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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv2:『旅立ち』
27/53

Level27:『月下の剣士』

 剣戟。幾度と無く繰り返される刃の音色。さながら鋼の激突に引きずられるかの如く。剣こそが真であり、身体などその付随物に過ぎないとでも言うかのような剣乱けんらんの花宴。

 その主導権は──ウィリアムの手にあった。緩まない攻めの手がアルマの反撃を許さず、刃の軌跡を刻み続ける。その由縁は一つ。ウィリアムの未熟にこそあった。ウィリアムの乾坤一擲では、アルマの堅固な防壁を打ち崩すことは、出来ないからだ。

「こなッ、くそッ……!」

「いの武者、めッ!」

 にわかに冷や汗を浮かべながらも剣を振るうウィリアム、その一方でアルマの表情には、かすかな笑みが浮かんでいた。幅広の刃カッツバルゲルの一撃、一撃を受け止めながら、微動だにしない。繊細な銀の剣は恐らく魔術による補助がなされているのだろう、その外見に似合わぬ頑強さを見せた。銀という材質は鉄や鋼、あるいはクロムやチタンといった他の鉱物よりも、遙かに魔力を伝達し易い性質を持つのだ。それゆえにかの銀剣は、無骨な刃に打ち合える強度と──そして、細やかに流れるかのような剣さばきを発揮し得る、一流の得物足りえるのだ。

 無論、それだけでは不足。使い手の力量、即ちアルマの膂力があってこそ成り立つ芸当。愚直ではあれ苛烈なウィリアムの乱撃は、生温いそれではない。だからこそ、すんでで捌き、弾き、あるいは流す、そういった剣技パリイングが冴える。現に消耗する労力は、ウィリアムの方が、遙かに大きい。

「……さす、がにッ」

 再び打ち合わせられる刃。ウィリアムはその衝撃に抗わず、後方に飛び退り着地。幾ばくかの距離を離して息一つ吐く。少なからず消耗があるとはいえ、しかし息が上がるほどではない。そして此処までの交錯は、ウィリアムにとって、決して無意味な徒労というわけではなかった。ひとつ、ウィリアムにも知れたことがある。否、思い知らされたとでも言うべきか。

「──退いたな」

 すぐさまに切り返すアルマ。ニ、と女の顔に浮かぶ、笑み。激突に圧されすらせず、彼女は地を蹴った。剣先を地に向けたまま、視線ばかりがウィリアムを真っ直ぐに見据えている。次の一手が何処から飛来するか、少年には察知しがたい変幻自在の構えだった。切り上げか、薙ぎ払うか。ウィリアムが果たしてどう待ち構えるかによって、その一閃は姿を変える。戦慄を隠しえないウィリアムに、しかし二択の選択は容赦なく突きつけられた。

 迫り来る女の銀が、弧を描く。

「────ッ!!」

 剣を握る両手。刃を垂直に地へ落とすかのごとくウィリアムは肩先に手を置き、身構える。頭の片隅に弾ける死。甲高い激突音。アルマの振るう胴薙ぎを遮り、刃と刃は十字を形作った。鋭きのあまり、勢いのままに零れた欠片が空に散る。──ただの一合、たった一合でこれだった。

 ウィリアムの思い知らされたもの。即ち、明確な実力差。あの時、ウィリアムは専守防衛のスタイルに徹していた。しかし、今は違う。打算も小細工もあったものではない、ひたすらに剣の撃ち合い。眼前の相手に打ち克つ為に、かざす真剣。そして──届かない。真っ向勝負では、とても届かないような力の差。天と地ほど、ではない。ゾウとアリほどでもない。だが、大人と子どもくらいの違いはある。

 アルマの口唇が三日月を刻む。矢張り以前とは、異なる。殊更に愉快気に、彼女は剣を振るう。二合目。襲い来る死の予感。生への渇望、衝動。それに任せて振るう剣が、ウィリアムに向けられた牙を食い止める。そして同時に悟る。これでは、勝てないと。決して届かないと。

 食い止めた、刃と刃。目と鼻の先、凶刃を傍らに二人はその面を突き合わせる。ぎちりという軋みをその手に感じながら、ウィリアムはその力を拮抗させる。アルマは、それに応えた。重なる刃が、しかし等量の力で抗い、そして止まる。傍目には、止まったように、見えた。水面下では危うい均衡がせめぎ合っている、それに一切関わらず。

「……楽しそうだな、アルマッ」

「愉しくはないか。ウィリアム」

「僕は──怖い、な……!」

 重なる剣は、遠目には微動だにしない。しかし間近に見るウィリアムからすれば、微細な震えを伴い、今にも安定を失わんとする、危険極まりない刃の邂逅。ウィリアムの険しい表情に比して、緊張感を付きまとわせながらもアルマには楽しげな色が見え隠れする。弱者をいたぶるそれでは、ない。

「きっと、いずれ、分かるッ!」

「どうして、そんなことが言える……!!」

 均衡バランスが、崩れた。

 弾ける剣花。刃の音色、同時に弾かれ吹き飛ぶ身。さながらそれは磁力の反発のようだ。されど双身は磁石にあらず。離れたならば、引かれ合う。引かれ合うとしか表現しがたいほどに真っ直ぐに、互いに踏み込み刃を突きつける。

「剣とは、盾。役目。一人で出来ることなど高が知れる」

 アルマは謳うように言を紡ぐ。ウィリアムは、間を置かずに口を開いた。放つ言葉は決まってる。そんなことは当然、当然ゆえに心得ていると。その役目を果たすことにこそ剣の価値を見出すと。だから、彼女の言葉は、あまりにも──かけ離れていた。

「だから私は楽しいよ」

 翻る円。月下に走る一閃。

「益なく害なく理さえ無く、ただただ刃を振るうのみ、何と──久しい事か!」

 アルマに去来したもの。それは感謝か、あるいは歓喜なのか。ウィリアムは、知れず思いを胸に抱く。──狂っている、と。否、決して狂ってはいない。彼女は正気そのものだ。ならばそれは、逸しているのか。あるいは、決して珍しからぬことなのか。いずれにせよ、圧倒された、そのことだけは、事実だった。

 刃に生じた迷いが、気勢を殺す。アルマの剣尖が、胸元へと伸びる。

「……ッ!!」

 届けば、切り裂く。傷口を広げるかの如く、刃先が横薙ぎに滑った。弾ける鮮血、溢れる紅が、ぱたた、と零れ落ちて石畳を濡らす。ウィリアムが──咄嗟に飛び退いていなければ、こうはいかなかっただろう。少年の身は今頃地に臥せり、溜池のような血溜まりを生していたはずだ。ならばこれは、ウィリアムの僥倖に違いなかった。

「これで手仕舞いか、ウィリアムッ」

「……バカ言え」

 少年の傷は浅い。薄く胸元の布を赤く染めるがのみ。ならば問題は無いとばかりに刃を正眼に構え、相対する。自然に熱くなる理性を冷静になれとなだめすかしながら──アルマの立ち姿を、真っ直ぐに見据える。少年のそれと然程変わらないか、あるいはそれよりも少し高いか。女性としてはかなりの長身を誇る彼女の陰影シルエットは、何よりそのリーチにおいて隙がない。すらりと伸びた細腕に長剣が合わされば、その尺は随分と長くなる。これもまた、ウィリアムにしては不利な材料だが──やってやれないことはない。

 ウィリアムは力強く、地を踏みしめた。

「これ、しきッ!!」

 その答えに、アルマは笑う。静かに笑んで、刃を掲げる。

「……上等」

 銀が、不吉な輝きを帯びていた。


 ──エリオという人間は、つくづく付き合いの良い性質である。酒を好み、酒場の空気を愛し、そしてその空間を形成する人々を何よりも好んだ。だから、ほんの別れの挨拶から寄りかかる程度だったつもりが、ご覧の有様である。酔い潰れているわけではないが、いささか酒気に赤らんだ面を風に晒しながら、エリオは夜の街を歩む。

 穏やかな夜であった。しばしば通りを歩む兵装に身を包んだ人々は、夜の警護を請け負った者達であろう。まことに頭の下がる話だ。彼らを横目にエリオが向かう先は、今まさにアルマと刃を交わしているであろう、ウィリアムの許であった。どうせなのだから決闘の行く末を見届けてやろう、観客の一つも無くして決闘は締まるまい──と、そういった心積もりなのである。よもや死人も出はすまいと気楽に構え、青年が歩を進めるその時、不意に気取る。

 果たしていずこからかの視線。

「……ァあ?」

 アルコールに浸された脳髄が、冷水を打ちかけられたかのように、さっと正気を取り戻す。否、視線を感じる程度のことならば、大したことではない。当然だ。しかしあまりにも、注視されすぎている。さして万全な状態ではないエリオでも感じ取ることの出来る、その視線はあまりに、露骨に過ぎた。

 ──尾行か。心中呟きながらも、エリオは首を捻る。ウィリアムならば、不思議ではない。かの少年が指名手配されたという旨は、恐らくお偉いさん方に仕える者から、商店だの商店だのを経由して、巷間に広まったことなのだろう。それは不確かだが、無視することは出来ない程度には存在感のある情報だ。彼が尾行されているというのならば、エリオとて納得が行く。

 しかし、なぜ。

「……考えたってなァ」

 エリオは整った蜂蜜色の髪を、億劫げに掻き分ける。考えても分かるものではない、ならば実際に確かめるほか、確かな術は無いかのように思われた。しかし、エリオ自ら相手方に働きかけるには、多大なリスクが付き纏う。それは恐らく悪手。ならば取るべき最善手は──あえて隙を晒し、油断させること。弛緩した、その間隙を突くこと。

 ゆえにエリオは何気なく、周囲にいかなる警戒も払っていないかのように歩み出した。通りを過ぎり、そして彼方に南門が何とか見え用かという場所に出る。周囲は閑散として、街の中心付近に見られた活気は、僅かばかりさえうかがえない。視線は依然として感じられるまま。

 その静寂の中、風切り音がエリオに向けて飛来した。

「──ッ」

 彼の足元、そのすぐ手前、暗闇の石畳に何かが突き立つ。矢だ。果たして何者か、しかしその意図は明白だった。エリオの身を狙い矢を射ったのか、あるいは──この先に進むなという、警告の意。しかし、そのような警告を向けられる覚えはエリオにはない。もちろんその身を狙われるような覚えもないが──知らぬ間に恨みを買ったか、あるいは何かが舞台裏で進行しているのか。

 知ったことではないと、エリオは迷いなく前進する。射角からして前方、南門側の高所に射手はいるはずだ、とあたりをつける。恐らく先ほどからの視線もそこから向けられたものだろう──そうまとめれば、エリオの歩みはやがて疾走となった。

 警告を無視したことからか、もしくは元よりそのつもりか。

 疾駆に応じてエリオに目掛け、次から次へと射られる矢。弛まぬ攻めの手が織りなす、それはさながら五月雨のごとし。ただでさえ夜には人通りの途絶える区画ゆえか、強矢すねやは一片の迷いすら無く放たれ、真っ直ぐと向かい来る。

 それの正しく一歩手前、事前に飛来する角度を察知しているかのようにエリオは躱す。交わして、交わして、交わして────すんででエリオの身を掠めていく鋼鉄の矢、その存在感を確かめながらも、躱す。避けながら身を低く沈め、まるで獣のようにエリオはストリートを駆け抜けた。

 そして、至る。

「そこか、ァ──」

 彼方から剣戟の刃音が届く南門の手前に、しかしエリオの視線は空へと向いた。否、空ではない。空に浮かぶ灯、その大本は天に向かいそびえ立つ塔。闇夜に潜み、月を背に負うその影は、かくも高みにあった。その手には長大なイチイ木のロングボウ。エリオはニヤリと笑ったまま──バックパックから、ずるりと鈎縄を引きずりだした。暗中、ほんの微かな灯火を頼りに一振るい。ガキン、と硬質な音が鳴り響く。

 鏃をエリオに向け続けるその影も、その迷いのなさには──些か、驚きを隠し得ぬかに見えた。矢先が手の中、かすかに揺らぐ。

 一矢が、弓弦から解き放たれる。

「ヒュウッ」

「……!!」

 息を呑む音が、確かに響いた。塔の石壁に引っ掛かった鉤爪が、ただの一つの道しるべ。極めて身軽なその肉体を宙に翻らせ、向かい来る高速のたがねと擦れ違い、エリオは塔上へと一直線に飛翔する。翔ぶが如く──跳んだ。

 風にはためく金の髪。今にも墜落してしまいそうな浮遊感。その感覚に身を委ね、エリオは落ちる。暗闇の射手目掛け、その体ごと、衝突する。

「──ハ」

 獲物を捉えんとするかのような、声にならない吐息。エリオの伸ばした腕が、存外に細いその手首を掴み上げる。握り、捻り、躊躇なくねじる。その身体を、塔上、床に叩きつけるように組み伏せる。木造の弓が、からりと乾いた音を立てて転がった。

「……ッ、ぁ、く……」

 漏れるか細い呻き声。うつぶせに組み伏せたその身の背に、エリオは容赦なく膝を乗せ、下界を見下ろす。そこから見えたのは──ウィリアム。そして彼に相対する女剣士。アルマ。彼らの、決闘であった。こいつァ渡りに船かとエリオは瞳を瞬かせ、そして身を伏せる射手へと問うた。

「何のつもりだ、あんた。街中でいきなり人を撃つもんじゃーねェぜ」

 その振る舞いからすれば、傍若無人なるはエリオと言っても間違いの無いところだが、しかし吐く言葉ばかりは正論だ。は、と繊細な息を吐きながら、しばし身をよじらせていた矮躯は、しかしやがて諦めたかのように口を開く。

「……警告。した、でしょーに」

「あァ──されたような気もすんな」

「あんた、ってのはッ!」

「うるせー! 危ねェことに変わりァ無ェだろが!」

「ぐぬ……」

 本当に音が立つのではないかという程に、手折れた射手は歯を食いしばった。その声色は高く、そして弾むような音色。エリオは改めて、その影を見下ろす。白い膝丈のコット、男物のベージュの半ズボン、といったにわかに少年じみた服装。しかしその相貌は、紛れもなく少女のそれだった。色素が薄いのか橙に近しい茶髪は大雑把に中途半端な長さで切られており、乱れた毛先はあちこちを指している。強気な茜色の瞳が、真っ向からエリオを睨みつけていた。

 そして、何よりも。

「ちっせェー」

「ち、ちっちゃいとか言うなッ! おいッ!」

 ひひひとエリオはいかにも意地悪く笑い声を上げる。彼が言うように、少女は──否、すでに童女とも称すべきか。クロエ以上に幼さを思わせるその姿は、その身の丈、エリオの歩幅二歩分にも達さないだろう。小さな人ハーフリングの類か、とエリオは当たりをつけた。その体格からも予測される上、そして何よりの証左──靴というものを身につけていない素足が物語っていた。

「からかわねェから吐いとけよ。何のつもりだ?」

「……アルマに、たのまれた。危ないから、人を近づけないように見張りをって」

「お前があぶねェな……」

「ふつうの人ならはじめの一矢か二矢か、そこで退くはず──それが全力で来て、真っ当な市民とは思えないよ!?」

「いや普通に立っとけ! 止めろ!」

「だって、わたし、なめられるし」

「だろうなァ──でも、それが仕事だろうが」

 仕置き代りとばかりにエリオの掌が、少女の小さな頭をスパァンと叩く。小気味よい音が響いた。ハー、と息を吐いてエリオは肩をすくめる。

「オレはあいつ──ウィリアムの仲間だからさ、イイんだよ。気にすんな。どうせあの女だって気にしねェ」

「……わかった。わかったから、離してほしいんだけど」

「離したらぶん殴るだろ」

「うん」

「正直で宜しい。離してやらァ」

 彼女の身体の上からエリオが退くと同時、青年の顔面に小さな拳が埋まった。

 当然の帰結である。

 見張り台に始まるは、見物人の場外乱闘か。

「痛ェ!?」

「ばかだ」

「オレの心遣いに弁えるとか無ェの!?」

「断る!」

 ────喧しかった。


 刃の交錯は果たして幾度を数えたか。重なる剣閃は何合目に至ったとて、しかしウィリアムの剣が彼女に届き得ることはない。アルマの刃が少年の身に、幾度と無く刀傷を積み重ねているにも関わらず、だ。

 されども深く沈むかのように暗い瞳は、決して諦めたわけではない。少年の瞳は、真っ直ぐに薄暗い光を湛え、アルマの姿を見据えていた。機をうかがっていることは、アルマにも知れる。何かを狙っているのだということは、彼女にさえ明瞭。それは本来ならば愚直と称するに相応しいが、むしろアルマにとっては、心昂らせる要素の一つと言っても良かった。

 ゆえに彼女の指先が、ついと銀剣の刃をなぞる。柄の元から剣先までを辿り、その隅々にまで魔力を伝達させる。──風が吹き荒れた。逆巻く疾風が剣先を覆い、かくて刃は空を纏う。気配がはっきりと変じたことは、ウィリアムにも気取ることが出来た。

「……全力じゃ、なかったんだな」

「瞬間最大風速の様なものだ。あまり持たないが──」

 ──はやいぞ。

 彼女の唇がそう零した時、刃はすでにウィリアムの頭上へと迫り来ていた。振り落ちる剣を目掛け、咄嗟に掲げた幅広の刃が一閃を途絶えさせる。そして、驚愕せざるを得ない。疾い、しかしそれだけではなく──重い。剣を握る手が、痺れるように震えた。押されているような圧迫感を、護りの手にも如実に感じられる剣。風圧。それが剣先に凝縮され、ウィリアムへと叩きつけてられているのだ。とても真っ当には受け止められない凶刃。衝撃の瞬間に空に散る風刃が、ウィリアムの身を裂いて肌を刻む。溢れる紅に衣が濡れる。

「──ぐッ!!」

 咄嗟に、地と水平に刃を振るい、弾く。捌きはするが、防戦一方。これでは以前と変わり無い、実質上の敗退を強いられよう。だからウィリアムには、決め手が必要だった。必要だが──ウィリアムには、他の誰にも使えないような特殊な技術、そんな持ち合わせはない。魔法も、あるいは精霊の術の心得さえも無い。あるのはほんの少しの勇気と、欠片ばかりの剣技。決して十分とは言いがたい。しかしそれでも、やるしかない。

 弾いた剣が、しかし間を置かずに再来す。降り落ちる剣閃と風圧に、灰髪が忙しなくはためいた。受け止めせしめんとするウィリアムの剣は、その勢いがままに女の刃を跳ね上げんとする。──その勢いを乗せて、しかし押し切れぬ。アルマの剣の強靭がゆえに、逆に圧迫されるほど。刃を滑らせ、ウィリアムは一歩退く。すかさず繰り出された突剣を、袈裟にウィリアムは切り落とす。アルマの刃先が地を向いた。至近。ならば次に放たれる剣は、ウィリアムの想定内。

 想定出来るからこそ、脅威。

 地にかざされた刃は、しかし一拍で指向性を持った剣閃を生み出す凶器。変幻自在の刃──それは、二度目。この究極の二択は、二度目だった。しかしそこには、繰り返す意味がある。繰り返されるだけの、効き目があるからこそ。現にウィリアムにとっては、困窮せざるを得ない状況。

 切り上げには地と水平に、横薙ぎには地と垂直に、刃を構える必要があった。そうでなければ、風切りの刃は完全に防ぎ切ることは困難。否、真っ向から防御した所で、凌ぎ切ることが出来るかどうかさえ不明瞭。それでも防がなければ、ウィリアムの戦闘不能は必至。ゆえに少年は防御行動に出ざるを得ない、それが必然。

 ウィリアムが見せる、一瞬の逡巡。吐息の間をおいて、ウィリアムは剣を水平に構える。一瞬。躊躇、戸惑いはほんの刹那に過ぎなかった。その極々僅かな時間が──アルマの付け入る隙となる。

「──終いだッ!!」

 横薙ぎ。疾風の剣が風を切り、ウィリアムの身へ至らんとする。まともにその肉体を刻めば、あるいは致命傷にもなろうかという兇刃。

 同時。

 それは、全くの同時だった。

「──ッらァァァアアアッッッ!!」

 猛り、吠える。がむしゃらに、踏み出す。攻勢のために、踏み込む。

 自衛行動に出ざるを得ない、それが自然──それこそが、狙い。即ち、盲点。

 元より防御など一切に意識の範疇に含んでいないウィリアムは、水平に構えた剣を、真っ直ぐに突き出した。この至近距離にあって、それはアルマの一閃にも匹敵しようかというほど迅速。加えて繰り出される剣先は、アルマの軽装鎧を容易に貫きえる強靭な刃。

 血走ったウィリアムの視線。見開かれたアルマの瞳。交錯は刃と共に、重なって通りすぎる。まさにアルマのロングソードがウィリアムの胴を割らんというその時、ウィリアムのカッツバルゲルが、アルマの腹へと、突き立った。

「なッ……!!」

 ついに──少年の剣が、女の身へと届いた。深々とその身を貫かれたわけでは無くとも、しかしアルマは浅からぬ傷を背負わざるを得ない。走り抜ける痛み、止めどない流血。唐突に意識させられた死の予兆が、アルマの剣を振るう手の力を、緩めた。振り抜くことは出来ず、ウィリアムの身に食い込む片刃が、しかし明らかな傷跡を残す。それでもこれは、必要経費。

 “やってやれないことはない”──そう、しかるべき代償と引き換えにするならば。

「……これ、で……ッ」

 ウィリアムの握る剣が、血を滴らせた。咄嗟にアルマが退く。わずかに見えた光明、希望。それに縋るように、ウィリアムは真っ直ぐと向ける視線を絶やさない。絶やさない、つもりだった。

 その視線が不意に、ぐらりと揺らいだ。

「対等、にッ……──?」

 アルマは、ゆっくりとウィリアムに焦点を定めた。視線を落とし、見下ろす。そう、見下ろされた。──ウィリアムの身体は夥しい流血の果てに、揺らぎ、崩れ、ぐったりと地に倒れ伏していた。高揚のためか、本人さえも気づかぬ内に。

 反撃の機会をうかがう最中、アルマに負わされた傷は、決して浅いものではなかった。ならばこの帰結は、長期戦を挑んだがゆえの必然。

 立ち上がれないわけではない。指の先一つ動かないわけでもない。剣を握れないわけじゃない。それでもウィリアムに、最早勝機は無かった。柄を握り締める掌が、にわかに震える。その体躯は、血溜まりに沈んだままだ。

「意気は、買おう」

 アルマは、空の左手を自身の腹に伸ばす。刃先の突き立った痕跡。鋭利な裂け目は紅を流し、延々と肌着を赤く染め続ける。その傷を、痛みを確かめるかのように、彼女は掌を傷痕に重ねた。

「僕、は…………アル、マ」

「なんだ」

「……知って、たのか……これ」

 ひゅん、と刃を一振るいして血を払うアルマ。見下ろしたウィリアムに向ける、無言の首肯。見上げた少年は、ぎちりと歯を食いしばったまま、地に伏せる。

 地に臥せったままの掌が、しかし突如として、地に突き立てられた。ウィリアムの上体が、引きずられるかのように起こされる。

「……ちく、しょう……ッッ!!」

 彼女か天か。吐き出される苦鳴は、果たしてどこへと向けられたものか。その様を見てか、アルマは静かに視線を切る。

「早い内に、手当てを受けろ。その出血量だ────死ぬぞ」


「──その必要はありませんな」


 夜に、耳障りな声が響いた。否、それを耳障りだと感じたのは、ウィリアムであるからこそか。地に突き立てた掌が、拳の形に、固く握りしめられる。掲げた視線の先に、それはいた。

 石畳を叩く音は、蹄の響き。それが幾重にも重なった。馬上に跨る男が、四人。両サイド、重装鎧に身を包んだ姿が、三人ずつ。総勢十名を数える小隊。──騎士か。一目にウィリアムは悟る。騎乗戦闘の心得あるものは、ことごとく騎士身分の生まれであるといっても過言では無い。ウィリアムの視線が鋭く狭められる。

「……武官殿。斯様な所を何用か?」

 アルマは静かに視線ばかりをやる。ほのかに汗の浮いた相貌に、しかし幾ばくかの凛々しさが垣間見えた。男を見る目にどこか怪訝な色合いが見え隠れするのは、決して気のせいではない。騎士とはその大方がその地の領主か貴族かのお抱え──ゆえに彼らの私事について働きかけるのが常だ。下町くんだりに出向いては治安維持などに努める、などといったことはほとんど皆無。

 つまりがアルマにとって、彼らは厄介事の報せのようなものなのだ。

 彼女の言葉に、彼らの視線は一斉にアルマへと注がれた。騎士の一人──中央の者が一歩、代表としてか前に出る。先刻に制止の言葉を投げ掛けた、若い男であった。

「さる情報筋によれば、御尋ね者がこの地に留まっていると、そういった旨でな。お引渡しを願えませんかな、アルマ殿」

「そのことは私の管轄外だ。好きにしてくれ」

「では」

 間を挟まずにアルマは即断する。同時に視線を落とし、そこに伏しているであろうウィリアムの姿を一瞥した。言葉ばかりは迷い無くとも、事態は把握しかねたとしても、幕切れがこれとはあまりにも呆気無い。ゆえにほんの手助けくらいならば出来ると、果たして少年が少しばかりは動けようかと──その目に見て確かめようとした、その時だった。アルマは瞳を見開いた。仰天、である。

 驚愕は、アルマのみならない。依然として倒れ伏していたウィリアムとて同様。加えて成り行きを見守る騎士達すら、予想だにしない。──丈は踝にまで至らんかというローブに身を包んだ、小さな少女。一つ結びポニーテールの黒髪が、やけに目立つ。

 クロエが、いた。

「──な」

 なぜ。

 ウィリアムの口腔がぱくぱくと無意味に開閉しながら、言葉を紡ぎさえしない。生まれ出るは疑問の海。彼女は知らないはずだった。少なくともこのような場で、アルマと切り結ぶことは、彼女の認知の外のはず。また、その事は人伝に、例えばネロから聞き知っていたとしても、この場所までは分からぬはず。ならば、なぜ。

「……エリオ。つけて……きちゃ、った」

 開いた口が塞がらない、とはこのことだ。ウィリアムの抱いた疑惑を綺麗に掬い上げ、答える言葉に、絶句する。エリオはこの場所を知っている、知ってはいるが、しかし何のために。というか、なにやってるんだ──と言う暇さえなく、元より手当てのためか。ウィリアムの開いた口に、クロエは薬草を詰め込んだ。

 ぎゅっぎゅ。

「もぐあ!?」

「……ちょっと、は、なおる……はず」

「治るか!? ……あれ、ちょっと楽だ」

「……ん」

 少女は満足気に表情をほころばせる。そして、ゆっくりと立ち上がった。

「本当に。存外、破天荒だ。あなたは」

 呆れ返ったように、かすかに汗の浮いた額を掌で押さえるアルマ。同時──ウィリアムを“回収”するためだろう、少年の身に迫っていた付き人の兵が、あまりにあまりな展開に、その足を止める。

「ルーファン殿」

「構わん」

 ルーファンと呼ばれた代表の騎士が、鎧の男に言い付ける。その男の手の中には、一本の槍があった。しかしそのやり取りに応じてか、クロエが、立ち塞がる。ウィリアムへの行く手を、遮る。

「行け──構うな」

 一瞥の視線を向ける男に、しかし騎士は躊躇なく繰り返した。些細な障害など無きも同然、排して何を構うかとばかりに、ルーファンは言い切る。一時の逡巡。

「退いてくれは、しまいか」

「……できない。……今、守れるのは、私だけ、だから」

 少女は、退かない。一切の後退を己に許さずに。

 男は静かに首を振った。矛先はクロエへ、静かに槍は掲げられる。ウィリアムの脳天に、凄まじい勢いで──血が昇った。力を振り絞るように、少年は立つ。

 切先が、落ちる。

 その時、まさにクロエの矮躯を貫きせしめんというその瞬間、剣の刃が、男の胴を一突きに貫いた。呻きも叫びさえも聞こえない、迅速の剣。届かぬ凶刃に、クロエは瞳を見開く。槍の刃は、クロエの手前で静止していた。

 ──ウィリアムの手が、槍の柄を握りしめて止め。

 ──アルマの剣が、男の身を一太刀に貫いている。

「危なっかしすぎるぞ、クロエ。──何の公算も無しに」

「……ごめ、ん。……でも」

 ……放っては、おけないもの、と。クロエは囁くように呟いた。仕様の無いとウィリアムは肩を竦めれば、地に取り落とした刃を拾い上げる。残るは九人。さてどうしたものかと視線を流す。

「アルマ殿、これは、これはいかなるッ!!」

 ルーファンが、慄きに喚く。アルマは突き立てた剣を引き抜き、凛と吐き捨てた。

「人の戦に首を突っ込む、そこまでは許そう。だが──善良なる市民に手を出すなど、言語道断。────疾く去ね」

【コット】

中世から近世にかけて西欧で用いられたチュニック型の衣服。

緩やかで、丈が長い。女性ものなら床に引きずるほどの長さも珍しくなかったが、ここでは膝丈とする。


【歩幅二歩分】

設定上、エリオの仔細な身長の数値は174cm。歩幅を65cmとするなら、130cm以下という数値になる。

ちなみにクロエは140cmに届くくらい、ウィリアムは165cm、アルマも165cm付近。

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