Level11:『都市の暗がりに剣戟が鉄火を散らす』
時は少々遡る。中央広場のウィリアムは、依然厳しい戦いを強いられていた。周辺の警護は厳重さを増し、“商店”の入り口はしっかりと固められている。その様子を横目に一瞥しながらも、一切の気を抜くことは出来なかった。眼前に再び、女の剣閃が迫り来る。それをウィリアムは咄嗟に捌く、が、いかんせん、重い。一撃一撃が。このままでは、防戦が崩れるのも時間の問題か。周囲にもそう伺えたのか、あるいは──相対する女が、そのように命じているとも見える。
だが、戦局には、一つの変化が見られた。
「……ッ!!」
ウィリアムが、突如として身を翻し、外套をはためかせ、横っ飛びに石畳を転がる。次の瞬間、元居た場所に、遥か彼方から飛来せし一矢が、突き立った。地を穿ち、揺らぐ鉄の矢。鐘楼か、屋内の高層か、屋根の上か──ともかく、いずこからかウィリアムへの狙撃が行われているのであった。この暗闇であるにも関わらず、そして目の前の女を射掛けてもおかしくないというのに。
「相も変わらぬ良い腕だ──ふッ!」
女は静かな笑みを浮かべると共、一歩の踏み込みを見せた。回避行動という隙を露にするウィリアム目掛け、掬い上げるように刃が振るわれる。ウィリアムは地に手を突く、一瞬の判断で己の身を退かせた。
──結果。ひゅん、と音を立てて放たれた一閃が、ウィリアムの身を捉える。身を包む外套を掻っ捌き、その凶刃をウィリアムの生身、腹部に到達せしめ、その肌を、撫でた。刃を濡らした紅が、あるいはその身からも滴り落ちて、地を汚している。
「……ッ」
決して深手ではなく、致命でもない。だが、その傷の意味は重かった。傷を負うほど、血を流すほど、ウィリアムの能力は衰えていく一方なのだから。飛び跳ねる様に立ち上がり、刃を掲げながら、ウィリアムは相対することをやめない。
「悪足掻きだな」
「……」
「投降するなら、悪いようには──いや、するだろうな。筆舌に尽くし難いことをするだろうが、だが、死にはすまいよ」
正直だな、と思いながらも、ウィリアムは頷かなかった。同時に、少年は知覚する。自分に浴びせられる、一点の光を。それは、遙か彼方から伸びる一点の光の線。その光源には、ひときわ大きな灯りがともる。
そこには、恐らく射手であろうと思われる、小さな影がいた。この光が、暗闇の中で、ウィリアムの姿を捉え得たのだ。同時にそれは、射手の腕が伴わなければ全くの無意味なのだが──そしてその狙撃手は、今、ウィリアムにしかと狙いを付けている。
それを承服した上で、ウィリアムは剣を握りしめた。
「……そうか」
彼女はそれを見取ると、瞑目して少年に刃を向け──
その時、ウィリアムが、まるでがむしゃらに女に向かって突っ込んだ。ほんの刹那の豹変に彼女は眼を見開く、が、なんてことはない、猪のような突貫に、恐れることなど何も無い。ひらりと女はウィリアムの暴挙を回避すると、同時。
「血迷ったかッ、────ッ!?」
鮮やかに身を返すと、そのままウィリアムの背を、斬りつけんとした。確かに、斬りつけんとして──しかしそこに、ウィリアムの身は無かった。まるで、初めから彼女のことは眼中に無いかのように、ウィリアムは一直線に駆け出したのだ。彼女に背を晒すことも意に介さずに、全速力で駆ける──“商店”の屋敷へ向かい。射手の照準も間に合わず、瞬間、周囲がにわかにざわめく。
「総員、慌てるなッ! 入り口を固めろッ!」
咄嗟の女の判断、号令に合わせ、私兵部隊が動く。ウィリアムが遮二無二に突貫してみせても、その防衛戦は、いかに足掻いても突破出来そうにない。総数十五、それぞれ五人が左翼、右翼、中央を固める陣形。とてもではないがその隙間を抜けるなんて芸当は不可能だ。少なくとも、ウィリアムには不可能だ。そして背後からは女が迫る。
「……────ッ!!」
不可能だ、そんなことは、ウィリアムが、最も良く理解している。ゆえに駆けた、駆け抜けた。“商店”への突貫を狙う──狙う、ふりをして、防衛戦に突き当たる直前の所で切って返す。右翼の更に右を抜け、狭く薄暗い路地へ、滑りこむ。
あまりの呆気無さに、気の抜けるような不覚に、女が一瞬、足を止める。そして、瞬間、気づいた。中央広場などという必要以上に目立つ所で、わざわざ凶行に及び、そして防戦一方を貫き、危機を悟れば早々に尻を捲って逃げる、このような不自然な行動を取られれば、誰でも勘付く。
────陽動だ。
「……野郎めッ!!」
「た、隊長ッ、アルマ隊長、どこへッ!」
「確実に仕留めるッ! すまない、もう手遅れかもしれないが、皆、“内部”を探ってくれ!」
「……りょ、了解ッ!」
隊員が、そして隊長が、互いに互いへの信頼を置いているのか。果たすべき役割をお互いに委ね、そしてそのために全力を尽くす。彼女──赤髪のアルマはなにくそと走り出し、そして言い付けられた男がその背に敬意を払い頭を下げた。私兵部隊が、持ち場を守るための一部の人間を残して邸内になだれ込んだ所で、彼女はウィリアムの背を見止める。
この時、すでにエリオが“商店”の主をひとしきり殴り飛ばしていたことは、余談として留めておくべきだろう。
さて、自分の目的を果たしたウィリアムは、颯爽と全力での疾走を開始した。早く、速く、疾く。ウィリアムとしては、クロエの身の安全を鑑みれば、とてものんびりはしていられない。そして第一、彼女の所へ戻るためには、凶相を浮かべた背後の女、アルマを撒く必要があるのだから、尚更だ。難題である。そして、難儀だった。手負いのウィリアムでは、何とも骨が折れる仕事だ。むしろ、骨で済んでくれるのならば僥倖か。
仮にの話だが、真向勝負で彼女と打ち合えば、ウィリアムの敗北、そして死は必至であると言えよう。先刻の騒ぎは、ウィリアムが初めから勝利を放棄し、防戦に徹していたからこそ、あの結果で終わったのだ。
「逃が、さん──ッ!!」
振り抜かれる剛剣が、凄まじい風の音を引き連れる。女のそれとは思えぬほどの猛威が、ウィリアムの後ろ髪を煽った。一閃が、ウィリアムのすぐ後ろを通り抜けていく。
「うぉぉッ……!!」
刃のよぎった後に、はらはらと灰色の髪が散り、落ちた。瞬間的に詰められていた距離を、ぎりぎりの所で離して、もつれかける脚を引きずるかのように、ウィリアムは駆ける。
「ふん」
「……なんてゴリラ女だ!!」
「なんだと!!!」
しまった怒らせた。そう思うも、時すでに遅し。今や衛兵の眼に触れる危険は無いので、自身の声を気にする必要はなかったのだが、それが仇となってしまった。というか、問題は、明らかにウィリアムにあった。過ぎた時間は取り戻せない。
曲がり角を踏み切り、暗闇の路地裏を駆け抜け、背より襲い来る剣閃を紙一重にいなして躱す。言葉にすればそれだけだが、これほど困難なことはない。点々を零れる血を足跡がわりに残し、徐々に中央広場を遠ざかり、城壁へと近付きながらも、ウィリアムはまるで逃げ切れる気がしなかった。
彼女は、激昂を露にしながらも、冷静だった。
「いよいよ後が無いな──今なら腕一本で許すぞ!」
「……断る!」
吐き捨てながらも、ウィリアムは焦りはじめる。というのも、彼女の言葉が事実であるからに他ならない。その上、全力で走り続けるにしても、ウィリアムの疲労はとっくに限界近くに達しようとしているという苦境。真っ直ぐに行けば、そろそろクロエの居場所には辿りつけるだろうが、よもや追跡者を引き連れたままに舞い戻るわけには行かない。大きく迂回していくしかないか──と、ウィリアムが、そう考えた、まさにその時だった。
「ロープあっかァ」
「なんか長過ぎねえッスか、これ」
「燻製にでもする?」
「結局火炙りかよ」
「焼きてえ」
「真面目にやれお前ら!!」
路地の隙間、彼方の暗闇から、声が聞こえた。男達の声だった。男の一人が、その手に炎をたずさえている。その焔を灯りとして、照らし出される暗闇の向う側が、ウィリアムにも見えた。
一人の少女が、俯せに地に組み伏せらていた。男の一人に後ろ手に腕を捕まえられ、そして梃子でも動かないように押さえつけられている、光景だった。周りを複数人の、十数人規模の男達が取り囲み、ロープだの短刀だの松明だのを片手に、下卑た笑いを交わしている。
「……ぐずぐずしていれば……いい」
「ああ?」
呟きを零したクロエの腕を、男──ホークがぎちりとひねり上げる。少女の表情が痛みにしかめられるが、瞳を眇めたまま、構わず言葉を続けた。
「……そろそろ。助けに……きて、くれる、ころ、だもの」
「は」
呆けたようなホークの声。構わず少女は、俯せの姿勢のままで、顔を掲げる。誰の表情をうかがうでもなく、クロエは視線を上げた。その眼は、天に輝く月を見ていた。「あーん?」「そいつァまじぃね」と、笑い混じりの会話を男達が繰り広げる中で、クロエがひとり、月を睨んでいる。その視界を覗きこむかのように、ホークが視線を遮った。
「は──はははははッ!!」
高らかに響く、笑い声。そこに込められたものは、一山の悪意だ。続けざまに連鎖するかのごとく、弾ける。哄笑──それはきっと、悪党どもの宴とも言うべきひと騒ぎに違いない。
「無ェよ、あるかよ、そんなに都合のいい話がよ! 餓鬼が夢を見るのも大概にしろよ、あァ、餓鬼はおねむの時間か? ッたく、さっさと逃げりゃあこんな事にはならなかったかもなァ?! このしょっぺえ店に何の拘りがあるか知らねえけどな!」
「馬鹿に、して、くれるな……ッ! 」
──理性がウィリアムに語りかける。彼女を守るためならば、まずは追っ手を撒くことが先決ではないか、と。更なる災厄を招くべきではないだろう、と。然り、全く以て道理だとウィリアムも一考する。
「お利口かと思いきゃ、とんだ夢見がちだあな」
「……たすけも、くる、と……っ」
「関係ねえなあ!? 一人や二人の助けがどうした!? これだけの人数にどうするつもりだろうな! 怖気付いて“おしまい”だろォよ、現実はきびしいんだぜ、教えてやろうか、雌餓鬼──っ!」
ホークが、嘲笑いと共に、クロエの髪を掴んだ。乱暴に扱われた黒い髪が力尽くに引っ張られ、儚く乱れる。その光景を眼にしたウィリアムの思考が──脳裏に灼けつくような怒りに、塗りつぶされた。
そもそも、ウィリアムの今回の騒動への比類なきモチベーションは、その大元が──“商店”に一泡吹かせてやる、という衝動から来たものであった。そしてその衝動は、クロエに抱く好感と、そして彼女に振りかかるであろう災難から来る怒りに帰属する。
ゆえに、今、ウィリアムの目の前に広がる情景は──彼という存在にとっての引き金を引き絞るに等しい。
────『店を守りたい』と語った彼女の、その想いを、踏み躙られて、黙っているのかッ!! それが、僕という人間かッ!!!
そして、ウィリアムは、全ての思考を放り投げた。凄まじい勢いで、一直線に駆け出す。彼の後ろにいる女が、突如の暴走に、あっけにとられるほど。
彼女を襲う厳しい現実とやらを、力尽くで排他するために行く。
「縛りってのもまた乙な──あッ!?!?」
「散れッ!!」
疾風怒濤。肉薄と同時、早撃ちの如く一刀を抜き放ち、振るう。クロエを取り囲む一人、ロープを手にしていた男の腕が、一刀両断にて切り飛ばされた。続けざまに振り下ろす刃を、背へと突き立てる。血飛沫を散らしながら抜き放ち、紅い雫を払うように刃を振るう。切り伏せた男がうめき声を上げて崩折れる様を、一瞥さえもしない。
膨大なまでの殺意を気取ったか、咄嗟にクロエを離して、咄嗟に飛び退いていたホークが、現れた悪鬼のごとき少年に、視線を向ける。
「……本気でお仲間、か? クソが。許せん都合の良さだ。一人……二人、か」
ウィリアムと、そして後から続いてきたアルマを、ホークは勘定に数えた。だが、当のアルマといえば明らかに戸惑っている様子だった。それも当然だろう、明確に己の矛先として認識していたウィリアムが、全く予期せぬ行動を取ったのだから。
「仲間じゃないぞ、むしろ切り捨てたいのだがな」
がしがしとアルマは困ったように赤髪を掻きながら、何ともやりにくそうに眉を垂らす。
ウィリアムは白い外套を無造作に脱ぎ捨て、背後のクロエを振り返る。ウィリアムとアルマが、身体でガードする形で、クロエの盾となっているこの状況。
いくらかの距離を置いて、男達が、彼らの動向をうかがっている。数に任せて攻めこまれれば、圧倒的に男達が勝るが、この路地は、十人規模の人数を生かせるほど、広くはなかった。
「──大丈夫か、クロエ!」
「……ちょっとだけ、おそい」
「服可愛いな!」
「……ばか」
服の埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がり、深く息を吐くクロエ。
そんな彼女に、ニィと笑ってウィリアムは、一枚の金貨を投げ渡す。それは少女の熱を込めた、すなわちクロエが“探知”し得る金貨だった。都合の良い話でも、的はずれな期待でもなんでもなく──ただ彼女は知っていて、信じていて、起こるべく必然が起きたという、ただそれだけのこと。
そして、ウィリアムはアルマに振り返って言う。
「手を、貸してくれ」
「貸すと思うか」
「女の子が徒党を組んだ男達に襲われているこの残虐的光景を見過ごすのか!?」
「う、うーん」
流石の女もたじろいだ。そして少女、クロエの姿を見下ろし、観察する。どう見てもアルマには、年端も行かない子どもにしか見えなかった。というよりも、クロエとウィリアムを除いたこの場にいる全員が、そのように認識しているだろう。アルマはちゃきりと音を立て、剣を担いで、神妙な表情を浮かべながら、不承不承頷く。
「──アルマだ。言っておくが、今は協力するが、後で衛兵に突き出すぞ」
「ウィリアムだ。……生き延びられたらな!」
「ちッ、たかが二人だ! 囲い狭めて叩くぞッ!」
ウィリアムが一人を斬り倒し、残存する敵対勢力が十五人。道幅を考慮してか、三人組の小隊が五つと分かち、ウィリアムとアルマ、そしてクロエを取り囲む輪を、少しずつ縮め始めた。輪の外から、ホークが司令塔として機能する。明らかな多勢に無勢の戦況に加え、少女一人を守り通さなければ勝利は成らない、という条件の厳しさ。ウィリアムが改めてそのことを再確認していると──不意にクロエが、ぽつりと、静かな呟きを落とした。
「……二人じゃ、ないよ」
かちゃりと何かの開く音がした。一瞬、集団の意識が扉の側へと向かう、が、そこは一切の変化を見せてはいない。物音は、遙か上方であった。──窓から金髪碧眼の青年が落ちてきた。ちゃりん、と金貨の音ひとつを引き連れて。先刻、ウィリアムが斬り倒した男をクッションにして思いっ切り踏みながら着地する。そのついでに、手近な所にいた男一人に、無造作に短刀の刃を抜き放ち、突き立てた。
「待たせたな! っつゥかオレの拾ってきた情報がクソの役にも立たねえでやんの畜生め」
「が──ああァあッ!?」
「あ、わり、手ェ滑ってたわ」
突き立てた刃をそのままするりと無造作に滑らせて肉を切り、抉る。引き抜くと共に噴き出す血飛沫、悲鳴を上げて倒れる身体。
「──は」
隙だらけだな、と言わんばかり。アルマは、突如として降り立ったエリオの姿に最早驚くこともなく、彼の身体を影にして、一歩を踏み出した。彼の脇をすり抜けるようにして、エリオの手折った小隊のもう一人を、腹部を一突きにする。
その背を、残る一人が、血走った視線と共に、狙う。振り上げた短剣を、アルマの後頭部目掛けて振るう。何せ、尺の短い剣だ、振りが早い──が、その刃が血に濡れることはなかった。無造作にアルマは、背後の男に向け、蹴りを食わせる。その一撃をまともに受け、後方へ吹き飛ぶ、同時に刃を引きぬきながらアルマが距離を詰め、一閃に切り捨てる。
「きっちり僕らの分もやってきたんだろうな!」
「むろん」
言葉を交わす合間に、流れる様な奇襲で小隊が一つ壊滅する。その最中、ウィリアムは脇目もふらずにクロエの護衛に徹した。彼らの勝利条件は、こちらを全滅させることではなく──この少女一人を捕まえてしまえば、それで良いのだから。
「どォするよウィル。これ後が続かねえぜ」
「とはいっても、だな」
「片っ端から切り捨て──る、には、儘ならないだろうな。この数だ」
アルマの発言はいちいち物騒だ。無造作に視線をやると、残る十二人が編成を変え、四人組が三隊。一斉にかかられて仕舞えば、それぞれがそれぞれの対応に精一杯であり、そして手負いのエリオやウィリアムではどうしてもガタが来るだろう。
「ぺッ──良くみりゃあ手負い二人、女が一人、戦力外が一人じゃねえか。お前ら、油断すんじゃねえぞ、それぞれに集中しろ、馬鹿から死体を晒す羽目になるからな」
「応よ」「あの女対応しなきゃいけねーの?」「一気に行くぞ一気」
左翼、右翼、中央、それぞれに四人ずつの配置。にわかにウィリアムはデジャブを覚えるが、先刻との明確な相違は、真っ向からそれと相対し、戦わなければならない、ということだ。
「しゃあねえ、腹くくるか」
「いざとなったら散開だな……僕が引きつけるか」
「……みんな」
クロエの囁くようなささめき声、その呼びかけに三人が一様に彼女へ意識を向けた。
「……すこし。あと、すこし。もちこたえて、ほしい──おねがい」
見上げて、三人の顔を見渡して、静かに、少女は嘆願する。アルマが一寸眉を潜め、ふむとウィリアムが頷き、エリオが緩やかに肩を竦めてみせた。
「乗ろう」
「言うだろうと思ったけど一応言っておくぜ──本気かよ」
「私でも長くは、辛いな」
「勝算無し、じゃあ、無いんだろ?」
クロエが、頷きを落とす。ウィリアムはそれだけで十分とばかりに、己が敵と向かい合う。剣が、斧が、鈍器が。嵐のごとく襲い来る、それは暴風雨にも勝る暴力の群れ。
「私は──もしかして途方も無い馬鹿に、巻き込まれた、のかッ!」
がきィん! とけたたましい金属音をかきならし、アルマは、長剣を以て、鈍器と、まともに打ち合う。並の膂力では成し得ない桁外れの芸当を見せながら、あまつさえそのまま、ギンッ! と火花を散らしながらはじき返してみせた。そこから、本来ならば切り込めるはずが──脇から、一閃の後にどうしても生まれる間隙を縫い、刃が滑りこんでくる。切り返す刃を噛みあわせ、いなして見せながら、防戦は否めず。
「気付くのが遅ェよ見目麗しき淑女様、諦めて──くれッ!」
エリオは軽口を飛ばしながらも、頬をつうと冷や汗が伝っていく。脳天より振り下ろされる斧をすれすれのところで躱し、足元を掬う刃から、バック・ステップで距離を取り逃れる。
「全く僕を気の触れた様に言ってくれる……!」
ウィリアムは幅広の刃を頭頂にかざし、降り落ちる斧の刃を受け止める。ぎりぎりと鍔迫りにまで追い込まれる様な状況に、脇から突っ込んでくる男が短刀片手──“くそ力”を振り絞り、落とされた刃を、強引に押し返して、そのまま踏み込む身体を膝ごと打ち込む。元いた場所を短刀の刃が通りぬけて、肝を冷やす。
──それぞれがそれぞれに獅子奮迅の奮闘を見せた。刃を掠めて血を零し、打撲を受けて骨身を痛め、ギリギリの所で致命傷を避けながら、そしてその上で、どうにもならない、手の回らない所が、一つある。
「──おい、ウィリアム、不味いぞ!」
アルマが気づきに声を上げる。彼女の驚嘆すべきは四対一という圧倒的なる劣勢ながらも、内二人を切り伏せせしているという点だ。彼女の純然たる剣の技術と、女性離れした力業は、乱戦においても著しく力を発揮し得るらしい。
そして、その視線が捉えていたのは、ノーマークになっていたホークの姿だった。すこぶる不機嫌に表情を歪めながらも、ゆらりと腰から剣を引きぬいて──クロエに迫る。いわば、集団を引き付け役として用いた形か。その目には何処か並ならぬ狂気が潜んでいた。
「ちィ……ああ……クソ、クソが、最初っから脚の一本でも切り落としておけば良かったんだよなァア……! お前ら、餓鬼ィひっ捕まえたら一気に下がれ」
男達がそれに応えて声を上げ、ホークが、ゆらりと幽鬼じみてその茶色の髪を揺らめかせながら、一歩、一歩と距離を詰める。クロエは、後ずさるが、しかし、逃げ出すことは出来ない。なぜかといえばそれは極めて単純な話──脚を貫かれた傷が、そう易々と完治しているはずが、無いのだ。
「嬢ちゃんッ」
「クロエ!!」
エリオとウィリアムは流石に辛い。傷と疲労という枷を背負わされた上での連戦など、とてもままなる身体ではない。特にエリオは、先刻に強烈な一撃をもろに貰ったせいか、迫る刃を躱し続けるだけでも精一杯だ。同時、ウィリアムは相対する男の、一点の隙を突いて、一閃をするりと割り込ませ──同時、ガキンッ!! と、高らかな金属音が響かせた。真っ向から剣を撃ち合い、彼方の剣を、無理やりにへし折ったのだ。それと同時にすぐさま身を返そうとするが──届かない。
クロエが、ウィリアムの姿を、見返して告げる。
「……だいじょうぶ」
刹那に風が吹き抜けた。衣をはためかせるほどに、烈しく吹き荒び、そしてそれはやがて、緩やかな凪となる。かつり、こつり。足音が、やけにはっきりと聞こえるほどに、静かだった。
「──……まにあった、から」
風に刃の手が一寸留まり、あるいはその狙いを外れさせる。少女の言葉に続いて、足音が、ひとつ、ひとつ、響き、段々と近づき、そして大きな音となる。規則的にゆっくりと、近づく音色。かつり、こつり。その方へ、クロエは静かに視線を、掲げた。
──老婆だった。
身体をローブにすっぽりと包みこみ、コートを羽織らせ、そして暗闇に浮かぶ相貌は、間違いなく老いた女のそれ。顔に刻みこまれた皺が、彼女の生きた年月を明瞭に物語る証として、浮かんでいる。片眼鏡を身につけ、そして彼女の髪は、ほとんどの色が余す所なく抜け落ちている。白い髪。その表情に柔和な笑みを浮かべて、御年幾つになろうかという、老いた女がそこにいた。ゆっくりとした歩みで、楚々とした佇まいは淑女の気品を感じさせる。
彼女は、悠然と────男達の脇を、死線を、まるで当たり前のように通り過ぎた。
それこそ、風が通り抜けるかのような緩やかさで。
「……な」
ホークが、絶句する。その存在に。
「──あんたは、何だ」
老女は、ゆるりと彼に向き直ると、しじまに微笑んで、向き直る。ゆっくりと、真っ直ぐに、確かに、クロエへと。ウィリアム、エリオ、アルマ──彼らが思わず道を開けてしまうほどに、彼女は、自然な歩みを見せていた。そして、クロエの目の前で、止まる。少女と並び、比すると、彼女はかなりの長身に思えた。老身にしては不思議なほどに、ぴんと伸びた背筋だった。
彼女らは、静かに向かい合う。
そして微笑を交わした。
「──おかえり、お祖母ちゃん」
「ただいま、クロエ」
闊達とした、声だった。