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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv2:『旅立ち』
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Level25:『決意へと至る由縁』

 暗い部屋は未だ夜半。明かりもなく、起きているものの姿もない。だが、小さな寝息はかすかに聞こえていた。なぜならば彼女は、自分でも気づかぬ内に机に突っ伏して眠りこけていたからだった。

 ──彼女。クロエである。

 自室の椅子に座し、机に向かい、羊皮紙をにらめっこしていたつもりが、物の見事に、机に頬をむにりとくっつける形で寝入っていた。なんたる不覚か。涎を垂らしてでもいないものかと少女はしきりに口元を部屋着ローブの袖でぬぐい去るが、別段どうという異変も無かった。緩々と頭を起こして、そこでようやく身体に感じる暖かさに気づく。クロエの肩から毛布がかけられていたのだった。そのまま、ふと背後を見やると──ネロの姿が目に入った。まるで気配も感じさせずに、彼女がそこに存在していることに、クロエは驚きを禁じえない。

「おや──申し訳ありません。起こしてしまいましたか」

 表情を変えずに軽く小首をかしげる姿に、ああ、彼女がこれを被せてくれたのかと得心が行く。クロエにしても、自分でも身体がそこはかとなく汗ばんでいることが分かった。なんというか、こう、気になるのである。就寝前は色々と脳みそが振りきれていたために意識にも留めなかったが、せめて身体くらいは拭いておかねばなるまい──などと少女は真剣に考えた。極めて、深刻に。

「……ううん。きにしない、で」

「──はい、お身体を冷やしませんよう、お気をつけ下さい」

 恭しく頭を一度下げてから、ちらりとネロは机の上へと視線を落とす。そこに広げられた紙片を見て取れば、ふむと頷き一つ。軽く視線を下げると、クロエに視線を合わせて覗き込むかのように、見据えた。

「お役に立てそうでしょうか」

「……うん。──今、お祖母ちゃん、だいじょうぶ……かな」

 彼女によって被せられた毛布にもそもそと包まりながら、クロエはゆっくりとネロに向かって視線をかかげた。御祖母様ならまだ起きていらっしゃるかと、とネロは思案げに紅い唇に指先をあてがいながらうそぶく。

「小さな事でしたらお伝えしておきますが」

 言葉に、クロエは小さくふるふると、首を横に振った。大切なことだから、と。ネロはそれ以上を詮索することなく首肯すると、ネロは机上に、かちゃりと音を立て、一包みの袋を置いた。その響きにはクロエとて決して馴染みのない音色ではない。硬貨の響きである。

「ウィリアムさんから、報酬の取り分だそうですよ。今は死んでらっしゃいますけども」

 残虐なる言い草だが、抑揚に乏しい声音のネロが発すれば、実に何気なく聞き流してしまいそうなことが恐ろしい。だが、ウィリアムの実際といえば、彼女の言葉通りに死んだように眠っているため、大した問題ではなかった。それよりもクロエの気になる点は、その袋の重みである。しばしば店番を勤める身のクロエからすれば、目算である程度の分量はわからなくもない、のだが。

「……ちょっと、おおい……よう、な?」

 はてな、と首をひねる。クロエの取り分ということだから、三等分にされているはずなのだが、それにしては随分と多いような──気が、した。いくら報酬に色を付けられていたとしても、である。

 それなのですがとネロは、にわかに困ったかのように、細い眉をたわめる。

「居候の身分ということで家賃にと四等分にされまして」

「……うん」

「それで御祖母様に申しましたら、クロエさんにと」

「……む、むぅ」

 思わずへの字口になるクロエ。なんとも複雑そうな表情になって、ぐりぐりとこめかみを親指で押さえ、神妙に呻き声を漏らす。なんというか──見透かされているような、気分に、なってしまったのだ。

 金貨の袋を上下左右から神妙に見回した後、ひとまずクロエの中では、半分はウィルに返しておこう──ということに心が決まった。結果としてはふりだしに戻ってしまうわけなのだが。

「わかった。……ありがと、う」

 こくりと小さく頭を下げるクロエに、お構いなさらずとネロは言い含める。丁寧ながらもともすれば無感情な言葉の色は、しかし聞くものを不快にさせない。空気のように希薄でもなければ、水というほどに明瞭でもない。物言わねどもしっかりとそこに存在する──大地か。もっとも、クロエから見ても華奢な彼女に相応しい形容かどうかといえば、やはり首を傾げてしまうが。

 ──とはいえクロエほどに華奢でもなければ頼りない風貌でもない。余談だが、クロエの方が年上である。ネロ。職業奴隷。身分奴隷。十八歳。

「お伝えしたいことは、以上ですので、では──」

 お休みなさいませと、そう言いかけたところで、ふと留まる。ゆっくりと、目の前のクロエの姿を、見下ろす。幾ばくか生気を取り戻したようではあるが、いかにもくたびれた様相の少女。普段は後頭部で結われている黒髪ははらりとほどけて、背に無秩序にはべる。机に突っ伏して寝ていたせいであろう、白い肌に木目は残らずともほのかに紅く痕が残る。汗ばんだ肌へ、かすかに衣服が張り付いてもいようか。

「────お身体、お拭き致しましょうか」

「……う、ん。……おねがい」

 閑話休題。

 場面割愛。

 時間経過。

 それではお休みなさいませと改めて夜半の挨拶を取り交わしたところで、しかし今更に眠気の訪れを感じられるわけでもなかった。つまりそういうわけで、クロエは、クレハの部屋の前に立ち尽くしていたのである。逡巡はほんの一瞬、こつこつと小さな手が戸を叩く。

「クロエ、ね。入っていらっしゃいな」

 部屋の中から、落ち着いた声。──長年と暮らしていたにも関わらず、否、ずっと祖母と二人で暮らしていたからこそであろう、クロエは大いに驚いた。投げかけるつもりだった声が思わず引っ込み、ぱくぱくと口唇を開け閉めさせてしまうほどである。足音と、ノックの音、それだけで来訪者が誰かを判断したのだろう。かちゃりと戸を開けば、部屋に灯る微かな光、机上に広げられた羊皮紙、そして向けられた老女の柔和な笑み。どこか人を安堵させるそれ。ゆっくりと合わせられる視線。年老いたおうなは、しかし腰の一つも曲がっておらず、その目線はクロエのそれよりもずっと高い。

「まずは──お疲れ様、かしら。面白いものも見られた様」

「……うん」

 こくん、と頷く。──城塞都市カタラウムには少なからず人外と呼べる者が存在する。人にあらざる者共たちが、人間の生きる社会の中で暮らし、生きている。生まれてこの方、町の外──他の国というものを見たことがないクロエにとって、その光景はさほど違和感を抱かないものだった。そして同時に、知った。

 その光景は並々ならざる努力の上に成り立っていたのだと。

 人には人の。そうではない者にはまた別の、流儀、規範、社会というものが存在する。にも関わらず、人ならざる者が人間に交わり生きるということ。それは、数の上で、それのみで圧倒的に多数である人間の社会に合わせて──即ち自分を曲げ、変えることによって──ようやく成立することだった。

「……見て、きた、よ。……すごく──」

 遠い、存在だった。

 手の届かぬほどに、人間とはあまりにもかけ離れた。

 人とは異なる時を生きる者。

 エルフ。

「クロエ。……私はね、一度もエルフを見たことはない。けれども、いるかもしれないし、いて欲しいとも思うわ。──それに憑かれた人を、知っているから」

「……憑かれ?」

「そう」

 嫗は穏やかに頷いてみせる。きしりと椅子が軋みを上げた。お座りなさいな、とクレハの誘う声に応えながら、クロエはベッドの上に腰掛け、ゆっくりと続く言葉を待った。

「人になじまぬもの、なじめぬもの。植物のように穏やかな時を刻むもの。大樹のごとく人々を見守るもの。──それを変えようとした人」

 しがない昔話ね、とクレハは懐かしむ様にうそぶき、にわかに天を仰いだ。

「……でも、それを、変えるのは──……たくさん、困ることは、あるとおもうけれど」

「然り。その困ることっていうのは、人の都合、だものね」

 あるべきは、あるがままに。いつかの彼女の言葉が、少女の脳裏に去来する。

 見つめる真っ直ぐな瞳を、クレハは至極、穏やかに受け止めた。──さて、と彼女はクロエと向き合ったまま、手を膝に置く。

「大切な──お話なのでしょう?」

 老婆の表情は、幽かに微笑んだかに見えた。淡いそれに、クロエは首肯すると共、唾を飲む。すでに、迷いはなかった。

「──私、旅に出る」

 決心を吐き出す。後ろめたさも躊躇もなく、まっすぐに言葉を向ける。クレハは──驚かない、わけでは、なかった。驚かない、はずもなかった。けれども、きっと半ば──予想していたことだった。予想が出来た、ことだった。

「突然ね。……いえ、突然でもないのかしら。思えば──」

 箱入りに育ててしまったことはきっと過保護にも余りある、そのことに問題があるのだと、クレハは考えていた。貴方の望むがままに生きろと向けたその言葉に、迷いもなく「お祖母ちゃんみたいに、人を助けたい」と答えた彼女は、果たして何年と時を遡ることか。長い時を隔てて一人前と言える技術を身につけ、そして彼女は知った。

 この世界に存在する生命を、その多様なるを。

 人が伸ばす手の届く距離は、限りあるものなのだと。

「──理由わけを聞かせてくれるかしら」

「……人だけじゃ、なかった。……ううん、なんというか──人は、あわせてもらって、たんだ。……それが無いと、途端に立ちいかない」

 訥々と言葉を選びながら紡がれる。まっすぐに向き合ったまま、視線を交わし、言葉を交わす。息を継ぐクロエに、クレハは緩慢に頷き、促す。ゆっくりと開く、口唇。「……私は──」


「私は世界を知りたい」


 クレハがにわかに視線を細める。どこか眩しげに。

「……共に生きられるか、そう聞いて、あのエルフは、それはきっと、ずっと先と、答えた。……私には、返す言葉が、なかった。……だから」

「──ええ」

 静かにクレハ老は、微笑む。答える。ある種、覚悟の一つでも決まったかのように。孫娘の言葉に。

 止めることを、考えないわけでは、なかった。考えないはずはなかった。その可能性が脳裏に過ぎらないわけもなかった。けれどもそれは無意味なのだと、半ば以上に悟った。止めることは、出来る。実際問題、出来るかどうかで言えば、それはむしろ容易なことだろう。けれども──

「……私は、ほしい。────“そんなことはない”って、言い切れるだけの、ものが」

 無意味なのだ。

 いくら止めたところで、押しとどめたところで──真っ向から向けられるクロエの双眸、その蒼穹に浮かぶ真っ直ぐな光──比類なき動機モチベーションの火を消すことなど、誰にだって出来やしないのだから。

 クレハは、ふふとおかしげに息を零す。その様子に、クロエもまた気勢を削がれたかのように、とすんと肩を落として、ばったりと後ろ向きにベッドに倒れ込んだ。さながら緊張の糸が途切れてしまったかのような姿である。転がったままゆっくりと祖母に視線を向け、クロエはぽつりと呟く。

「……おばあちゃん」

「なにかしら」

「……私、親不孝者、かなー……」

「クロエのお母さん程じゃあないわ」

 あの子は今頃どうしているのだか──と笑って、ゆっくりと立ち上がり、クロエの隣に腰を沈めた。緩や、視線を落とせば、映り込むのはふわり、笑みに緩んだ娘の表情。全くと肩を竦めて、老女は微笑む。微笑。

「しっかりね」

「……うん」

「元気に戻りなさいな」

「……もちろん」

「何かと大変よ──旅っていうのは」

「……わかる、かな」

 ある程度の想像がつくくらいには。否、想像を絶するほどに、とも言うべきか。しゃわがれた老婆の手のひらが、くしゃりとクロエの頭を撫でつけた。「一体誰に似たのかしらね」呟く声に、クロエのさざめくような笑いが返ってくる。なんでもないことのように、当然のごとく。それはクレハからすれば、思わず呆気に取られてしまうような、言葉だったのだけれども。

「……私も、お母さんも、そうなら。……きっと、おばあちゃんから、似たんだ」


 かくして一夜明けた朝方、ウィリアムは一通の手紙を受け取ることと相成った。「その場で御返事頂けましたゆえ」とのことで、ネロから手渡された一通。その封を切ってみれば、『今宵、十夜の鐘が鳴る刻限、南門にて』とある。アルマらしい──と、思った。いっそ男らしいとすら感じる、簡潔極まりない手紙である。南門という場所がどこなのかウィリアムにはわからなかったが、しかし前もって確かめておけば良いことだろう。走り書きの文字にざっと目を通して、地下室を出る。店内を見回せば、クロエとエリオはすでに出た後のようだった。ネロとクレハ、各々と挨拶を交わしてウィリアムは薬屋を辞す。

「よォ。遅ェかったな」

「……ウィルも……朝、市?」

 ものの見事にウィリアムはずっこけかけた。エリオとクロエがそこにいた。

「ああ、でもまあ必需品の買い足しは要るか……」

 何にせよアルマとの約束を済ませば、その足で町を出れば良いかと、そう考えれば渡りに船といった所であった。ウィリアムが首肯する。

「オレはちィと同職ギルドさんちに頼んだもんがあってね、そいつ取りにかなきゃなんねェんだわ」

 ちょうど良い寸法の弓があるってんでなァー、と朗々と語るエリオ。先日での酒場のくだりから延々と飲むに連れて勢いで契約してしまったのではないか──という疑惑じみた視線がエリオに向けられたことは、決して不思議なことではない。なぜならその視線はウィリアムと、そしてクロエのそれだからだった。つまり、そういう印象値なのだ。

「──かさばるから持ってなかったってェだけでオレの本職は弓手だぜ。いやホントに。信じろ。オレを信じろ」

「……ほんとう?」

「ということにしておこう」

「オイ、仕方ないからそうしておいてやるみてェな雰囲気はやめろ」

 そのやり取りにか、くすりとおかしげな笑みを口元に浮かべるクロエ。彼女は一度二人を返り見れば、丈長のワンピースブリオーの裾を引いて、先導するように歩みだす。

「……いこ?」

「うん」

「応ォー」

 ……正直なところ。

 三人足並み揃えるもこれっきり、というのも、無いよなあ──と、ウィリアムは天を仰いで、考えた。

 全てが丸く収まるような、先日にエリオが語った、妥協をせずに済むような、選択を。

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