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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
37/53

Level36:『怨憎を刃に換えて』

「み──見に行くって、あんた」

「むこうが何をしでかすかはわかんないだろ。この雨だし、火にかけられるってこたあ無いだろうけど」

 ウィリアムはエリオの首根っこを引っ掴み、ずるずると引きずりながら廊下を歩む。そんな少年を引きとめようとするかのようにウルクが声をかけるも、ウィリアムは全く聞く耳を持たない様子であった。ウルクからすればむしろ、ウィリアムなどの方がよほど何をしでかすか分からない──と、そう考えているかもしれないが。

「私は大人しくしておくッスよ。足引っ張るのも宜しくないッスしね──」と、大人しく部屋に残る態度を見せたのはアドナばかりという有様である。そしてクロエは、律儀にも少年の後をついてきていた。

「何とか言ってやってくれ、クロエさん」

「……私にできるのは……怪我人の手当て、くらいのもの、だから」

畜生シット!」

 神職者の下働きとはとても思えぬほどの悪罵を吐き出すウルク。致し方のないことではあった。彼とて生まれ育ちは不毛の大地、生粋の“荒野の国ブライル”の人間──決して上品に生きてきたわけではない。一日二日で、例え自らの役目を自覚したとしても、内面までも変われるはずもなかった。

 口汚い言葉がからっぽの聖堂に反響する。無論、この教会の下働きをつとめるものはウルクだけではない──しかし鐘を鳴らす役割を担う者以外は、大人しく息をひそめているといったところだろうか。ウルクの言葉遣いを咎めるものは無い。

「じゃあ、こうしよう。僕らは勝手に様子を見に行く。それなら、別にウルクさんの責任にはならないだろ。オーケイ?」

「あまり良くない」

 振り返るウィリアムが、真剣そのものの表情でウルクに申し立てる。互いの真顔を突き合わせ、向きあう二人。その時──おもむろにウィリアムの引きずっていた青年が、むくりと起き上がった。彼、エリオは大雑把にその金髪を整え、そして周囲を見回す。それだけでおおむねの状況を把握したのか──もしくはゆめうつつに話を聞いていたのか。彼は開口一番、こう言い放った。

「……そォだな。傍若無人のオレらは止められなかったが代りに監視することにした、ここらへん落とし所にしとこうぜ」

「この雨の中をか」

「僕らだって雨だぜ。あまつさえクロエすら巻き込もうという腹づもりだ。すごいだろ」

「やっぱり、あんたらの方がいくらか悪党に向いてるよ」

「だろうな」

 ウルクは凄絶に頭を抱え、ウィリアムは腰に手を当て大いに威張ってみせた。もちろん、全く褒められてはいない。そして褒められるべき事柄でもない。呆れか諦めか、どちらともつかない──困ったような笑みを、クロエは浮かべる。少女は男に同情するかのごとく、そっと小さな哀れみを紡ぐ。

「……がんばって……」

「ああ……」

 男はどこか、遠い目をしていた。


 雨。ひたすらに強まるばかりの雨脚。それはさながら、止むことを知らぬかのよう。豪雨は視界を遮り、そして声音もかき消してしまう。ゆえに手近な家屋の影から様子をうかがうウィリアムたちには、彼らの言葉は聞こえなかった。彼らの姿形、そしてその尋常ならざる数が見えるばかりだ。武装も戦力も持ち合わせない村一つに差し向けるには、いささかならぬ異様。

 教会からいくばくか歩みを進め、昼間から奇妙にも閑散とした村内の中心を離れ──村はずれの開けた草原に至る。整備された道などとうに離れ、無秩序に緑が生い茂る平地。

 教会の司祭、かの老人は堂々と──たった一人で、彼ら。十数人規模で居並ぶ“屍肉漁りヴァルチャー”と、相対していた。それが己の役目と、そう言わんばかりに。護衛も見張りも、何もなく。使いの者の類すら連れることなく、傘も自らの手にたずさえて。

「すまぬな。雨具の類も用意できなんだ。かような雨の中、ご足労であったろう」

「なあに。気にもしねえよ。元より歓迎される身分でもなんでもねえさ。なあ?」

 老人の、しかし闊達な言葉に──げらげらと、悪辣な笑い混じりの声が返された。一線にも似る、細められた瞳。さながら糸のような目尻には、隠し切れない悪意がありありと見て取れる。くすんだ黒髪は雨に濡れ、一段と全体の陰影シルエットを暗く沈めていた。

 その男が即ち、彼らの代表格にあたる。悪鬼の筆頭であった。腰には一振り、白銀の鞘が煌めいている。いかにも不似合いで、際立って目立つ一点の輝き。

 男の問いかけに、老体は無言で応える。無駄に神経を逆なでするつもりもないが、しかし恐怖に屈して媚びへつらう必要もない──腰一つ曲げずに、彼はその姿勢を示す。ひとつの村の代表、そしてただ一時であれ、村の命を預かるものとして。

 男は、ただでさえ糸のように細い視線をさらに狭めて、その老躯を見据える。「だんまりか、悲しいねえ」などとおどけて肩をすくめ、男は口端をつり上げる。

「ま、今日はお話をしにきただけさあ。ちっとの雨くらい気にしたもんでもねえだろ。神父様よお」

「……例年と、同じだけだ」

「──あ?」

 朗々と、意気揚々と。まるでふざけているかのように語る男に、翁は静かに告げる。話し合いでもなんでもなく、一方的に淡々と。その言葉に男は眉をつり上げるが──司祭は、その様子を意に介する節すらもない。くっきりと皺の浮かぶ相貌に、しかし内面をうかがわせる表情が現れることはなかった。

「私たちから出せる作物は、例年と同じだけだ。さもなくば、冬を越えられない。来る年には、村そのものが消えているだろう」

 重々しく続けられた言葉が示す意味は、明確だった。話し合いの余地など存在するはずもなく、すでに譲歩は限界まで済ませていると。仮にこれ以上を要求するのならば、次に困るのはお前たちだと──そのように、はっきりと彼は突きつけていた。

 一見して、彼の言葉は眼前の男を逆上させかねない危険なものにも思われる。しかし、同じことなのだ。その言葉が不服で要求を釣り上げられたとて、あるいは怒りに任せた“ねこそぎ”の略奪を行われたとして──いずれにせよ、破滅はまぬがれないのだから。

 彼に出来ることは、ひとつ。ただ祈る、そればかりだ。彼らの気が変わらぬことを。彼らが賢明にも、長期的な利益回収を優先してくれることを。

 ゆえに老司祭は、男の言葉に大いに安堵した。意図せずそれが表情に現れかねないほどに。

「ああ、構わねえよ。おめえらが全員死んじまっても、俺たちは大して困らねえが──まあ、得もしねえからな」

 口唇を三日月のかたちに歪め、男は笑む。背後に控える血盟クランの者共の中には、どこか残念そうな気配を漂わせる姿も無いではなかったが、己が頭領たる男に逆らおうという無謀者までは見当たらないようだ。

 彼らは、賢明だった。良くも悪くも。卑劣で、下劣で、なにより躊躇がない。人間というものを差し置いてでも、損得を優先する悪党。それは比類なき悪辣。もし──そうでなければ。

「ただし」

「……何か」

「保証が、ねえよなあ。保証が。確かに俺達の手に届くだろうって、保証がなあ。去年にもいたろう、やたらと抵抗する奴が」

 これほどまでに楽しげな笑みを浮かべることは、出来るはずもないだろう。困惑の色合いが強烈に浮かぶ司祭の表情、その顔色が一瞬にして青く染まる。蒼白といっても差し支えはない、血の気の引き切った相貌。

 なにも“屍肉漁りヴァルチャー”の男とて、村全体が一丸となっての抵抗、といった類の事態を危惧しているはずはない。それはあまりにも危険が大きすぎる選択肢だ。そもそも彼らは、過去の抵抗者を見せしめに殺害しているのだから──恐怖は、身に染み付いているに相違ない。

 ならばなぜ唐突に、男は“保証”などという言葉を持ちだしたのか。──瞬間、老人の脳裏を嫌な予感が走り抜ける。最悪の予想を知らしめる老練な直感が、全くの見当はずれであることを、他の誰より老いた司祭自身が願った。

「引き換え手形でも貰っていこうと思ってよお。人質なんてどうだ、なにせこちとら女がすくねえんだ。──なあ?」

 願いは、叶わず。

 悪意は想像通りの形のままで、満面の笑みを浮かべていた。


 そんな現場に、じりじりと迫る一行が存在していた。言うまでもなく、ウィリアムらである。雨ざらしにされても一向にめげることなく、彼らのやり取りを把握せしめんと慎重に四人が距離を詰めていく。四人のうちの一人であるウルクは、あくまでも三人の監視という名目を負ってこの場にいるのだが──すでに一員となってしまっているといっても過言ではない。やはり彼とて、自らを受け入れてくれた司祭の身が気にかからないはずも無かったのだ。

「んー……僕はだめだな。なにか聞こえるか」

「全然だめだァな。余計な音が多すぎらァ」

 エリオは億劫そうに肩をすくめた。聴力は常人を優に超えるものを持っているこの男も、しかし雨中という状況に放り込まれてはその能力を生かせないようだ。ウルクは無言のままにそっと首を横に振る。

 その最中、クロエがじっと目を閉じて耳を澄ませ──そして、意識を研ぎ澄ましていた。それは聴力ではない。尋常を遥かに凌駕する集中力。可能な限り不要な要素を排除し、必要とされる一所ひとところに全ての力をそそぎこむ。それは魔術師のクロエにとって、何のことはない最たる得手であった。

「……人質を、とる……とか。言ってる……みたい」

 雨降りしきる中、少女はしかと聞き分ける。周りに告げる言葉そのものも、決して自信なさげなそれではない。一筋の汗を、幾筋もの雫を伝わせながら──確信をもって、クロエは言い切る。

 でかしたとウィリアムが呟き、そして神妙に瞳を細めた。

「人質……か。しかし、司祭さんがどう出るか、僕らにゃわからないな」

「……遮った方がいいんじゃないか。今なら割り込んで、止められると思う」

「邪魔してどォすんだよ。全員殴り倒すにはちィと無理があるぜ──あの人数に、この開けた場所じゃ、不意も撃てねェぜ」

「何でも連れてきゃいい、大人しく帰ってくれるならがら空きの背中を追撃してやれる。その時に人質が回収できるか、どうか……だけど」

「……むこうは、私たちを、知らない……から。人質が有効、とは、かんがえないと……おもう」

 各々に言葉を交わし、当面の方針は“今はあえて見逃すが、後で追いかけて張り倒す”──というところに落ち着く。幸いの雨降りだ、相手方の道程も遅れざるを得まい、その背中を撃ってやれば良いという現実的な方策も相まってのことだ。人質の役を負わされる者は不幸だが、必要な犠牲ゆえにやむを得ない──出来得る限り何らかの危害を加えられる前に救出することを目指すということで、四人の意見は一致した。

 だからこれは、完全な予想外イレギュラーの事態だった。そしてこの時点で、想定外のことが起こっていると、察することは出来なかった。ただウルクが、尋常ならざる視線を不意に──司祭と、男たちの向きあう場へと向けた。

「なんだどォした。親の仇見るような目ェしてんぜ」

「……いや。そうじゃない。そうじゃないんだ」

 ひとりの娘が、ゆらりとさながら幽霊ゴーストのように雨の中を漂っていた。揺らめくように覚束ない歩みが、老司祭の元へと向かい進められていく。

「……貧乏くじ、って訳じゃ無さそうだァな。話が早すぎる」

 エリオとてその姿には、訝しげな視線を向けざるを得なかった。あまりにも、“屍肉漁りヴァルチャー”の者共とは全く異なる方向に怪しいのだ。いわば不審。鳴り響いた鐘によって危険を知らされているにも関わらず、外をうろついている時点でもまず問題なのだが──それに留まらず、娘は傘すらもさしていなかった。向こう側が透けて見えそうな蒼穹色の髪を濡れっぱなしにして、娘は歩む。

「……あの人も。……見ていたの、かな」

 私たちと、同じように。

 ぽつりと零れるクロエの呟きに、ウィリアムが難しそうな顔をして唸り声を上げる。

「……何のために、だろうな。まさか、こういう話になるのを予想してたわけじゃないだろうし」

 ふと見やれば、当の老司祭も驚愕の表情を浮かべていた。彼にとっても、彼女の存在は予想外のようだった。そして────彼女を見守るウルクは、その娘のことを知っている。

 イレーヌ。

 ウルクにそう名乗った、村の魔術師の娘に、間違いはなかった。


「……イレーヌ。どうして。鐘の音は届いたはずだろう。ここにいては、いけない」

「申し訳、ありません」

 雨音に負けず劣らず、透き通るような清音。短く切られた青髪が、濡れて額にぺったりと張り付いてしまっている。それでも娘は動揺一つ、感情一つ示さず──悪鬼の群れへと向き直った。

 静かに、視線を上げる。言葉も無く見据える。今ここに、彼女がのこのこと現れたわけ。それは傍から見れば、一目瞭然だった。その内面を推し量る必要さえなく、見るものは得心が行くだろう。そう、少なくとも“屍肉漁りヴァルチャー”の頭は、それを理解したかに見えた。

「──殊勝なこったなあ。わざわざ若い身の上が身体張ってくれるってえわけだ。泣ける話だぜ、なあ?」

 心にもなく、心ない言葉を平然と。いけしゃあしゃあと男は吐き出してみせる。そして彼は、背後に位置する配下たちへと振り返った。揚々として、男は彼らに向かって告げる。

「ま、とりあえず捕まえとけよ。別に、後でなら、好きにしちまっても構わねえ」

 げらげらと、笑う。悪辣ですらなく、下劣に。向かい合う少女は、表情ひとつ変えない。老司祭の顔色は青いまま、少女を引き止めんとするかのように、手を伸ばした。

「──イレーヌ!」

「貴方が。気にかけないでください。司祭様。これは。望んですることです」

 老身を振り返らずに、空っぽの手をひらひらと揺らし、少女は歩を進める。ただ静かに、濡れるがままに。

「……すまぬ」

 立場の上。老司祭は、許容せざるをえない。大多数を生かすための、少数の犠牲を。彼女が“望んですること”を、死力をもって留めるという行動を──選ぶことが、出来ないのだ。

 少女の行く先、悪辣な笑みを浮かべた男がいる。男の眼前、イレーヌはぴたりとその脚を止めた。少女は、ゆっくりと視線をかかげる。

「ほ。そこそこお可愛い顔してんじゃあねえの。なあ?」

 暗がりの雨の中、男が覗き込むように間近、イレーヌの相貌を見つめた。碧眼の視線が、男を見据える。品評するかのような品性のうかがえない言葉に、背の男たちがにわかに沸いた。

 イレーヌは言葉なく、そおと右手を後ろに引く。

 そして真っ直ぐに、その手を男へと向けて突き出した。

 その小さな手の中には──雨雫で、形作られた、刃が、あった。

「ああ?」

 ぞぶり、と。矛先の刃が、男の腹を抉る──よりも、早く。何気なく伸ばされたかのような男の腕が、少女の手首を掴み上げる。握り、そして、呆気無く捻る。ローブの袖に包まれた細腕が、ぎちりと悲鳴じみたきしみを上げた。

「──い、ぎ……ッ」

「──オイタは、いけねえなあ。どうすっかなあ。扱いが手酷くなるかもなあ」

「……オマエ。を。殺せるなら。いい。それで。──いいッ!!」

 感情の色そのものがうかがえなかった相貌に、イレーヌは浮かべる。激情を。憤怒を。──殺意を、溢れでんばかりに滲ませて。怒気に涼しい表情を歪ませて、少女は掴みあげられた右手を突き出す。すでにぴくりとも動かすこと適わぬ、凶器を握りこんだ腕を。吐き出す声は、怨嗟に満ち満ちていた。

「……な、に」

 その豹変に、老司祭の思考さえも、停滞させる。その刹那の空白を、シャリン──という冷たい金属音が切り裂いた。

 男の刃が、雨に濡れながらも緩やかに掲げられる。

「ま、仕置きはここでやっとくか。いらねえだろ。──その腕」

 ただ平坦に、情感を見せぬまま悪辣さを吐き出していた男の瞳に──はじめて。この時、感情と呼び得る光が、狭められた細い瞳から溢れ出していた。まがうことない。それは凶気以外のなにものでもなかった。

 ひゅん、と。風の音を引き連れた一閃が振り下ろされ──


 何のことはない。彼が真っ先に動き出せたことには、理由があった。まずもって、彼は最も少女へと意識を向けていた。加えて、彼には予備情報の持ち合わせがあった。昨夜に彼女が零した言葉のことを、彼だけは知っていた。そして最後に──彼らのことを、知っていた。その躊躇いのなさを。女子供もへったくれもなく、彼らは躊躇なく刃を振り落とすということを。

 これらはすべて、前提条件。前提に過ぎない。だから、果たしてなにが彼の背を後押ししたのか。それは誰にも分からない。彼は──ウルクは、一直線に走り出した。後先のことなど何も考えず。恐るるべき頭領に自らの姿を晒すことも、そして自らが裏切り者の身であることも、ことごとく彼の頭の中からは吹き飛んでいた。

 雨水を吸い込んだ土を踏み締め、地を蹴り飛ばし、空を翔るがごとく猪突猛進。眼前。今にも刃は、落とされんとしていた。

「──ッおおおおおおおおああああああッ!!!」

 訳の分からぬ叫びを上げ、駆け抜ける。少女の矮躯を巻き添えに、引き連れて、ぶち当たりながら引きずり倒すかのように、減速など微塵も考えずに──横からその身を、掻っ攫っていく。

 瞬間、ウルクは熱を感じた。血流のほとばしる熱さだ。振るわれた刃が、彼の背を深々と切り裂いた傷に間違いあるまい。しかし、歯牙にもかけない。「ひ」と零れるか細い鳴き声は、腕の中に感じられる体温の持ち主が上げたものか。己が身を盾とするように娘の身を包み込んだまま──全ての思慮を投げ捨てた、全力の疾走。その結果。必然のごとく地を滑り、派手に身体を土と擦り合わせながら、転がる。

「──チ」

 吐き捨てるような、男の声。それは予測していたものと全く異なる手応えであるがゆえか。あるいは今の一瞬で、己の正体が裏切り者の類であると露見したか。最早知ったことかとウルクは半ば投げやりに、伏した。ズタボロになった身体をぐったりと草原に投げ出しながら、力を入れっぱなしだった腕を放り出す。──幸いなことに。

 傷ひとつなくとは言えないが、腕の中にいたイレーヌは無事そのものだった。

「う──ウルクさん」

「……ぶ、無事、でしたか」

「なにを。──なにを。してくれて!」

 助けた少女にかけられた言葉は、慕情ではなく感謝ですらない、憤怒であった。静かな怒りが、しかし明確に感じられる声であった。

「……俺か!?」

「私は。父上の。仇、をッ!」

 憎悪を吐き出すようにイレーヌは呟きながら、今にも身体を起こさんとしている。いざとなれば、彼女は這ってでも刃をあの男へと突き付けるだろう──そう思わせんばかりの勢いだった。その様子を必死に留めながら、ウルクは理解した。そして同時に、安堵する。

 彼女の静けさは、涼やかさは、無表情の仮面は。彼女の抱え込んだ濁流じみた感情を抑えこむ術に、過ぎなかったのだと。

 ──否。安心している場合じゃない。まだ危機が去ったわけではないのだ。

 そう思考を巡らせ、向き直る。奇しくも少女と向ける視線の先は同一。本当ならば、遅すぎるタイミングだった。とっくのとうに、二度目の刃が振り下ろされていてもおかしくはない。

 だが。

 別個の介入が存在すれば、話は全く別になる。

 ────ひうん、と風を切り裂いてそれは飛来する。雨粒の暗幕を乗り越えてなお強健。驚嘆すべきはその弓の引き手。エリオのものに相違ない矢の一閃が幾度と無く、“屍肉漁りヴァルチャー”への襲撃を重ねていた。

「……おぬしに助けられたよ。ウルクくん。私には、救えなかった。……全く、老いとは」

「司祭殿」

 男たちの眼前から身を引いた老司祭が、傷ついたウルクの傍らに寄り添う。少しは、信頼に足るというところを示すことが出来ただろうか。あるいはそんな打算的な考えも、ウルクの頭の片隅には存在していたのかもしれない。

 不意にウルクはイレーヌの様子を見やる。と、依然として憤懣遣る方無いといった視線が“屍肉漁りヴァルチャー”の者共へと向けられていた。けれども、起き上がろうとする様子はすでに見られない。──冷静に、悟ったのかもしれない。理解したくないことを、理解してしまったのかもしれない。一度試行してしまったがゆえに、その刃はもう届き得ないと。

 果たして群勢の誰かが一矢に穿たれてか、雨粒にまぎれ、吹き上がる紅の噴水。悲鳴。未知の敵への恐怖。そして混乱が蔓延したかのように、男たちが浮き足立った様子を垣間見せる。──まさにその間隙を打つかのように、絶妙。悪辣極まりないといっても過言ではない狙いをもって、背後からの一閃が斬り込んでくる。

「全く、作戦もなにも、あったもんじゃない……ッ!」

 くそったれとはき捨てながら、振るわれる少年の刃が、何者かを一刀に切り伏せせしめた。

 彼──ウィリアムとウルクの視線が重なる、その一瞬。濡れそぼつ灰髪をくしゃくしゃと掻きむしって、暗い瞳をした少年は軽やかな笑みを見せた。人助けとはいえ、ウルクの勝手な行動が現在のご破算を引き起こしたには違いない。だが、それでも。

 大した力も持たない少年は、しかし意地を張って──言い切る。

「後は、任せろッ!」

 あるいはその言葉は──イレーヌにも、向けられていたのかもしれなかった。

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