Level43:『生命の楔』
「そんな物で良いのかね。恩人へのそれとするには、なんとも淡白ではないか」
四人分の水に旅糧、そして数日間の宿駅代に消えるのではないかという程度の路銀。それが村の代表者たる司祭へとウィリアムが所望した褒賞であった。一通りの収穫を済ませた村は略奪などを受けていない影響としてそれなりの蓄えがあり、少々の食糧などどうということはない。加えて、村の魔術師であるイレーヌの存在があるために水の供給も十二分。それらのことを鑑みれば、ウィリアムの要求はなんとも慎ましやかなものであったが──。
「領主様に口添えしてもらってんですしね。僕にとっちゃ十全に過ぎる」
「恩に着りゃァ賊と変わんねェしな。これで帳消しだろォさ」
教会を辞する折。彼らを案ずる言葉さえ軽やかに受け流すウィリアムらに、司祭サノバクも肩を落とすばかりであった。その傍らにはひとり下働きとして、ウルクがちいさな苦笑いを浮かべている。
「あんたらは、なんというか……いや、そういう人だったな」
「含みあるッスね」
「でなきゃ、俺が無茶こいた時に横から突っ込まなかったでしょう」
「あー」
どこか納得したようにアドナは頷いてみせる。私は貰えるもん貰っとけと思うんスけどねー、などとうそぶきながらも強気に出るような様子は彼女に無かった。そもそも自分が何をしたわけでもなし、という思いあってのことだろう。
「……俺はこの人に拾い上げられて、あんたらに救われた身だ。正直、返せる物もなんにもあったもんじゃないが──ありがとう」
そういって頭を低くするウルクの面相を、じっとクロエが見つめる。顔に何か付いてでもいたのかと思わず顔を上げれば、彼女から向けられた返答はてんで予想外のものであった。
「……傷。少しは……消えた、かな」
傷。即ちクロエの魔術によって刻み込まれた火傷の名残。村を訪れた当初はありありと浮かび上がっていた傷跡も、今は幾許か和らいだかに見えた。それをウルク当人が日常的に意識するような機会はほとんど無いのだが、いささか痛ましいそれはクロエが気にかけたとしても致し方のないことだろう。
「……ああ。前は熱があった感じだけど、今はそれも無いよ」
「よかった。……お元気で、いて下さい」
それがなによりと、クロエから彼に送る言葉の締めくくりとする。これまでよりも、これからを。──かたじけない、とウルクは改めて礼を落とした。
「まァ、生きてりゃどっかで巡りあえんだろォよ」
「巡り会ったらだめだろ!?」
「……それ、放浪してる……」
湿っぽい別れにするつもりもない。まるでいつも通りのような言葉を交わしながら、しかしサノバクに達者でな、と受ければ彼らは応と答えたろう。豪華絢爛でもなければ、壮大でもない。しかし壮健であれと、それは穏やかな旅立ちの朝であった。
──とはいえ。
ウィリアムたちにはまだこの村にやり残したことというものが存在しており、そのひとつは彼らの眼前に今、堂々とそびえ立っていた。それは村のはずれにでも位置するかという山林に程近い立地でありながら、領地内において最も立派な建築物といって間違いのない代物──即ち、領主の館。山へと鷹狩にでも赴くことを考えればこその立地か、そして入り口には待ち構えるように警備の門兵が二人。
「……通して、もらえる、かな……」
「どうだろうなあ……」
「正直、怪しいッスね」
領主への直談判。遠征に送り出されている騎士を領地内に差し戻すための交渉。これ無くしては、ウィリアムたちが賊を排除したことも無駄足のようなものだ。一個の人間の集団、“屍肉漁り”の解散は結果として──魔物の台頭という事態を引き起こす可能性が、存在するのだから。
もっとも、そのような問題の発生はウィリアムにも容易に想像が付くこと。ならば前もって対策を講じない理由はない。そして手っ取り早い問題の解決のためには、領地を守護する騎士の存在が必要不可欠なのだ。
「侵入して脅しかけても保証が無ェしなァ」
「まあ。そのために口添えしてもらったんだ──まずは行ってみよう」
思い悩むよりも先んじるは行動。それがウィリアムの基本的な行動原理である。当たって砕けたとして、問題は砕け散った後で考えれば良いのだ。そういうわけでウィリアムらは姿一つさえ隠すこと無く門兵の前に堂々と現れ、そして出会い頭に第一声。
「済まない。僕はウィリアムという者だが、領主殿にお会い願えないか。司祭殿から話が行ってるはずなんだが」
「申し訳ないが、そのような話はうかがっていない。何者も通すこと許すなと」
──なんたることか。第一の関門さえまかり通らずに追い返されるこの扱い、出鼻を全力でくじかれるような仕打ちにウィリアムはいささか面食らった。だがここで退いては話にもならない。食い下がる余地を必死にあぶり出そうとしているところで、傍らのクロエからひっそりと援護射撃が放たれる。
「……私たち、フィアーノ様の使いの者、で。どうしても、お話しなければいけないことがあって……本日、参らせて頂きました」
神の威名を利用するという食わせ者の一言であった。“何者も”と言った手前であれ──信仰心を逆手に取った言葉、これを無碍に退けることは容易なことではあるまい。目の前の門兵は、しかし常備軍でもなんでもないのだ──他の農夫たちと同様、土を耕して生きるこの土地の人間に過ぎない。豊穣の神という明確な信仰も同じく持っているに違いないと、クロエはそう踏んだ。
「……ならば、証明してみせるのだな」
返された言葉は、当然といえば当然。しかしそれは同時に、証明しさえすれば入門を認めるという言質にもなり得た。クロエはちらりとウィリアムに視線を送り、少年はそれに応え頷き──背に携えていた長大な剣、その刃を一息に引き抜いた。大剣と称するに差し支えない一振りをその手に握られ、ひとたび場に走り抜ける緊張。しかし刀身を晒したまま斬りつけるでもない様子に、門兵らは顔に浮かんだ警戒をにわかに和らげる。
「……それは」
「フィアーノ様より直々に賜った一振り。即ち御神刀だ。それを証する術はないが、一介の破落戸の持ち合わせとも見えんのではないか」
──まあ僕自身は一介の破落戸みたいなものなんだけど、とは言わなかった。少なくとも、豊穣神より賜った一振りであるということは間違いのない事実である。アドナに保管を頼んだ際、考慮に入れていた“使い方”とは正にこのことだった。言うなれば神の威光の象徴。精緻な造りの刀身が帯びた神性、果たして彼らがそれに影響されたかどうかは定かではないが──問いを投げかけた門兵は頷くと、静かにウィリアムの申し出を承服した。同時に彼が邸内の案内を努めるかたちで、ウィリアムたちを先導していく。
「正直なところ、特別に言い含められていてな。誰かが来るかもしれないが、通さんようにと。まさか噂の“神の使い”とは思わなかったが」
案内する途上、門兵の男はほのかに柔らかみを帯びた調子でウィリアムらに語りかける。その言葉は、村内でのウィリアム達に対する印象のようなものをいくらか想像させた。話の中ではおそらく、個人としての特徴は廃され──“神の使い”という点が大きく取り上げられているのだろう。それは結果として、間接的にフィアーノへの信仰心を強めることにも繋がるのだ。
「はァん。んじゃ、サクッと通しちゃマズイんじゃねェのか」
「……罰則、とか。……大丈夫、です……?」
「神に叛くよりかはマシさ」
──罰は今一時のことだが、豊穣の喪失は永劫だ、そうだろう? 何気ない調子で紡がれた言葉が即ち、根付いた信仰の力強さをそのまま意味していた。彼はやがて通路の突き当りとなる部屋の前で立ち止まると、その身を脇に退けてウィリアムたちへとその先を示す。本来は何者を通すことも許されていないという言葉通り、自分はこの先には行けないということなのだろう。
ウィリアムは男に礼を言い、一歩。
──ここからが、本番だ。扉の前に踏み出して、観音開きのそれに手をかける。
「……何者だッ」
戸の向こう側から聞こえてきたのは、こちらを歓迎する声とは全くかけ離れたものであった。その言葉をかき消すかのように勢い良く扉を押し開くと、遠慮はなしに室内へと踏み込んでウィリアムは高らかに名乗りを上げた。
「ウィリアム、クロエ、エリオ、アドナ。一同、豊穣神フィアーノ様の使いの者。此度は尋常に話をさせて頂きたく参上した次第だ!」
多少の無礼は承知の上。元より本陣に乗り込んで取るもの取ってやろうという腹なのだ。そもそもウィリアムらに「何者か」と問われて満足に返すことの出来る身の上の証明など存在しないが──今に限っては、可能だ。領主と相対して対等に話すことの出来る力が、神の名にはある。
「……用件を、聞こう」
静かながらも重々しい声。そこでようやく、ウィリアムは相対する相手の姿を捉えた。領主という相当の地位でありながらに、若い男だった。当然ながらも警戒の色を隠さない視線は、釣り上がった切れ長のそれ。やや線の細い男の様相は、同時に神経質そうな印象をうかがわせた。
以前にサノバクから聞きおよんだことだが、彼は──賊の略奪という危難に際して、出来る限りの減税を行った男だという。それを鑑みれば、少なくとも愚鈍ではあるまい。即ち、話の通じる相手だ。話で──片付けられる相手だ。
「領地の守護を騎士の者へ委任して貰いたい」
単刀直入に、要求をぶつける。小細工も何もない。しかし、決しておかしくはない──要求そのものが、本来はわざわざ求めるようなことですらないという一点を除けば。
「賊──血盟“屍肉漁り”の行い。これの看過は道理に叛く。故、今後の同様の事態は阻止しなければならない。それには防衛の兵力を要する。……土地の守護。それを“土地の神の使い”として此方は要求する」
──捲くし立てるような勢いで言葉を並べ立てる。それを静かに聞いていた眼前の領主は、さして間を置かず口を開いた。
「……受け兼ねる。いえ、可能ならば私としても行わなければならないことだ。だが、出来得ぬことをおいそれと引き受けるわけには行かない。現に騎士たちは──」
「本国へと遣わされてる、と?」
つとめて理性的に、男が否定の理由を述べているところへ──アドナの言葉がするりと割って入る。そして、彼が「そうだ」と答えかけたところを遮るかのように、アドナはすぐさま二の矢を放った。
「迷宮探査任務。───アレには今、一般に探索者を募ってるらしいッスね。無理に領地の騎士を遣わすわけが見当たらないッス。まあ、王の迷妄ってことも万が一ありえるかもしれないッスけど」
反論を差し挟む暇すらなく。加えて、とアドナは続けざまに言葉を打つ。
「“稲穂の国”の王に、そんな強権は振るえないはずッスよ。この国に冒険者ギルドは敷かれてないッスからね。さしたる武力がない。だからこそ一般に募ってるってのもあるんッスけど」
ゆえに導き出される結論。騎士の遠征そのものは何のこともない、国の命令などではなく──眼前のこの男、領主の独断によるものではないか、と。アドナは真っ向から突きつける。れっきとした証拠はないが、否定することも困難。事実として騎士が遠征に出ている以上、あるいはそれが証明とすることも不可能ではないだろうが──
半ば隠しもせずに、男は口端に小さな笑みを浮かべる。
「……少々の期間を有する。だが、領地の守護に当たらせることは約束しよう」
危険な迷宮の探査に騎士を遣わせる理由。思い当たる理由といえば、功績を上げさせて権力者に取り入るといったところが狙いか。いずれにせよ下衆の勘繰りであり、それを問うことはウィリアムはしなかった。彼の承服に頷いて、そして同時に少年は言葉を返す。
「それともう一つ。個人的な話がある」
指を立ててそう言うウィリアムに、領主は眉根をひそめる。色濃くなる疑問の色合い。しかしそれはむしろ当然のことで、“神の使い”などというものが“個人的な話”を切り出すことがおかしいのだ。しかしウィリアムは、そんな自己矛盾を意にも介さない。否、本題はすでに済んだことだ。だから、ここからは──“神の使い”の仮面を捨て去った、ウィリアム自身の言葉だ。
──勘繰りはしない。それはしない。しかし眼前の領主が、上昇志向だの功名心だのを抱え込んだ俗人であるならば。ウィリアムは、彼が“そう”であることを大いに望んだ。
その表情に悪童の笑みを浮かべて。
「────僕たちを使ってみないか。迷宮のひとつくらい、根こそぎさらってやれるぞ」
求めるもの。
領地へと帰還する遠征の騎士、その代理としての地位。
「クソみてえな話し合いだったッス」
「クズ揃い踏みみてェなもんだな」
「クズだのクソだの散々だな! 領地の騎士として行ければそれなりの信頼があるわけで支援が受けれるかもしんない、向こうはこっちが良い働きすりゃ部下の功績が認められて地位向上にも繋がるかも、当初の目的は達成したで良いとこ尽くしだろ!」
あくまで。結果だけを言うならば、ウィリアムの言う通りであったといえよう。当初の目的であるところの要求は認められ、領主──名をレーヌ伯とする──には悪辣な笑みと共に半ば意気投合したという結末が付随した。一言で言えば、始末に負えないといったところか。
法も権利もまともに存在しないこのご時世、一個の人間などなにものでもない。
──自分というものを立てる術のひとつ。ウィリアムにとっての身分や地位とはその程度のものだが、かの領主にはそれをはるかに上回る執着が存在していた。あるいは今“持っている者”であるからこそ、しがみつくのか。
「……じゃあ、やっぱり次は、首都のほう……かな」
「僕としてはそのつもり。迷宮行くにせよどうにせよ」
「……あぶなそう、だったら……?」
「もちろん逃げる」
即答である。いっそ堂々とすらしている命優先の決断には、しかしクロエはいささか安心したようにほうと息を吐く。安全度外視の無茶がしばしば飛び出すからこそ、基本的な姿勢が逃げ腰であることはかえってありがたいのだ。
──そしてもうひとつ。最後にやらなければならないことが存在した。それは即ち、騎士による領地の守護という要求が正式に履行されているかどうか。それを確認する術はウィリアムらにはなく、よって第三者による監視の目が必要だった。そしてそれは、出来ればレーヌ伯と対等な立場である方が良い。そう考えれば、頼める相手は自然と絞られる──即ち、フィアーノであった。どうせ彼女には“魔導器”を返却しなければならないのだ。
しかしここで、困ったことが発覚する。
フィアーノの居所など、四人の誰一人として知るものはいなかったのだ。
「オレが見つけた時は、なんか、入会の湖? で寝てやがったけど」
「……あんまり、ありがたみ、ないなあ……」
「他の時、だいたい向こうから勝手に来てたんスよね……」
──そんな経緯で四人は、山林の奥深くを延々とさまようという事態に陥っていた。なんたることか。とっくのとうに領地を出てしまっていても決して不思議ではない。そしてその場合は、結果的にとはいえ御神刀を見事なまでに盗んでしまっているわけだから、罰当たりにもほどがあった。
未だ日中ゆえに太陽は高くも、このまま夜を迎える羽目になると少し危険か──そんな風にウィリアムが空を見仰いだ、その時だった。
ぬう、と少年の視界を一挙に遮る影。さながら木陰が間近に迫り来たかのよう。驚愕にびくりと見開いた瞳が、その正体を視界いっぱいに見止める。伸びっぱなしにも関わらず鮮明なブロンドのロング、湖面のように透き通った双眸。
「……神出鬼没すぎるぞ、おまえ」
さながら背後からウィリアムへと被さるように現れた、フィアーノの姿であった。身体に触れてこそいないが、それでも並々ならぬ圧迫感を感じるほどの巨躯。思わず歩みも止まろうという存在感に、他の三人も一斉に振り返ってしまう。
「やあ。ずいぶんと働いてくれたみたいだねえ──御苦労さま。働きに報いてぼくが直々にお礼をいってあげよう」
ありがとう。と、物言いは神を名乗るだけ尊大ながら──人と向き合い言葉を交わす人間臭い彼女は、相も変わらず前触れもなしに現れた。ウィリアムはまずもって、働きはしたけどその後始末までは請け負えないから、騎士がちゃんと働いてくれるかどうかなんてのはそっちで監視してほしい──といった旨を伝える。
「いいよ。方法をまかせたのはぼくだからねえ──そこはきみたちの裁量で、最良であったと、ぼくは考えるよ」
フィアーノはにっこりと笑みを湛えて、それを承服した。
──最良。果たして僕の手段は、選択肢の中でも最良と呼べるものであったか。他にやりようがあったのではないか。“屍肉漁り”を物理的に押しつぶすまでもなく、事態を収める手段。
そんなウィリアムの懊悩も、知ってか知らずか。フィアーノは裸足のままずんずんと山林を先導するように歩み、指先で一方の方角を指し示した。
「ここを真っ直ぐいくと、そのうち首都につながる道が見えるんじゃないかなあ。行くんだろう?」
「……もちろんだ」
「っつゥわけで土産か餞別かなんか頼む」
「最後までふてぶてしいッスね!」
アドナ、愕然。物怖じせずエリオが突き出した手のひらに、しかしフィアーノはそう言うと思ったとでも言うかのような周到さで、その掌上になにかを握りこませる。
「──なんだコレ」
「……種、かな……」
エリオが手のひらを広げると、そこには容易に目視出来る大きさの種が乗せられていた。それを見たクロエは、しきりに首をかしげている。一端の薬師であるクロエは植物の知識に長けているのだが、その彼女をしても正体の掴めないもの。
「なんの種よ」
「それはねえー。ぼくの……あ、やっぱり乙女の秘密」
「うぜってえな!?」
んなもん良いから剣くれよ! などとのたまってみせるエリオは中々に剛毅であった。
「そうだ、剣を返してもらわなきゃねえ。いや、別にきみたちが持っててもぼくはいいんだけどさあ」
「いいの!?」
御神刀であるにも関わらず適当すぎる扱いに、思わず涙さえ零れそうになるウィリアム。とはいえ貰えるのならば儲けものであると、フィアーノに差し出しかけた“魔導器”をそのまま腕に抱える──が。
「いいけど、呪われるよ」
「具体的には?」
「物理的にこの土地から離れられなくなる」
「返します」
「それがよい!」
──元より窃盗など不可能だった、というわけだ。思わずエリオはがっくりと肩を落としてしまう。
「実際、きみら、それ持ってるせいで出られなくなってたからねえ。ぼくが出ていかなきゃずーっとこの辺をぐるぐる回ってるんじゃないかとひやひやしたよ」
「もちっと早いとこ言えよォオオオ」
怨嗟に似た声を吐き出すエリオに、フィアーノはにこにこと気の良い笑みを返す。そのあまりにもあんまりな曇りのなさが、しかしどこか憎めない姿でもあった。フィアーノは剣を受け取ると共、ゆったりと四人に向かって居直る。
「言ったろう。ぼくはこの地を呪う神。土地に生きる人々を土に縛り付け、離れることを許さない。道に宿駅も出ていないことを不思議に思わなかったかい?」
そういうこと、とフィアーノはうそぶいた。ならばこそ、人の迷い惑う姿を眺めるのも彼女にとっては一興に過ぎなかったか。ハー、とエリオなどは思わずため息を勢い良く吐き出す始末である。
「……ちょっと待てよ。そいつは僕らも出られないんじゃ」
「──大丈夫さ」
ウィリアムの困惑を、しかしフィアーノは打ち消すように遮って言う。
「ぼくの呪いは地に足つけて生きる人へのもの。────きみたちのような“渡り鳥”には、届きはしないよ」
直接持ってでもいない限りはねえ、と言うその相貌にいっぱいの笑みを浮かべるフィアーノ。
それはどこか儚くも見え、吹き抜ける風に揺らぎ、舞い散る青々とした木の葉にかげる。
──じゃあね、という別れの言葉がどこか遠くに聞こえていた。
一行が視線を戻した時、眼前にいたはずの姿はすでに無い。……別れも聞かずに、と零れたクロエの言葉も道理であったか。まさに神出鬼没と言わざるをえない有り様に、ウィリアムは思わず肩をすくめて呟く。
「──行くかあ」
「んだァな」
「……うん」
「……道、大丈夫なんスかねえ」
なんとかなるだろ、笑って踏み出したウィリアム達の目の前。
切り開かれた森林の向こう側には──広大な世界が広がっていた。
〈生命の楔〉
剣の形状をした魔導器。
剣ではなく、人を縛り付けるための呪具。楔。
呪いは一個の領地を範囲として強力に作用する。