Level13:『都市の暗がりに安息の幕が下りる』
かくして捕らえられた残る悪漢二名は、クレハ老の手によって、背中合わせにぐるぐる巻きに縛りつけられた。エリオは「一歩違えればオレもあっちにいた訳だァな」などと武具の類をかき集めながら嘯いていたが、ウィリアムらは神妙に彼らの姿を見ていた。それは即ち、彼らの処遇をいかなものとするか、という懸念に寄るものである。
「それこそ、ガードにでも突き出せば、それで済むんじゃないか」とはアルマ。とはいえウィリアムにとっては頷きかねる言葉であった。襲われた、当のクロエにとっては尚更のことである。老婆は相変わらず泰然とした態度を崩さなかったが。クレハが問う。
「所属、名前。そうね、ついでに、この小さなお店を態々狙いに来た理由でも──教えて下さるかしらね」
「……“鷹の爪”……荒野の国所属のクランだ。見ての通りの御破算だがな。代表が俺……ホークだ。他の奴らはいいだろ。どうせいちいち覚えてらんねえだろうよ」
縛られた男の一人がどこか投げやりに答える。虚言を吹くような様子は無いが、誠実に答えてどうにか解放してもらおうといった気配も見られない。いわゆる、自棄っぱちなのだろう。共に縛られたモヒカン男はぐったりと頭を落として気絶していた。先刻の逃亡の際、強烈な一撃を貰ってしまったに相違無い。
「──“商店”の依頼、か?」
「さてね。俺らァ流れ流れてこっちに来たんでね、ここの事情は知ったこっちゃねえ。楽な仕事と聞きゃあやらねえ理由も無ェだろ?」
ふんと鼻を鳴らして肩をいからせ、居直る男。ウィリアムとてダメ元の言葉ではあったが、なんともはやといった有様である。「バリーさんの所、かしら」「恐らくは」老婆の問いに、ウィリアムは答える。ふうむと肩を竦めて、クレハはため息を吐いた。
「困ったわねえ」
「へん、何人かもおっ死んじまったろうしな、今更何が怖ェかよ。突き出すなら突き出せ、斬るなら斬れ、火炙りにでも何でもしちまえ。そこの餓鬼共もむかっ腹立ってんだろうぜ!?」
「まあ、僕はその通りなんだがな」
「?」
ウィリアムの言葉に、思わず首をひねるホーク。と、ウィリアムは、親指を立てて少年自身の背後を指さした。そこには鷹の爪団員達総員のくずおれた身体がアルマにひきずられ、山と積まれていた。そしてその男達ひとりひとりを、クロエが看ているといった様子である。
「なにも看てやらなくてもいいんじゃあないか?」
「……だいじょうぶ。代金分は、もらってる、から」
「貴女を襲った輩共だが」
「……でも、明日は、お客さん、かも」
はぁ──と、アルマは不思議そうに首を捻りながらも、おもむろに薬草などを処方するクロエの姿を見守る。職業意識か、あるいは本人の性質なのか。彼女の振る舞い──芯は強くとも何処か世間知らずの気がある──を見るに、あるいは後者の確率が高いのかもしれない。もっとも、クレハに総員が徹底的に叩きのめされた今となっては、男達とて下手に“復讐”などとは言い出せるはずもない。その点では、合理的な処置とも言えるのだろうか。
そんな光景を見ては開いた口が塞がらなくなっていたホークに、そそくさとエリオが歩み寄る。そして彼の耳元で、そっと何事かを囁きかけた。その様子はさながら悪魔のささやきであった。というよりも、確実に、エリオの頭頂部に悪魔の羽が生えていた。その程度には、悪い顔つきをしていた。良からぬことを吹き込んだ、という表現がこれほど似合う所業はない。
「……オイ、本当か、そいつは」
「本当だとしたら納得できっかい。オレは悪くねェ条件だと思うけどなァー」
にやにやとエリオは端正な相貌を歪めていやらしく笑ってみせる。ホークは暫し、苦渋の、苦悩の表情を見せて、唸り声を上げ──その果てに、ようやくといった調子で頷いた。
「というわけで、お嬢ちゃんのお祖母さん、こいつら“同職ギルド”の者に引き渡すってどうッスかね」
「……──そうね。確信がない以上、それが最善手だわ。あいにく長い間、彼らを勾留してはおけないもの」
商人ギルドと対立関係にある彼らに引き渡してしまえば、商人ギルドの支配下にあるバリー・バルザックは、その動きをいくらか制限されざるを得ないだろう。結果的には、彼ら祖母娘に被害が及ぶ可能性は下がる、といった寸法である。クレハは静かに頷き、承服する。
「了解。そんじゃ、ちょっと行ってきまさァ」
そう言って、エリオは突然走り出した。さっと路地に入り込んで、見えなくなり、そして程なくして、戻ってきた。──数人の奇妙な者共を引き連れて。髭もじゃの男達やら、普通の人間も一応はいたが、中には一つ目の男といった奇妙な姿まであった。「クレハ祖母さん、御無沙汰しとります」「嬢ちゃん、無事だったかい──良かった良かった」「こっからは俺らの管轄だから任せときんしゃい」などと陽気な安堵混じりの声を口々に掛けながら、綺麗に男達を引き連れていく。嵐が過ぎ去るかのような、あっという間の出来事であった。
「……おい、エリオ、急展開すぎて、ついていけないぞ、僕は。むしろ全員が」
「同職ギルドの方々がさァ、商売敵の醜聞を欲しがるのは当然だろ? んでまあ私兵を抱えてる“商店”に対抗する兵力もあればいいだろ? というオレの思い付きによって引きとってもらいました」
つまり、男達が引き連れていった彼らが同職ギルドの者であったらしい。思い返せば確かに、鍛冶や細工などにたずさわる者の気配がしたように、ウィリアムは思う。
「というか、いつからいたんだよ! あの人ら!」
「オレが朝から一日声掛けて回ってたんだぜ、見張り立てて貰うようによ、ちょっと自費出したんだぜ、第三者の眼が欲しいからさ、疲れたわ、マジ疲れたわー」
意気揚々と調子に乗りまくりながら語るエリオを、クレハは柔和な笑みを浮かべたまま見つめている。あるいは彼の浅薄な思考など見通して、その上で先刻の問いに頷いてみせたのかもしれない、ウィリアムなどはそう思わざるをえない、それほどの懐の深さであった。一方のクロエは、半ば呆然としながらも──ああ、だから、いくつもの方向から、視線を感じたんだ、と回想する。そして、何もかもが元通りになったところで、通りに立ち尽くした。
立ち尽くして、ようやくの思いで、安堵の息を吐いて──ふらりと少女は、意識を落とした。
慌てて傍らのアルマが咄嗟に抱きとめ、その状態をうかがう。ぱっと見たところ、別段、異常は見られなかった。脈も落ち着いたもので、息もある。緊張状態を強いられ、意地を張り続け、ついに緊張の糸が切れてしまったのだろう。大急ぎで──無論、クレハもだ──駆け寄った三人も、アルマと共に、揃って安堵のため息を吐いた。
「運びますか?」
「いえ、私にさせて頂戴な。私の、孫娘だもの。──今夜は遅いわ、もう空が白んできた。三人とも泊まっていかれる?」
「宜しければ。クロエの容態が気になるので」
「出来ればお願いしてェですハイ」
と、二人合わせて老婆に礼をしている時、アルマは、少女の身体をそっとクレハに引き渡すと、一歩身を引いた。その場を辞す。
「私は明日も職務がありますので。失礼させて頂きます」
「そう。……悪いわね、お嬢さん。ご老体が甘えてしまって」
「アルマと申します。宜しければお見知りおきを。────滅相もありません」
あれほどのものを、見せられてしまっては。そうは続けずに、アルマは礼を落とす。
「有り難いわね。……覚えておくわ。アルマさん」
その言葉を聞き届けると、彼女は背を向け、歩み出す。──と、不意に、赤い髪を翻し、振り返った。顔を上げたウィリアムに鋭い視線を投げかけ、下ろしていた剣を掲げ、その矛先をも向ける。それはまがうことなき、敵意だった。
「ウィリアム。此度は彼女に免ずる。──だが、グレイのこと、忘れるな。お前が流れる前に、決着はつけなければならない」
グレイ。それはウィリアムも覚えている。己が剣を突き立てた者の名だ。彼女の零した、彼女の部下の名だ。罰を許されたとて、免じられたとて、ウィリアムの罪が消えるわけではない。つまり、そういうことなのだろう。少年は静かに頷いた。
「必ず」
「その言葉、確と」
ではな、と一言残して、本当に彼女は去っていった。去りゆく彼女の背を見守る最中に、エリオがぽつりと疑惑の声を漏らす。
「──ウィル、あんな約束しちゃっていいんかい。だいたい、どこのどいつを刺そうが、切った張ったの仕事やってりゃ怪我すんのも死ぬのも普通、承知の上だろォが」
「甘いよな。でも、僕らはその甘さに救われたんだからな──“小さい女の子が襲われてるから”なんて理由で手助けしてくれる人が、何人いるってんだ、このご時世」
「そりゃ甘ェわ」
────だからその流儀に乗るってわけかい? と、エリオが悪戯気な笑みを浮かべる。その表情は、『お前も根本が人のこと言えねえっつゥか大概だろォよ』と、揶揄するように、どこか愉快げなもの。ウィリアムはその様子に、「借りがあるんだから、返すだけだ」と言って、小さく肩を竦めた。
「……良い子、ね」
ふふとクレハは笑って、一言だけ零した。優しくクロエを抱き上げて、薬屋の扉を開く。クロエが語っていたとおり、これが家主の七日ぶりの──帰宅と相成った。
夢をみた。夢をみていた。燃えていた。炎が燃え盛っていた。逆巻く焔が獲物に群がるかのように己を取り巻く。己の核を取り巻く。己の生を、その半生を過ごしていた店を、否、“家”を炎が取り囲む。己の半身を焼かれるかのごとく。己の命を灼かれるかのように。嗚呼、嗚呼。
──がばっ!! と勢い良く、布団を跳ね飛ばす勢いでクロエは眼を覚ました。反射的に身体を起こして周囲を見渡す。家は燃えていない。そこは室内だった。が、どうやらクロエ自身の部屋ではない。ならば誰の部屋かというと、答えはすぐに出た。傍らに彼女の祖母、クレハがついていたからだった。そうだ、ここは彼女の部屋だ。たった一週間とはいえ空けていたとは思えないほど、隅々まで掃除の行き届いている一室。
「そそっかしい子だこと。もう少し、寝ていても良いのよ」
寝付きも宜しくなかったのか、硝子越しに窓の外をうかがえば、まだ朝日すらも見えない。クロエはにわかに寒気を覚え、震えをもよおす身体を布団の中に押し込みながら、ちらりとクレハに視線を向けて問う。
「……皆、は?」
「アルマさんは帰られたわ、きちんと礼は言った?」
こくり、とクロエが頷く。
「ウィリアム君とエリオ君には泊まっていって貰ってるわ。……そうねえ」
黒い髪の侍る小さな頭を、枝木のように細い手が撫でる。クロエは眼を瞑りされるがままになりながらも、不思議そうに首を傾げた。その所作は、十九という彼女の実年齢を鑑みれば、いささか幼いものだ。あるいは外見相応ではある、ということではあるのだが。
「閨語りに私のお話でもしようと思ったの、だけれども」
「……うん」
この七日、なんでもクレハ老は何ぞかの仕事のために、帝国──この大陸の中央に位置し、周辺諸国を実質的に統括する“世界帝国”に赴いたのだという。クロエとしては、そのたぐいの話は実に興味をそそられる。元々の性質が箱入りに近いわりには、あるいはその反動なのか、見知らぬ土地の、見知らぬ人々の話は、奇妙に心が踊った。布団をかぶったまま、もそもそとクロエは身体を起こす。
「だけれど──私はクロエの話が聞きたいわ。聞かせてくれるかしら、この一週間の事」
クロエは、不意の言葉に、反射的に頷いた。頷いて、そして、どこからどう話したものかと、すこぶる困り果てたかのように目尻を垂らした。
そして結局、初めから話すことにした。ある日、調合に必要な類の薬草を切らしてしまったこと。その日の朝市に見られなかったので、直に調達しに行って、そして紆余曲折あって、ウィリアムを助け、助けられたこと。エリオに攫われかけたこと。なんだかんだで有耶無耶のうちに巻き込んで、その内に一緒にいること。そして、皆で一計を案じ、“一泡”吹かせてやったこと。──言葉にしてみれば、これだけのことだった。そんな、これまでのことを、ぽつぽつと語りながら、クロエは驚いた。クロエ自身が驚いた。なんて荒唐無稽なんだ、と驚愕した。
そんなクロエの語る言葉を、クレハは黙して笑みと共に聞いていた。そして老婆は、皺の刻まれた額に手のひらを当てると、ふと尋ねた。
「彼らは──クロエの何かしら?」
クレハは何気ない調子で問うた。柔和に微笑んで、静かにクロエの答えを待っている。だからクロエは、大いに悩んだ。行きずりというには、深入りに過ぎる。知り合いというには、いささか記憶に残りすぎる。ならば友人かといえば、何かが決定的に違いすぎた。だいたい、友人というのは、そう何度も死線を共にするだろうか。それはきっと、戦友という奴に当たるのだと思う。結局、クロエの出した答えは、これだった。
「……仲間、だと、おもう」
「仲間」
「……たすけたり、たすけられたり。……それに、一緒にいると、たのしい……かな」
成程とクレハは、満足気に、その答えに頷いた。そして、クロエを見やる。老婆自身が最後に見たそのときよりも、その姿は、少し大きく見えるような、気がした。──恐らく、背丈が伸びたという訳では全く無いだろう、残念ながら。小さく笑ったまま、老婆は自身の両腕を伸ばし、クロエの身体を抱いた。その手の中で、小さく少女の身体が震える。
「……良かったわ。無事で……本当に」
言葉に詰まり、息に詰まる。
「この“家”を守ってくれた事。……嬉しいわ。凄く。でも」
「……」
その矮躯を腕の中に収められたまま、クロエはじっとしていた。こくこくと、頷く。
「私は、クロエの方が、ずっと大切。────本当に、良かった」
「……うん。……ありがと」
そして、孫娘は改めて、おかえり、と言った。祖母が、ただいま、と応えた。
「おぉぉ……おお……おぉ……良かった……本当に良かったなァ……! ううッ……ううう……ッ」
「僕は盗み聞きはどうかと思うんだけど、そこのところどう思う、エリオ」
「え? ああ、なにを隠そうだな……オレはこの手の話に弱くってな……なんというかそう親子愛的な……そういう……ううッ……うう……ぐすっ……」
「聞け!」
仲睦まじいやり取りが部屋の中で交わされている傍ら、エリオは廊下側から扉に耳を押し当てて、中の様子をうかがっていた。というか、ウィリアムの言葉の通り、盗み聞きだった。しかも、かなり堂々と。
「盗賊のオレが盗みをせずしてどうしろと?」
鼻をかみ、涙を袖で拭いながらエリオは言う。悪びれる振りすらもなかった。そして、整った顔立ちもそこはかとなく台無しだった。そんな様子を見て、呆れに肩を落としながらも、ウィリアムとて安堵の色は隠せない。
「そういえば、どうするって言うと」
「あァ」
「エリオ、君は、明日からのアテって何かあるのか」
「同職ギルドへの働きの恩にたかって酒を呑む」
「クズだな……」
自然と真顔で言ってしまう言葉を止められないウィリアムだった。一応は、本当に一応、目の前の男は年上なのだが、彼に払うべき敬意の持ち合わせがなぜか中々引き出されない。不思議なことだ。
「真面目に言うと根無し草だァね。またテキトーにふらふらするさ」
「一緒に行かないか?」
ウィリアムがエリオを見上げると、彼の言葉を遮るかのように、真剣な表情のままで言った。灰色の髪の下、暗い瞳に微かな光が浮かんでいる。小さな希望と、期待の彩りだった。「……あん?」と、エリオは顎に手のひらを当て、首をひねる。
「割とさ──どぉっちでもいいんだよなァー。オレ。そりゃ金とか、そこそこは欲しいけどよ、あんまり要らねえんだよな。盗みやってんのもそもそもが生きるためだし、目的意識が希薄、っつゥの? 良い年して年下に言うことでもねーけどさ」
軽やかに笑いながら放たれた、その言葉を聞いて、ウィリアムは頷く。
承服して、その上で。
「もし、良かったら、考えといて欲しいんだよ。……最近気づいたんだ。連れ立つ仲間がいるといないとで、出来るか出来ないか、事が全然変わってくるってことと──」
そいつと気が合うのならば尚更、とウィリアムは続けた。ヒヒ、とエリオは悪辣な笑みを浮かべると、肩を揺らして、ばしばしとウィリアムの肩を叩く。
「オマケに酒が飲めるなら考えといたらァ」
「そいつは手厳し──」
瞬間、ウィリアムが、言葉につまる。相対していたエリオの頭に、老婆の手が掛かっていたからだった。視線を横にずらすと、クレハが、部屋の戸を開けていた。柔らかな微笑を浮かべるそこに他意は無かろう、無かろうが、しかし得も言えぬ圧迫感を感じたのはウィリアムの気のせいだろうか。いや、気のせいではないと思う。これが────年の功か。
「今日は、もう遅いわ、休んでおきなさいな。それと」
「ハイ」
ウィリアムが正座をする。
「気にしてくれたのなら、きっと喜ぶわ──けども、盗み聞きは良くないわね、エリオ君」
「ハイ……」
全力で肝を冷やしながらエリオが答えた。
「それじゃあ、お休みなさい」
ぱたり、と扉が閉ざされた。ウィリアムは神妙に膝を払って立ち上がり、呆然と立ち尽くしたままのエリオの身体を引きずり、寝床に向かう。ずりずりと床に擦りつけられながら、エリオは沈痛に口を開いた。
「祖母ちゃん、超強ェ」
「僕たちは、それを、知っていたはずなのに……」
もう、夜が明けかけていた。