと同時、両脇に結われた銀髪がいちじるしく揺らめいた。肩から腰にかけてを白銀の胸甲に覆い、巨躯なる大盾を帯びた姿。ウィリアムの実姉。明らかなる敵意を叩きつける若い娘──シャーロット。
「……うげ」
ウィリアムとしては、思わず露骨に嫌そうな声も漏れてしまうというものだ。しかしそれもどこ吹く風といったように、シャーロットの後から続くかたちでひとりの男とひとりの少女が姿を見せる。
「いやはや──ずいぶんとお早い再会だ、奇遇なものだね、これはきっといわゆる運命というやつではないかな!」
ふぁさりと金の前髪をかき上げて、紅の外套を羽織る魔術師──ギルバートはきざったらしくうそぶいた。そのかたわらに侍する少女は矮躯を黒衣に包み込み、節々の隙間から浅黒い肌をわずかに露出するばかりだ。足音を立てず言葉も発さず、暗殺者の少女──アイシャは無音を引き連れて一行にともなっていた。
「チェンジ」
「なんなら僕は退いても構わないがどうだね!」
「いや、むしろ女どもにさがって貰いてェな……」
エリオが大真面目に言い放った戯けた言葉は、ギルバートによって軽やかに流された。無体である。
現れた彼らに応ずるようにウィリアムが前に出て、仕方なしに口を開いた。
「……まさかだけど、僕らを追っかけてここまでってことは無いだろうな」
「安心しろ。私たちはそれほど暇じゃあない。本星はこの迷宮だ。王命ゆえなッ」
腰に手のひらを添え堂々とシャーロットは言い切る。
そんな彼女の言葉を聞いて、クロエはちいさく頷き──とっさに切り出した。
「……なら、ここでは、戦わないのが得策……では。ここでの消耗は、無益……どころか、命取り……だと、思います」
訥々と語られるのは、極めて真っ当な言葉であった。自分達と彼らはいがみ合うにも近しい間柄かもしれないが、それでも争い合っている状況ではない。もちろん安易に手を組むわけにはいかない──つたない連携はむしろ危険ですらある──が、少なくとも一時的に休戦すべきだと。
「────否だ」
しかし無碍もいいところ。シャーロットはクロエの提案を一瞬にして一蹴した。これにはクロエも驚きを隠しえない。どこかウィリアムに似た頑なさが、彼女の瞳に炯々と輝いている。
シャーロットは迷いなく、三人に向けて畳み掛ける。
「決着はつけてこいと──これも王の言葉だ。かまえろ賊。黙して絶えるつもりでないならばな!」
構わないなと一瞥するシャーロットに、「全く仕方がないなシャル君はというか僕がなに言ってもダメだろうねははは」とギルバートは不承不承の頷き。アイシャはむしろ当然のように短刀を手にたずさえ、静かに応じた。
「やァれ。やるしかねェ、か」
「……御免。……だめ、だった」
「なに。……多分、言って聞くような類じゃない」
それぞれがそれぞれに構え、相対する。
三人と、三人。二度目の対峙は──相成った。