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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv2:『旅立ち』
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Level15:『幻想の種』

 冒険者に必要とされるものの一つに、嗅覚がある。宝の匂い。力の匂い。厄介事の匂い。例えそれがきな臭くとも、面倒であろうとも、それがゆえに金銭の影は付き纏う。雑多な情報からそういった匂いを嗅ぎ分けて、彼らは受ける依頼を吟味する訳だが──かの酒宴から数日と経たぬ内の事、ウィリアムは酒場『旅の帳亭』にて、思わず訝しげな視線を店主に向けた。

「……エルフ?」

「あァ。なんでも、最近、や、ちょいと前かね。ここらに出来たダンジョンに、迷い込んだ間抜けが、見たんだってさ。まだちっちゃい子どもって言ってたねえ──クロエちゃんと同じくらいじゃあないかい?」

 店主の妙齢の女性、というかおばちゃんであるところのイルが答えた。やおらグラスを磨きながら、このくらい、と親指と人差し指の間の距離を示す。いや、流石にそこまで小さくはない。ウィリアムは真顔で首を振る。そしてあいにくながら、子どもでもないと否定するべき当人は、この場にはいなかった。

「そんな馬鹿なことが──無い、こともない、のか? うーん」

 カウンターに座するウィリアムは、神妙につぶやき、唸り声を上げる。安物の硬くなったパンを牛乳にひたして、一口。その傍らで当然のように酒精を傾けていたエリオが、飄々と口をはさんだ。

「エルフなんつってもよ、それこそ詩とかお話の中でしか聞いたことねェよ、オレ」

「僕もだな──あ、いや、記録なんかでも見た覚えはあるけど」

「あたしもなんだがねぇ」

 小さくため息を吐いて、イルはことりとグラスを置く。──そう、彼らの言葉通り、この世界においてエルフの存在は一般的ではない。存在した、という記録は散見される。いわく自然と共に生まれ、精霊と戯れに生き、そして世界に還ると。しかし、確かな証拠は残されていないのだ。ゆえにそれは、幻想の存在に等しい。

「どうも、見つけたやつの頭がどうかしちまったって訳でもないみたいでねえ。そのダンジョンがね、いきなり森の一部が“迷宮化”して出来たモンだってのも事実なのさ」

「迷宮化、っつゥと?」

「仮定の話だがね、ある一点を中心とするだろう? その中心に近づこうとしても、入り口に戻されちまうんだと」

「ははァん」

 それでどうにかならんもんかという依頼は来てるんだがねぇ、とイルは困った様に呟く。困惑は、至極当然だろう。冒険者の側としては、胡散臭すぎるのだ。何ぞに惑わされぬとも限らないのだから、それこそ腕っ節ひとつでどうにかなる仕事を請け負う方が、よほど確実だ。出来るか出来ないか分からない仕事よりは、確実に出来ると分かっている仕事を選ぶ。誰だってそうする。

「よし、やろう」

 エリオが酒を吹き出した。何度となく咳き込む。

「お、やってくれるのかい? それじゃ、頼もうかねえ。こんなに金になりそうな話なのにねえ、食いつきが悪くって参るよ、あたしも」

 ウィリアムははっきりと頷いてみせる。若いのは骨があって良いと酒場の主は豪快に笑い、さらさらと羊皮紙に何事かを書きつけていった。と、ようやく落ち着きを取り戻したエリオがウィリアムを見る。狂人を見る眼だ。以前もエリオはこんな眼をしていたことがあったように思うが、それはきっとウィリアムの気のせいではないだろう。

「ウィル、お前、あれだな!? 実はなんも考えてねェだろ!?」

「いやいや。エルフ云々は置いておいても、探索してみる価値はあるんじゃないか? それに──」

 ぴ、と指先を立てる。暗い瞳にほのかな光を浮かべて、にぃ、と口元には悪童じみた笑みが浮かんでいた。笑うがままに、自信満々に、ウィリアムは言い切ってみせる。

「夢があるだろう!」

「バーカ! バーカ!」

 少年はその依頼に、浪漫の匂いを嗅ぎとったのだった。

 ひとしきりエリオがウィリアムを罵り終えた時、イルが、あぁそうだと何かを思い出したかのように振り返って、彼らふたりに問う。

「セプテントリオン、って知ってるかい」

「うん。知ってる」

 その仰々しい名を聞いて、ウィリアムは頷く──そして同時に、エルフのくだりを耳に入れたときほどのそれではないが、著しく怪訝そうな表情を浮かべた。そんな様をエリオは一瞥して、首を傾げる。

「オレは聞いたこともねェな。なんだそりゃあ」

「そうだな──“帝国”の周りに、周辺列強の七ヶ国ってあるだろ」

「あァ」

 エリオは大人しく頷き、続きを促す。ウィリアムの語るとおり、“帝国”はこの大陸の中心部に鎮座する。そして、その周りをいくつもの国々が取り囲む形となっている。それら周辺諸国の中でも特に力を持った七つの国、これが周辺列強七ヶ国と称された。

「んで、その七ヶ国の協定で、それぞれの国の冒険者ギルド“最強”をかき集めて組織したのが“剣魔七星セプテントリオン”。非常時のための少数精鋭部隊、ってとこだったと思う」

「分かったような分からんような、だァな。で、それがどうかしたのかよおばさま」

 ついでにもう一杯頼まァ、などとのたまいながら、エリオはおどけた調子で尋ねた。ことりとカウンターに置かれたグラスに、エールをなみなみと注ぎこむ最中、イルは声をひそめて囁く。

「何でも、その内の一人が、この辺りに来てるんだってよう。渡りの商人共がしきりに話してるからさ、気になってねぇ」

 注がれた酒をもし口に含んでいたならば、エリオはまたそれを吹き出していたかもしれない。暫し唖然とし、そして自棄を起こしたかのごとく一気にエールを喉に流し込んだ。

「……僕としては、単純な人違い、とでも考えた方が、よほど納得出来るんだけども。この片田舎まで出張ってくる理由も、わからないし」

「まさか戦争起こしにきたわけでもねェだろ?」

「だと良いんだがねぇ」

 どうにも近頃は物騒でねえおちおちノーラにも出歩かせられやしないよ、ああノーラってのはうちで働いてくれてる一つ目の子でねぇ──と、こういった具合に、おしゃべりな彼女の長話は延々と続くわけで、今しがた得られた与太話のような情報が、この場で深く鑑みられることはついぞ無かった。娘さん紹介してくださいよおばさまよォと臆面もなく言い切ったエリオに、笑みと共に拳が送られる。物騒さの一端を担っていたと言えなくもないウィリアムは、思わず苦笑いを浮かべるばかりであった。


 さて、ウィリアムとしてはいささか恐縮の体なのだが、彼と、そしてエリオは現在、薬屋『黒枝』の地下室を借り受け、仮宿とさせて貰っている身分である。家主であるところのクロエの祖母、クレハには「孫娘の命の恩人よ? このくらいのことで恐縮するものじゃないわ」と軽やかに笑い飛ばされたが。

 そして、住み込みで働くことになったネロの存在もあわせて鑑みれば、随分と賑やかになったものだと言えよう。というか、人数が倍以上になっていた。もう一人の家主と言っても良いクロエにしたって「……家族が、いっぱい、みたいで、良い……かな」とのことで、結局、何だかんだで根無し草二人は、一時的ながらもこの家に居着いてしまっていた。根無し草でもなんでもなかった。それ即ち、準備のために戻ってみれば、一言二言ならず会話も交わされよう。ちょうど客のはけた夕刻のことである。

「また随分な与太に引っかかったものですね」

 開口一番、ネロの言葉のナイフが直球で投げつけられた。まるで容赦や遠慮というものを感じられなかった。メイド服なのに。メイドなのに。とはいえその言葉は全くもって正論でしかなく、彼らとしても返す言葉がない。ウィリアムなど、おもむろにその場で正座をしようかと考えたほどだ。

「かれこれ七十年生きてきても、エルフは見なかったわね」

「……おばあちゃん、も?」

 クレハの言葉に、クロエは蒼穹の瞳を丸くして驚く。否、本来は驚くことではないのだが、そもそも普通の人間は、七十年もの時を生きない。それほど長い時を生きていれば、エルフの一人や二人、見たことがあるのではないかとウィリアムとエリオもひそやかに期待していたのだが──その淡い希望は、ひとまず潰えたと言える。

「あったかもしれん希望がさっそく吹っ飛んだじゃねェかよ! ウィル、勢いでの安請け合いはそのうち身を滅ぼすぜ!?」

「正直、すまんかった」

 ウィリアムは真顔で謝りながらも、しかし止まる気は無いようだった。方位磁針コンパス、水袋、たいまつ、保存食などを速やかに小袋に詰め込んでいく。準備である。少年とて何も本気で信じているという訳ではないだろうが、それでも希望は捨てていないのだろう。常ならば暗い瞳に宿る光から、意志は死んでいないということを見て取れる。そんな様子を見て、クレハはふふとさざめくように笑った。

「けれども、そうね。いるかもしれない──否、私は、いてほしいと思っているわ。そも、いてもおかしくはないわよ?」

「おかしくは──ないでしょうね。然し、いるとすれば、それは不幸です」

 果たして彼らに真っ当な生が望めましょうか、とネロは肩を竦める。その言葉に、クロエはカウンターに座したまま、考え込み──はっと気付いた。この世界に、エルフなる、幻想に近しい稀少種族が、仮に存在するとしたら。行き着く先は果たして見世物か、あるいは悪趣味な金満家の所有物か──少なくとも、決して明るいものではないだろう。クロエは音もなく瞳を伏せる。

「……優しいわね」

 老婆の口元が小さく笑みを刻んだ。

「つゥわけでもし仮にエルフが存在するとしてもあのダンジョンはそっとしておくという方向で行かねェ?」

「うーん」

「……でも」

 ウィリアムが腕を組み、思考を巡らせかけたところで、ふとクロエの零した声に、意識が向けられる。首をかしげて、少女を待った。伏せた視線をゆっくりとかかげて、クロエがぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出す。

「……だれかが、見つけた、のなら──また、だれかが、見つけても、おかしくは……ない?」

 そうなった時、その誰かは、見逃してくれるだろうか。ひっそりと人の世を離れて生きる存在を、その存在のあるがままに、しておいて、くれるだろうか。目尻は下がり、蒼い瞳は揺らめく。どこか不安げなクロエの表情が、そう物語っているかのようだった。

「そう、ですね」

「そうなるわね」

「よし、行こう」

「うォーい! 早ェよ! 決断が早ェよ!」

 かくしてウィリアムの決意はとどまるところを知らなかった。エリオに向けられるウィリアムの視線の真っ直ぐさよ。全くもってエリオは巻き込まれる形以外の何ものでもなかったが、よくよく考えてみれば先日までの事件に関しても、ほとんどウィリアムの勢いに巻き込まれた形だったという事実を思い出した次第である。はー、とため息も出る。

「まァ行くか……」

「……私も、いって、いい?」

 思わず男衆二人が視線をクロエに注いだ。不意打ちのような言葉。彼女の言い出したことが契機なのだから──という責任から来るもの、といった様子でもない。その目にかすかな、しかし確かな好奇と高揚の意志が垣間見える。クレハはそんな様子を見て取ってか、ほとんど間を置かずに答えた。

「構わないわ、ネロさんもいるんですもの。お店は大丈夫」

「と、いうことだそうですよ」

 ──まさかの承服であった。よもやこんな事を予想して人手を要したのではあるまいなという考えが一瞬、ウィリアムの脳裏を過ぎったが、真相は老女の笑みの向う側である。

「是非無く無事に帰って来なさい。良いわね」

「……うんっ」

 祖母と向かい合ったクロエは、威勢よく頷いてみせた。

 その一方、ネロがウィリアムとエリオを一瞥して、常と変わらぬ平穏な調子で告げる。

「無事に帰らなければ大変なことになりますね。主にあなた方が──というか大変なことにしますが、私が」

「無事に帰れないのは僕らだけにとどめよう」

「ナチュラルにオレを含めたなァ!?」

 彼女の拳の威力を知っているエリオとしては、全くもって気が気でなかった。純粋な戦闘能力ではかるならば、確実にクレハ老に次ぐだろう。是非ともウィリアムにも一度体験しておいてもらいたい、とはエリオの感想だ。本意としてはオレだけあんなモン食らってるのが気に入らねェ、の意となるだろう。

 が、彼女は否と断じて言葉を続ける。

「揃って戻って来る様に、ということですよ──肝に銘じて下さいな。一時いっときと言えど、家族の一員として」

 ネロは言葉をそう改めて──楚々と礼を落とした。


 刻限を示す日の出の鐘、白んだ空を眺めた時──探索を翌日の早朝と定めていた彼らは、町外れの大森林を前にする。天高く青々と生い茂る木々、蔓や枝は無秩序に伸び、そのくせ入り口を指し示すかのように傾く木々が、森の中への門戸を開く。まるで闇に包まれているかのように、入り口からでは森の奥をうかがうことは出来なかった。僅かな隙間から差し込む光が、せめてもの救いといったところか。

「骨が折れそうだな、こいつァ」

 がしがしと金髪をかき乱しながらエリオはため息。クロエはランタンを片手に、ほうと息を吐いた。感嘆のそれである。そしてウィリアムはと言えば、その森を見定めながら──あるひとつの引っかかりを覚えていた。

 “剣魔七星セプテントリオン”。

 己等の力ではどうにもならない、遙か彼方に仰ぐべき怪物、そんな存在の目撃情報。それこそエルフの様な幻想に近しい存在に似た、あまりにも縁遠いもの。その関わりを──僕は、軽視し過ぎたのではないか。そんな疑問が、脳裏をよぎる。思い過ごしだと言うのなら、それで良い。そして、ウィリアムはうだうだと悩み続けることをよしとせず、二人にその旨を話したのだった。

「関わり、か。考えてねェかったな。そもそもエルフなんて与太が信じられるかどうかって話な訳だが、もし、どこぞのお偉方が確かな情報を得て、怪物を動かしたとしたら──どう、だろうなァ」

「……ちょっとだけ、急ぎで、いこうっ」

 心配に越したことはない、それが総括となった。各々の言葉に皆が頷きあうと、三人は樹海への一歩を踏み出す。

 まるで、木漏れ日に誘われるかのごとく。

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