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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
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Level49:『駆け抜けろ!』

 ──静寂を取り戻した“飽食塔”第一階層。彼らの行く道を遮っていたものはすでに果てた後。ならばこそ、ウィリアム達にはひとつの選択肢が突きつけられていた。少し休んでいくか、それとも今すぐ進むべきか。なにせ、言うにおよばずもいまだ第一階層なのだ。そしてウィリアムの負うた傷も決して浅からぬものだが、少なくとも少年の意志を挫くほどのそれではない。ならば導きだされる選択は自然──

 と、その前に。

「なんともねえなら良いんだけどなァ」

 無造作にエリオが先陣を切って東部屋へ踏み入り、少女はウィリアムに治療を施しながら後に続く。かすかに焦げたような臭いが残るものの炎そのものはおおよそ鎮まっており、足元にくゆる残り火を踏み躙りながらエリオは歩を進めて中央の箱を検分する。

「仕掛けとか、あるか?」

「どーってこたねェ鉄の(チェスト)……だァな。鍵も無し」

「……なんのため、なんだろ……?」

「人を誘い込むため、なんて噂もあったがなァ」

「にしては、排除する機能も万全だけども──まあ、取りあえず開けてみないか」

「んだァな」

 いささか不思議そうに首をかしげるクロエのかたわら、ウィリアムの言葉に応じてエリオが鉄箱の蓋を押し開く。途端、かしゃんと音がした。彼らの背後、天井から吊り下げられていた松明が床へと落ちてきたのだ。にわかに暗がりが室内へ蔓延するも、だからどうということでもない。ウィリアムは咄嗟に振り返り入り口の方へ警戒の目を向けるも、これといった異常は見受けられなかった。

「……妙に脅かすな」

「──あぶなかった……ね」

「うん?」

 ぱち、ぱち。暗闇をかすかに照らし出す、松明の火がしばし揺らめくも──床を転がる内、かすみとぎれて消えていく。瞳を眇めてその様子を見届けたウィリアムは、クロエの言葉を聞いてか少女の姿を返りみた。

「……もう、油、燃えた後、だから」

「──成る程」

 本来はこの部屋そのものが一つの罠。餌に釣られればあえなく焼死。大規模であるからこそ見極めはかえって困難であり、従って箱そのものへの小細工じみた仕掛けは必要ない、というわけだ。

 巧妙、あるいは悪辣とでも言うべきか。ウィリアムは得心したように手のひらを打つ。

「なァ、ちっと見てもらいてェんだが」

 と、(チェスト)の中から何かを取り出したエリオが声をかける。その何かとは彼の親指と人差し指の合間に収まるくらいの小さなものであり、青年の表情はすこぶる浮かぬ顔であった。

「コレ、何かわかんねェか」

 そう言ってエリオはふたりに向け、指の間にも収まるちいさな球状、より正確に言えば楕円形の物体を突きつけてみせる。色彩は煉瓦によく似た赤土色、指先に摘まれていながらたわみもしない様子は硬質な感触を想像させる代物。表面に刻まれた皺は木目めいていて、輝きなどを帯びてはいなかった。ウィリアムはそれを一目見て、咄嗟に思い浮かんだ言葉を零した。

「なにかの、種、か……? 僕にゃお手上げだ──クロエは?」

 エリオはクロエに委託する形でそれを明け渡し、少女は掌上のそれをしげしげと見つめる。樹皮に似通った感触はそれが確かに植物であることを知らせるが──クロエはふるふると首を横に振った。稀代の魔術師にして薬師たる祖母から受け継がれた知識をもってしてなお彼女の記憶に該当する存在では無いと、少女は確かにそう語る。

「……わからない……けど。ちょっとだけ、魔力を、感じる──から。……特別なもの、なのは、確か」

「なるほど。それじゃあクロエに持っててもらうか」

「それは良いんだァが、そも魔力って何よ」

「そっから!? ──いや、僕も良くわかってないな……」

 魔剣などというものを振りかざしているにも関わらずこの体たらく。それが振るうことの出来る武器として持ち合わせているのならば、本人の認識などこの程度のものだった。クロエが行使する魔術についても、彼女が“何を出来るか”ということは仲間として知っていても、その原理までは認知の及ぶところではない。

 視線をそそぐ無学の輩若干二名に対し、クロエは神妙に咳払いひとつして訥々と言葉を紡ぎ始める。

「──……簡単にいうと、“人ならざる力”。……人が(せいめいりょく)に衝き動かされているのと同じく、人じゃないなにかを動かす力も、あるはず、っていう考え方から、生まれた概念」

「魔物も命で動いてるって考えちゃダメなのか」

「……魔物、精霊、妖精。彼らの多くが、神秘の力を持ってるけど、人間はほとんどが、そうじゃない。……同じものを動力としていると考えるには、不自然」

「分かったような、分からないような」

「門外漢が雁首並べて分かったようなツラしたってしょうが無ェだろ。そういうもんだと思っとこうぜ」

「……それもそうだ」

 説明ありがとう、の言葉にクロエは静かに頷き、そして先刻に決まった通りに種子──あくまで暫定的な見立てではあるが──を鞄へ大事にしまい込む。正体不明の取得物とはいえ、ようやっとの思いで勝ち取った戦利品には違いなし。

「さて。見るもんは見切ったって感じだろォが──」

 ゆっくりとエリオはウィリアムに視線を向け、瞳を細める。先ほどの戦闘からはほとんど時を置いておらず、即ちが手負いと言っても差し支えのない姿。クロエの手により応急処置は施され、かしこに包帯が巻き付けられているのもいっそ痛ましくはあるか。そんな様子をしばし観察しては、ひょいとエリオはちいさく肩をすくめた。

「どォすんべ」

「行こうぜ!」

「……少しは……休んだ方、が」

「うーん。……でもまだ一階だろう!?」

 日が暮れるじゃすまないぞ、とウィリアムは仁王立ちと共に言い張った。言葉そのものはもっともであり、そして襤褸の風体にも関わらず意気ばかりは揚々。

「そォだなあ。実際、妙なのに後から来られても困るし」

「というわけだ! ──そも、最上階が知れてないってのも僕としては懸念材料でな」

「……そっ、か。……うん」

 いざとなれば一度切りではあれ緊急避難の手段もある。それゆえか、クロエもまた進撃の選択で一行は合意を見せた。

「なに、ウィルの生き汚さは信用が置ける。そう気ィ張るもんじゃねェさ」

「僕も考えなしにやってるわけじゃあねえぞ。治療があるからこそだな」

「……過信は、しないでね……?」

 あくまで自分の魔術は当人の回復能力を向上させるものであり、瞬間的な治癒を可能とする力なのではないのだと。そんな言葉を交わしながら三人は第一階層東部屋を脱し、中央部屋から北へ。そこに番人として立ちはだかった牛頭人魔(ミノタウロス)の姿はすでに無く、素通りして階段を進むことが出来た。

 石造りの螺旋階段は高く伸び、横幅はかろうじて二人が通れるか。エリオが先頭に立って罠の類が仕掛けられていないかを確かめながら一行(パーティ)は進む。幸いにしてか何事も無く上階へと辿り着いた三人の目の前に広がった光景は、ひどく殺風景な石畳の一本道──灰色の通路であった。道幅は三人が並び立っても余りあるほどで、窮屈とは感じないがえも言えぬ圧迫感がある。途上は急勾配などではなく、むしろ緩やかな下り坂となっていた。

「……曲がり角に何と鉢合わせするか分からんなあ」

「──ウィルッ、クロエッ、前出ろッ!!」

 ウィリアムが呟いた、その瞬間だった。不意にエリオが背を返りみて、必死の形相でふたりに叫ぶ。明らかにただ事ではない、そう感じさせる表情にウィリアムが視線を足元に落とした時、ふと気づく。

 ──ウィリアムたちの影が浮かび上がっていて然るべき床は、巨大な黒の一色によって見事に塗り潰されていた。少年はそのまま視線を上げる。この間、一秒さえ経過していない。

 ────少年の視界を覆いつくさんばかり。吹き抜けの天井から一直線にウィリアムら目掛け落ちてくる巨石。それは第一階層との連絡を完全に封鎖しながら不用意な侵入者を踏み潰す役目を果たす、第二階層の洗礼だ。

「───ッ!!」

 ぎちッ、と歯を食いしばりながらウィリアムは咄嗟に地を蹴り出す。無論、傍らのクロエも引き寄せるようにして両身を真っ直ぐに投げ出した。思慮はなく、そこにあったのは瞬間的な反射のみ。盛大に身体を床と擦らせる少年の手の中、声もなくクロエは瞳を白黒とさせた。

 ずん、と大いに根を軋ませる音を立て巨石が落ちる。あと一寸でも遅れれば二人はその下敷きになっていただろう──そうなれば最早助かる術はなかった。

「──ウィルッ」

「…………や、大丈夫だ。心配ない」

 クロエの慌てたような声、その懸念を否定するようにウィリアムは緩慢に立ち上がると服の埃を払うばかりに動きをとどめる。

「……こいつァ、まあ。随分な挨拶なこって」

 ひ、と引きつったような笑い声を上げるエリオにしかし笑みの色合いは無し。つぅと音もなく青年の頬を冷や汗が伝った。ヒクとにわかに口元が震え、本来ならば悪態のひとつでも吐き出したいところだろうが──暫しの間、視線を外さずに落下してきた巨石の形をエリオは見つめる。

「全くだ。──取りあえず進まないか。これで戻る道も塞がれたってわけだし」

「……ああ。そうしてェとこなんだが」

 何か、違和感がぬぐい去れない。エリオのその様子に呼応してか、クロエもまたその岩石を振り返る。それは巨大で、人の身の丈を遥かに上回る直径を誇っていた。色合いは自然な土肌にも関わらず形状は天然物にはあり得ないような球状で、いかにもな作り物っぽさがある。言うなればそれは、まるで“そうあれかし”と余分を削ぎ落とされたかのような真円なのだ。

 ──削ぎ落とされた?

「……これ」

「うん」

「あァ」

「……変に、丸く……ない……?」

 クロエがぽつりと呟いた、その瞬間であった。

 ぐらりと、その岩石がかすかに揺らいだかのように三人には見えた。

 ──否。見えたのではない。それは錯覚でもなく、そして揺らいだのですらない。それは傾き、そしてわずかに前へ乗り出していた。

 三人は通路、即ち行くべき先へと向き直る。道は──緩やかな、下りの坂道。

 丸い岩石が転がりだすには十二分の、傾斜であった。

「──走るぞッ!!」

「ちィ──ッ!」

 ウィリアムの怒号、エリオの唾棄、そしてクロエが勢い良く首を縦に振ると同時に駆け出す三人。一片の迷いすら無い疾走に、しかし無情にも巨石は坂道へと乗り出し──そして、流れるがまま。緩慢であった初動が次第に勢いを付け、加速する。加速をもって転がりだすそれは、即ち目の前にあることごとくを轢殺する暴れ馬と化した。勢いはとどまることを知らず、階層(フロア)全体に震動と水平動──そして轟音をもたらしながらそれは走破する。

「……身体能力向上(フィジカルエンハンス)は、付与したっ、からっ……」

「分かった、有難うッ、でも喋るんじゃないッ、今は走るんだッ!」

「クソッ、音が近ェ──!」

 疲れ知らずに際限なく速度を早める巨石。一目散に駆け出す三人は魔術での底上げ(ブースト)をもってしてもその距離を緩やかに詰められ、じわじわと追い詰められているという事実を知る。駆け抜ける通路は一直線に見えてどうやら緩やかな湾曲(カーブ)を描いているようで、走り続けていても巨石を押しとどめてくれるような壁は見当たらないようだった。それでもにわかに減速していることが、救いといえば救いか。

「どこまで、走るんだ、これッ──!」

「上り坂に、なるまでッ、だろォよ──!」

「……はー、はーっ……!」

 駆けながら悪態をつくならばまだしも、そもそも基礎体力の違いがある。クロエなどまさしく退っ引きならない状況で、繰り返す呼気はいささか尋常ならざる響きをともなっていた。明らかに乱れたそれに気遣わしげな視線を向けることさえためらわれる瞬間の連続、一方通行の通路をひたすらに進んだ先──ついに先頭を行くエリオが果てを認める。

「もうちょいだッ、止まんじゃねェぞッ」

 漸うと言った思いで吐き出しながら行くエリオの後をウィリアムが行く──通路のある一点を踏み込んだその時だった。

 がらり、と響くは崩落の音。その一歩が石畳の一所を踏み抜くと共、それに呼応してか道連れにか──床の一面が崩れ落ちる。元より意図されていた仕掛けか、あるいは何らかの事故によるものか。いずれにせよ抜け落ち失せればそれは即ち大穴となる。行く先を奈落の底と塗り替えられるが道理──それに反するためウィリアムは戸惑わず躊躇わず足を止めず。強化された身体能力も相まって落ちる瓦礫さえ足場とするよう蹴り抜いて身を投げ出せば、少年は一個の陥穽も飛び越え得た。

 ──問題はその先。一歩遅れたクロエが、その障害に直面しなければならないこと。

 出来るか出来ないか。それは最早、問題ですら無かった。乗り越えられなくば即ち(つい)

「──クロエッ、飛べッ!!」

 即時。落穴の先、ウィリアムは背を返りみて手を伸ばす。荒く乱れた呼吸を繰り返しながら、決心に要する刻は一瞬──否、今この瞬間にも転石は来たるのだからそれ以上の時間など用意されてはいない──ゆえに必然、クロエは意を決して疾走を緩めぬがまま切り立つ崖となり果てた穴の淵を踏み切った。

 跳躍する矮躯。揺らぐちいさな白い手のひら。

 手を、伸ばす。伸ばされる。掴むためにと欲する指先。

 ──たがいの手は、ふれあうことなく空を切った。

 重力にひかれるがまま、落ちていく。困ったように睫をたわめ笑う顔が、少女の表情に浮かんでいた。

「──ぁ」

 声にもならない、掠れたようなか細い吐息。浅紅色の口唇がほのかに言の葉の形をきざんだ。

 ────ごめんね。

 遠ざかる。

 遠のいていく。

 あれほどにまで近かった距離がやがて少しずつ広がっていき──

「どっせいッ!!」

 間もなく、零になった。

「────な」

 決して届かないはずの手のひら、届かなかったはずのウィリアムの手がクロエの身体を引っ掴んで捉えた。それはとても簡単なことだ。伸ばした手が届かないのならば、少年自身の身体を投げ出せば良い。たったそれだけのことで済む。問題があるとするならば──彼の身体もまた共に穴の底へと真っ逆さま、ということか。少女の瞳が驚愕に見開かれながら唇をぱくぱくと開閉させ、一言も紡ぐことなく呼気が零れ出すばかりだ。

「ちゃんと掴まっといてくれ、なッ!」

 ウィリアムはそう宣言すると共、彼女の身体から手を離し──両刃大剣(クレイモア)、抜剣。伸ばした手が元いた地から遠ざかるよりも先に、その刃先を突き立てせしめる。無論、ウィリアム自身の業前に寄るならば石を斬るなど離れ業と言わざるを得ないが──崩落しくさるまでに脆弱なものならば、それは別だ。引っ掛けた刃を支えにしてウィリアムとクロエは転落を免れながら、しかし危難はいまだ逃れ得ず。呻りをうげて迫るは巨石の追撃。ふたりのみならば手詰まりは必至。

 助けの手は──

 来たる。

「──早いとこ上がれ、挽き肉になりたかねェだろッ!」

 すぐ背後にあるべきウィリアムの姿が無いことを悟ったのだろう、来た道を取って返したエリオが崖際から手のひらを差し伸べる。ウィリアムが促すと共、クロエが伸ばした手を掴めば引き上げ──そしてウィリアムもまた崖淵に手のひらを突き、剣を引き抜く勢いで飛び上がった靴先を断崖に引っ掛けた。

「──はッ! はーッ……!! 行こうッ……!!」

「……あり……が──と」

「礼は後だろォよ、いや互様かねェ──」

 大穴を渡ると見える転石を忌々しげに一瞥したエリオは、ヒ、と呻り一つ漏らすばかり。余裕なんてとうに一欠けらもなく、三人は息も絶え絶えに駆け出す。

 これで第二階層だというのだから、笑いすらも出ないというものだった。


「──クロエ」

「……ん」

「諦めんじゃない。人間そんなに簡単に死ぬもんか」

「死にかけのツラで言っても説得力無ェぞ」

「うるせー!」

「……がんばる」

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