Level31:『吉兆か、凶兆か』
無事にウィリアムが帰還を果たしたのは、哀れな男ふたりが縛り付けられた後のことであった。とはいえ、自業自得とでもいうべきか。その内のひとりは無残にも土肌に寝かされ放置され、そしてもうひとりの男は現在、消沈した表情で地面に座り込んだまま、ただただじっとうつむくばかりである。少しばかり焼け焦げたような傷痕が残るその顔は、水に濡れた布でもあてがわれていたのか、わずかに水滴が滴り落ちる。
その傍ら、クロエが鋳物の金属鍋を火にかけていた。おそらくは蒸留していた水を煮立たせているのだろう。
「クロエさん、これ、どうするんス?」
「……スープに、するの。……パンが、堅すぎる、から」
「ああ、なるほど。ふやかす用スね」
答えるアドナに、こくりと何気なしに頷くクロエ。一つ結びの黒髪がふわりと夜天に揺らいだ。なんとも気の抜けるような、穏やかな──光景である。そんな様子を見て取ってか、ほうと安堵したような息をウィリアムはひそかに吐き出す。
「ンで、だ」
おもむろにエリオが口を開いた。鋭く細められた視線がゆっくりとウルクに向けられ、そしてウィリアムを横目で見やる。「どォしたもんかね」と肩をすくめるばかりだ。というのも彼──ウルクが、先刻からずっと黙りであるからだ。エリオからしてみれば、全て素直に吐けば良いじゃあないかという状況でしかない、のだが──。
「どうしても言えないわけがある、ってことかな。あるいは、情報を持ってない、っていう可能性もある」
「にしたってゼロって事は無ェだろうよ。──あァ、嘘で切り抜けようってのは考えない方が良いぜ。そこに転がってる奴を叩き起こして聞きゃすぐに分かることだ」
エリオは遠見に縛り付けられている男の居所を顎で示す。ウルクの頬を、ひたりと冷や汗が一筋伝っていった。しかし、無言は一向に途切れない。ひたすらに継続される沈黙。その様子に、仕方がないと言うようにウィリアムは首を横に振り、静かに金属が擦れる音色を響かせる。
刃を鞘より引き抜いた音だった。同時に、少年は大真面目な口調で言い放つ。
「殺そう。で、そこの転がってるやつに聞こう」
「あー……そうすっか。同胞一匹死体にしときゃちったァ口も滑るだろ」
酷く軽い口振りだった。さながらそれが日常であるかのように。その言葉は、緊張感の欠けたこの空気の最中でさえ違和感なく溶けこんでいく。本来──ウルクの思考が正常に働いていたならば、導きだすことが出来たかもしれない。彼らの論理のほころびを。ウルクを殺してしまったら、もう一人の男が口にする証言を確かめるすべは、何一つ残らないのだということに──気づけたかもしれない。
もっともその指摘が出来たとて、ほとんど無意味に過ぎないのだが。
例え正確な情報が得られずとも、ウィリアムやエリオからすれば、彼ら山賊に固執する大した理由は存在しないのだから。
ひうん、と剣が空を切る。天に掲げられる刃。くろがねは月の光を返して輝く。その煌きが、ウルクの相貌を照らし出した。
「──まて、待てッ! 待ってくれ、話す、話すから!」
沈黙を破って放たれた声は、必死な声音が含まれていた。命を天秤にかけられた極限状態において、冷静を保っているのは極めて困難なことである。その言葉にウィリアムは、ニィと悪童じみた笑みを浮かべた。
「よかった。僕も、殺したいわけじゃ、ない」
「ウィル。その片手にある包みはどこでどォしてきたんだ」
「向こうのテントでアドナさんのを返してもらってきた」
「モノは言いようだァな」
ウィリアムが剣を握る右の手のひら、その反対の手が掴んでいるもの。少年のこぶし大よりは一回り大きいかという麻袋を指さし示し、ひひと悪辣な笑いを零すエリオ。そのやり取りに食いつくようにか、アドナがにわかに瞳を輝かせた。果たして見覚えがあるのか、空腹が限界に至っているのか。おそらくは、どちらもだった。
「取り返してきてくれたンすか!?」
「アドナさんのかはわからないけど。やたらナッツが詰まってる」
「違いねェっす!」
ありがてえッス、としきりに頭を下げる彼女をそっと宥めつつ、ようようウィリアムはウルクへと向き直る。年の頃は二十前後か。くすんだ栗色の髪、そしてその目は鬼気迫る血走った色をしていた。当然であった。どこか呼吸も落ち着きがないようにうかがえる。少年はそおと刃を鞘に納めて、ゆっくりと見極めるように男を見据えた。
「あなたの所属。それと、組織の規模なんかは?」
ウィリアムの問い掛けに、ウルクはかすかに逡巡した。しかし、少年の手はいまだ剣の柄にかかったままである。果たしていつその刃が再び抜き放たれようか、それは人の及び知らぬところである。全てを諦めたように、ウルクは顔を上げた。
「……“荒野の国”所属……“屍肉漁り”。五十人以上の、クラン」
クラン。組合よりも小規模で、しかし部隊よりも大規模な集団。血で繋がる氏族か、あるいは流血に同盟する血盟か。いずれにせよ五十人単位で動くひとつの組織、これはかなり大規模なクランと言えよう。少なくともウィリアムにとっては、狙いをつけるに事足りる獲物。もしくは──手に余るほどの、強大な存在。果たしていずれなるか。エリオがやけに楽しげなにやにや笑いを浮かべるそばで、ウィリアムは静かにその言葉を吟味する。
「荒野の国……ああ、そうか」
ウィリアムは地図を思い返す。現在地から西南にかけて広がるは“麦穂の国”領。そして国家に支配されていない無所属地域を隔て、わずかに北上すれば、そこは“荒野の国”の領地であった。決してウィリアムも聞いたことがないような土地ではない。かつて、“鷹の爪”の長であるホークが上げた国の名でもある。
「結構な規模みてェだな──となると、拠点もあンだろ」
エリオの言葉に、ウルクは頷く。彼の語るところによれば、“屍肉漁り”の拠点の所在は、国境の無国籍地帯。天然の峡谷を真っ直ぐに突き抜けた先に存在する洞穴、それを改造することによって大勢の人員を受け入れる拠点を作り出しているのだという。
「それを総本山、として。いくつかの小隊に分けて、各地での略奪を行う……ってところ、かな」
果たして手を出せるような代物なのかと確かめるように腕組み、ウィリアムが思索する。その様を認めてか、ふいに視線を向けたクロエが、ぽつりと。
何気ない一言を零した。
「……守りやすそうな、立地。……言って、困ることでも、なさそう……だけど」
その言葉に──違和感が、浮き彫りにされる。なぜ斯様な言葉を語ることを渋ったか。それこそ命の如何といった瀬戸際に至るまで。小規模な拠点であるのならば、情報の漏洩はそのまま仲間の危険に直結するかもしれないが──彼の語った内容では、とてもそうとは思えない。むしろ情報が漏れたとしても構わない、困らない、その類とクロエには思われた。
だからこその違和感、不自然。やおらウィリアムとエリオが視線をそそぐ。男は、ぱくぱくと口唇を開閉させる。きっとその咽喉はからからに乾いているだろうか。
「……掟だ」
紡がれるのは掠れた声。
「掟破り。仲間を売れば、即ち死だ」
「僕なら嘘吐き通すが。命投げ売ってまで正直にいることないだろ」
ウィリアムの言葉に、ウルクは首を振る。縄に縛り付けにされているにも関わらず、その腕は、その手は、その身は──かすかな震えを帯びていた。果たしてそれは怯えにか、全身をわななかせて男は声をしぼるように吐き出す。
「……お頭には、妙な力があるんだ。魔法の剣じゃないかって噂されてる。虚言を吐いた者のみを切るんだと──ああ、くそっ! だめなんだよ! 俺ももう、戻ったって殺されるに決まってる!」
ほとばしるは悲痛な声、まるで頭を抱えるかのように身を丸める男。しかしそれも、戒められたままであるがゆえに儘ならない。成程とエリオは得心がいったように頷く。彼がそれほどにまで口を割ることを理由は、それか。その様子を見やり、顎元に指先を添えたまま、ウィリアムは思案げにしていた。その瞳の奥には、眼前のウルクとは対照的に──なにか輝くものがある。
「聞いたか、エリオ」
「あァ? なんのことだよ」
「魔法の剣ってことは、“魔導器”だろう!? ぶんどろう!!」
「……え、ちょっと待てよ、それ、凄ェんじゃねェか?! 売り払えばちょっとした財産になンだろ、眉唾かもしんねェけど──いや、ここまでビビるくれェならありえるかもな」
──清々しいほど助ける気が無いッスね。
ほとんど無意識に零れてしまったアドナの言葉であった。彼個人の事情よりも“魔導器”という存在に心奪われる若干二名、という現状。しかし無理のないことでもある。武具そのものが魔法の力をそなえる“魔導器”は、“属性付与”などによって補助された武器とは、根本的に全く異なる物なのだ。その価値は、通常の武具よりも遥かに跳ね上がってしかるべきものである。
「……ウィル、ウィル。そのひと、しにかけてる……」
そっと口をはさむクロエに、ウィリアムがぱちぱちと瞳を瞬かせる。クロエの白く小さな指が指し示す先、ウルクが白く燃え尽きたような表情でうなだれていた。
「なんだ、どうした、あれか。ご飯食べてなくて死にそうとかか。せっかく情報くれたんだから、そんくらい僕はいいと思う」
「違ェよ! 最後の晩餐になるじゃねェか!」
「いや……いいんだ……多分、運が悪かったんだ……俺は……ハハ……」
疲れたような笑みを漏らしながら、男は肩を落とす。ほんのかすかに空は明るみを見せていたが、彼の表情はこれ以上はないのではないかというほどに暗い。まさにこの世の終わりを予感させるそれである。
「まァアレだな。オレらも人助けとか出来る身じゃねェし」
「戻らなきゃいいんじゃないか?」
何気なく、極々当たり前のように──ウィリアムは言い放った。
クランの元に戻れば、殺される。それならば、とっとと逃げ出してしまえば良いのではないか。そうすれば殺されるはずもない。なるほど、少年らしい極めて単純な発想であり、思考の流れである。
「ばッ──そんなこと、出来るわけが、無いッ」
「かな」
「俺には、持ち合わせも何も無い、ってのに!」
「でも、そうしなきゃ、死ぬ。というか──殺される。なら」
──それなら、身一つでも行くしかないだろう!?
それはどこか自棄っぱちで、捨て鉢で、そして捨て身でしかない選択肢に見えた。少なくとも懸命に考えれば、取るべきではない選択に思われた。しかし、ひとつだけ気付かされたことがあった。まだ──手詰まりではなかった、と。何も出来ないままに死を待つだけの身ではなかった、と。
その点さえ鑑みれば、ウルクは決して不運ばかりの男ではなかった。
「……考えたことも、なかったよ。身一つ、なんて。死と隣り合わせ、じゃないか」
「ここでいっぺん死んだようなもんだろ、どォーにでもならァ。骨埋めるとこなんざ腐るほどある、テキトーに行こォぜ」
「……気楽に生きてるな、あんたは」
「お褒めの言葉どォも」
「褒められてないスよ、それ」
かくして一夜明け、近隣の農村の所在を知るというウルクが道案内をつとめることとなった。この区域付近を活動場所のひとつとして定めたクランに所属する──正確には、所属していた──彼が、それなりに地理に聡いということは極々自然な話であろう。例え彼が新参の身であるとはいえども──己等の獲物を知らぬはずはない。
足の向く先は西南。“麦穂の国”領にそろそろ踏み入っただろうか、そんな頃合いのことである。
「私は、もうちょっと先の町に行くつもりだったんスけども──悪くないスね。この時期スから」
「……時期……?」
かくり、と首をかしげるクロエ。彼女がその意図を掴めなかったのは、生まれてこのかた都市の暮らしが長かったということも相まってだろうか。
「収穫期だ。……あまり胸くそのいい話じゃないが、俺らのような奴らには狙いどきだったんだろう」
仮定の言葉となってしまうのは、おそらく、直に村々への襲撃などを行った経験が無いからだろう。
そう言いながら先頭を歩むウルクの表情に、もはや暗澹とした様子は見られなかった。吹っ切れた、というよりもむしろ、開き直ったのかもしれない。少なくとも、ほのかに焼け爛れたような痕跡を残してしまっている顔──その傷を残したクロエに対して、薄暗い感情を抱いているような気配も無い。
夏期も近づく温暖な気候、秋播きの作物が収穫を迎えようという時期であると──つまり、そういうことである。
「となると、収穫祝いのころなわけで──穏便に迎えてくれそうだな!」
「ならいいんだがねェ」
ひょいと肩をすくめてみせるエリオ。その調子は全く以ていつものそれと変わらないが、ウィリアムはどこか意気揚々としていた。儲け話のひとつふたつが転がり込んできたという、現在の好機あってのことだろう。
歩みを進める中、ふいとクロエが呟くように問いの言葉を投げかけた。
「“麦穂”の国……って、いうくらい、だから……すごいの、かな」
水源は確保され、気候は穏やか。周囲の治安を鑑みても、“城塞都市”周辺に比して見受けられる魔物はずいぶんと少ない。平らな地形が広く点在し、耕作地に困るといったことはあるまい。まさに農作には理想的な場所──そう見える。緩々と周囲を見渡す少女に、しかしアドナは呆気無く返した。
「収穫量は普通みたいスよ。とはいえ安定はしてるみたいッスし──ただ、すごいのは別のとこッス」
「っつゥと」
「王都のパンっす」
──雁首揃えて首をひねる総員。「結構有名なんスけどね」と首をひねるアドナ。ゆらゆらと赤の三つ編みが困惑を表すかのように揺らいだ。それぞれにそれぞれの知るに至らぬ理由が、しっかりと存在していたのだが──こほんと咳払いして、歩みを進めながらもアドナはおもむろに語りだす。
「ちょっと高いんスけどね」
「そりゃあ僕は知らんわけだ……」
「保存もあんまり効かないみたいッスし」
「ほっつきまわってて食えるもんじゃねェわけだ」
「……おいしい、の?」
「ふわふわだったりサクサクだったり」
「なにそれ、すげェ」
「職人によるけど。すごいッス」
「……想像、つかない、なあ……」
「製法は国を上げて秘匿されてるとかなんとか」
「そりゃ、すごいよ。その内、戦争でも起きるんじゃないか」
ウルクが背を返り見、冗談めかした口調で笑って零す。アドナもまた、穏やかな笑みを浮かべてそれに答えた。こんな言葉と共に。「いやあ、わりと冗談じゃなさそうな感じスよ」──ほのかにウルクの血の気が引いていた。
「商いに扱えるようになりゃ戦争する必要も無ェだろ、しっかりしろよ旅商ォ」
ひひとおかしげに笑い飛ばしてみせるエリオ。そしてそのかたわら、遠くを仰ぎ見るかのように瞳を細めるウィリアムが──不意に、おおと感嘆の声を上げた。
「見えた──村だ、村! このまま下ってけば行き着ける」
橋の向こう側、川のせせらぎ。眼下に見やるは人の息づく気配。教会を中心として建ち並ぶ民家、広大なる耕作地は畝に分かたれ、小麦の穂はひときわ細やかにその峰をしならせていた。休閑地に戯れるは羊毛を刈り取られた羊の群れ。所々に空へ向かって吐き出される煙はおそらく大元を鍛冶屋とするのだろう。遠く彼方に目立ってそびえる立派なお屋敷は領主のそれに相違あるまい。
────そのような景色へと徐々に近づいていけば、明らかともなる村の入口。アーチを描く門を目印として、鎧に身を包んだ門兵が間所を守っていた。ひとまず一行を代表する形でウィリアムが前に出て、旅人として滞在を申し出でせんとした、その時だった。
「……貴様。賊──……か……?」
「違う!! 旅人! です!」
全力で大いなる勘違いを受ける一行だが、しかし元より“冒険者”と“賊”の間に大した違いなどない。旅芸人とも旅商ともつかないあまりにも無秩序な集団であるウィリアムたちは、賊の類であると判ぜられるにいささかの迷いも抱かせない様相であるからだ。ゆえにこの場合──門兵の側に落ち度は存在するまい。
「……す、すまない。所望は滞在か? 然し、あまり長期の滞在は勧めんぞ」
かすかに少年の剣幕に押されたような調子で、しかし門兵の男は一歩も退かず、ウィリアムに答える。
「……なにか……あるの、です?」
ウィリアムの後ろから顔を出すクロエに、門兵の警戒がかすかに緩む。いくら無秩序な集団といえども、彼女のような幼い風貌の少女が賊紛いの凶事に身をやつしているとは思い難いのだろう。もちろんそれは全くの先入観でしかなく、よくある話に過ぎないのだが。ああ、と男は神妙に頷く。続く言葉に、ウィリアムたちは、大いに脱力した。
ウルクは、やはりかというような表情を隠せなかったが。
「不当な嫌疑を済まなかった。────この時期は賊の襲撃が危惧されるのでな。巻き込まれる前に、出たほうがいい」
【休閑地】
休ませている耕作地の意。
この農村では三圃制を採用している。