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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv1:『出会い』
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Level4:『一難去ってまた一難』

 宿の一室、ベッドの上でクロエは目を覚ました。つきり、とにわかに脚が痛む。傷跡の痛みだ。そして、どこか頭がぼおっとしていた。クロエは汗ばんだ己の額に掌を宛てがう。少しだけ、熱っぽい。上半身ばかりを起こし、窓から外を眺めてみれば、そこは真っ暗闇のざあざあぶり。まるで川の一つでも氾濫させたかのような有り様。建物を叩く雨音が、酷くやかましく耳を打つ。その騒音から逃れるように視線をそらせば、気づいた。ベッドのシーツに顔面ばかりを埋めるようにして、俯せにぐったりと顔を伏せている、ウィリアムと名乗りし少年の姿である。傍らには水で濡らされた布巾などが転げていた。

 ──ああ、そうか、とクロエは回想する。

 彼、ウィリアムの背に負ぶされて辿る帰り路。恐らくは不幸中の幸い、魔物もこの大雨に出歩くことを厭ったか、巣の中で大人しくしてくれていたのだろう──脅威に出くわすことなく、最寄りの町に帰り着くことができた。それは確かなのだが、しかし、どこか曖昧だ。どういった経緯でこの場所に寝かされているのか、その過程が、クロエの記憶からは綺麗サッパリと消え去っていたからである。ゆらり、とクロエは何かを探し求めるように視線を見渡す。といっても、質素な宿の室内に、一本のろうそくが灯り代わりに炎をくゆらせている、視界に入るのはその程度のものだった。なのでクロエは、最も手近なところにある灰色髪の頭を、揺り起こすことにした。

 ゆらゆら。

 ゆさゆさ。

 ごんごん。

 一通りの控えめな刺激を加えたところで、ウィリアムはのったりと亀の歩みのようなゆっくりさで、頭を起こした。ぴくぴくと震える瞼をぐしぐしと擦りつつ、ああとか、ううとか、オアーとか、とにかくなんだか、まるで意味をなさない声を無闇にまき散らしている。壮絶に眠たそうだった。彼の身にまとう布の服の袂から、胸の傷に施された治療のあとが覗いている。それを見てか、クロエはほっと一息を吐いた。

「……あれか。寝ちゃってたか、僕」

「…………おはよう」

「夜だな」

「……夜、だね」

 あんまりにもあんまりなマイペースさを醸し出すクロエだった。が、ウィリアム少年にしても、それをあまり気にした様子はない。割と強引に叩き起されたことに関しても、特に気にした様子はない。というよりも、恐らくは、気づいていないのだろう。ウィリアムは、見るからに神経の図太そうな、しがない少年であるのだから。

「……みてくれ、てた?」

 クロエが尋ねるとウィリアムは、そう、それだよ、と思い出したかのように手を打ち、クロエを指さした。「酷い熱だったんだ、大丈夫かよ、まだ頭がぼーっとしてるんじゃないか。あんまり無理するもんじゃない」と、朗々と言葉を吐き出すウィリアムに、ようやくクロエも得心が行く。怪我を負って身体が弱り切ったところで、激しい雨脚にすっかりと体温を冷やされてしまったせいか、高熱をこじらせて、軽く意識と記憶を吹き飛ばしてしまったと──まあ、そんなところであろう。こくり、とクロエは頷く。

「…………ありがとう」

「気にするない、それよりちゃんと休んだ方がいい。子どもの内は身体弱いんだから」

「……人のこと、いえない」

「僕はもう十五だからな」

「……私、十九」

「ああ!?」

 お前もうちょっと嘘を吐くにしても現実的な嘘があるだろうよクロエェ少なくとも僕の年上と言い張るには些かの無理があるぞ! という旨の発言を受け、むくれたクロエが布団に潜り込んだことは言うまでもないことなのだが、彼女の自己申告した年齢が嘘偽りのないものである、とだけはここで明言しておくべきであろう。そんな、死線の後の──穏やかな夜のことであった。


 さて。二人の宿泊した宿『旅の帳亭』は、小さなこの町の中でもかなり栄えた部類に入るであろう。いわゆる冒険者向けの安宿といったところだが、一階は酒場、それ以降の階は宿とされている一体型の施設だ。冒険者という名のその日暮らしの無法者どもにとってはありがたいことである。酒場が仕事の斡旋を兼ねている場合も、この世界では少なからない。ウィリアムが迷宮調査を請け負ったのも、ずばりこの酒場であった。

 すっかりと雨は上がり、小鳥がちゅんちゅんと鳴き始める朝。朝チュン。などといったイベントが挟まることは全く無く、ウィリアムとクロエは宿を出るついでに朝食を摂ることにした。カウンター席に座しつつ、ウィリアムはため息を吐く。なぜかといえば、あれだけの大立ち回りを演じたにも関わらず、彼には一銭の金も入ってくるアテが無かったからだ。引き受けた仕事そのものは見事に“ふい”にしたのだから、至極当然のことである。──とはいえ、何を嘆いても腹は空く。注文の言葉を投げかけようとした、そのときだった。

 ずしり。

 ウィリアムの目の前で音を立てて、何かがぎっしりと詰め込まれた、小さな袋が置かれた。果たして誰の手によるものか。単身でダンジョンに突撃するという無謀なウィリアムをさとしてくれた、この酒場と宿屋の店主を兼任する、ちょっと肥満がちのおばちゃんが目の前にいた。おはよう身体のほうは大丈夫かい? と、彼女はクロエに陽気な言葉を投げかけていた。「……御早う御座居ます。イルおばさん」クロエは戸惑いなしに、大丈夫と小さく笑みを乗せて頷く。流れの冒険者ではなく、この町に住まう者等のやりとり、といった様子である。──いや、それはいい。

「おばちゃん」

「なんだい、坊。よく生きて帰ったね。注文かい」

「いやそうじゃなくて。これ」

 ウィリアムは袋を指差す。「それかい。あんたのだよ」はあ、とウィリアムは曖昧に頷く。試しに手に取ってみる。ずしりとした重みが、ウィリアムの手の中に伝わってきた。今まで感じたことが無いような重みである。そのまま、軽く袋ごと揺すってみる。ちゃりちゃりと音を立てた。かかかとおばちゃんが腰に手を当てて豪快に笑った。

「貧乏性だねえ。金だよ。150Gある」

「ひゃくごじゅう!?」

「……一月くらいは、すごせるね」

 ぱちぱち、とクロエが緩い雰囲気を醸しだして拍手する。150Gと記せば字面的には何とも微妙な数字だが、当たり前に一日を過ごすために必要な金は、せいぜいが1G程度。ウィリアムのような根無し草は、宿を利用する必要があることを鑑みて、その上でも──クロエが言ったように一月、あるいはそれ以上の期間を容易に持ちこたえることが出来る金額である。ウィリアムは思わず目を剥いた。物心ついてから、世界を当て所なくふらつき回るようになって以降、こんな金は──見たことも手に取ったこともなかったのだ。席から立ち上がり、腰の落ち着けどころを無くしてしまったかのように、呆然と立ち尽くす。

「こんな金、どっからわいて出たんだ」

「お前さん、ゴブリンの徒党とやりあったんだろう? あれの退治は国からの依頼もあってね。その関係で金が入ってきたのさ」

「ちょっとよくわかんないです」

「少し前にこの近くに大規模化した迷宮があってね、その内に人に害を加え始めるだろうってんで帝国の調査団がまるごと“ねだやし”にしたのさ。で、件のゴブリンどもが、その時に逃げ落ちた魔物の一部みたいでね。詫び金みたいな側面もあるんだろうよ、まあ、坊が正式に仕事を受けてた訳じゃないけど、やってくれたのは確かみたいだったからね。って、わけで──」

 今後ともご贔屓にねってことよ、とおばちゃんは──いかにも酒場のマスター然とした気前のよさで、豪快に笑った。立ったままのウィリアムは、しばし魂が抜けたかのようにぼうっとして──そして、瞳を潤ませ、おばちゃんに抱きついた。肥満の身体は、なんだかふよんふよんだった。母性の象徴と言いたいところだが、それとはなにか違う気がした。

「おばちゃんありがとうォオオオオオオオオ」

「礼を言う代わりにお姉さんと呼びなァ」

「無理」

「言うたね坊」

「……おばさん、ミルクと、あげパン」

「僕がハムとチーズのパイとりんごジュースで」

「あーいよっ」

 憂鬱な朝は、吉報に覚める。

 搾りたてのりんごジュース。今朝に届けられたばかりの新鮮な牛乳。レーズンを練りこんだ生地を油で揚げ、砂糖をまぶした菓子パン。保存食であるところのチーズを豪快に振りまいて焼き上げたパイ。主人が存分に腕を振るった食事と共に、ウィリアムとクロエは益体もなく、たくさんのことを話した。

 唐突に転がりこんだお金の使い道だとか。すぐにでもウィリアムは出発するつもりだったのか、だとか。だとすれば、どこに行くつもりだったのか、だとか。ウィリアムは自分が痛快に行き倒れかけたところをこの町に行き着いたという愉快な経歴を語り、もちろん行くあてもさっぱり無いのでもう少しは居着くつもりだということを軽々しく喋り、誇張を一切交えることなく豪快に所持金がほとんどゼロだったということを爆笑混じりに話し、そして軽く距離を置かれたりしつつ、クロエがこの町の小さな薬屋の店番を勤めているのだということを聞いた。

「薬屋?」

「……うん。ちっさいの」

「クロエちゃんとこの薬屋はこの町じゃあ、ちょいと有名でねえ」

「……お店は目立たない、けど」

「有名?」

 ウィリアムは塩味の効いたパイをぺろりと片付けながら首をかしげる。

「……ちょっとだけ」

「“どんな毒にもこれひとつ”、万能のどくけしそうが売ってる、世界で唯一の薬屋さ」

「ものすっげえ地味……」

 ウィリアムは思わず呟く。静かにりんごジュースの入ったグラスを傾け──少しして、頭の中で冷静に考えて、そして思い直した。

 それって、もしかしてすごいんじゃないのか?

 対処療法なんて言葉も吹き飛ばして、毒蛇の毒だろうが毒を孕んだスライムの毒だろうが麻痺毒だろうが梅毒だろうがともかく、ありとあらゆるこの世界に存在する毒──そのことごとくを、ただのどくけしそう一つで覆い尽くす、治し切ってみせる。それはまるで世界の常識をひっくり返せるくらいの、世界の法則をひっくり返しているくらいの、魔法の道具マジックアイテムと言ってもおかしくは無いんじゃないか。浅学なウィリアムですら──そう、考えた。

「巷には出まわってないからねえ、んでも、この町ではちっと有名さ。大通りのでっかい雑貨屋あるだろ、何ともお冠だってうわさ」

「……商売って、たいへん」

「ひとごとだなあ」

 しみじみと呟きを漏らして菓子パンをむぐむぐと頬張るクロエの姿は、なんだかいまひとつ、ウィリアムには大変そうには見えなかった。深刻そうな色合いもなかった。そしてもちろん、年上にも見えなかった。

「……そうだな。んじゃ、クロエの店に寄っておきたいな。場所わかんねえんだ」

「……」こくり。

 クロエの頷きを見て取れば、よしとグラスを空けて、ウィリアムは立ち上がる。クロエがそれに続いた。

「ご馳走様。僕らの宿代とまとめて置いとくよ」

 金貨を数枚取り出して置く。一泊に食事代、合わせても10Gにすら満たない。冒険者向けの安宿とは言えども、庶民的な金銭感覚にならうならば、これは概ね一般的な代金である。「また来なァ、クロエちゃんもたまにはね」との言葉を背に、ウィリアムは袋を手にしたまま踵を返した。ぺこりとお辞儀をするクロエ。朝っぱらとはいえ朝食を摂りに降りてくる者も増えてきた。そんな冒険者達の中にあって、クロエはなんとなくこの場に相応しからぬ見た目の存在であるからして、常ならばこうした盛り場にはあまり寄ることがないのだろう。

 さてと出口に差し掛かったところで──どん、とウィリアムにぶつかる感覚があった。反射的に、振り返る。そこにいたのは──金髪碧眼の、青年であった。背が高く、痩身。若い。ウィリアムと同じくらいの年頃か、あるいは少し年上か。暗い瞳をした少年であるところのウィリアムとは異なり、どこか爽やかな雰囲気が漂う。軽装にマントを身につけた、身軽な風体である。

「おっと。すまんね」

 と、青年は言った。少し困った様な笑みを浮かべて、会釈する。悪意は見られなかった。そして、その整った相貌が原因か、どこか悪印象を覚えづらい。「や、気にせず」ウィリアムは素直に両手をひらひらと振って、穏便に済ませる。そのまま外に視線を向けかけた、その時──不意に、違和感が引っかかった。見過ごし難い、違和感だった。

 振り返る。クロエの小さな掌が、男の手首をしっかりと掴んでいた。

「……離して、ください」

「離すって、掴んでるのは君だろう、嬢ちゃん?」

「……──とぼけるな・・・・・

 ゆらりと、クロエの瞳が半目のまま掲げられる。じとりと、睨めつけるように男の姿を見据えた。今なら──数秒の時を隔てた今なら、ウィリアムにも違和感の正体をはっきりと理解出来る。明確に理解している。先刻、ウィリアムは当然のような両の掌を振って、“気にしていない”という旨を伝えた。ならば──その掌の中にあった、金貨の詰まった袋は、どこに行った? ぎちり、と男の手首を掴むクロエの力が、強められる。そこに大した力はこめられてはいない、だろう。しかし──なにか、得も言えぬ威圧感があった。

「……やるね」

 青年はニィと口の端を歪め──ひひ、と極めて人の悪い笑みを浮かべた。そして、外套の内側から掌を取り出す。大人しく、その手を開いた。がしゃりと音を立て、響く金属音。袋が、床に落ちる。瞬間だった。青年が──正しく“すり抜ける”ようにウィリアムの脇を抜け、出口から飛び出す。一拍遅れて、ウィリアムも飛び出した。しかし既に曲がり角にまで滑り込んだか、どこぞの路地に飛び込んだか。その姿を見止めることはできなかった。

 あっけに取られたような、一瞬。後から外に出たクロエが、ぐいっとウィリアムにお金の袋を押し付けてくる。

「……ちゃんと。持ってないと」

「非常に面目ない……」

「……欲、あんまりない?」

 いや僕としては世俗の欲望に塗れまくってるつもりなんだけど……と、ウィリアムはおもむろに申し立てしつつ、それを受け取った。

「あー。いや。しっかりしなきゃだな。僕らの仕事を見ておばちゃんが出してくれたんだもんな」

「……金額以上の、価値」

「ありがとう」

「……どういたし、まして」

「ついては、これを分配しようと思うんだが」

「……管理は、自分で、しなきゃ」

「いや、僕だけの力じゃないしだな」

「……私、使うこと、ない」

「というか山分けという響きに憧れる」

「…………おばか」

「クロエッ、おまっ、僕の浪漫をッ」

 なぜなのだか、やけに騒々しい道程であった。

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