Level35:『渦巻く疑惑と嵐の予兆』
「断る」
ブロンドの美女。フィアーノ。その巨躯に対して見上げる視線を掲げるウィリアムは、真っ向からその姿を見据えて言い放った。女神の眉がぴくりと動き、その口端はどこか楽しげに釣り上がる。
「と、僕らが仮にそう言ったら、どうする」
元よりくだんの賊、“屍肉漁り”には、大いに関わるつもりでいた。だが、他者の指示で──それも命を張ることまで強いられるのならば、話は少々異なってくる。いざという時の退路が存在するか否かは、冒険者にとっての命綱だ。何も背負わず気負わず縛られず、ひたすらに身軽であるということが即ち、彼らの持つ数少ない利なのだから。
「そうだねえ。まあ、ぼくには大した力の持ち合わせはないんだけどね」
胸の前で小さく腕を組み、フィアーノは小首をかしげる。束ねられていない豊かな金髪が、ゆらりゆらりと波打つように揺らめいた。いかにもとぼけた仕草。しかしその言葉とて、ウィリアムらをさして安心させるには至らない。彼女自身の自己申告であり、そして彼女の持つ基準は人のそれではなく──“神”としてのものさしだろう。
ただの人間が数人程度なら、ひとひねりに出来ても何らおかしなことはない。訝しげな視線を向ける少年に向かい、フィアーノは言葉を続ける。
「ただし。ぼくには求心力ってえのがある。少なくともこの地に限ってはね。例えばそうだなあ────きみたちが賊の一員だからとっちめろ、とでも伝えたら」
「全員が全員、そいつを信じてくれっかよ。だいたい、どーしょーもねェ手間がかかんだろ」
脇から口を挟むエリオに、しかし彼女の表情は涼しく、声は朗らかだ。
「司祭の子が信じてくれれば、それでいいのさ。ぼくの言葉は彼に伝わり、そして彼の言葉はぼくの言葉となる。それが神と人を取り持つ“司祭”の仕事。たまには働いてもらわなくちゃ、ねえ」
かたらわ、難しそうな顔をして話を聞いていたアドナが顔を上げる。そばかすの目立つ相貌、その顔色はほのかに青い。無理のないことだ。ほとんど巻き込まれた形であり、そしてそれ以上に──彼女は荒事は苦手なのだ。
「……たぶん、ハッタリじゃあないッスよ。やろうと思えば。こういうちっちゃい村こそ、身近なものに宿る神──って考え方は少なくないッス」
渡りの旅商人であるからこその言葉か。アドナはそう言って、再び口を閉ざす。おそらく、この場は静観というスタンスを貫くという意思表示か。
その言葉を聞いてウィリアムは大きくため息を吐き、ぐるりと部屋にいる皆の様子を見渡す。背に腹は代えられぬといった表情のエリオ。半ば諦観のアドナ。そして──
「……ウィル……まかせ、る」
「選択を?」
「……命を」
話半ば。思考も明瞭とせず、事態を掴みかねているであろうクロエは、あっさりとそう口にして頷く。ウィリアムは自身の灰髪をがしがしと掻きむしり、考えあぐねた末に──面と向かった。にやりといかにも人の悪い笑みを浮かべるフィアーノに。
「わかった。受ける──代りに、条件をひとつ提示する」
「へえ」
この期に及んで駆け引きをうつかと、彼女は愉快気に視線を細めた。
「無料じゃ請け負いかねる。見返りが無いとな」
「うーん。といっても、ぼくから大したものは出せないけどねえ──あ、ぼくの身体とかどうだい、なかなか悪くないじょうけ」
「いや、そういうのはいいんで」
「ああ!? なにか不満でも!?」
ノーセンキュー、とでも言わんばかりにウィリアムは手のひらを突き出す。全くもって不敬極まりないやり取りだが、少年からすれば知ったことではない。ウィリアムにとってフィアーノは、この土地における神であり──彼女自身がウィリアムら一行を流れ者として扱う以上、信仰や敬意を示さなければならない道理は無いのだ。
一方でエリオは、頭のてっぺんから足の爪先まで詳らかにフィアーノの姿を観察する。穴が空くのではないかというほど熱心に見据え、そしてそっと視線を伏せた。
「うん?」
「いや、別にいいわ。ウィル、本題行っとけよ本題」
「喧嘩売ってるのかなあ!? きみらは!?」
「すいませんほんとスイマセンッス」
アドナがひとり、平身低頭のしきりである。貧乏くじを引きっぱなしの少女。成り行きを見守るクロエの笑みも、そこはかとなく苦い。思わずその頬には冷や汗も流れるというものである。まっくこいつらどうしてくれようかという不穏な視線を投げかけるフィアーノ──ウィリアムはおもむろにごほんと咳払いして、彼女に向かう。即ち本題。
「僕らが賊を排除できたら、司祭殿に伝えてもらいたい。此度の功績をもって領主に働きかけてもらいたい、と」
「──ふうむ」
引き結んだ唇に人差し指をあてがって、フィアーノは思案するような声を漏らす。緊張の色を湛えたウィリアム、その少年の姿を値踏みするように見つめながら──柔和に微笑むかのように、瞳を細めた。
「いーよ。そんなのなら。大したことじゃあないし、ねえ」
至極あっさりと。彼女はそういって、やおら立ち上がった。無造作に壁際へと歩み寄り、その窓を開く。日はすでになく、天は月。夜空のもとに広がる世界は暗闇。とても外をうろつき回るような刻限ではないが、彼女はどうということもなく窓から身を乗り出した。──まるで空き巣が出ていくかのようだ、とはさすがに誰も言えなかった。
「じゃあね。ぼくはまた来るよ」
「ちょ、まった、例えばどうやって無力化するとかそういう」
「まかせる!」
そう言い切って彼女は、大きいながらも繊細な白い手のひらをひらりひらりと振って、その姿を夜に溶け込ませた。もっとも非常に目立つ彼女のことだ、いつどこで誰かの目についたとして、決しておかしくはないのだが。
────この段に至り、ウィリアムはようやく重い肩を落とした。アドナが疲れきったような息を吐く。莫大な緊張感が過ぎ去った後に訪れる虚脱に、魂か気力かが抜け落ちたかのごとくぐったりと身を倒れさせるという有様だ。
「安うけあいしちまったなァ。……まあ、この場合はしょうがねェか」
エリオはどっしりとベッドに腰を落として、いかにもくたびれた風に天を仰ぐ。やむをえない。だからこそ、現在のように死にかけているような暇はあまり無いと言えるのだが。
「私なんか、なーんも出来ねんスけどね……」
「頭脳くらいは貸してくれ。なんにせよ、まとめなきゃならん」
「……攻略の、算段……?」
「ああ」
ウィリアムは己の身体にむち打ち、引きずるかのように三者へと視線を投げる。「……話は速ェほうがいいか」億劫げながらも、しかしエリオはそう言って首肯。
「……そういえば。ウルクさんはいいんスか?」
「ああ。僕はどっちでもいいと思う。荒事は向かないだろうし、第一」
──この地に生きることを望む人だから、と。そのことを鑑みれば、ウルクという人間を此度の事態に巻き込むにあたっては、いささか不適切である。かの女神は、ウィリアムたちを生粋の余所者、流れ者、旅人であると認知してこそ斯様な提案──あるいは厄介事──を持ち込んできたのだから。
すでに彼から得られる情報は得た。ならばこれ以上、引きこむ理由はさしてない。そう結論づけての、ウィリアムの言葉だった。
そうして彼ら四人は、作戦会議を行うことと相成った。まずは彼らの持ち得る情報全てを互いに開示し合って、現状を確認する。
今回、ウィリアムたちがなすべきは、くだんの賊が拠点とする地の攻略。中核さえ瓦解させてしまえば、有象無象の輩が各地に散らばるというデメリットを換算しても、事実上の崩壊を招くことは可能だろう。この場合に重要なことは、加えて頭級を討ち取ること。再度人員をまとめ上げられてはイタチごっこになる。必要とされるは──殲滅。
拠点の地形は、ウルクからの情報によれば左右を切り立った崖とする山道。その最奥を洞穴とする、一見すれば逃げ道不在の危険地帯。追い込むことは容易に思われるが、しかし反面、襲撃者を迎え撃つことも容易であると考えられる。それが至極当然、むしろその点を鑑みてこその位置取りだろう。崖上に見張り台が置かれ、遥か上空から射かけられるとするならば──ひとたまりもない。
ゆえに、守衛勢力の排除は必須事項。そして、これ以上の情報がウルクから得られることはないだろう。彼は“屍肉漁り”という組織の中で、一介の下っ端だ。人一人をその手にかけているかも怪しいほどの。
「──となると、そいつはオレの仕事になりそうだァな」
「ああ。出来るだけ隠密に済ませられたら、なお良し」
事前に襲撃を察知さえされなければ、奇襲を成立させやすい。そして、エリオが弓の使い手であるということも利点のひとつだ。彼ならば高所という地の利を、そのまま生かし得る。剣一筋のウィリアムであればこうは行かないだろう。
次に、本陣への切り込み。高所からの妨害を断ったとて、これは最低条件──即ち下準備の段階に過ぎない。真っ直ぐな山道、ならば見張りを置かない道理はない。相手は中規模から大規模に相当するであろう人員を誇るクランなのだ。例え何刻であろうとも、交代制を敷くことで見張りを一日中機能させることは、さして難しいことではないだろう。
「僕とクロエの二人だけなら、真っ向から行ってもどうにもならない。数に潰される──そうならないように、奇襲を成功させることが絶対条件だ」
「……見張りの口を、塞がなきゃ、だめ……か、な」
「そういうこと」
これはどうにでもなる、穴倉にいる奴は火にかけてあぶり出してやればいい。──と、ウィリアムは結んで息を吐く。もちろん、全てが全て上手くいくとは限らないし、予想外の要素も存在しているに決まっている。しかし現状の把握から立てられる作戦ならば、この程度が限界といったところだろう。後はどれだけ細部を詰められるか、必要になるものは何か、予想外の事態に対応できるか──純粋に、力は足るか。
と。
不意に、沈黙を保っていたアドナが、思案げに顔を上げた。赤毛の三つ編みがゆらりと宙に揺らぐ。
「ちょっと気になったことがあるんス」
「というと」
「今の話には、あんまり関係ないんッスけどね──」
彼女がこれまで黙していたのは、話の流れを断ち切るまい、遮るまいとしていたがためかと少年は思っていたのだが──どうやら、そうとは限らないらしい。その証左。
「領主様の騎士が出払ってる、って言ってたじゃないスか」
「司祭の言によれば、だけどね」
「不自然ッスよ。……いや、単に国の命ってなら納得行ったんスけど」
ふむ、とウィリアムは首をひねる。話を掴みかねる、といった様な仕草だ。クロエがぱちぱちと瞳を瞬かせ、そしてぽつりと言葉を零す。
「……人を、多く、募ってる……とこ?」
「そうッス。そこが変……というか、違うッス。密命の類じゃないんスよね。大々的に人を募って有象無象の冒険者を利用してでも、ひとつの迷宮を掘り返そうとしてる」
なにか。
彼女らの言葉になにか、違和感のようなものがウィリアムの中に積み重なっていく。靄がかったようなそれは、いまだはっきりとした形を持ってはいなかった。
「まず、そいつァ確かなことなんかね」
「騎士様が出払ってる──てのは、村の人からも聞いたんスよね。なんでかまでは伝わってなかったみたいッスけど」
商い事のひとつやふたつでもまとめてきたのかどうか、それは定かではないが──アドナがじかに言葉を交わした結果であるならば、それは間違いのないことだろう。
「おかしくないッスか。大々的に冒険者を募っておいて、一地方の騎士を使うことに固執する理由なんかないッスよ」
──ウィリアムの脳裏に浮かぶ思考、その輪郭が見えた。
固執する理由。地方での厄介事を収められないという明らかな弊害をもたらしながらも、領地の騎士を遠方に置いておく理由。真っ当な筋道を立てて考えれば、この地の領主は騎士を引き戻そうという申請を行なっているに相違ない。そして、それが何らかの理由で国から拒まれているのだと。ウィリアムはそう考えていた。──だが、肝心なその理由が、見当たらない。
「ひとつの国が一個の迷宮に手間取る、なんて一種の醜聞スけど。この国はもう、そんなの気にしちゃいないんスよ。とっくになりふりかまってない」
「なりふり構ってない、からこそ……っていうのは、考えにくいか」
「国の騎士で事態の収拾をはかろうとして、どうにもならなかった──っていう過程があるはずッスからね」
そこはあくまで私の推測スけど、とアドナは肩をすくめる。
「……協力体制、つくってるとは、考えにくい……し、なあ……」
「むしろ功名心が邪魔になってんだろォよ。協力どころか落とし合いしてる可能性もあらァ」
ひひと笑い飛ばすように軽い調子でエリオはうそぶく。まるでその目で見てきたかのような物言いであった。
「……こりゃあ、うん。覚えといたほうがよさそうだ。ありがとう、アドナさん」
「や、まあ、それより気にすべきことがあるッスから、ついでくらいでいいと思うんスけどね」
そう言い繕うアドナの口ぶりは、さながら照れ隠しじみていた。
──結局のところ。
男二人(アドナとクロエは中途離脱)は無い知恵を絞って夜通しに粘ったが、それらしい結論は影も形も見当たらなかったのであった。
冒険者の目覚めは、無茶苦茶である。無秩序と言い換えても良い。夜は恐ろしい。夜の彷徨など真っ当な人間のすることではない。その程度の常識ならば存在するが、しかし彼らにとって、時間の概念は絶対のものではない。
平たく言うならば、朝かと思ったら昼だった。
「……うう、ん……」
ずるりとクロエはベッドの上で、己の身体を引きずるように身を起こす。ぐしぐしと瞼を擦り、採光のためガラス張りとなった窓から外を覗き見やる。暗い。夜とは言わずとも、朝と見紛ったとしてもおかしくないほどには、暗かった。曇り空。しとしとと降りしきる雫。──雨。
「あ、クロエさん。おはようッス。もう昼ッスけどね」
寝起きのクロエにかけられる声。アドナのそれだった。彼女の言葉がなければ、現在が昼であると気づくことは適わなかっただろう。
「……ん。おはよ……」
クロエはうつむき加減に言葉を返す。町の薬師としてそれなりに規則正しく生活していたクロエにとって、多大なる寝坊は割合恥ずべきことだという意識がある。慌てたようにきょろきょろと視線を見渡せば、なぜか寝床にさえつかず、雑魚寝のように床でくたばっているウィリアムとエリオの姿があった。──死屍累々。
「……な、なにゆえに……」
「ずっと話し込んでたみたいッスよ。無茶するスねえ」
からからとおかしげに笑うアドナ。こんな雨模様のことだ。おそらく彼女もすることがなく、この部屋にとどまる他なかったのだろう。雨降りそそぐ外の様子を見ては「そういえば、ウルクさんはちゃんと泊まってたんスかね──」などと、何の気なしにつぶやいている。
──その時。
ごうん、ごうん──と、けたたましく。地を揺るがし、天まで届けとばかり、高らかに。鐘の音が、村全体に鳴り響いた。
その響きは、刻限を知らせるための、日常のそれではない。延々と、まるで鳴り止むことを知らぬかのように響き続ける冷厳の音色。
その響きにか、あるいは大気の揺らぎにか。クロエはびくりと小さな身体を慄かせる。
「な……何事ッスか」
目を白黒とさせるアドナ。その問いに答えるものはなく──更なる二の矢。突如、ばたんと扉が勢い良く開かれた。ノックも何もあったものではない。壁に叩きつけられんばかりの戸がふらふらと揺らぎ、そしてその向こう側。噂をすれば影がさすとは良くいったもの──ウルクの姿が、そこにあった。
「……う、ウルク、さん」
ぱちぱち、と瞼を瞬かせるクロエ。その声は、にわかに震えていた。火傷の傷痕が色濃いウルクの凶相が、しかも尋常ならざる表情を浮かべていたことも相まってか。その面持ちの強張りは、いやがおうにも見るものを焦燥に駆り立てさせた。
「……この昼間っから、賊がきたらしい。もう一度鐘がなるまでは、じっとしていてほしい、と。司祭殿の仰せだ。あの人が、話し合いに立っている」
重々しく言葉を吐くウルク。その雰囲気に流されて、思わずクロエが頷きかける。──だが、気がかりは別のところにあった。否。すでにそこにいた。
むくり、と身を起こして。先刻の鐘の音、その盛大さだ。よもや目が覚めぬはずもない。
「……おいおい」
ウィリアム。
寝息を立てていた少年が、そのくせ意気揚々として、おもむろに剣を手にして立ち上がる。
──やっぱり、とクロエは思った。それは諦観か。あるいは──予見していたこと、だったのかもしれない。彼という人間は、やはりそう来るかと。知らず知らずのうち、口端におかしげな笑みすらほころんでしまいそうになる。
「行こうぜ。なにができるかはわかんないけど、とりあえず成り行きくらいは見守らないとな」
床にくたばっているエリオをたたき起こしながら、ニィとウィリアムは悪辣な笑みを浮かべた。