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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
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Level50:『抜き足、差し足、勇み足』

 三人が行く先に、区切りが見えた。通路と部屋を区切る役割を果たす、四辺形の空白。その隙間は、とてもではないが背後より迫り来る巨石の通り抜けることが出来るような横幅ではない。

 ──ならばイチかバチか、他に道も無いのだから生存の可能性に賭けるのみ。誰にともなく頷き合い、飛び込むような勢いで石畳を力強く蹴り出して──室内へと、一気呵成に突き進む。

 刹那──転がる巨石が部屋と部屋の敷居に阻まれて、壁の狭間に打ち当たるかのごとく正面から激突する。室内を揺らがせる震動と衝撃に石壁から飛礫(つぶて)がパラパラとこぼれ落ちるが、境界を打ち壊すには至らない。その勢いを緩やかに弱め、停滞する巨石──その様子を背後に感じ取ったウィリアムらは、ようやっとの安全に大きく安堵の息を吐き出した。

 クロエは心もとなげに、罅の刻まれた石壁を丹念に辿る。断面から推し量ったところ、どうやらその傷は壁の内部にまでは到達していないようだ。

「どうにか、なった、みたいだ、な……」

 頭を垂れて両の膝を手のひらで押さえながら、ウィリアムは忙しなくぜえはあと肩で息をする。クロエにしても似たり寄ったり、というよりはさらに困憊した有様だった。調べを終えた途端に狭苦しい四方形の部屋の隅にくったりと座りこんでは、ちいさな身体を丸めて膝を抱えこみ、相当に荒い呼吸をくりかえす。基礎体力の欠乏がすこぶる悔やまれる瞬間であろう。

「みてェだ……な。んだが──」

 息つく暇も無ェって言うのかね、といくらか余裕のあるエリオは他方に向けて視線を送る。螺旋状にくねる上り階段が、もう目の前にあった。なるほど先に進むことが出来るというのは実に喜ばしいことだが、今の状態で果たしてそれがかなうか否か。

 彼の言葉につられてか、ウィリアムがゆっくりと視線をかかげる。“飽食塔”第三階層への道。それを目にした少年は気を張り、頭を上げてどうにか立ち上がった。

「──ちょっと落ち着いてから行こう。次いつ休めるか分かったもんでもないし」

「……私、は──……」

 その言葉に思わず首を持ち上げ、クロエは何かをとっさに言いかける。

 だが次の瞬間には口ごもり、こくりとうなずいてみせた。

 ウィリアムの言葉が彼女の体力を気遣ったものであるのは明らかだが、決して気に病むようなことではない。クロエには肉体労働以外にうけおうべき役割があることはすでに自明。その提案に否定をさしはさむのは、彼女の些細な意地だけである。

 当然それは、小隊(パーティ)全体の安全に勝るものではない。

「僕が思うに、総倒れ以前にそれだとクロエが真っ先にお陀仏してしまう」

「……合ってるけど、合ってるけど!」

「命を大事に、だ。主に自分の。皆のとかは次で良い」

「ま。脇に抱えられねェで済むだけ成長してらァさ」

「褒めてるのか貶してるのか……」

 クロエが膝を抱えたまま呼気を繰り返すに連れ、彼女の胸元が緩やかに上下する。穏やかならぬ様ではあるが、彼らの言葉通り──彼女も決して貧弱なままというわけではなかった。

 ひとつの土地にとどまること無く歩み続ける、放浪者としてのあり方。それをひたすらに継続させるだけでも、かなりの体力を要するだろうことは想像に難くない。

 ウィリアムの脇に抱え込まれての都市脱走というかつての出来事を思い返せば、その差は歴然。そもそも体力というものは一朝一夕では備わらないのだが──それでも二階層を乗り越えられた背景には、これまで辿ってきた道のりが間違いなく存在していた。

「……うぅ、ん」とクロエはもの思わしげに掠れた唸り声をあげるが、それでも未だ面映いようにゆっくりと目を伏せた。

「ま、いざって時はみんな仲良く天国行きじゃねェか。愉快だろ?」

「こいつ、自分が天国に行けると思ってやがる……!」

 ふてぶてしいにも程がある言葉を何食わぬ顔でさらりと言い放ちながら、エリオはひとりで階段の方へと歩み始める。その付近に仕掛けは無いかと念入りに確かめてから、彼は顔だけを背後へと振り返らせた。

「さァて。ひとつ提案があるんだが」

「というと」

「いやなに、大したこっちゃ無い。休憩をとるってェのには賛成するんだが、幸いなことにオレ単独でなら動く余裕がある」

「……でも、戦力の分散は……」

「ひひ。なにもオレが一人で無双しようってェワケじゃねえさ」

 なにが待ち受けているかも分からない上層階で、孤立するなど──あまりにも危険に過ぎるのではないかと、クロエは視線で控えめに訴えかける。しかし、当のエリオは右から左へと受け流すようにひひひと笑うばかりだ。

 いかにもとぼけた調子だが、一概に単なる考えなしと否定はできない。そう判断したウィリアムはおもむろに顎先を向けて、話の続きをうながしてみせる。何をさておいてもまずは聞いてからだと納得して、クロエも青年の方にそっと向き直った。

「で。どういう方策な訳だ」

「さっきみてェな不意打ちもアリアリって分かったからな。──斥候が有効なんじゃねェかと踏んだ。コソコソ隠れんのはお手の物、ついでに灯りが無くてもこれくらいの暗さならなんともねェ」

 エリオは周囲をぐるりと見渡して言う。玄室の内側はたいまつなどの灯りが一切なく、にわかに薄暗い。一寸先は闇というほどでもないが、常ならば“光明(トーチライト)”の魔法をせつに願うところだ。あいにく、今のクロエは少々それどころではない容態なのだが。

「一戦交える気ははなから無い、と」

「そゆこと。小鬼(ゴブリン)くれェならどうとでもなるが、基本相手はしねェ。階段までの経路(ルート)が分かりゃ御の字だが──まァ、手間は掛けないようにするさ。それこそ、この階みてェな仕掛けならすぐだ。ちょいと任せてくれねェかい」

 どォよ、とエリオはふたりに向けて気楽に問いかける。

 ──悪くない。あながち悪くはない提案だと、ウィリアムは至極素直に考えた。

 この迷宮(ダンジョン)の稀有な特性は、通常では決して起こりえないような変異をごく短時間で完成させるという異常性にある。この異能は、前もっての情報収集が通用しないという脅威をウィリアムたちにもたらしていた。

 しかし、実際はその限りではない。なぜならば変異は自動的ではなく、迷宮の──あるいは迷宮を支配するなにものかの──意志によって能動的に現出しているからだ。その証拠に彼らが通ってきた階層は、内部構造が絶えることなく移り変わり続けるような代物ではなかった。

 これらの情報から生み出される、ひとつの推論。

「……慎重に、だ。クロエが同行しないとなると、緊急退避も使えない」

 現場で稼ぎ出した情報ならば有効なのではないか、と。

 導きだされた推測にしたがって、ウィリアムはおのずと可能性にかけた。考慮に値しないたぐいの、紙のように薄い確率ではない。そして何より、エリオが自ら差しのべた提案だった。彼を信じるならば、その手をなんとしても取りたいのがやまやまである。

 任せたと真っ直ぐに言い切る少年のかたわら、クロエが急に何かを思い出したかのように、手元の鞄をごそごそとまさぐり始めた。なんぞやと注がれる男ふたりの視線をよそに、ようようお目当てのものを探り当てる。

 やがて慎重にひきいだされた、そのちいさな手の中にあるものは──何の変哲もない、蝋燭ろうそくだった。

「……これに、火……つけて。持って、いって」

「こいつをか? まァ便利っちゃあ便利なんだが──」

 エリオはいぶかしげに瞳を細める。そもそも蝋燭は、冒険者が用いるには不向きな代物なのだ。松明(たいまつ)などと比べれば非常にちいさく、扱いやすい。しかし一方で火持ちが悪く、ほんの少しの風でたち消えることもしばしばある。さらには持続時間が短く、値も張るというのだ。もしもの備えはしておくものの、実際に使われる例はあまり無いというのが実情だろう。主な光源として用いるには、はなはだ不適格であると言わざるを得ない。

「そもそもエリオには灯りいらないんじゃないか、というか無い方が良いような……と、なると」

 松明を使うよりは、まだ良いだろう。

 それでも──仮に魔物の目が張り巡らされているとして、灯りをともなえばいやでも目立ってしまうことは必定である。クロエはそれを承知の上で、静かに首肯する。

「……ろうそくの火が、消えるまで。……それを区切りに、もどってきて、ほしい。……定期連絡が、いると……おもう」

 とつとつと呟く少女の声が、しみ入るように響く。

 蝋燭は光源に用いるのではなく、時を計るために必要なのだと。鞄の中からもう一本の蝋燭を取り出して、ひとつをエリオに差し出した。

「……こっちでも、計る、から。……きえるまで、戻らなかったら──……」

「その時は、戻ってこれん状況と考えて僕らから行こう」

 ちらりと少年の様子をうかがうように、クロエはやおら目を向ける。揺らぐ視線を感じ取るよりもなお早く、ウィリアムはためらいなく頷いた。

 一方のエリオは差し出された蝋燭を受け取り、ちいさく肩をすくめてみせる。その表情には、呆れにも似通った笑いが浮かぶ。

「──決まりだァな。なァに、心配がいらん世話になるくらいの勢いで済ませてくらァよ」

 芝居がかった仕草で手のひらをかかげて目配せを残し、気負わぬ軽やかな足取りで階段を上る。ひ、と口端のつり上がった皮肉げな笑みが──やけに似合いだった。


 ──別に興味本位でふたりきりにさせようとかそんなことを思ったわけじゃねェよ。いやほんとだって。

 心中で誰にともなくうそぶきながら、階段を一歩一歩と進んでいく。足並みに連れて次第に深まる暗闇。視界を占める黒が広まり、否が応でも少しずつ色濃くなっていく。いかにもおぼつかない足元を踏みしめて、エリオはようやく第三階層へと辿りついた。

 片手には蝋燭の火を持ちながら、しかし彼はその灯りを必要とはしない。“森の人”と呼称される彼の一族が後天的に体得する、特殊な力のひとつ──暗闇を見透すかのように働く夜目。漆黒に映える碧眼が、途切れることなく観察するように周囲を見渡す。成人男性が数人並んでも不自由しない横幅の通路、これを囲い込むのはやはり石壁に石床であった。

 どうしても音が立ちかねない石畳を、静謐を保ちながらエリオは歩んでいく。程無くして真っ直ぐに向ける視線の先に、生物の影が捉えられた。それは概ね人型と言って良く、片手には松明を灯火としてかかげている。そしてどうやら彼らは、エリオのいる方角を見てはいるものの──その存在にまでは気づいていない。

 毛深い赤褐色の肌、知性を感じさせない面構えがふたつ。雑兵の小鬼(ゴブリン)と見て相違あるまい。恐らくは見張りとして配置されているのだと考えられるが、相応の役割を果たしているかは怪しいところだった。

 とはいえ、彼らが何の障害にもなっていないかといえば否。小鬼は通路のど真ん中に途上を遮るかのごとく直立しており、非常に邪魔なのだ。排除することはさほど難しくないだろうが、その後が面倒極まりない。

 見張りを延々つとめることなど不可能に近いのだから、必然的にいつか交代が行われるはずである。したがって見張りを殺害すれば異変が明らかとなり、こちらの存在が敵方に露呈することとなる。

 三人でならばまだしも、一人で危険に身を投げ出すことは自殺行為にも等しい。よもや魔物が彼らしか存在していないとは、とてもではないが考えがたいのだから。

 ──さて、どォするか。

 辺りを確認しても他の道は見当たらない。先には見張りが配置されているのみ。これ以上の進行は危険をともなうため困難、となれば引き返すという選択肢がおそらくは正しいのだろう。そう考えながら、同時に不安もつきまとう。

 ──戦力すらわからねェのは、ちィとな。

 彼我の戦力差さえ把握できない現状では、少々いかんともしがたい。あまりにも無鉄砲極まりない進軍だ。最低限の安全を確保しようという偵察である以上、掴んでおきたい情報というものはある。

 エリオは心中でひとつの決断を下し、足元から手頃な石を拾い上げた。流れるように振りかぶり、小鬼(ゴブリン)を目掛け投擲する。暫くして、からんころん──と、硬質な音色が転がるように響き渡った。

 ──同時、訝しむようにきょろきょろと周囲を見回した小鬼の一匹が、持ち場を離れて前進し始める。何者かが潜んでいるのか、なにかの偶然なのか。たかが石ころごときと思えば単なる気のせいかもしれないが、用心に越したことはあるまい──と、彼にとっては安全確認のつもりなのだろう。

 エリオは小鬼の歩みに応じ、慎重に一歩ずつ後退する。万が一にも小鬼の視界に入り込まないよう、距離を保つためだった。

 やがて小鬼がエリオの元いた場所に至ったころ、弓を手に取り手馴れた所作で矢をつがえる。すかさず小鬼の勘所を狙い、流れるように射掛けた。全くもって彼の狙い通り、放たれた一矢が鮮やかに標的の眼球を穿ち──鏃は脳天にまで達した。

 そのまま小鬼は声もなくくずおれ、もう一匹の見張りに気づかれさえせずたちまちに絶命する。無論のこと、即死である。身体の中核を破壊されて、なお生きながらえ得る道理は無い。小鬼の骸を一瞥して死亡を確認、前進とともに残る一匹を速やかに射殺する。

 ──交代なんぞに出くわさねェことを祈るっきゃ無ェな。

 蝋燭が示す刻限はいまだ半分ほど残されている。それを確かめてからよどみなく小鬼の死骸を隅に追いやり、エリオは再び歩みを進め始めた。足音はない。

 幾ばくもなく、色艶やかな碧眼が驚愕に見開かれる。無理も無いことだ。目と鼻の先にある大広間とでも言うべき開けた空間、その最奥にエリオは異様な光景を垣間見る。

 ゴブリンシャーマン。

 色とりどりの民族的な衣装に身を包み、不格好な木の御杖を振りかざす青肌の異形。魔法が扱えるというただ一点において、重大な差異を保有する小鬼ゴブリンが立ち尽くしている。

 通常の小鬼と比してはるか高みにある脅威──しかし、エリオの尋常ならざる驚きの原因は別にあった。

「なんだ、こいつァ……」

 音をたてるべきでない状況にも関わらず、端正な口元からひとりでに戦慄の言葉がこぼれ出す。

 ──人間だった。人間が、いた。少なからぬ数の人々が、大広間に集い屯していた。

 幼子や年寄りは見受けられないものの、年齢や人種も多種多様。男女も無差別に入り交じっており、パッと見で分かる共通点といえば彼らが一様に得物を所持しているということのみ。それは即ち、彼らが冒険者であるという事実を意味していた。

「……ひでェ臭いだ」

 エリオは肩をすくめて、整った顔立ちをしかめっ面に変じさせる。飄々とした態度を一瞬にして打ち崩すその臭いは、一度でも覚えがあるならば忘れようはずもない──死人の漂わせる、死臭であった。十数人分のそれを一箇所に濃縮されたかのような刺激が、有無をいわさず彼の鼻を突く。

 詳らかに見回せば、あっという間に知れただろう。彼らの眼には、ことごとく生気が宿っていなかった。吐き出す声は、漏れなく亡者の呻きに成り果てる。不思議と腐敗などの現象は見受けられないが、それでもなお明々白々。

 ──彼らは、死人の群れだ。

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