Level32:『聖像』
「まさか、焼き討ちされるって訳でも無い──でしょう」
門兵の言葉に肩をすくめるウィリアム。警告はありがたいが、果たして内情はいかほどのものか、それを探る意味合いも含めてか。疑惑の視線を受けて、男は気まずそうに視線を逸らしながらも、静かに続けた。
「ああ。奴らが行うのは継続的な略奪だ。そんな無茶苦茶はしないだろうが、万が一のことが無いとは言えない。……詳しくは長に聞いてほしい。この村には宿が無いが……見えるだろう。あの教会だ」
鉄甲に包まれた男の指先が指し示す先、そこには村の中心たる教会があった。堂々たる装いである。その傍らに、鐘塔がいかにも明瞭な目印のように、厳然と立ち並んでいる。
「あそこの司祭様がこの村──レーヌ村の指導者でもある。数日の滞在ならば歓迎してくれるだろう」
親切にもそう教えてくれる男にウィリアムたちは礼を告げて、門をくぐる。通り抜けた向こう側に広がるは、間近に見る──穏やかな農村の風景であった。麦穂の色彩は鮮やかに、家畜の鳴き声は賑やかしく。村を囲い込むように流れる川のせせらぎ、それが思わせるほのかな涼やかさ。日も高ければ、農地に働く村人たちの姿もちらほらと垣間見えよう。
さて、いざ村内におけるウィリアムらに向けられた視線といえば──
「警戒されてんなァー」
決して、暖かい類のものではなかった。にわかに不信の入り交じる、注意の色合い。とはいえ、敵意と称するほどのものでもない。門の番をひとつくぐり抜けているのだから、必要以上の警戒は不要といったところか。しかし彼らからすれば──ウィリアムたちは、見ず知らずの流れ者。気をつけるに越したことはない、そういうことだろう。
「情勢の、せい……かな」
「村ッスからね。よそ者の扱いはこんなもんスよ」
むしろ悪くない方ッスかねー、とアドナは軽い調子で語る。彼女の言葉が示す通り、寄越される視線は冷たいものばかりではない。例えば、腰に剣を佩くウィリアムに対する、子どもの好奇の輝きなど。そして子どもがそっと母親に窘められているといった具合だ。なんとも微笑ましい光景である。
「……僕の存在が教育上よろしくないものにされてしまった……」
がっくりと肩を落とすウィリアムを、よしよしと慰めるように支えるクロエ。その隣、エリオはいかにも飄々として言い放つのだ。
「農民に生まれりゃ大抵が農民に死ぬからなァ。珍しいんさ」
町ならばまだしも、農村に生まれたものは、多くがその土地に育つ。育った土地に生き、やがて郷里に骨を埋める──とはいえ。
家族に生まれた子の一人が、冒険者として村を出る。そういった事例が、ほとんどないというわけでは決して無い。そういった境遇は、多からずとも必ず発生するものである。
「口減らしで冒険者にして送り出されるとかあっけど。まァそういうのは抜きで」
「サラーッと無茶苦茶言うッスね……」
呆れたような声音を上げるアドナ。とはいえども、少なくともこの村に、そのような暗い影は見当たらなかった。表面上は──そう、賊の脅威に晒されているという事情すら、微塵もうかがわせないほどに。
肥沃な大地に実る、大地と水と陽光の恵み。そこに人々は、希望を見出して──生きているのだろう。
「豊かで。良いところ、だな。……ここを」
襲うことになってたんだな、俺は──と。黙りこくっていたウルクは、不意にぽつりと呟いた。その瞳の内側には、憧憬じみたものがかすかに垣間見えるか。進める歩みすら、力が抜けて落ちてしまったかのようにゆっくりとしていた。その様子にウィリアムは、ニッと笑ってみせる。
「後悔、してるかい」
「俺に悪党は向いてないらしい」
ふんとウルクは鼻を鳴らす。どこか照れ隠しのような仕草。
火傷を負った顔面では、様にもならなかったが。
「……どうにか、力に、なれれば、いい……のに」
「僕らが潰せば結果的には助けになるぜ!」
「つっても相手はでけえし。話聞いてからだろォよ」
「……君らの方が、いくらか悪党に向いてるよ」
──ああ、こんな感じでクロエさんも慣らされたんスね。そろそろ驚愕すら覚えなくなってきたアドナがしみじみと漏らした呟きは、鑑みられることなく虚空に消え去るばかり。
「……私も、元々。……そういうところ、ある……から」
小さく困ったような笑みを浮かべる黒髪の少女は、しかしそれを楽しんでいるようでもあった。
──そうして一行の歩む先、その所在が明らかであればよもや迷うはずもなく。橋渡す川辺、堂々たる佇まいの教会は、しかしそれほど大きな建築物ではない。村の墓地、耕作地、そして教会。その全てを合わせてようやく、他の村民の領地がふたつかみっつ分といったところだろう。果たして清貧をもって良しとするのか、それは定かなところではないが──ウィリアムが入り口に提げられたベルを鳴らせば「お入り下さい──」と、扉の向こう側から聞こえる声。
この準備の良さは、そして無防備さはいかなるや、もしや罠でも仕掛けられてようか──などと考えるほど、ウィリアムたちもひねくれてはいない。きぃと木の扉を軋ませれば、広がる内装は冷厳なる聖堂。されどあしらわれたステンドグラスは色鮮やかに、暖かな陽の光を取り入れて内部を照らし出す。決して大仰ではないが、静かな威厳がそこにあった。見上げてみれば星空のように高い天井、仰ぎみたクロエがふぁと慄きの声をふいに漏らしてしまうほど。
その奥に控えるは老いさらばえた男。しわの刻まれた表情に柔和な笑みを浮かべて、法衣に身を包んだ禿頭の老人はゆったりとたたずむ。小さな、しかし確かな存在感。そして──それ以上に殊更。際立って己を主張する物体が、聖堂の内装には存在していた。
聖像。
それは、女神を刻み記した偶像であった。
湖畔に舞い踊るはふくよかと呼称されよう一歩手前の豊満な肉体、その身体を覆い隠すはたっぷりと豊かにたくわえられたブロンドのロングストレート、そして一枚の白布ばかり。ともすれば扇情的ですらあるような情景が描かれた浮き彫りの壁画は、しかしその清らかな美しさゆえに、極めて繊細な均衡の上で神の聖性を保ち続けることを可能としていた。
「……驚かれましたかな。旅のお方」
柔らかに語りかける老人の言葉は、ほのかに枯れたような音。されども湛えられた一抹の力強さをうかがわせる、そんな声だった。事実、痩せた男の体躯は腰も背骨もそれほどに曲がってはいないようだ。コツン、コツン。杖をつく音色を鳴り響かせ、緩慢にウィリアムたちへと歩み寄る老司祭。
「来訪を予期してお出でで」
「いやなに。使いの者が知らせてくれた、それだけのこと」
一瞬の驚きに目を見開いたウィリアムに、翁は人の良い笑みを浮かべて答える。一行が村へと近づいていたときからか──外側への警戒は怠っていない、ということだろう。数日の滞在を、というウィリアムらの申し出に、彼は心よく頷いてみせた。
「小屋が併設されていたろう。ここから繋がっているゆえ、自由にお使いなされ。二部屋は空いていよう」
指先に示される先を見やれば、聖堂から扉一枚にて区切られている様子が垣間見えた。有難いと礼を落とすと同時──もうひとつ。彼らには言及すべき頼みごとがある。
「後ほど。この村の事情、お聞かせ願っても宜しいか」
ウィリアムのその申し出に、ふうむと老翁は白い髭を鷹揚に撫でつける。身体そのものは少年よりもずっと小さなそれであるにも関わらず、重ねた年の功がゆえか、そこには奇妙な威圧感が存在していた。彼はゆっくりと口を開いて、答える。
「では。そうじゃのう──この村の、成り立ちから」
「いやァ、そういうのは別にいいんで」
「堂々と言いすぎッスよ!?」
「……私は、ちょっと、聞きたい……」
ぽつりと零されたクロエの言葉に、当の老司祭こそが驚愕に眼を丸くした。おそらくは冗句のつもりだったのだろう。よもや年寄りの長話に──特にウィリアムたちのような若者たちが──進んで付き合おうとは思うまい、と彼自身も考えていたに相違あるまい。少女は視線をじっと持ち上げ、見つめる。子どものように純粋な好奇に搖らぐ蒼。
ほっほ、と司祭は軽やかに笑って言う。
「少し長くなるが。それで良いならば、来なさい」
その言葉に、ひょいと軽く肩を竦めるのはエリオ。
「ウィル、任せた」
「なんかやることあるのん」
「いやぜんぜん。その辺ぶらついてくらァ」
「テキトーすぎだろ!!」
ウィリアムの突っ込みを、ひゃははと軽やかに笑い飛ばすばかり。
青年は、あまりにもいつもどおりであった。
「わたすも、その、辞させてもらうッス──羊毛を仕入れたいんスよ」
「おお、この村の羊の毛は繊細での。私からも勧めよう」
おずおずと小さく挙手して申し出るはアドナ。多少の失敬はどこ吹く風と受け流す老体には、年長と、そして指導者としての風格がにわかならず存在していた。若衆の扱いなぞ手馴れたものであろう、微笑ましげな表情すら浮かべている始末であるのだから。
結果として辞するは二人、残るは三人。「俺は、個人的に頼みたい事が一つあるので」そう言って場を離れなかったのはウルクである。しかし司祭は、「先に仰せなされよ」と穏やかに告げる。
それを聞いたからか。ウルクはおもむろに司祭の眼前へと座り込んだ。一体これは何事か。ウィリアムも、クロエも──この場の全員がその不可解さに、驚きを禁じえない。ウルクはそのまま滑りこむように、額が大理石の床に擦りつけられんばかりの勢いで、長に向かって頭を下げた。
「司祭殿。俺を。俺を、この村に受け入れては貰えないかッ!!」
──振り絞るようなウルクの声が、静謐の堂内に響き渡った。シンと周囲が沈みわたり、静寂が広がる。いまだ一抹の困惑に囚われながらも、しかし司祭はゆっくりと語りかける。
「顔を、あげなさい」
一心に頭を下げたウルクの心情は果たしていかなるものか。ゆっくりと栗毛頭が持ち上げられる。二十の大の男は、安住を求め欲したのだろう──この平穏に。実りをなしとげる豊穣の地に。いずれにしても、ウルクという男が──ウィリアムらの中にいては、いささか異物的であることを察していたのか。真っ直ぐとウルクに向き合い、翁は言葉を続ける。
「おぬしには、足りない物がある」
「──それ、はッ」
「信頼よ。信頼は、頭をさげて得られるものではない」
はっとしたようになるウルクに、そっと微笑みかける老人。しわの目立つ相貌に浮かぶその表情は、おそらくはその慈悲によるところなのだろう。
「働きなされ。その働きぶりを見て鑑みよう。幸いに働き手は十分ではないのだから」
そう言って神父は静かに踵を返し、奥の扉の向こう側へと引いていく。なぜ。ウルクが疑問を隠せずに、その扉を睨みつけるかのように見つめていると──程なくして老人は、彼らの元へと帰ってきた。その片手に、何の変哲もない木桶を手にして。
──さあ、まずは水汲みからじゃ。
木桶をウルクに差し出しながら、指導者の眼は静かにそう語りかけていた。
「……これで……いいの、かな……」
「いいんじゃないかなあ、多分。どうにでもなるよ」
彼らの傍ら。ウィリアムとクロエの間に流れる、気の抜けるような弛緩した空気。
「何にせよ、僕らが助けになれば尚のこと都合が良い──ということにもなったわけだし」
ニッ、と笑みを浮かべてみせるウィリアムに、こくりとクロエは頷いてみせる。その隣を早速とウルクが駆けてゆく──すれ違いざま、彼らにそっと礼を言って。ふたりが笑みをもって応えると、ほぼ同時。
「それでは、改めて──お話をいたそうか」
こほんと咳払いする老司祭。背筋をぴんと伸ばして、にわかに緊張を覚えるウィリアムとクロエ。
そう。本題は、これからだった。
入会地、という場所が農村には存在する。これはどういうものかというと、平たく言ってしまえば、農民たちの共有地である。放牧地足りえる野原、薪を集めるために必要な山林。土地によっては湖や沼が伴うこともしばしばあるだろう。それが何なのかといえば──本当に目的も何もなしに飛び出してきたエリオは、堂々と入会地に侵入していた。
放蕩もここに極まれりといったところか。村の様子を見まわるのならばいざ知らず、しかし森生まれの森育ちであるがゆえに、土地の森に惹かれることはもはや致し方のないことなのかもしれない。
さくり、さくり。小さく音を立てて落ち葉を踏みしめ、エリオは何の気なしに山林を行く。とはいえ、山というほどのものでもない。ほとんどその勾配を感じさせない、緩やかな坂が暫し続いている──といった程度のものだ。緑豊かに連綿と立ち並ぶ木々、その合間を抜けてエリオは向かう。どこへ行くかなど言うまでもない。頂上である。もちろん、そこに目的など存在するはずもなかった。エリオはそういう青年である。
「──おォ」
少し早足に、駆け抜けるように。行き着く果ての天辺には、ちいさな湖畔がその中心に鎮座していた。鮮やかに陽光を照り返す水面、そんな心和ませる風景にエリオは感嘆の声を上げる。
吹き抜ける涼風。穏やかな鳥の声。さしこむ日差し。やっぱ森はこういうもんさなァ──と、エリオは誰にともなくうそぶく。おそらくその脳裏には、かつてエルフと邂逅した幻林が回想されているのだろう。あれは幻想的だったが、しかし剣呑に過ぎた。緩やかさが足りていない。
そもそも自然のあり方を、たったひとりの人間の尺度で定められようはずもないが──それはともかく。
「……ァん?」
漸うと一息吐いていたエリオは、ふと目の前の光景に違和感を覚えた。ごしごしと瞼をこする。違和感。あるべきでないもの、あるはずのないものが、そこに存在しているかのような錯覚。
否。錯覚では、なかった。
──湖畔の岸辺。
ちっぽけな白布の一枚を身に羽織る姿。一目見て分かる豊満な体付きは、まるで豊穣を齎さんとせんがばかりに。たっぷりとたくわえられ、そして背をはべる、お日様のような色彩のブロンドロング。それはさながら天女のごとき美貌。
エリオは彼女にゆっくりと歩み寄っていく。よもや逸れの村娘でもあるまいにと近づき、そして鼻水が出そうになるほど驚愕した。
「……あァ!?」
この際、有り体に言ってしまおう。
巨乳のブロンド美少女が大の字に寝そべり、涎を垂らしてぐーすかぴーと眠りこけていた。