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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv3:『世界』
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Level33:『豊穣の歩み、衰亡の足音』

 一体どうしろと言うのだろうか。──意図せずエリオの脳裏に思わず浮かんだ言葉がそれである。無理はない。否、どこぞの村娘が昼間っからこんな所で何をやっているんだと蹴り起こせばそれで良いのかもしれないが、それはそれであまりにも無体であった。──それにしても、とエリオはその女に視線を向ける。

 デカい。決して一部分ばかりの話ではない。その身体がそもそもエリオを遥かに上回るほどの大きさ、巨躯と言っても差し支えないそれであった。そうそう見られる代物ではない。それがエリオにとってただならぬものを感じさせる由縁だろうか。などと一定距離を保ちながら、寝息を立てる金髪巨乳美少女(仮称)の観察を続けている──この場合、エリオ自身も中々に不審人物であるのは疑いないことである──と。

 ふとして何の気無く、娘は寝返りをうった。それだけならば、なんのことはない。注視していたとしても見逃しておかしくはないような、瑣末な仕草であった。だがこの場合、そうとは限らない。なぜならば彼女が横たわって佇むは水辺、湖の岸辺────ごろり、と転がる先は即ち。

 水面。

 ざぱぁん! と派手な水音を立て、人体がひとつ水中に転げ落ちた。

「……は?」

 何が起こったと理解しかねる一瞬、瞳を丸くするエリオ。それを、空中に弾けて散りゆく水しぶきを目にして悟る。こぽこぽと水辺に気泡が浮かび上がり、もがくようにばしゃばしゃと跳ね回る雫。思考より先に自然に身体が動き出した。

「ちィ、バカか……ッ!」

 思わず悪態すらも溢れよう。跳ね飛ぶように水辺に駆け寄ったエリオが、水中へと手を伸ばす。げほごほと飲み込んでしまったのであろう水を吐き出しながら、当て所なくふらふらと宙に揺れる女の手が、まさにわらをも掴むといった風情でエリオの手のひらをつかんだ。──ぐい、と一挙にかけられる力。体重。

「ぎィ……っ!!」

 そのまま己さえ湖に引きずり込まれかねない重みに、歯を食いしばって青年は堪える。伸ばした片手のみならず、両の手で掴んでたぐり寄せ、一気に力任せに引きずり上げ──

 ──そしてエリオの目の前には、噴水のごとくぴゅーぴゅーと水を吹き出しながら目を回す娘が転がっているという次第である。

 全くもって余分な力を使ってしまったものである。ぜーはーと息を吐くエリオも、思わずそんな感慨を抱かざるを得ない。そしてより一層、果たしてどうしたものかという感情は強まるのだった。どうしたものか。ずぶ濡れの女一人を放っておいて退散。ひどく響きが悪いことしきりだが、しかしエリオにすればさして問題でもないように思える。

 が。

「──……お宅の娘さん助けましたっっつゥのも悪くねェか」

 どこぞの家のものかはわからないが。それでも何らかの謝礼か、あるいはその点に関しては期待出来ずとも、滞在中の信頼くらいならば得られるだろうか。そう考えてエリオは独りごちる、その時。ぱちりと娘が瞳を開き、瞬かせた。湖面の様に透き通った色彩。はん、とエリオは鼻を鳴らして視線を狭める。

「漸う起きたかよ」

 無論、先刻の珍事がある以上、寝っぱなしだったというわけでもないが──しかし似たようなものである。寝起きに皮肉な言葉が浴びせられるのは決して喜ばしくは無いだろうが、しかし青年からすれば苦言の一つでも残したいといった雰囲気である。

 女はしとどに濡れそぼった衣服や艶髪をおもむろに撫で梳き、そしてエリオの存在を認め、ぱちぱちと瞼を瞬きして──ぽつりと、一言零した。

「よごされた……」

「ちげェェエエエよ! バカッ! タコ!」

「誰がタコだあ!? ぼくが誰だと思ってる!」

「知らねェよ! そんなもん! むしろ聞かせてもらいてェわ!」

「ええ!? 不信心にもほどがあるでしょう!?」

「うるせー! 寝こけて転げ落ちて溺れてる女に言われたかねェ!」

 ──喧々諤々。極まって低レベルな言い争いを繰り広げた果てに、ぜえぜえと互いが息を繰り返す。疲労感に浸った脳みそがようやく冷めてきたのか、大女はかくりと首をかしげて、エリオを見下ろした。そう、彼が見下ろされるほどの巨躯である。布切れのような衣服に張り付いた白い肌が、なんとも艶かしい。彼女を引きずり上げたエリオの労苦はいかばかりか、それが鑑みられても罰は当たるまい。

「にしても。知らないかあ。ふうん。この土地の子じゃあ、ないみたいねえ」

「しがねェ流れもんだよ」

 簡潔に答えながら、同時にエリオは違和感を覚えた。彼女の物言いに、だ。引っかかる言葉が多すぎた。どう考えたって、普通の村娘のそれではない。エリオの心中の困惑をよそに、女はぽんと何気なくてのひらを打ち合わせた。得心が行った──と言わんばかりに。

「なるほどねえ。それなら知らないわけだ──ぼくはフィアーノ」

 にこりと娘──フィアーノは微笑む。水滴を滴らせる、いっぱいに伸びたブロンドのロング。巨躯が目立って陰りはしても豊満な体躯。さりとてその若々しさは裏若き天女と称しても遜色ない。それを間近にして、エリオは一寸見覚えがあるような気がした。それもつい最近。否、最近どころか今しがた見てきたかのような御姿の記憶、それは──

「この土地の、神さまだよ」

 ──かの教会の、壁画にこそ存在していた。

 彼女の言葉に起因するがごとく、エリオはそのことを認識する。「エリオだ」と名乗り返して、そしてその上で視線をかかげる。訝しむようなそれだった。

「……うさんくせェな」

「そうかい?」

 ぺたりぺたりと草の原を素足で歩みながら、フィアーノはエリオを省みる。──至極、当然のこと。眼前に神を名乗るものがいて、はいそうですかと軽々に信じられるはずはない。エリオが信仰している神でもない以上、それは尚更のことであった。

「大体だ。神さま本人が、わざわざこんな所で日向ぼっこと洒落こんでっかよ──理由わけが無ェし、わからねェ」

 どこか険しさの入り交じるエリオの視線を、娘は何気ない笑みでもって受け流す。その身を屈ませ、生える草のひとつを無造作に摘み取った。土によごれたそれを、白い手のひらの中に握りこむ。

「……何ぞ」

「ほい」

 言いながら、フィアーノはその手を開く。──開かれたその掌中には、種があった。驚愕。思わずエリオが瞳を見開くその間際に、娘が同じ動作を繰り返す。すると種は、一輪を咲かせる白い花へと転じた。──魔法だ。それも、並々ならぬ段階まで極まり切った魔法。

「“豊かさ”とは、滞りなく行きわたること。命の循環。実りのめぐり。生命の輪廻。ぼくはそれを司る。豊穣にして肥沃──ひらたく言えば、農耕の神さまってところだねえ」

 もっとも、ぼくの力はこの土地に限ったことだけれど──と。彼女は朗々と語った。滞りなく、謳うかのように。その面立ちに見られる表情は、余裕か。あるいは慈愛か。親子以上の歳の差を隔てた人の子を見つめる──母性のそれか。エリオには見分けもつかぬ。ただ理解できたのは、眼前のそれが人とかけ離れた存在であるということのみだ。

 生命を癒すくらいならば、人の手でも届くだろう。人の振るう魔法でも、なし得るだろう。だが、時を飛び越えて生命を育むことなど、ありえない。それは人知を超えている──遥か遠くまで。

「……取りあえず、まァ、なんだ。納得する。すまねェかった」

 全知全能にして万能である創世の神、などと言われたわけではない。あり得るだろう。端くれといえども、神というものの実在は。そもそもが収穫祭等々、祭事とはとかく神にまつろわる催しである。ゆえにエリオの疑惑の半分は、晴れた。──そして、疑問の残り半分はいまだ取り残されたままだった。

 なにを構うまいとエリオの言葉を聞いて、にっこりと首肯するフィアーノ。そんな彼女を見上げ、エリオはやおら口を開く。

「……まさか収穫がてらの物見遊山って訳でも無ェだろ」

「おおむね合ってるかなあ」

「あァ……!?」

「だいたいは、ねえ」

 ──どういうこった、とエリオが口にするまでもなく。遮るかのように、あるいは彼の疑問を先取って汲み取るかのごとく。ゆらりと振り返り、棚引くブロンド。その唇が囀る言の葉。

「この地はねえ、私掠の矛先になっててねえ。知ってる?」

「あァ」

「まあ、それはぼくにはどうでもいいのだけれど」

 いいのかよ。

 心中ツッコミを入れたくなったが、しかしわざわざ話を途切れさせることもない。エリオはぐっとこらえながら、頷いて彼女の話の続きを促す。

「実際、益が無いこともないんだよねえ。私掠団とか、そーゆーのがうろうろしてりゃ、弱い魔物は減ってくれるんだ。際限なく無茶苦茶やる魔物の脅威よりかは、マシかなあ。だって、話が通じるんだから」

「そいつァあんたにとってか、人にとっての話か?」

「どっちも。みんなは命をとられずにすむ、ぼくは土地を踏み荒らされずにすむ」

 はァん、とエリオは得心する。要は、基本的に神という生き物──生き物と称すべきかは果たして定かではないが──は、人間に対してあまり干渉をしないのだろうか。もっともフィアーノがどのような存在であるかは定かではなく、その上にあくまで彼女個人の考えである、という可能性もあるのだが。

「でもねえ。ちょーっといただけないことがあってねえ。このぼくの化身わけみを使って降りてきたってわけ」

 エリオには分からない事項がいくつも混ざり合っていて、なんとも判然としがたい言葉だが──頭の中で処理していけば、自らが聞かなければならない、知っておくべきことは理解し得た。

「いただけないこと、っつゥと」

 エリオが投げ掛けたその問いに、フィアーノは露骨に表情をしかめた。むすっと唇を一文字に引き結び、仏頂面で胸を張る。なんとも分かりやすい土地神である。怒りを露にしながらもどこか穏やかなままな彼女は、言い放った。

「あのやろうどもが。畑やきやがった」

 人間臭いほどに、苦々しく。


「────それは、なにか、おかしい気がする」

 本当に何気なく、ぽつりとウィリアムは呟きを零した。長い長い老司祭の話も漸く佳境、昨今のこの村の情勢といった話に至る段。クロエが不思議そうに首をかしげて、黒い瞳がウィリアムの表情を注視する。少年は顎元に手のひらをあてがったまま、違和感の元を探り当てんとするかのように瞳を狭めていた。

 教会、礼拝堂。農耕神フィアーノ。その聖像を背にして、男──名をサノバクという老いた神父は、ふむと老いの色濃い面立ちに皺を寄せ、少年と向き合う。

「……私たちは武力を持たない。表立って反抗した家族のひとつは、殺されてしまった。……見せしめにされてしまった。私の、ぬかりだ」

 老いた翁の枯れた声は、苦く。そして重い。益が一切存在しないわけではない。しかし同時に、重すぎる足かせを引きずらされるようなもの。

「そこだ。──武力を持たないといっても、立派な領主の屋敷があるじゃないか」

 零されるウィリアムの言葉に。──あ、とクロエが思わずといったように口を開く。そう言われれば、気づく。気づかざるを得ないことだった。それを聞いてサノバクの表情は、やはり依然として変わらず、硬いままである。

「……騎士、が……いる、はず……?」

 クロエの言葉に、ウィリアムは頷く。

 一つ村を治めるものとして、武力を擁していない──そんなはずがない。

「まさにだ。治安維持にしたって賊にしたって、そいつはこの土地を治めてる領主が、どうにかするのが──仕事だろう。賊に好き勝手やらせていいわけがない」

 ウィリアムは神妙に言い放つ。無論、目の前の司祭が悪いわけではないが、しかし言いたくもなる。理不尽で、不条理な話だ。私憤を滾らせるのならば、それで十分な理由になり得る。ウィリアムは、直情径行を冷静という表面で包み込んだような少年だった。

「──別頭の、重大な任があるのだと。領主殿は説明なさった」

 対する老司祭は、冷静に言葉を返しながらも、やはり思うところがあるのだろう。言葉の節々ににじむ苦渋は、隠しようもない。そして彼の言葉から察するに、彼自身──ウィリアムが今至った疑問に、当然たどりつき、そして直談判に至ったのだろう。

「……どうか堪えてくれと。餓えて倒れぬよう、出来る限りの減税は施して下さった。しかし儘ならぬ」

 枯れ木のような手が、拳を形作るかのように握りしめられていた。力強さは見受けられない。しかしそこには、やるせないような感情のきしみが見受けられる。

 ────ただ賊を壊滅させておしまい、というわけにもいかないか。

 人間がはびこっているからこそ、魔物がこの地に遠のいているのだとするならば。

 賊を壊滅させると、自然──長い時間を隔てると共に、今度は魔物の脅威に晒されることとなる。もちろんそれを知ったことではないと切り捨てる選択肢も存在するが、ウィリアムにはそこまで外道を走ることは出来ない。どこか、半端なのだ。クロエなど、尚更のことだろう。

「僕からうかがいたい。その任、というのは。余程の期間を要するものか」

「なんでも──国をあげた命のようで。全国各地から広く、人手を募っていると」

「……国を、あげて。……見通しがたたない、こと……です?」

 老司祭は静かに頷く。国命とあったが、そのように大きな募集が存在している以上、決して機密事項といった話ではないのだろう。彼はあっさりと、何気なくそのことを口にした。

 それは場違いにも、そして状況にもそぐわぬが──ひどくウィリアムの気持ちを高揚させた。

 否が応にも。

「“麦穂の国イースト”首都付近。攻略の目処が立たない、巨大迷宮が確認されたのだと」

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