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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
35/53

Level34:『紅月に蠢く悪意』

「……迷宮」

「然り。……詳しい情報は私の耳に入らぬが」

 ウィリアムの呟きに、重々しく老司祭は首肯する。

 迷宮。すなわち、魔物の巣窟。それも、国家をあげて攻略にかからなければならないほどの、大規模。ウィリアムにしてもクロエにしても、常人の発想ではとてもではないが、及びもつかない領域の話だ。常軌を──逸している。クロエは少年の様子をうかがうように、ちらりと視線を向け──無論とでも言うかのように、ウィリアムは彼女を見やり、頷き返した。ぜひとも自らの足で赴かねばなるまい。それは富を求める者ならば、当然の思考であった。

 とはいえども現状とは切り離して考えるべきことだろう。ウィリアムは緩々と首を横に振り、有難いと会釈する。現状の把握としては、ここまでで得られた情報ですでに十二分という判断であろう。親切にも食事の誘いを持ちかけてくれた老司祭の言葉は丁重に辞し、ひとたび部屋で体を休めることにした。

 ──というのも、時はすでに夕刻を通り過ぎていたからだった。日はかたむき、陰る光。雲間より覗く空は赤く染まり、さながら緋天。そう遠くなく響き渡る鐘塔の鐘の音が、夜の訪れを村内のことごとくへと知らせていた。

 先夜は満足に睡眠時間を確保することも出来なかったためか、疲労もいちじるしい。肉体をひきずり鞭打つことが仕事であるウィリアムならばまだしも、クロエは──ということは、今更くどくどと繰り返す必要もないだろう。

 幸いにして一行へと宛てがわれた一室は、休息をとるに一切の問題が存在しない代物であった。掃除は欠かしていないのだろう、埃がつもっているといった様子は見られない──質素ではあるが、清潔感の保たれた部屋であった。元より客室としてしつらえられた部屋なのか、これといって目に留まる家具の類は存在していない。が、簡易なベッドが四つと並んでいるため不足は無いと言えよう。

 部屋に踏み入り、そしてその様子を丹念に見渡したクロエは──ほう、と感嘆したような息を吐いた。やおら今後の方針について切りだそうとしていたウィリアムは、不意の少女の仕草に何事ぞと視線をそそぐ。それに応じてかクロエは、ちいさく唇を開いた。

「……ウィル」

「うん」

「……ベッドがあるって、ありがたいこと、なんだね……」

「ああ……」

 これ以上は無いというほどに切実な、少女の言葉だった。──かの城塞都市を離れてからの数日、野宿続きの日々。屋根があるところで眠ることに慣れていたクロエには、ひどく堪えよう。ぐったりとその矮躯を寝床に沈みこませる有様は、そこはかとなしに微笑ましいものがある光景と言えた。靴を脱ぎ捨て、無防備に小さな素足を晒す姿を見やりながら、ウィリアムは空いたベッドに腰を落ち着け、方策を巡らす。今、己の達成したいことはなにか。そして、そのためになすべきことはなにか──まずはその取っ掛かりを、考える。

 ウィリアムはおもむろに視線をかかげ、「クロエ」と呼びかける。一人であれこれと無い知恵をひねるよりは、話し合ったほうがいくらか有意義であろうと。

 しかし、返事はなかった。

 ──数瞬、沈黙と空白の間。ウィリアムは立ち上がり、向かいのベッドの傍らに歩みよる。かつり、こつりと足音ひとつ。視線を落として見下ろせば、ぐったりと倒れ伏す少女の姿が見られた。

 というか、くたばっていた。

「あー……まあ、いいか」

 がしがしと灰髪を掻きむしり、そのまま背を向ける──間際。がばあっ、と急いたように勢い良くクロエが身を跳ね起こした。ぱちぱちと瞼をしばたかせ、ぐしぐしと目元をこする。背を向けたところのウィリアムが顔ばかりを向き直れば、そんな様子をさらす少女と視線がかち合った。数秒の間、重なる視線。

「……お、おきてる……よ?」

「寝てたろう」

「うん……」

 神妙な表情で頷きを返すクロエ。申し訳なさげにかくりと頭を落とす姿に、ウィリアムは小さく、照れ隠しのように肩をすくめて見せる。

「まあ、みんなが戻ってきてから話せばいいんだ。休んでて良いよ──荷物とかは僕が見とく」

 アドナなんかはともかく、エリオに至ってはその所在すら不明瞭という有様である。というか、戻ってくるのだろうか。日も沈み暗闇が満ちれば帰ってくるであろうと考えるのが極々自然だが──ということを考えれば、今の時間を自由なものとしても、別段に不都合はあるまい。

「……ん……あり、がと」

 そう言って、後ろ髪を一つ結びにしていた紐をほどき、傍らに。灯りを消す間も要さず、程なくして穏やかな寝息立つ室内。ウィリアム少年としては穏やかならぬことこの上ないがそれはともかくとして、果たして自らの思考を意識的にそらすためか、あるいはまとめるべき事項は整理しておくことが先決との判断か。ウィリアムは頭の中の羊皮紙に、特筆すべき事柄を書き出し、連ねていく。

 ──賊の存在。これは定期的に村から収穫、その一部を簒奪する、れっきとしたならず者である。そしてこの破落戸は、結果的な話でありながらも、危険な魔物をある程度は遠ざける効果を有している。闇雲に払いのけるばかりでは禍根が残る可能性がある。そして、本来その役割を果たすべき領内の騎士たちは、動ける状態にない。加えて武力を持っていないため、賊に対する抑止の存在も無い。反逆した例は過去にあるが、その者は殺され、畑を焼かれてしまった。

 ここまで考えて、薄々と感づくことがある。──いささか、相手にとって都合が良すぎないか。もはやこれは、偶然で済まされる範疇をはるかに超えているのではないか。何らかの作為を、ウィリアムは感じざるを得ない──と、不意に。

 こんこん、と扉をノックする音が響いた。思考の淵から意識を引き上げられ、ウィリアムは顔を上げる。立ち上がろうとした刹那、その手はこちらの返答を待たずに戸を開き、その身を室内へと踏み入れた。

「よォ。話済んだみてェね」

 どうということはなく、それはエリオの姿であった。彼をあわせて、三人。「只今戻ったッス」と小さく手を上げる娘の姿はアドナ。その表情はこころもち明るい。何か良いことでもあったのかと問い掛けた時──ウィリアムは、目を見開いた。

 三人目。

 視界に入る前、ウルクという男の姿かと思われたそれは、しかし全くそんなことはなく、ウィリアムにとって未知の女性であった。それも、大層な大女であった。巨女と称してすでに差し支えはあるまい。

「ど──どなたさまだそこの人はエリオ。驚きのあまりに歯茎から何かがこぼれかけたぞ」

「この土地の神さまだってよ」

「めちゃくちゃ人じゃねえか! どこが神さまだよ!」

 アーアー聞こえないというかもう説明が面倒くせェ、という顔をしてエリオはその耳を塞いだ。青年のかたわら、アドナが言葉なく苦笑いを浮かべている。おそらくはウィリアムと似たような反応を示してしまったからなのかもしれない──が、それは置いておくにしても。当の本人、神さまとの紹介を受けたブロンドの女、フィアーノはふんぞり返って一室に脚を踏み入れた。

「まったく。失敬だあねえ。ぼくがわざわざ人のかたちを選んだんだよ、少しは感謝というもの──あだぁっ!?」

 ごちん、といういい感じの音色が鳴り響いた。

 フィアーノが、その額を入り口のところで豪快にぶつけた音であった。──大きすぎたのだ。体格等々、諸々を鑑みて豊かにも程があるといった様相である。その脳天は天井にも届かんばかりという勢い、それは凄絶と呼ばうに一切の迷いを持ち得ない。痛ましげにさすさすと金糸が伝う額をさすりながら、身を屈めて彼女はその姿をあらわとする。なんとも間の抜けた姿であった。

 ──これ、本当に神さまなの?

 ──神さまみてェだけど。

 非常に釈然としない表情を突き合わせながら、目と目で語り合うウィリアムとエリオ。青年はやれやれと大いに肩をすくめ、ウィリアムはいぶかしむような視線を思わず向けてしまう始末である。

「これだから流れもんは困るなあ。ま、だからこそぼくにも好都合なんだけどねえ」

 そんなウィリアムの様子をさして意に介することなく、ずしんずしんとフィアーノは無造作に少年へと歩み寄り、見下ろす。白い布切れ一枚に身を包んだばかりのような、ともすれば無頓着にも見えよう姿。──そこで合点がいく。勿論のことかの司祭は、この土地の神に関することをウィリアムとクロエにも語っていた。かの聖像に顕された神。それと眼前の女は、よくよく見れば──うりふたつだ。

 彼女の態度のせいで、神性といったものを感じ取ることは困難ではあるものの。

 ウィリアムは、絶対的な主神の存在に対しては懐疑的だ。しかし例えば精霊や、民間信仰のようなものに対して、それほど強い不信感を抱いているわけではない。いてもおかしくはない──程度には、考えている人間である。

 しかし、それにしても。

「……好都合?」

 訝しむようなそれであった彼女を観察する視線が、不思議げに細められる。

 神さまなどという底知れぬ存在が、どうして一介の流れ者でしかないエリオについてきているのか。そして、彼の案内によってウィリアムの元を訪れているのか。このような場所で、一堂に会してしまっているのか。疑問はそれこそ山積みであった、が。

「ぼくはこの土地の神さまだからねえ。この土地を耕す、富ます、ゆたかにする人を──危険に駆立てるわけにはいかないのさ」

 それは、つまり。

 たった一言で、ウィリアムは彼女の意図を概ね察する。さほど賢明ではなくとも悟ることが出来るほどに、明瞭な意志。

 フィアーノは少年の険しい表情の変化を気にもせずに、周囲──ウィリアムを、エリオを、アドナを。そして、寝ぼけ眼のまま身体を起こすクロエを。彼らの姿を見渡して、そして言葉を続ける。

「きみたち全員。ちょいと命を張ってきてくれないかい。ぼくのために。ぼくの大地のために」

 にっこりと無邪気に、フィアーノは満面の笑みを見せた。


 すでに刻限は夜半に差し掛かろうかという頃合だが、老司祭からウルクへの言いつけは中々に容赦が無かった。『村の外れの一軒だ、そこに今あるだけの水を持っていってくれたまえ。それが終われば今日はこれまでとしよう』──と、老いた彼は柔和な笑みを浮かべて青年にあっさりと言ってくれたものである。両手に余るのではないかという巨大な木桶に一杯に汲み上げられた水、しかもそれを二つ分。すこぶる重労働である。年頃の男性であるウルクといえども、いかにも骨が折れる仕事だが。

 ウルクは何も文句を言わずに従った。今彼が示すことの出来るものは、誠意のみ。即ち、働くことだ。役に立つことだ。役目を果たすこと。それこそが、村の一員たりうるということだ。おそらくはかの司祭にしても、無為に重労働を課しているというよりは、その意志を試しているという面が強いのだろう。

 かくしてウルクは、くすんだ栗色の髪を汗に濡らしても、しかし漸う──村はずれの一軒、という示された場所へとたどり着いた。言葉からすればなんとも曖昧なのだが、村に馴染んでいないウルクですら、一目見ればその言葉が表す家はすぐにわかった。

 寄り添うように建ち並ぶ家屋、中心を教会として、彼方に領主の館。その内、どの地帯にも属さない孤立した場所に──ぽつん、と古ぼけた一軒家。家畜の影もなく、周りには耕作地さえ存在していない。無論だが、水車小屋というわけでもなかった。

 本当に人が住んでいるのか。もしかして老司祭にいっぱい食わされたのではないか──という拭いきれない疑惑を抱きながら、ウルクはどすんと地に木桶を置き、こんこんとその家の戸を叩く。

 驚いたことに。

「どなた」

 さして間を置かず、応答はすぐに返ってきた。

「司祭殿の使いの者です」

 答えて、ぐいと額から滴る汗を腕でぬぐい去る。かちゃりと戸が開かれ、その向こう側にいたのは──まず二十歳には至らないであろうという少女が、一人。そのことに、ウルクは今まで以上に驚愕した。思わず目を丸くする。こざっぱりと短く切られた、透き通るように青い髪。そして、驚いたように真ん丸になってしまっている碧眼。

 ──そんな顔をしたいのは俺なのだけれど、そう言いかけて気づく。すなわち、火傷の痕がはっきりと顔面に残ってしまっている、己の人相の悪さが原因であると。

「……すみません。斯様なていで」

「──いいえ。気にせず。入って」

 娘は年頃の風貌に似合わず、きびきびと答え、ウルクを家内に迎え入れる。床を引きずってしまいそうなローブの丈を決してすり合わせないように、滑るように歩み──彼女はウルクを奥の部屋へと案内した。

 奇妙な、一室であった。

 ウルクの目から見ればまるで用途不明の物体や、古びれた書物が所狭しと積み上げられ、そして部屋の床の中央には、とても言葉では表しがたい不可解な紋様が描かれ、あるいは刻まれているという有様。魔法陣とでも呼ぶべきか。例えばクロエなどが目にすれば、一目で判断出来るだろう。──これは魔術師の工房だ。

「中央に。水を。お願いします」

 てきぱきと少女は指示を向け、ウルクはそれに大人しく従う。ずしりと床を軋ませ、安置される木桶がふたつ。娘はどうやら、彼女自身のなすべきことを察しているらしい。そうでなければ、ウルクの手荷物である木桶の中身が水であると、断言できるはずもない。

「これは──なに、を?」

 ウルクの向ける不思議そうな視線を受けてか、少女は機敏に振り返る。

「飲水の確保。それが私の仕事です」

 迷いなく言い切る彼女のその言葉は、ひどく感情の色が薄かった。表立って現出していない、というよりは──無機的。人形のごとく変わらない表情は、しかし瞬くことによって生者であることを最小限に示していた。

「飲み水……」

 通常、生水というものは安易に口に出来るものではない。それがこの世界の常識というものだ。何らかの処理を施さない限りは、腹を壊したって誰にも文句は言えないような所業である。衛生的な観点から見れば、飲料としては酒類の方がよほど優れている。──そして同時に、欠点も存在していた。どうということはない。ワインの類は基本的に高級品、安価な酒といえばホップやエールが槍玉にあがるが──これらの醸造には当然、小麦が必要となるのだ。

 貴重な食料となる小麦。これを浪費せずに済む代替案が存在するとすれば。

「この陣は。浄化ピュリフィケーションの術式。私の体調に関わらず。魔力を通せば機能し得ます」

 この場合は、それこそが彼女の術なのだろう。

 淡々と告げられる娘の言葉に、しかしウルクは理解する。彼女なりの配慮と思考を。そして、この村内において彼女が果たすべき役割を。魔術師というはぐれ者でありながら、決して村八分といったものの対象というわけではなく──彼女もまた村の一員であると。

「少し。時間がかかります。待っていて」

 そういって彼女は、陣と向き合う。邪魔になってはいけないとウルクは頷いて部屋を辞し、一度通された居間にて少女の仕事が終わるのを待つことにする。手持ち無沙汰だが、多少の時間など気にするほどのことでもない。生まれる空白。

 そして、そこに至って。思考の余裕を得て、ウルクはようやくあることに気づいた。

 この一軒に、どうやら彼女以外の人間が誰一人とて住んでいないという事実に。

 よくよく考えれば、これは尋常のことではない。あるいは彼女もウルクと同様、元は流れ者だったのだろうかという仮設は浮かび上がったが、それも考えがたいことであろう。何より先刻通された部屋の、物の量は異常であった。数代の継承を経ていなければありえない、とすら言えるほどに。

 ──と、さして長い時間も経たない内、奥の部屋から彼女が手招く様子が垣間見えた。大の男であっても苦労するほどの重量を誇るそれである。少女に運ばせるというのは些か酷というものだ。再びウルクがその方に向かえば、娘はついと陣の中央を示す。

「これで。大丈夫。です」

 その中身を確認してみれば、目に見えてわかるほどに綺麗になった水が──といったことは特に無かった。大元が泥水などであったならば話は別なのだろうが。皆目見当がつかない素人のウルクとしては、彼女の言葉を信じる他あるまい。静かに首肯して、礼を言い──踏ん張って、どうにかこうにかその手荷物を抱え上げる。その間、娘は男の様子をじっと見守っていた。

「……お嬢さん。つかぬことを聞いても」

 そのまま、何事も無く過ぎていくはずだった別れ際。魔が差したかのように──好奇心は猫を殺すとでも言うべきか。ウルクはそのように、彼女へと問い掛けた。

 問いかけて、しまった。

「イレーヌです。なにか」

 ごくごく平然と名乗る娘にウルクは名乗り返して、そして言葉を待つ少女に、肝要なる言葉を投げかける。

「イレーヌさんは、こちらに一人で──その、一緒に住まいの方なんかは」

「殺されました」

 ────ハ、と息を吐く一瞬。ウルクの思考は娘の言葉を処理しかね、そして呆気無く固着した。あまりにも常軌を逸した答えだった。感情の機微すらうかがわせず、眉ひとつ動かさずに。否。異常なのは、その答えそのものではない。あまりにも平然と、何物でもないウルクの問い掛けに──当たり前のようにそう答えたという、その事実こそが。

 異様だった。

「も──申し訳も無い、思い出させたくも無いようなことを」

 凍結したウルクの思考では、その事実に気づけない。ゆえに男が紡ぐのは、純粋な謝罪ばかりである。そして同時に湧き上がるのは、安易な気持ちで問いを投げ掛けたことへの後悔。

 彼女──イレーヌはその言葉に、静かに首を横に振る。

「いいえ」

 あっさりと娘は、ウルクの言葉を否定する。それが男の混乱を助長させた。否が応にも。

「思い出したくもないなどということはありません。忘れてはならないことです。忘れずにいたいのです。そのために──貴方を不快にさせてしまいました」

 申し訳ありません、と少女は静かに礼を落とした。その様な言葉を向けられては、ウルクとしては逆に恐縮せざるをえない。闇雲に頭を下げ通して、まるで逃れるかのようにウルクは家を出た。その姿を、何事も無かったかのように少女が見送る。

 ──その視線が届かなくなっても、しかしウルクの胸中には彼女の言葉が重くのしかかっていた。


「そうか。しくじったかァ。しょうがねえ奴らだなまったく。何人かいねえみてえだし。置き去りにしてのこのこ帰ってきたって奴か? あ?」

 げらげらと、悪辣な笑み。

 それは洞穴。かの村からさして遠くなく、切り立った左右の峡谷に挟まれたその最奥──さながら自然をくりぬいて形作られたかのような、天然の城塞。粘着くような声すら、やけに共鳴して響き渡る。言葉尻そのものは怒りを示しているかのようで、しかしその言葉を吐いた男の様子は──上機嫌そのものだった。その身を襤褸布に包んだ、文無しのてい。瞳は糸のごとく細められ、くすんだ黒髪は無造作にあちこちへと跳ね回っている。木のグラスから酒精をかたむけ、男は大いに笑い飛ばす。──彼の目の前に、恐縮して身を小さくする男がいることも些事であるかのように。

「ま、いいだろ。いなくなった分、食い扶持は減ったってわけだあ。蓄えも無いこたねえ。なーんも盗ってこれねえってのはちと計算外だが」

「……申し訳もねえです。頭」

 頭と、そう呼ばれた男。彼を中心として、十数人という人々がひしめく悪党の巣窟。まがうことない。それこそが、この場の正体だった。

「なあーに。教訓だ。腕の立つガキくらいいるだろ。無用心にほっつき歩いてんだ。なあ?」

 男の言葉は、目の前のそれに語り聞かせているかのようで──どこか独り言じみていた。誰も聞いてはいなくとも、それはそれで構わないと言わんばかり。げらげらと笑い、酒精混じりの息を吐き──フー、と洞穴の天を仰ぎ見れば、刹那。

「頃合だな。明日にでも行くか。──おめえら」

 ぐるりと男は周囲を見渡す。それに応じるかのごとく、十を遥かに超える男たち──わずかに女も含まれる──が、一斉に彼を中心とするかのごとく視線を注いだ。彼らに満ちるもの。それは期待だった。これから男から発せられよう言葉を、とっくに知り得ているかのごとく。

「許せねえよなあ。──不毛。不毛だ。実りもへったくれもねえ。我らがクソったれ祖国ブライル様と比べてみりゃあ」

 許せんなあ──!? と。がつんと音を立て、グラスを叩きつけんばかりの勢いで、床へと落とす。ばきりときしみを立てて溢れ、流れだす水液。その言葉に、男たちのことごとくが呼応する。響き渡る怒号。叫声。狂宴。その中心の男は、大いに笑う。糸のような瞳をさらに細めんばかりにして。

「野郎ども。命令だ。──奪え。奪うのさ。ただ一時だけじゃねえ。夏も、冬も、そのまた次の夏も。奪い続けろ。かすめ取れ。それでこそ“屍肉漁りヴァルチャー”だ」

 大いに。さながら地獄のような風景で、悪鬼どもは大いに沸き立つ。

 夜天の三日月は赤く、いかにも不吉に──輝いていた。

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