表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
46/53

Level45:『ARCH ENEMY』

 あれから二日後。休養のためでもなんでもない二日の間、何事もない平穏な日常が続くことが果たしてこれまでのウィリアムの人生に一度とてあっただろうか──とまで言えばいささか過言に過ぎたが。それでも少々の拍子抜けを覚えてしまう程度に、王都『モースモール』はおおむね平和であった。

 広大な都市の隅々にまで警備兵の目が行き届いている、というわけでは決して無い。むしろその規模の巨大がゆえに法の目をまぬがれる場はいくつも点在しており、それは例えば下町に位置する職人街であったり、より多くの人々を収めんとするように建ち並ぶ、数階に及ぶ石造りの貸家であったり──そういった無法とも呼べる地域に、しかし無秩序ゆえの荒涼は見当たらなかった。

「意外だ」

「……う、ん?」

 真昼の職人街の通りを行く三者の少年少女。広場の様子を見渡しながらの途上、ふいに零れたウィリアムの言葉にクロエが小さく首をかしげる。

 注文の品であるところの武器をウィリアムが受け取りに行く、ならばついでに街中を見てまわろうではないか──という好奇心に駆り立てられた発想は、彼らにとって極々自然なものであった。

「あれだ。……そんなに差し迫った危険があるわけじゃあないんだな、アレ」

 そう言って彼方を見据えるウィリアムの視線。その目が向く方角に存在するものは、その意味は──即ち“飽食塔”。くだんの巨大迷宮に他ならない。見るものを寄せ付けぬかのような不気味な外観、そして探索者をことごとく退ける厄介な性質。しかしかの存在が人間に対して積極的な被害を齎しているかといえば、否。

「気味悪ィし、お偉いさんには漠然とした不安があるのかもしんねェけど。具体的に何してるって訳でも無ェのがな」

 そりゃあ侵入者は殺しまくってるわけだし良かァ無ェが──とエリオは軽い調子で言い放ち、肩をすくめる。

「妙じゃないか。僕の経験上だと、迷宮ダンジョンの近くなんかにゃ魔物がイヤになるほどうろついてたもんだけど」

 この場合の迷宮ダンジョンとは、その形状にこだわらない。例えば洞穴、あるいは山間。人跡未踏の森林、果てには何者かの手によって建造された遺跡など。人が踏み入ること敵わぬ領域に人外が集い、魔物の巣窟となるならば──それらはおしなべて迷宮ダンジョンと呼称されるに足る環境だ。この定義をもって“飽食塔”を推し量るならばこれは迷宮に相違なく、加えてその付近一帯に魔物が跳梁跋扈することも予想される事態である。

 しかし現実には、そのような悲劇的な事態に見舞われては、いない。

「確かに、ちっと変だァな──城壁、のせいかね。魔物でも突破出来ねェってんで、今は硬直状態みたいなモンとか」

「……出る、理由がない……とか、かな」

 こつこつと石造りの道を歩んでいた足音が、ふと止まる。それはぽつりと零されたクロエの呟きに起因するものであった。

 わざわざ魔物が出張る理由。ウィリアムの経験の上では、魔物は迷宮を拠点としてその周囲を徘徊するものである──という認識が根付いていたために、その発想には至らなかった。驚かされたかのように一寸目を丸くして、ウィリアムは少女に向き直る。幸いに広場の一角であったがため、急に立ち止まったところで誰が気にとめることでもない。

「……と、いうと」

「出る理由っつゥと、狩りだろ──後は数が増えると場所が足りなくなるってェのも考えての、領地拡大ってとこか」

「……うん。だいたい私も……そう、考える」

 でも、とクロエは言葉を続ける。

「……狩猟は、食糧問題……これは分からない、けど。……後者は、心配しなくていい、から」

 ぴんと指先を立てて示唆するクロエの言わんとするところ。一拍遅れで、ウィリアムはそれを理解する。解はすでに、先日エリオから聞き知った情報の中にあったのだから。──いわく、かの迷宮は日に日に“肥大化している”と。それによってもたらされる魔物の利は、居住区域の確保。なんらかの作用によって糧食が供給されているとも考えれば、自然──魔物が人里を襲わなければならない必然性は、限りなく薄れる。

「……なるほど。そう考えると、そんなに妙なことでもないか」

「魔物にそこまで考えられる頭あンのかね」

「それはそれで厄介そうだな……」

 本能とかでそう動いてるってのが妥当な線じゃないか、と発すると共──全くの不意に、ウィリアムは異方からの視線を知覚する。真っ直ぐと向けられるクロエのそれでなければ、緩やかな笑みに狭められたエリオのものでもない。広場の片隅にたたずむ三人をふと見止めた、程度のものと認識するにはあまりに異質。

「……ウィル。……だれか、の」

「──ああ。見られてる、な」

 クロエにも感じ得るそれは隠すつもりすらなく明瞭に感じられる、粘着くような監視の目。周囲のどこを見渡しても警備の人間の姿が見当たらないこの職人街に、その類の存在を求めることは不毛であった。ならばこそ、続くエリオの言葉にも間断なく答えられようというものであった。

「何か。心当たり無ェのん」

「……ものすごく不本意なことに、ひとつだけある」

 つい先日にその名を聞いた時から、ほのかに予見していた事態。出来ることならば考えたくはなかったが、それでも考えずにはいられない存在。──“帝国”。“稲穂の国イースト”が“帝国”に迷宮の攻略を委任したという情報は、それ即ちこの二ヶ国間で、ある程度は友好的な関係が結ばれている──ということを意味する。

 そしてその理由は不明瞭ながらも──ウィリアムが“帝国”の王の子息であるという事実はしかし、彼が末弟であるため決定打に欠ける──“帝国”から追手をかけられているウィリアムに、彼らの目が届いているという可能性は大いにあり得る。辺境もいいところであったレーヌ村ならばまだしも、“稲穂の国イースト”の首都に相当する王都『モースモール』には、“帝国”の人間が紛れ込んでいてもなんら不思議ではない。

「その筋か。しち面倒臭ェな──どうすんよ、撒いとく?」

 言動とは裏腹にひひと軽やかに笑うエリオの言葉は、どこかウィリアムを気づかう様でもあったか。面倒な厄介ごとを背負い込んでいるウィリアムにも、行くところまで付き合う腹づもりがどことなく感じられる口ぶりだ。

「……いや。あくまで他国領、しかもこの昼間っからだ、無茶は出来ないはず。人の多い通りに出て紛れた方がいい──クロエ」

「……うん」

 ウィリアムが差し出した掌を掴むため、クロエはその小さな手を伸ばす。一目見るだけでは意図を測りかねる行為だが、なんのことはない。仮想敵の狙いがウィリアムであると仮定して、しかし最も肉体的に脆弱である少女クロエが人質に取られる可能性を考慮しないわけには行かなかった。なにせこの昼間、人通り多くさほど大きくもない広場に向かえば、人混みに紛れることはそれほど難しいことではない。だが同時に、ちょっとした拍子で仲間と逸れてしまう危険性は──わずかながらも付きまとう。

「オーケイ、逃走経路ルートは──まァだいたい分かんだろ。オレが先導すっから後から来てくれ」

「……頭の中に、はいってる……の?」

 小さく見上げる双眸、彩る蒼のきらめきを揺らがせたのはおそらく驚愕。そして感嘆の吐息。人の足では一帯を網羅することも困難であろう王都の地理を把握するという難事、一朝一夕ではままならぬことだ。それをなさしめた大元は果たしてエリオの情報収集能力を根源とするのだろうか────

「アドナ引きずって案内させて回ったからなァー」

「そんなことやらせてたのかよ! この二日間!」

 手酷い扱いもいいところである。とはいえウィリアムのように漫然と散策を続けるよりかは幾許か効率的で、有効であることには違いない。ひひと笑みを浮かべるエリオの様子を目にしては半ば感心にも近しい呆れた様なため息を零すウィリアム。そのまま、続く一歩を踏み出そうとした──その時、であった。

「──待ちたまえッ! そこの少年ッ!」

 突如として広場に響き渡る声音。ウィリアムにその手を引かれんとしていたクロエが、びくりと反射的に背を返りみる。果たして何事かと辺りに視線を走らせる人影も決して少なくはない。彼女がひとたび意識を掬われてしまった以上、先導するはずであったエリオにしても下手に動くわけにはいかなくなった。

 しかるにクロエが目を向けた先、そこには堂々と──確かにウィリアムを指さしたまま相対する、一人の男の姿があった。年頃は二十に達するか、否か。癖毛がかった金色の髪は色鮮やかに、垂れ目がちの青い目はしかし、真っ直ぐと迷いない視線を灰色頭の少年にそそぐ。背に羽織られた紅のマント、その布地には永劫を表す尾を食む竜が縫いこまれていた。全体を見れば貴族のような優雅さを思わせるその姿は、職人街の所帯じみた有り様の中にどこか似つかわしくない。

「……何用だ。僕に呼び止められるようないわれは無いが」

 ウィリアムもまた向き直ると同時、男に向けてそう言い放つ──が、内心では“やられた”という気持ちが拭えなかった。無意識ながらも少年の内には、相手も大っぴらには行動出来まいという思い込みがあったのだ。だが──いざ堂々と呼び止めて、相手方に一体なんの不都合があるというのだろうか。無論、彼はその行いがために自らの所在をさらけ出したわけだが──しかし、それだけだ。明らかなる追跡の目を向けるものがそこにいる、そう知れたところでこちらに打つことが出来る手が、果たしていくつあるというのか。今、ウィリアムの心中は、彼の零す言葉ほど穏やかではない。

「まあ、まあ。そう邪険にしないでくれたまえ、ウィリアム君──なにも取って食おうってわけじゃあない。勿論、君の意志を無視してふん縛っていこうなんて腹でもない」

 男はいかにも調子よく朗々と、ウィリアムらに歩み寄りながら言い切る。金髪を掻きあげる仕草を伴って紡ぎだされる言葉は、どこか無闇にきざったらしく──優男風という印象を感じさせる顔つきも相まって、ウィリアムをにわかに辟易させた。

「……じゃあ。……何が……目的?」

 ウィリアムは男に名乗っていないにも関わらず、彼は少年の名を確かに呼んだ。その事実は、男が即ち“帝国”側の人間であるということを示唆しており──その帰結はつまるところ、クロエの警戒を深めさせることにも繋がる。些かならず険しく男を見据える少女の目、その意は詰問以外のなにものでもない。

「なるほど。それが疑惑の根というわけだ、麗しのお嬢さん」

「……おべんちゃらは、いい」

 クロエの言葉を聞いたその時、男の目がひときわ開眼したように見えたのは錯覚であったのか。それを確かめる術はもうすでに無い。

「なにを言うんだね、今のは僕の偽らざる本心さ。つぶら蒼星石サファイアの様な瞳、艷めく黒檀は実に珍しい、少々幼子おさなごじみてはいてもそれもまた愛嬌、むしろ僕の好みだと──」

 ──ぞくり。繋がる手と手からクロエの震えを感じ取るウィリアム。間違いない。このふるえは寒気によるものだ。そしてその寒気は、尋常ならざる怖気に起因するものであった。でなければ、温暖な季節の真昼間であるにも関わらず──その真っ白な柔肌に鳥肌を浮かばせる理由が見当たらなかった。

 ──……変態、だ。

 人知れず零れたクロエの呟きは、戦々恐々とした響きをたずさえていた。

「オイ、ウィル」

「ああ、撃ってくれ」

「おうよ」

 にべもない。以心伝心のやり取りを通じて手際よく一矢が弦へと番えられたその時、ようやくエリオへと制止の声がかかる。そして制止の声がかかったとはいえ、その鏃を男へと向けることに一切の戸惑いはなかった。

「まあ待ってくれ。待ちたまえ。すまない。確かに今のは僕が悪かった。せめて誠意は示したい」

「まずは先の問いに答えろ! それが誠意だろ!」

 そうまくし立てるウィリアムに、まあ落ち着きたまえよと掌を突き出しながら男は言う。ウィリアムとしてはむしろお前が落ち着けと返したいところであるが、しかし眼前の男はいたって平静そのものであるようにも見えた。がりがりと灰色髪を掻きむしりながら、大きなため息を漏らすウィリアムに、ようよう男は本題を切り出す。

「僕はギルバート。“帝国”属の魔術師だ────王の直々の命により、ウィリアム殿、君をお迎えに上がった」

「断る」

「ちょっとは考えたまえ早すぎるぞ君! 実の父君がお近くにいらっしゃるというのに!」

 即断即決、ギルバートの言葉をバッサリと断ち切り背を向けたウィリアムの姿が──続く言葉にぴたと止まる。ぎこちない挙動で男へと向き直るその様子は、さながら油の切れた歯車のようであった。

「……ちかく、に……?」

 その言葉に思わず首をひねるクロエに、ギルバートは静かに頷いてみせる。

 ──近辺。一国の天辺たる王が庶民じみた職人街をほっつき歩いていると、目の前の男はそう言ったのか。虚言にしても無理が過ぎるとウィリアムはいぶかしげに瞳を眇める。

「その通りだ。従いてきたまえ。王は子息との対面を所望しておられる!」

「──オレらはどうする気だ。信用しづれェ相手の言うとおりにウィルを一人にしろ、とでも言うかよ」

 ふんと鼻息を鳴らして、あからさまな不信感をぶつけるエリオ。だがギルバートはそれを意に介することもなく、高らかな笑いを上げながらその言葉を否と断ずる。

「王は懐が深くてあられる。同行者の一人や二人、構われるまい。王の出自とて無法者、しかし力のみでのし上がった傑物よ」

「そうか。んで、どォするよ」

「行こう」

「速ェなオイ。良いんかよ」

「僕の出自が知れてるってのもある、からな」

 どこぞの山師の類でもあるまい、とウィリアムはギルバートの御姿を見すえて肩をすくめた。素早い判断とは裏腹になんとも気が重い。

「……悪くはない、かな。……寝ているとこを、襲撃されるよりは、まだ……良い」

「なに、心配しないでくれたまえ。王の女癖は大層悪いが、流石に子息殿の同行者にまでは──ひィッ」

 冗談めかした言葉を返すギルバートが、その声を遮られるかのごとく唐突に悲鳴をあげる。何事かと周囲を見渡す、までもなかった。ウィリアムの眼前にいまだ健在であるギルバートは、しかし背後から彼のおとがいに銀色の刃を押し当てられていたのだから。一目瞭然の危難である。後ほんの少しでも刃が進められれば、動脈から血流を吹き出すであろうことは想像に難くない。

「ま──まあ待ちたまえ。決して王を貶めようという意図じゃあない」

 彼がそうなだめると共に退けられる刃、それはよもや見知った者による凶行であったか。ゆらりと宙に揺らめく銀色、それを握る手はちいさな花弁にも似る。ふぅと安堵の息を吐くギルバートの背後、それは声も出さず音さえも立てずにただそこにいた。黒くゆったりとした貫頭衣に身を包み、頭髪を覆い隠すスカーフもまた同色。ほんの僅かに露わな肌は浅黒く日焼けたそれ。小さな姿は、さながら影が実像に寄り添うがごとく。

「……なにか物騒なのを連れてるらしいな」

「うむ。事を構えることになれば僕だけでは手狭なのでな。君が提案を断った場合、彼女が君たちの跡をつける手はずとなっている!」

「……正直、だね」

「なんで王サマは手前みてェなのよこしたんだろォな……」

 腹芸もへったくれもあったものではない。平然と何を悪びれることもなく言い切るギルバートに瞳を細め、至極神妙な呟きを漏らすエリオであった。


 それほど長い距離を歩き続けたわけではない。広大な王都とはいえども、あくまで城壁に囲われた一都市。だからこそ、限られた領地に多くの人々を収容するためにも高層階建設の石造り借家が建ち並んでいるのだとも言えよう。

 先導するギルバートに従い広場をひとつ通り抜け、はて別の地区にまで向かうのだろうかとウィリアムが考えだしたところで、彼はぴたりと歩みを止めた。ぐるりと辺りを見渡した視線が、程なくして求めたものを見つけ出す。揚げピザの路地売りであった。

「王。その様な物に手を出しては、今の立場というものを──」

「馬鹿めがッ! 美味いもん食わずして帰れるか、大体その王ってのはやめろ、目立ってしょうがないだろうが!」

「父さまは自覚というものが足りません」

 何ぞか賑やかな会話が聞こえる軒先、実に穏やかな空間であると和ませられる──はずがなかった。

「──王。御用命の通り」

 彼らへと歩み寄り、恭しくかしずくギルバートの姿もいっそ滑稽にすら見えた。場違いにも程がある。幸いにしてこの地区の隅に位置する広場であるためか、人通りは多からんが──ウィリアム、否、彼ら三人共々が他人のふりをして回れ右をしたくなるものの、ここまで来てしまって背を見せるわけにもいかなかった。ギルバートと連れ立っていた黒尽くめの姿は音もなく、“王”──そう呼ばれた男の影に舞い戻るかのごとく、その傍らに寄り添う。

 無造作に短く切り散らされた銀色の髪。理知と勇猛が同居する精悍な容貌。なるたけ目立つことを控えるためにか服装は決して豪奢なものでないが、そんなことは申し訳程度の繕いにしかなっていない。年の頃は三十に至るか、若々しい──否、若すぎる姿がいっそ異様。王の相貌の面影、そのほんのわずかをウィリアムに見ることが出来たが、しかし似ていると言うには程遠い。ほの暗く闇に近似する蒼黒の双眸が、かしずくギルバートを一瞥した。

「良くやった。お前を遣わせたのは正解だったようだな」

 有難きお言葉、ギルバートはそう答えてさながら彼の道を開くかのごとくその身を脇に退ける。

 王。

 その間近に伴うは三者。一人はひたすらに無音。一人は、王に良く似た銀髪を左右に結い上げて侍らせる若い娘。そしてもう一人は、ウィリアムの記憶にも引っかかる相貌。────レイチェル・シュナイデ。白金のセミロング、碧眼が目立つ玲瓏の女剣士は、流石に街中でプレートアーマーを装備してはいなかった。

 彼は揚げピザ──ハムやサラミ、たまねぎにピーマンに馬鈴薯とたっぷりのチーズを乗せ、トマトのソースを和えた皿状のパン生地を油で揚げたもの──を悠長にかじりながら、ウィリアムらへと視線を向ける。何を急くこともなく悠然と、口を開く。

「お前らもどうだ。一つ」

「それが僕らにかける一言目か、おいッ!?」

「美味いぞ」

「……それは、自分で買います」

「真面目にやれよテメエらはよォォオオオオ!」

 魂の慟哭にも似たエリオの声が通りに響き渡る。クロエなどは至極真面目な表情で言葉を返しているには違いないのだが、しかしそういう問題ではなかった。レイチェルが横から王を小突き、傍らの娘が何やら物言いたげな視線を向ける。ハァー、と大仰にため息を吐き出す彼はどうやら真っ当な人格者とは言いがたい人間であるらしい。銀色の頭髪を投げやりにくしけずり、一歩。歩み寄る──ウィリアムの、目の前へ。

「久しいな。ドラ息子」

「会いたくなかったよ。──レオンハルト帝」

 父とは、呼ばず。ウィリアムの薄暗がりじみた瞳が炯々とした光を帯び、一人の彼と相対する。少年よりも、その背丈はずっと高い。男はくっくと隠し切れないように忍び笑いを漏らし、口元を三日月に歪めた。“帝国”が天辺──“獅子王”レオンハルト。

 ウィリアムがちらと視線を曲げれば、今にも飛び出さんとする若い娘をなだめるように押さえこむレイチェルの姿があった。

「母親に似たのか、アレはどうにも生真面目でな──覚えているか? 俺はお前くらいにいい加減でもいいと思うんだがなあ」

「いや、全く記憶にない」

「だろうな。お前が出ていった時はガキもいいとこだった──というより、覚えていても記憶のそれと合わんだろうな」

 あれは僕の姉なのか、ひとしきりなだめられて落ち着いた様子の彼女をウィリアムは一瞥する。やはり判然としない記憶の中に、その姿が思い当たることはなかった。

「そォいや、二十番目の子息って言ってたな」

「うん」

「じゃあ、十九人も上がいんのかァ……」

「母さんは別々だから住まいは違ったけど」

「……な、なんで、別々?」

「僕は知らなくてもいい世界があると思う」

 困惑することしきりのクロエにそのわけを真っ向から言い切る無体は、ウィリアムにとってあまりにも難事に過ぎる。レオンハルトは最早漏れ出すような笑い声を隠すことさえもせずに、彼らのやり取りをかかと大いに笑い飛ばした。

「なに、ウィリアム。お前にも、じきに分かる」

「それはない。絶対にない」

「いいや、分かるさ」

 ────お前は一等、俺に似ているからな。

 その言葉は、まるで呪縛のようだった。

 ウィリアムはそれを振り払うかのように、緩慢に首を横に振る。

「さ、て。そろそろ本題だ。俺がお前を捨て置かぬ理由、そして俺がお前を無理やりにへし折る真似もしない訳。単純なことだ」

 無言。ウィリアムは何も答えないことをもって答えた。抱く疑問もお見通し、というわけか。あるいはそんなことは分かっていて当然、とも言わんばかりだ。

「一介の無法者の分際で生き足掻くその様。俺に、良く似ている。かつての俺に、良く似ている。それを俺は、評価している。否、俺はお前の“欲望”を────俺以上だと評価している。俺にはそもそも何もなかったが、お前は持っていたものを投げ捨ててそこに立っているのだからな」

 顔を上げ、決して目を逸らさないように。男の声を真っ直ぐと聞き入れながら、受けたそばからくそっくらえと吐き捨てるために前を向く。

 お前が僕の何を知る、否、あるいは自分が想像する以上の情報を掴んでいるのだとしても──それでも。

「俺はお前に応えられるぞ。来い。──お前の意志でもって」

 それは誘いの意志。力を欲するならば、金を欲するならば、地位を欲するならば、求めに報いを。答えを迷うはずもない問いかけ。そしてその声にまぎれた、小さな響き。

 ──……あ、と。少女の、クロエの小さな声が、確かに耳に届いた。それは声と言うもはばかられるような幽かな音でしかなく、もちろん言葉をなしているはずもなかった。それでもそれは、十全の意味を持つ。

「……断る。やり方は、その過程は──僕が選ぶ」

 答えを迷う、はずもなかった。

 あらゆる力を求めるという大前提があり。

 しかしそのための手段は、選ばなければならない。真に手段を選ばないのならば、この冒険を続ける理由はどこにあるというのだ。その選択こそが、ウィリアムをウィリアムたらしめているというのにも関わらず。

 ならばこそ、その誘いを切り捨てないという選択は、存在し得ない。

 その言葉に──レオンハルトは、ニィと不吉な笑みを浮かべてみせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ