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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
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Level37:『泥を食む』

 眼前の一人を切り払うウィリアムは、心得ていた。この時、自分がなすべきことを。

 即ち、敵対する者すべてをこの場で相手取る必要は無い、と。その選択はウィリアムにとっても好ましくはない。まずもって天候がこの悪環境。戦火が飛び火する可能性もあわせて鑑みるならば、いずれにせよ村内で事を構えることは避けるべきであった。それがまず前提。しかし、すでにそんなことを言っていられる様子ではない──すでに状況は変わってしまった。だからこそ、なすべきはひとつ。

 少年自身が、対敵にとって脅威である必要はない。立ちはだかる男たちを次々と切り伏せるような、一騎当千の芸当も不要。だが、“脅威である”と思わせる必要はあった。この状況下において刃を交えれば、勝利であれ敗北であれ、看過しえない被害をこうむってしまうかもしれない──そう考えてもらわなければ、ならなかった。

 だからこそ、意地を張る。大勢を前にして、圧倒的に不利な戦況を前にしても、そうしなければならない理由を、ウィリアムは抱え込んでいた。

 そして、駆ける。

「──ハッ」

 吐息、一拍。

 己が敵が賢明であってくれることに、自らの生命を賭して──愚直に剣を掲げた。

 降りしきる雨雫は朱紅を洗い流し、刃に擦りついた血を払う暇さえ与えようとはしない。間隙をあけず、少年の返す刃が慌てふためく男二人を駆け抜けざまに切り裂いた。胴を撫で切りする程度の一閃もしかし、負傷には違いない。傷を負えば、否が応でも怖気づく。悪天候の暗闇の中では、相対する者の姿さえいかにも判然としないのだ。十数人と群れた人ごみの中に、ただ一人の少年が斬り込んできたのだから──尚更のこと。

 何が起こっていると、掴みかねる状況下で慌てふためくなら、まだ良い。突如として現れた血の色に、混乱の色は隠しようもなく伝染する。悲鳴、怒号、惑乱の合間をすり抜けるように少年が行く。その向こう側に、男が一人。際立って細められ、醒めた視線を投げかける襤褸の男。“屍肉漁りヴァルチャー”が頭は、退きも省みもせずにただ立つ。

「あー。面倒くせえなあ。入り口まで引いとけよ、おめえら。死んでも埋めてやれるわけじゃあねえんだからさあ」

 男は至極、億劫げに髪を掻きむしってそう言い放つ。何らかの意図があってのことか、素早いその決断は──しかし言葉の通り、面倒である以上の理由を見受けられない物言いであった。そして男は、おもむろに振り返れば一瞥する。その鋭い視線の矛先には、ウルク。元はといえば、彼ら血盟の傘下にあった男。

「あーああ。まあいいさ。何があったか知らねえけど。まあいいさ。面倒くせえ。……なあ?」

 雨に打たれるがまま。男の言葉に呼応して、逃げ延びるために散り散りとなる部下達の様子を見守るでもなく男は天を仰ぎ──白銀に煌く刃が柄に手をかけた。隣を脇を傍らを、大勢が駆け抜けていく、その感覚を間近に感じながらウィリアムはその男に相対す。

「ウィル、分かれた奴はどォする!? 」

「追って監視してくれッ、手は出さなくていい、暴発されたらかえってまずいんだッ」

「りょーかいッ」

 投げかけられるエリオの声は、茅葺きの高みから。その傍らにはクロエと思われる、小さな影がひとつ。この暗中、視界を確保するための小さな灯り──雨中にもほのかに輝いていることから、火ではなく熱に由来すると思われる──を共にしていた。

「……随分。早いんだな」

「あー?」

「見切りが」

 ざあざあと、鳴り響く雨音の中。彼らが初めて交わした言葉は、何でもないような疑問のひとつだった。互いに剣をその手にたずさえたままの、奇妙な対話。刃のごとく、熱のかよわぬそれ。

「警戒してねえからなあ。こんなこたあよ。騎士様もいねえはずだしなあ。っても、おめえら、騎士じゃあねえだろ」

「ウィリアム。ただの流浪の民だ」

「ボリス。同類クズだな」

 ボリスの向こう側にいる三人、ウルクらに「今のうちに退け」と視線を投げかけるウィリアム。同時、がしがしと濡れた黒髪をかき乱す男──ボリスに、しかしウィリアムは言葉ではなく刃を向けた。

 元よりこんなものは、会話でもなんでもない。ただの確認作業に過ぎなかった。──己の前に立つものが敵以外の何物でもないということを、確かめている、ただそれだけのことだった。吐き捨てるように、ウィリアムは言い切る。

「類としては大差ないのが結構腹立たしいから、取りあえず叩っ斬るぞ」

「骸晒しゃあ身ぐるみぐらいは漁ってやるよ。それくらいは覚悟してきてんだろう──なあ?」

 そう言ってボリスは、抜剣した剣を片手に掲げる。銀色の輝きを返す、両刃の長剣。その剣は──武具に関してはさして博識でないウィリアムから見ても、ひどく奇妙なそれであった。

 真っ直ぐな直刃、全長そのもので見ればウィリアムの背丈ほどはありそうな一刀。そういった性質は確かに目に付くが、それは決しておかしなことではない。しかし、一点。明確に正常ではない、あえて残されたのであろう極まって目立つ異常───まったいらに均されたかのような剣先。その形状は即ち、刀剣が保持する“突刺”という機能を完全に放棄していた。“断ち切る”という力ばかりを誇示していた。

「……そいつ、か」

 ウィリアムは雨中、独りごちる。そして思い返す、ウルクが語っていたいつかの言葉を。──即ち魔剣。偽りを断ち切る魔導器アーティファクト。一目で尋常ではないとわかるその剣が、いつかのウルクの言葉を裏付けているかのように、思われた。雫に濡れることなく、雨粒さえも切り裂くかのように、刃は妖しげな光を刀身に映し出している。

 すでにボリスに言葉はなく。ゆえに少年が返す言の葉もなし。向きあうものは最早、刃の他あらず。互いを遮るものは、雫ばかり。──瞬間、濡れた泥土を跳ね上げてウィリアムは地を蹴った。距離を詰めての接敵エンゲージ

 ──否。接敵に値する範囲内の、ぎりぎり外側。つまり、ボリスの刃が届きえないその間合い。ウィリアムは地を踏み締め、その寸前でとどまる。

「……チ」

 密やかに舌打ちするボリス。しかし、これはウィリアムにとって当然のこと。とても戦闘用とは思いがたい刃の形状とはいえ、底の知れない魔法の剣──その上、使い手の力量そのものさえ判然としないのだ。容易には踏み込めない。

 暫し持続する、睨み合いの姿勢。ふたつの影が、ぴたりと静止したまま。降り止まぬ雨ばかりが、時の流れを伝えていた。

 この硬直状態から、ウィリアムはひとつの情報を得た。かの刃の剣先は、即ち見たままの性質であるということ。その剣を手にしている限り、突き刺す、あるいは貫くという選択肢は完全に閉ざされている──ということ。そうでなければ、この間合いで攻勢に出ない理由がない。体格で考えれば、目の前の男はウィリアムのそれを大きく上回っている。やろうと思えば、一拍で少年の身を貫きうる距離なのだ。

ィ──ッ!」

 ゆえにウィリアムは、自分から硬直を切り開く。踏み締めた地を、そのまま蹴り上げ──濡れた土くれを、男の顔面の高みにまで跳ね上げた。同時、手に握るカッツバルゲルの刃を振りぬく。ぐん、と響き渡る大気のうねる音色。下段から胸を通りぬけ、斬り上げるように。

「──ペッ」

 目眩ましの小細工に、ボリスは一度唾棄するのみ。その身を目掛けて迫る刃を、音もなく躱す。さながら一歩、地を滑ったかのよう。かすかな音色は、雨音にかき消されてしまうほどわずかなもの。

 空を切る刃。ゆえに必然。一閃を振り切った無防備を晒すウィリアムに、返す刀が襲わぬはずもない。一見して華奢にも思える、しかし長大な魔剣の一振るい。烈風を引き連れウィリアムの躯を断ち切らんと来たる刃を迎えるものは、同じく刃。材質は違えども、同じ刃。頑強さで立ち向かうならば、ウィリアムの刀剣はうってつけである。カッツバルゲルの肉厚の刃は、真っ向からの打ち合いに長ける一振り。余程の力量差が無ければ、押し負ける道理はない。

 ──そのはずだった。

 その時、ウィリアムは確かに見た。見まがうはずもなく、見止めた。眼前のボリスが、にやりと口端を吊り上げる姿を。

 あっさりと、大した手応えもなく。まるですり抜けていくかのごとく、男の放った一閃がウィリアムの刃を通り過ぎた。比喩の類でもなんでもなく、刃と刃が重なりあったその時──互いに打ち合い弾けることもなく、放たれた刃は狙い違わず、ウィリアムの左胸を浅く抉っていた。

「が、うぐッ……!?」

 撃ち貫かれる衝撃に、身を竦ませんばかりだ。ウィリアムの肺から、取り込んでいた空気が一気に吐き出される。急激に体躯の温度が引き下げられていく。まるで血流に氷晶を流し込まれたかのよう。しかし少年の驚愕はそればかりではない。衝撃というよりは、まるで慮外。撃たれた身体が両足ごと背の方に押し出されるところを、必死に土を踏みしめて、踏みとどまる。

 そしてウィリアムは、ようやく気づいた。

 ボリスの刃が通り抜けた箇所から、鮮やかに刀身が両断されて──刃は、傷ひとつ無い断面をさらけ出していた。半ばから先端にかけての剣先は転げ落ち、いっそ地にうずくまるガラクタにも等しい。

 ──馬鹿な。

 ありえないという気持ちを引きずりながら、ウィリアムは視線をかかげる。そこには悠々と立ちはだかる男がいた。彼のたずさえた刃は、何の異常もなくその手の中にある。ウィリアムの武具に尋常ならざる異変をもたらせしめて、なお。少年の頬を流れる雨粒にまぎれて、冷や汗までもが地に伝い落ちる。──そして、男の攻勢がそこで止まってくれるはずもなかった。

「ま、こんなところだなあ。手詰まりだろよお。坊主」

 ひうん、と掲げられる刃がウィリアムに向かう。大上段より振り落とされる斬撃。それを咄嗟に身を捻るも、躱し損ねた身が──骨が軋みを上げ、少年は声にならない苦鳴を漏らした。よろよろと、些かもおぼつかない足取りで、ウィリアムは距離を取る。無論、その行動に意味などほとんどなかった。ただの時間稼ぎでしかない。時間稼ぎにも──ならない。

「ま、死んどけよ。──なあ?」

 暫時、いくつもの剣戟を重ねた先。首筋を掠め、脇腹を打ち据えられ、土手っ腹に刻まれ。ウィリアムを苛む幾筋もの剣閃に、疲労が──誤魔化しがたい負傷が蓄積する。流血に肌を染め血を濡らし、湿った土肌に朱紅が染みこんでいく。ぜいぜいと落ち着きのない呼吸を繰り返しながら、ウィリアムは暗い瞳を──かすかに光残す視線をボリスへと向けた。

「──くそ、がッ……!!」

 誰に向けたものか。絞り出すようにした言葉を吐き捨てながら、刃と対面する。矛先は脳天目掛け。視界が眩むのは、おそらく曇天の暗がりのせいばかりではないだろう。一閃の引きずる風の唸りに、ウィリアムは睨めつけるような瞳を見開いたまま──


 鐘の音が、響き渡った。

 ごおん、ごうんと、物悲しく慈悲深く。幾度とともなく繰り返されて、延々と──あるいは永遠のように。

 降り止まぬ慈雨の雑音も、全てまとめて打ち消して。

 

「──ああ?」

 掲げられた刀身が、不意に停止する。その隙にウィリアムはすぐさま間隔をあけながらも、困惑の色はやはり拭いきれない。なぜ、今。少年はしっかりと聞き届けていた。「もう一度鐘がなるまで、外に出てはならない」というウルクの言葉を。ゆえに、この鐘が意味するところも理解しえた。

 誰かが、この場を安全なものとした。外に出てもすでに問題はない、と。

 ──いったい、誰が。どういう意図で。

「……チ。面倒くせえなあ。取りあえずぶっ殺して──ああ、でもなあ」

 一歩離れたウィリアムに追い打ちをかけることなく、ボリスは数瞬止まった。おそらくは彼にも、鳴り響いた鐘のその意味が掴みかねているのだろう。まさか無意味だとは思わないし、思えない。しかし、対するウィリアムは違った。──賢明だからではない。余裕が無かったからだ。死の危険に瀕したウィリアムは、迷うことなく背を向けた。一直線に地を蹴り出す。命をかけた、飽くなき逃走である。

「ってえオイ──!」

 ボリスが止める暇すら、なかった。地を蹴り、土を跳ね上げ、駆け抜け、ウィリアムは転げるように地に倒れ伏した。走りだして幾許となく。それが少年の体力の、即ち限界である。距離としては漸く視認し得るという間合いであっても、しかし大した隔たりではない。ボリスがその気になれば、容易に詰め寄られる程度の途。しかしボリスはその様を見て取ると、さっと踵を返した。意図が掴めない渦中に放り込まれたままでいるのは、気味が悪いのか。時間をかけて殺すまでの意味はないと──そう判断されたか。おそらくは、慎重を期しての男の行動だろう。

 それで悟る。ともかく、ウィリアムは生き延びた。命は──繋いだ。

 泥中うずくまり、無様を晒し、引っ掴んだ生命。

「……ぎ……ッ!!」

 舌を噛み切らんばかりの、思いだった。食いしばる歯には、砕け散りそうなほどの力が込められてもいよう。ぐったりと雨に打たれるがままのウィリアムは、半ば以上に力を抜き切って天を仰ぐ。

 そのすぐそばに、さくりさくりと小さな足音が鳴る。見上げる体力も気力も尽きかけていたが、それでも掲げた視線はいかなる意図か。──罵倒でも何でも聞き届けよう。もうヤケだ。後は任せろと言ってこの体たらく。ウィリアムとしては、そんな気持ちになっているところが無いでもなかったのだが──幸か不幸か。

 刃を手にしたイレーヌがそこにいた、などということはなく、当たり前のようにクロエが静かにたたずんでいた。

「……ウィル」

 少女の身体が、膝からゆっくりと地に沈められる。どこか物憂げな色を見せる表情は、いつものとおり。伸ばされた小さな手が、ウィリアムの頬にそおと触れる。優しげな手付きだ。少年からすれば、いっそ罵られた方がいくらか救われたのかもしれないが。

「……よかった」

「よくないぞ、クロエ。……この有様だ。僕はもうお天道様の下を歩けない」

「……生きてるなら、日陰を行けばいい……」

「まあ、もともと日陰者だしな……」

 泣きたいような心持ちながらも、少年にとっては幸いなことに、軽口を叩くくらいの余力は残されていた。──その代わりとでもいうかのように、クロエの頬をぽつりと雫が伝った。汗か雫か涙か。その区別がウィリアムにつくはずもなかったが。

「……よかった。……いきて、て」

 ぽつりとそう呟く少女に、言うべき言葉を無くしたかのように押し黙るウィリアム。少女の見下ろす瞳が、真っ二つになった刀身の片割れを捉える。少年の手の中、ずっと握りこまれていたそれ。とうに使い物にならなくなっていたそれを、掴んだままでいたことが──彼の力の入れようを表してもいようか。

「……剣も、こんなに、なったのに。……いきてて、くれた」

 うつむき加減の少女の青い瞳が、ウィリアムの様子をうかがうように覗き込む。濡れた前髪がぺったりと張り付いて、いささか淑やかならぬ様子を晒していた。黒いローブも黒い髪も濡れそぼち、烏の濡羽色とでも言い表すべき色合い。日中はくくられていたはずの黒髪は下ろされて、濡れたうなじを覆い隠すかのように少女のちいさな背にはべる。濡れて肌に張り付くような布は、あまり心地よいものでもなかろうに、気がそこまで行き届かないかのように放ったらかしだった。

「……あ」

 と。

 クロエの言葉に、ウィリアムはふと自らの手の中にある剣を見る。そして少女の顔を見る。大きく目を見開き、そして己の身体を両の手でまさぐるように触れ──大きく目を見開いた。

「それだ、クロエ!!」

「ひ」

 がばあと勢い良く起き上がったウィリアムが、でかしたと言わんばかりに少女の肩をひっつかむ。意図せず上がるか細い声に、しかし少年は高揚を隠しえない様子だった。

「クロエ、エリオはどうしてる」

「……え、と。……もうすぐ、戻ってくる……と、おもう」

 ならよし、と少年は大いに力強くうなずいて立ち上がった。先ほどまでの死に様は一体何だったのか、と疑われんばかりの様相。ぱちぱちと瞳を瞬かせるクロエは、不思議そうにしてウィリアムに問う。

「……どう、した、の?」

「分かったんだ」

 はてなと小首を傾げる少女。

「魔剣の仕掛けも、打倒のてだても、全部。──出来るなら、すぐ。今すぐに追おう」

 それが一番、相手にとっての慮外だと言い切るウィリアム。それに対するクロエは少年の言葉を吟味し、何度も繰り返し反芻し、冷静に鑑みて、そしてこういった。

 とりあえず休んで、と。

「そういや、あの鐘って」

「……私」

「えっ」

「……この雨だし、たぶん、わざわざ出ないかなって」

「恐ろしい子」

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