Level51:『D with D』
死人、あるいは屍人。つまりが死霊術の産物だった。
エリオは肩をすくめて部屋の内側に視線を送る。これほどまでの死体の数、並大抵の労苦で早々と用意できるものではない。必ずや何らかの仕掛けや種の類があるはずだろう。推測しながらエリオはそぅと床に蝋燭を置き去りにして、己が弓に手をかける。
何よりも先んじて狙うべきは、術者だ。だからこそ本来、警戒や守護は術者に集まってしかるべきである。ところが現在、彼らはまるで無防備だ。今となっても闇にまぎれるエリオの存在に気づいたものはいない。死者、亡者、屍鬼のたぐいであるとはいえ──彼らはあくまで元々は人間だった、ということもおそらく原因のひとつだろう。
彼らの天敵は暗闇だ。かつてこの世界が“暗黒の時代”と称されていたことからも察せられる。
何にしても、防備が手薄なのは好都合だった。エリオは速やかに弓をしならせ、狙いをゴブリンシャーマンに定める。距離はおおよそ五十歩。機会は一度きりだが、これを射止めそこなうならば冒険者などとうに廃業している。いよいよエリオが弓弦を解き放った途端、斜向の空を目掛けて射られた一矢が緩やかな弧を描く。
見事。寸分たりとも狙い違うことなく、矢先は標的の脳天へ着弾した。
からん、と乾いた音を立てて木の杖が手の中から零れ落ちる。ぐらりと揺らいだ身体が留まることなく倒れ伏し、血塗れの湿った音色を響かせた。ひくつくように幾度ともなく痙攣し、停止する。もちろん、死んでいた。
エリオはゆっくりと息を吐き、弓を下ろす。これで一安心かと、かすかにそう過ぎった矢先のことであった。けたたましい足踏みの音をさざめかせ、亡者の群れはせわしなく振り返る。緩慢な動作で武器を持ち上げ、一斉に視線を向ける。──他の誰でもない、エリオの方角へと。
ぞわ、と背筋に夥しいほどの悪寒が走り抜ける。術者は仕留めたはずだ、そう考えながら確認するがやはり死体は無造作に転がったままだ。術者が生き返っているという可能性はにわかに否定された。
エリオは手早く蝋燭を拾い上げながらとっさに身を引く。落ち着け、矢の飛んだ方角を見られただけだ、まだ見つかったわけじゃない。エリオはそう自身に言い聞かせて早鐘を打つ鼓動をいさめるように深呼吸を繰り返した。同時に冷静を装い、現状への解決策を組み立てていく。
原則通りに考えれば、術者を止めれば死霊術もまた停止するはずだ。しかし現実として、彼らは死体のままでなおも動き続けている。その原因を突き止めることは、極めて困難であると言わざるを得ない。同時に、今はその必要はあるまい。いずれにせよ、エリオにとって不都合であることに変わりはないのだから。
何をおいても今は退くべきだ。
至急結論付けるや否や撤退の姿勢を見せるエリオに、そうは問屋が卸さないとばかり──亡者がゆらゆらとたゆたうように歩みを進めた。青年の存在を認知しているわけではなかろう。しかし、その方角には何かがいる。矢を放ってきた、攻撃を仕掛けてきた何者かが存在する──それだけで、侵攻の理由には事足りるらしい。
エリオが全力で駆け出したならば、逃げ切れるか。生命力を持たない彼らは、結局のところ腐肉を引きずる死者に過ぎないのだ。遮るものさえなければ、問題は無いはずだった。
遮るものが、なかったのならば。
「──ちィ」
舌打ちする。意識しないうちに、彼の頬を冷や汗が伝った。
エリオが後退する先、そこに何者かがいた。死兵同様の足取りで彼の行路を塞ぐ人影。エリオの瞳にはっきりと映り込んだその正体は、容易に知れた。──先刻、確かに殺害したはずの二匹の小鬼が屍鬼と化して蘇りを果たしたのだ。間合いはすでに至近、弓を用いて対処できる距離ではない。エリオはすかさず短剣を抜き放ち、一匹の首を迷わず落とす。
そのまま矢継ぎ早、残る一匹を仕留めるために振り返る。それが、過ちであった。
ご、づッ。
「──づ、あッ……!?」
頭が弾けた。冗談ではなくそう感じるほどの激痛が、エリオの後頭部から駆け走った。鈍器に一撃されたかのごとく鈍く重々しい響きをともなった衝撃が、青年の痩身をぐらりと揺らがせる。凄まじいまでの吐き気に耐えながら、振りかぶられた眼前の屍鬼の振りおろしをすんでの所で横合いに躱す。
「……や、べェ」
千鳥足のように、まるでおぼつかない足取りだった。とっさに視線を振れば、頭部を失った程度で彼らは止まらないのだと知れる。生命なき彼らに急所狙いの一撃は、決して致命傷たりえない。自身の油断をいささか後悔しながらも、エリオは深く身を沈め下り階段に向け一挙に駆け出した。
その一歩先に、カツンと鋭く矢が突き立つ。急に駆け足を止める反動に、力ない掌から蝋燭を取りこぼしてしまう。虚しく石畳を転がりながら同時に、命の灯火が吹き消えるかのごとく──その炎が掻き消えた。
ゆっくりと背後を振り返れば、亡者の軍がいる。エリオの存在を認めたものどもが、大挙して押し寄せる。死が一団となってやって来る。かつて冒険者だった者どもの大群だ。刹那、エリオはようよう悟った。
彼らは死んだのだ。この迷宮で。
そして今、自身は彼らの仲間になり果てようとしている。
「──ペッ。死体の再利用か。クソ趣味悪ィな」
紅交じるものを唾棄しながら悪態を吐き、疼痛を抱え込んだ頭部を無理やりに持ち上げる。幸運にも短剣ばかりは手放さず、右手の中にしっかりと握りこんだままだ。己の反射行動に感謝しながら、エリオは刃をかかげる。
対敵は十数、あるいはそれ以上にも及ぶだろう。手負いとなったエリオが真っ向からぶつかり合ったとて勝算は万にひとつも無い。なにせ死のない兵なのだ。彼らの攻勢をやり過ごしながら手品の種を見つけるなど、とてもではないがエリオの手には負えない。だが、亡者の群集などという末路は真っ平御免だった。
とはいえ蝋燭の火が消え失せる本来の刻までは、少し時間が足りないだろう。つまりが暫時、助けは期待出来ない。
──時間稼ぎくれェなら、やってみっかねェ。
二匹の屍鬼に並び立つかのごとく、幾人もの屍人が前へ前へと歩みだす。斧、戦槌、槌矛、大剣などなど、種々雑多な凶器がその手に握られていた。矛先を向けられているエリオとしてはぞっとしない光景だ。まがうことなき脅威にはっと息を呑む。
だが、歩廊の幅には限りがある。まとめて十数と相対する事態には陥らずに済む。
そう考えた瞬間だった。一足の踏み込みと共に、振り下ろされたのは戦槌だ。死人のそれとは思えぬ膂力によって振り上げられた鈍器が、エリオの元いた空間を過ぎ去り床へと埋まる。真っ当に受けることなど、想定するのも馬鹿馬鹿しい威力だ。だが、決して避け得ぬ速度ではない。回避のために後方へと飛びすさりながら、しかし退避行動は同時に少しずつ追い詰められることを意味する。
彼方の攻勢は続く。反撃に出ることの無意味さは、先ほど身をもって味わった。上段から斜に切り払う斧の刃、これを間合いから外れるように躱す。瞬間、風切り音がエリオの耳に届いた。
飛び道具。矢だ。前衛ばかりとは限らないという現実に、しかし肉体が付いていかない。何だかんだといっても手負い、更に回避行動の直後とあっては。苦し紛れのようにひうんと振るわれた短剣の一閃が、しかし飛来する矢の勢いを止めていた。──中心から真っ二つに断ち切られて。
──やってみるもんだァな、とエリオはひとりごちる。体力は着実に奪われながら、しかし青年の眼力は衰えることなく暗闇の向こう側を見通していた。
だが、偶奇は二度も続かない。
「──ッ」
来る、と感知する。二の矢だった。先のような芸を披露するには及ばない。向かい来る方角さえ知れれば、後は軸をずらすように避ければ良い。限りなく無駄を省いた理想的な回避行動の直後、続けざまにそれは襲い来る。──横合いに薙ぎ払われる鎚矛。それがエリオの脇腹を全力で痛打した。
「──ご、ぽッ」
骨が逝った。少なくとも、確実に罅は刻まれた。そう確信できるほど痛烈に吸い込まれた一撃だった。打撃の勢いに軽く吹き飛び、果てにエリオは側面の壁際へと叩き付けられる。ぐらりと視野が揺らぎ、血流が逆流する。耳鳴りが酷く、聴覚は大部分が鎖された。視界のふち、頭上に銀色の刃がほのかにちらつく。
影が迫る。一歩、二歩。影がエリオの身体に被さる。振りかぶられた刃が真っ直ぐに落ち──
「はい待ったァァァッ!!」
金属音さえ響かない。突如として飛び込んできた人影が刃を一閃するに合わせて、振り下ろされていた大剣の刃を両断せしめる。間を置かず彼は柄を握りこんだ拳を振り上げ、思い切り屍人の顔面へと叩きつけた。決してちいさからぬ体躯が、しかし腐肉の脆さゆえに呆気無く吹き飛んでいく。
「──ずいぶんお速い到着じゃねェの」
誰か、などと問いかけるまでもない。鋼鉄をあっさりと切り伏せた刃をかかげる彼を、エリオはゆっくりと見上げる。ウィリアムが魔剣をその手に引っさげ、当たり前のような顔でそこにいた。
「ギリギリもいいところじゃねえか!」
売り言葉に買い言葉。緊張感に欠けた軽口の応酬にエリオはひひと笑みを漏らす。視線を走らせれば、彼の傍らにはやはりクロエもいた。すっかり平静を取り戻したような調子で、キッと屍人の群れを睨みつけながら身構えている。えらく幸運が続きやがらァとうそぶきながら、しかしエリオはふと抱いた疑問を口にする。
「良くやべェって分かったな。まだそんなに経ってねェだろ」
「……火が、消えたのは──私の灯、だから。“探知”、できる」
「すっかり忘れてたろう」
「ああ!」
「自信満々……!?」
道理で来ねェはずの助けが来るわけだ──と納得して、エリオは倒れこんだ身体を無理やりに立ち上がらせる。近いうちに続く矢が射かけられるだろう。いつまでも一所に留まっていては格好の的である。視線を彼方、いまだ健在と言って差し支えない群体をしかと見据えた。ウィリアムへと向かった鎚矛が瞬く間に刻まれ、後方へと退けられる。ひとりひとりは決して強くはないが、それでものっぴきならない状況であることに変わりはない。
「話は後、だな。まずはサクッと切り抜けるぞッ!」
「手負いに無茶させんねェ──ひひッ」
「……前に出るのは、控えめに──ね」
いささかの落ち着きを取り戻し、群れと相対しながらも──さりとて、戦況が劇的に好転するわけではない。なぜならば彼らは屍人であり、不死の群勢にほかならないのだから。
倒れるたびに立ち上がり、斬り伏せども死に絶えることは無い。
「──こいつらァ屍人だ。多分、どっかに術者がいるんだが、それっぽいのが見当たりそうにねェ」
「それを潰さなきゃどうにもならん、か!」
とはいえ、それは可能性のひとつに過ぎない。彼らを観察したその結果、導き出される推論をエリオは列挙していく。術者らしい存在であるゴブリンシャーマンを仕留めた、これを大前提として──ひとつめ、そもそも彼らは死霊術のたまものではない。ふたつめ、死霊術は術者が死亡しても有効である。そしてみっつめが、先の例────術者は、別にいる。
「……ふたつめは、まず無い、とおもう」
「となると、ひとつめは」
「……それなら、いつか倒れる、はず。……けれど──」
幾度と無く打ち倒しても、まるで意に介さないかのごとく立ち上がり、刃をかかげる亡者の群れ。底なしにも思える蘇生は、外部からの補填なしにはおよそ考えられない。そして何より、不死という特異性を持つにしては──彼らはあまりに、能力がつり合っていなかった。
「ってェと、やっぱり術者だな──この肉壁の向こう側ってェと、骨が折れるが」
ひうんと飛来する一矢を回避、切り返して振るう刃が屍人の腕を落とす。彼らは何度でも立ち上がるが、決して強靭な再生力を持っているわけではない。武器を持つことを許さなければ、その脅威度は飛躍的に下がる。
「クロエ。魔力を感じる、って出来るか」
「……できると、思う。──……ある程度、なら」
第一階層での取得物から魔力を感知した時のように。それは十分に可能の範疇にあった。一瞬、その言葉を口にしたウィリアムの意を汲み取りかねたが──直後、察する。
死霊術の大元を探り当て、早急に排除する。これはウィリアムやエリオにとって極めて難事である。彼らふたりは魔術の類について、全くの素人なのだ。だからこそ白羽の矢はクロエに立つ。
「──道を作る。万が一の血路を開くのも僕らの仕事だ。頼めるか」
ウィリアムの言葉に対しクロエは静かに、はっきりと頷いた。
ためらいはなく、決意のみがある。クロエは“灯火“を用い行く先を照らし、蒼い瞳を暗闇に輝かせる。
「実際問題、オレひとりじゃこいつらァ食い止めるのは厳しいからなァ──が」
道が定まりゃ造作も無ェと、エリオはその手に弓をとった。束ねた矢を番えると同時、ウィリアムに合図を送る。少年が両刃大剣を手に応えた途端──鉄が打ち出された。道を遮る屍人がもんどり打って倒れこむも、構わない。まもなく連続して放つ二射、危機を気取って屍人どもがたちまち横手に避けていく。
そこにこそ、道が出来上がる。
合わせて少年が一歩を踏み出す。銀刃が閃くと同時、からんと凶器が石床に落ちる。振り放ったなぎ払いが、屍人の利き手を見事に落としたのだ。
「──今だッ!!」
こくり、と頷く間もない。矢のごとく飛び出したクロエが屍人の隙間を真っ直ぐに突っ切り、駆け抜ける。肉壁を乗り越え行き着いた先、後衛に控える弓手の屍人がうごめいていた。少女は迷わない。焔を宿した拳を握りしめ、
「──殺ィ……ッ!」
呼気をともない打撃する。
崩れかけた死肉をひしゃげさせ、クロエの疾走は止まらない。
「……出来りゃあ僕らも乗り越えたいところだし。気張るか」
「その隙が作れるんならなァ……!」
彼女を信じ、眼前の敵へと相対する。出来る限りは豪快に、持つ力を尽くして切り払わねばなるまい。何をさておいても亡者を惹きつけておくことこそが──今、彼らの本分なのだから。
──クロエがこの役割を引き受けたのには、わけがある。彼女には、確かな勝算があったのだ。
十数もの死体へ同時に死霊術を行使するには、それにふさわしい分量の魔力が要される。加えて魔力の多寡が大きければ、感知することもたやすい。
クロエは単独、開けた空間に出る。屍人は怒涛の勢いで通路に押し寄せたため、ずいぶんと手薄な有様だった。ぐるりと周囲を見渡すが、それらしいものは見当たらない。しいて言うなれば、ゴブリンシャーマンの死体が転がっているくらいだった。
大広間に存在する通路は二本。南側と北側のみの一本道だ。この奥に進むべきかとも考えるが、しかし同時に迷う。死霊術の効果は、それほどまで広範囲に及ぶのだろうか。
──数が多い以上、さほどに離れてはいないだろう。まずは室内を探索するべきだ。感覚野を鋭敏にすることにつとめ、魔力を感知する領域を周囲に展開。
「──……ぁ」
ほど無くして、クロエは魔力の存在を敏感に感じ取った。その源は──死体になり下がった、ゴブリンシャーマンであった。馬鹿な、とクロエは自らの能力を疑う。それは見るからに死んでいた。どこからどう見ても、単なる死体だ。魔力の残滓を感じ取ってしまったのだろうか、かすかに思考しながらも悩んでいるような暇はない。死体に手をかけ、あさり始める。
ふと彼方を見やる。戦況は硬直しているが、いつ崩れるとも知れない。何よりエリオの傷は決して浅くないものだった。治療を急がねばならない。一抹の焦燥を隠しきれず、クロエは死体漁りにつとめるが──それらしい原因は見当たらない。
生き返る様子はない。死を偽装しているわけでもない。ならばゴブリンシャーマンが術者ではありえないということになる。だが、他に魔力の気配は見受けられない。混乱の極みに陥りかけた、その時だった。暗闇の向こう側から、気配のひとつが──ゆらり、とクロエに向かいかけていた。“灯火”にぼんやりと照らし出される影が、ひときわ不気味に屍人の姿を見せつける。
迎撃すべきか。目的がよれかけたつかの間、クロエの視界に映り込んだ古木の欠片。ゴブリンシャーマンの下敷きとなっていた御杖を見とめる。──いずれにせよ、真っ向から戦士の屍人とぶつかり合えば命の保証は全くない。ならば、一か八か。
無我夢中で拾い上げた木の杖を、クロエはかかげる。またたく間に、猛然と殴りつけるかのような勢いで振り下ろした。
「──……せ、いッ!!」
硬質な石畳に叩き付けられた杖が、真ん中から見事なまでにへし折れる。
──それに呼応したかのごとく。眼前の屍人がサラサラと崩れ落ち、灰に還りて塵と化す。
少女が背後にすかし見た群勢も、また同様であった。