Level47:『攻略開始』
「本当に、行くつもり、なのですね」
真昼間の、晴天の下。
眩いまでの白き法衣を風にたなびかせ、“飽食塔観測班”ニアは静かに彼らへとつぶやいた。――彼ら、すなわち臆しもせずに宣言通りふたたび“飽食塔”、その入り口へとやってきたウィリアムたちへ。それは果たして勇猛か蛮勇か。とにもかくにも三人揃って向こう見ずであることには違いあるまい。
「勿論だ」
「……是非も……なし」
いかにも冒険をするには良い日だと、万全の態勢を整えてきた部隊の面々は三者三様。二振りの大剣をその身におびる少年はウィリアム、二本の短剣に加え弓矢をそなえる青年はエリオ。黒いローブに身をくるんだ少女は空手で、腰にたずさえるポーチばかりを持ち込みとする――クロエ。総じて軽装に過ぎるとも思われようが、しかしあながち間違いであるとも言いがたい。不意の危難にも咄嗟に対応する必要があるため、過ぎた重装備はかえって命取りとなりうる。
「ま、トンズラこく理由も別に無ェしなー」
半ば昨日の今日といった迷いのなさだが、それも当然。先日かの“帝国”の王と遭遇してしまったということは、ウィリアムたちの動向が彼らに知れているということでもある。ならば余計な追手などが掛からない内にやること済ませておこう、という発想はいたって自然な思考の流れであろう。
前提として戦略的撤退という選択肢が排されているということは、もはや今更言うまでもない。
「……分かりました。私が止められることでも無し」
ふー、とニアは沈痛に息を吐き出して眼を伏せた。先日の忠告を聞いた上での再来、ならばこれ以上に言えることなど何もないと、そう言わんばかりの様子だ。それに何よりも――“飽食塔”を見上げるウィリアムの視線があまりにも真っ直ぐで、迷いのない瞳だったからこそ、彼女を諦めさせるにいたったか。
「じゃあ、遠慮なく通らせてもらおう」
「──その前に。少しお待ちを」
迷宮の入り口に通ずる森の一本道の半ば、その道程をさえぎるでもなくそこにいるニア──彼女の隣を通りぬけんとした少年らを引き止めるように、ニアは手のひらを突き出しその歩みを制する。
「ここの危険性なんかはもう聞き飽きたぜオレぁ。武運でも祈ってくれるってェのかい?」
「──安全くらいはお祈り致しますよ。……そこの子、お手隙ですね?」
そこの子、と呼びかけられたのが即ちクロエであると察知──あるいは彼女が自覚──するに至るに一瞬の間があった。致し方のないことである。第三者から見ればそんなものだ。クロエはいささか神妙な面持ちになりながらも、念のために「……私です、か?」と確認をはさみつつニアのかたわらへ歩み寄る。
彼女はちいさく膝をかがめて、クロエの掌に小さな鉱石を手渡した。蒼海の色彩に似通った輝きを宿す結晶。その光に、少女は瞼をぱちぱちと瞬かせる。蒼──それはまがうことなき魔力の輝光であった。
「……これ、は」
「転移結晶と言います。三分間の術式起動待機時間を必要としますが、一度、塔の入り口に帰還することが出来ます。──有効に、お使い下さい」
ニアの説明を受けても、クロエは不思議そうに彼女の相貌を見上げるばかりだ。──その説明が理解できなかった、というわけでは決して無い。むしろなぜこんなものを自分たちに渡してくれたのかという、そのことこそが不可解だったのだ。
魔術に長けているクロエだからこそ知れる。指の合間に収まってしまうほどのこのちいさな結晶は──決して安価な代物ではない。それほどに“転移”という術式は困難で、そして需要の大きい魔法のひとつなのだ。たとえ距離が限られていたとしても、仮に“転移”する地点が決められたとしても──場所さえ選べば、その利用価値は十分。
この場合、つまりがウィリアムたちにとってこの結晶は、不完全ながらも命綱といって差し支えないほどの重要性を持ちうる。
「……どう、して?」
至極、素直に。クロエは彼女を見上げたままで率直に問いかける。ふわりとニアのブラウンの髪が揺らいで、娘の表情を覆う。彼女の口元は、ほのかに寂しげな笑みをたたえているかに見えた。
「私の役目は既に、塔の“観測”。今の私には過ぎた品です──それに」
「……それ、に?」
「“飽食塔”に好きこのんで向かうという物好きの大馬鹿が何人いるとも知れませんから」
「なんだと!?」
そううそぶくニアの視線は、明らかにウィリアムを追いかけていた。少年は心外であると言わんばかりにぷんすかと憤るものの、部隊の筆頭であるところの彼がそのような目で見られてしまうのは、全くもって仕方のないことである。というよりも、事実として馬鹿なのだ。──その行動や決断の逐一が常人離れして馬鹿げている、それも当然あるだろうが、ニアが平然と言ってのけたゆえんは全く別のところにあった。
──散々に危険だと評されていることを知っているだろうに。堂々とそびえ立つ“飽食塔”を見上げては、薄暗い瞳の奥に心躍る意志を隠しようもなく覗かせるウィリアムの様子。それこそまさしく、どうかしていると言わざるをえなかった。
「とまれ、そういう訳です。遠慮せずに持って行って下さい」
「……ありがと、う」
クロエはそのちいさな手にもやすやすと収まるその結晶をしかと握りしめ、頭を下げる。黒髪のおさげが礼と共にふらりと揺らめいた。
「助かる道があるに越したこっちゃ無ェな──あァそうだ、ひとつ聞かせてくれ。先客が来たりはしてねェの?」
「ええ、今は恐らく。──帰還しない方々が内部で生きのびていれば、話は別ですが」
エリオが仰ぎ見つつ指し示す先はかの迷宮。それに対するニアの示した仮定は絶望的といってもよく、「んじゃまァ考える必要は無ェな」と、エリオは生存者の可能性をばっさり切り捨てた。
さて。もはや万事はつくされ、後はじかに乗り込むのみ。改めて進路を“飽食塔”へと定めたウィリアムたちへ、ニアは告げる──それを別れの言葉として。
「……ご無事で。骨は拾えませんから」
「うん。またいずれ」
「尻尾巻いて帰ってくりゃァ笑ってくれよ」
「……お礼は、なにかでかえしたい、です」
屈託なく、あるいは皮肉げに、もしくは殊勝に。まるでまとまりの無いような三人組が、しかしひとつの目的に向かって一直線にひた走る。
ニアが見送る彼らの背は、それほど小さなものではなかった。
淡い薄紅色の肉壁によって構築された外壁と内装。それは否が応でもウィリアムたちに、魔物の体内に飲み込まれたかのような印象を植えつける。──巨大迷宮“飽食塔”第一階層。第一印象から踏み入るものの心をへし折ってくるかのような圧迫感をもたらす、異形の迷宮。
「うへェ」
「これは、その……なんというか……」
「……りょうきてき……」
思わず呻くような声も漏れるというもので、その侵入は恐る恐る。ウィリアムとエリオを前衛として、クロエが後衛に控える陣形で慎重に歩を進めていく。
入り口付近は視界の開けた大部屋。ぐるりと周囲の様子を見渡すにつけ──天井はそれほど高くなく、少なくとも吹き抜けの構造ではないと容易に知れた。大部屋の各所には通路か、あるいは小部屋に通ずると見える石扉が三方──残る一方は入り口である──に設置されている。奇妙に生物的な弾力を保持する肉の外壁、それに何とも似つかわしくない扉であると──ウィリアムがそう思った、その瞬間だった。
ぐにゃり、と肉壁のひだがうねる。波打ち、ざわめき、蠢き。それはさながら一色の絵の具で乱暴に塗りつぶされたかのごとく、変ずる。第一階層内部の肉壁が、一時にしてことごとく石壁へと、その材質を化けさせた。──まるで何ものかが彼らの到来を歓待するかのように。
噂にたがわぬ──否、それをはるかに上回るほどの急変に総員は瞳をぱちぱちと瞬かせる。異常、異様、言葉では言い尽くせぬほどの奇異。この迷宮の“成長”はもはや人智の及ばぬ領域にまで到達しているのではないだろうか、そんな危惧を抱いたとて無理はない“変化”の速度であった。
エリオは憮然とした面持ちで、クロエは半ば呆然と世界が塗り替わる様を眺めている。そんな彼女の目の前で、ウィリアムがぱたぱたと掌を揺らしてみせた。即ち意識の確認である。
「クロエ」
「…………え、あ、うん」
「大丈夫か! まださっき貰ったの使わなくていいよな! たぶん!」
「……だ、だいじょうぶ。……ちょっと回れ右して、外にでようかと思っただけ」
正直にもほどがあるクロエの物言いに応じたか否か。一行の後ろで、ガコンと何かが落ちる音がした。石と石の打ち合う冷たい響き、それを聞き逃すはずもなく果たして何事かと振り返ってみれば──そこには、石壁によって鎖された入り口の無惨な姿があった。
無惨であった。主にウィリアムたちにとって。
「……あー」
「うん……」
極まって沈痛に、ほとんど無言で視線を見合わせるウィリアムとクロエ。いわゆる、閉じ込められたというやつである。破壊することが不可能な壁というわけではないが、それでも心理的な重圧はいくばくか高まらざるを得なかった。退路の有無というものは存外、精神状態に大きな影響を及ぼしてやまない。
「こいつァなんとも──ずいぶん手厚い歓迎なこったァな」
エリオは頬に冷や汗を伝わせながらも小さく笑みを浮かべ、肩をすくめる。余裕あっての笑みというより、笑わなければやっていられないといったところか。しかしそれでも、青年の観察眼は冷静だ。進むべき道を見定めるためにか、エリオは三方に設えられた石扉のそれぞれへと視線をそそぐ。それらに一見してわかる差異は無く、実際に開いてみるまで何があるかなど知れたものではない──と、そう思われた。
「何か分かりそうなこととか、ねえかな」
「無ェわー。ダメだわー」
「じゃあしょうがないな。素直に行くか……」
「……早い……!?」
思いきりが良いのか、判断が迅速であるのか、それとも諦めが早いのか。どれともつかぬが、しかし入り口付近でまごついていても事態が進展しないということは間違いない。ゆえに彼らは前向きに、そしてひたすら地道に前へと歩むことにした。
選ぶことの出来る道は、今みっつ。南側の入り口から来たとして、大部屋の西側、東側、北側にそれぞれ石扉がひとつずつ。そしてウィリアムを先駆けとして、彼らは迷いなく西側の戸へと向かった。もちろん、理由も理屈もなにもない。動物的直感である。
「……ウィル。……石、だから……試してみたら、どう……かな」
ぽつりぽつりと言葉をつむぎつつ、クロエが指差し示すはウィリアムのおびた剣の内のひとふり、魔剣“汝は人狼なりや”。
「いざとなったら壁切って退路を作れるかもしんないし……そうだなあ」
非生物、すなわち石など容易に斬断せしめる特性を持つ魔道具。それが通用するか否か、それを確認しておくことは大きな実りあることに思われた。──が、それは結果として徒労に終わる。鞘から振り放たれた一閃は石壁と打ち合い、石壁は断たれることなく刃を食い止めせしめた。
「……む、う……」
「そう上手くは行ってくれん、か」
例えば魔力などによる防護が作用しているのか、もしくは──石造りの材質に化けたとて、その本質は肉壁のままに過ぎないのか。しかし肉壁特有の弾力などは感じられなかったため、あくまで特徴は石壁のそれと同質であると見なすべきであろう。ウィリアムは刃を鞘に収め、改めて扉を開かんとして無造作に取手へと手を伸ばした。
「──待ったァァァッ! ちょっと待ったッッ!!」
迫真の声色が届いた瞬間、「うん?」と手を止めていたウィリアムの襟首を──伸ばされたエリオの手のひらが引っ張り、彼を扉の前から強引に引き剥がした。何をするかと問いかけるような暇すらない。ぜーはーとあまりもの必死さ加減に軽く息を荒げつつ、エリオはその手に手袋をはめて扉の取手を点検する。
「ど、どうした、エリオ。なんだ。まさか早速に罠でも仕掛けられてるってか」
「その“まさか”みてェだ。……刃に取手の裏がうつり込んでなきゃ危なかったな」
──毒が塗りこまれてらァ、とエリオは呟きながら石扉をぐいと押し開く。剣呑極まる一言のためか、ウィリアムの額に冷や汗が静かに伝った。
石扉の向こう側は、大部屋の一回りも二回りも狭い小部屋となっていた。一切の明かりはなく、大部屋よりもずっと薄暗い。その様子を見て取ってかクロエが光を灯し、それに応じてエリオは室内を見澄ます。
「……どう、かな」
「熱源感知で矢の斉射、出っ張った床を踏み込むと崩落、目ぼしいもんは無し。ロクでも無ェな」
「ひどすぎる!」
愕然としたウィリアムは膝をついて思わず天を仰いだ。無駄骨の止められ損とはこのことか。世の中うまく行くことばかりではない。健気にもなぐさめるかのようなクロエの手のひらに背中をさすられて精神の安定を取り戻すも、しかし一発目の衝撃はなかなかぬぐい去れないものである。フー……と少年は息を吐き、改めてエリオへと向き直った。
「というわけで、罠の発見とかは頼んだ」
「あァ、戸はオレから開けることにすらァ──クロエは灯りがいるときだけ前に出とくれ、向こう側からいきなり何が飛び出してくるか分かったもんじゃねェし。そんときに押さえんのはウィルに任せんぜ」
「……ん……わかった」
「オーケイ。いつまでも凹んでられんし、次だ……!」
気を取り直すためにも気持ちを引き締めて、心持ちを新たにウィリアムたちは北側の扉へと向かう。無理に大部屋を縦断しなくとも、より近い北側へと順繰りに回って行こうという姿勢である。どうせどの扉を開けるにも危険性が付きまとうことに変わりはないのだ。
エリオの鑑識眼によるところでは、今度は扉そのものに罠が仕掛けられているといったことは無かったようだ。ごごごと石を床にひきずる音を立てて扉を押し開けば、その向こう側の光景が垣間見える。小部屋というには開けていて、壁面に松明が立てかけられているおかげで光源に不自由はない。そして室内の隅に覗く──石造りの階段。それは恐らく、第二階層へと繋がる道。
あれ、意外に早いな、これならば順調に行けるのではないか──と。
喜びの声をあげるものは、三人の内に一人とていなかった。
階段を背にして陣取りたたずむ、一匹の巨躯。あわや天井にまで届かんかという背丈は、ウィリアムの背丈を二倍してなお余りあるほどであろう。牛の頭に人の身を、それは半人半獣の怪物。迷宮の主としてはいっそ代名詞としてすら謳われるであろう人類の脅威。
それは人間に至ることの出来ぬ頑強をほこる、純粋なまでの力の権化。稠密な赤銅の肌は見るからに精悍な筋骨隆々の体躯。その手には身の丈に相応しき得物──巨大な一振り、錆びついた鋼鉄の斧がたずさえられ、一拍にして構えへと移行するような剣呑さが紅の瞳からはうかがえた。
「──んな、ァッ……」
誰よりも先んじてその姿を目にしたエリオが、言葉にならない声をあげかけるその瞬間に、咄嗟。ウィリアムは半ば以上に開かれた石扉を引っ掴み、元あった形へと閉ざした。
「フー……」
真っ向からぶつかって勝てるわけがない。よって考える時間がいるため、しばらくは封印されていてもらおう──という極々単純な思考に任せるならば、ウィリアムのそれは決して過ちではない選択である。ゆっくりとため息を吐き出し、少年は冷や汗に湿った額をぐいと拭い去る。
「──ってェオイ、これでいいのか!?」
「……お、おこってない、かな……」
「……一応、離れておこう」
そう言って閉ざした石扉から離れ、距離を取る三人。なんとも恐る恐るといった足並みだが、ともかく何事もないようだと知ればほっと一息────吐く暇もなく、石壁がにわかに鳴動する。それは文字通り地を、大気を揺るがしていた。揺らされていた。響き渡る呻き声、唸り声、地響き。ずしん、ずしんと連続する踏み込みの音。
これは。
その力の程を、はるかに見誤っていたか。
「ちょいと、ヤバくねェか、こいつァ……」
「……ウィル、これ──来る……っ」
「だ、な。……クロエ、下がってくれ──エリオッ!」
「致し方無ェッ……!」
全員が臨戦態勢となった、その瞬間だった。
空を揺るがし振るわれた鋼鉄が、部屋と部屋を隔てる石壁へと一撃する。響くは爆発めいた破砕音、震動をともなった破壊の衝撃──がらがら、がらん、崩壊の轟音。石の壁など、それにとっては何の障害にもならなかった。崩れ落ち瓦礫と化した石の山が灰塵となり、その向こう側に薄っすらと影は浮かび上がる。
“牛頭人魔”。
それが、その魔物の名である。